僕はきっと、その日見た光景を生涯忘れることはないだろう。そう思えるくらいには────
────タマザラシがギャラドスをボコボコにする光景は衝撃的だった。
ポケットモンスター、縮めてポケモン。この星に住む、不思議な不思議な生き物。海に、森に、町に、様々な場所で暮らす彼等は100、200、300、それこそ数えられない程に多い。そんな彼等の多くは人間の良き友人として、良好な関係を築いている。
そんな多くのポケモン達の内の一体。タマザラシというポケモンをご存知だろうか。
玉の様な丸っこい体を持つアザラシ似た姿をしたポケモンで、主に寒冷地の流氷付近に生息する。
丸い体は歩くにも泳ぐにもあまり適しておらず、移動する際は海の上であっても流氷の上を転がって移動する。体を覆う青い体毛の手触りはふかふかでとても気持ち良く、その体毛のおかげで霜焼けになることはないという。
嬉しい時や食事の時等には手を叩く習性があり、これが由来となり『てたたきポケモン』と呼ばれている。多くのタマザラシが一斉に手を叩き、笑う姿はとても愛くるしいが結構うるさいらしい。
野生のタマザラシは群れで行動していることが多いが、その中での役割は海の様子を探り、獲物を発見したらタマザラシの進化形であり群れのボスであるトドゼルガに知らせるという割りと重要なものであり、ただ可愛いだけではないのである。
ここ、ホウエン地方ではトクサネシティの北方に位置する浅瀬の洞穴に生息していることが知られている。
アヤトの住んでいるのは、浅瀬の洞穴にほど近い場所にある地図にも載っていない小さな島だった。口が裂けても都会とは言えず、色々と不便な環境ではあったが、自然が多くポケモン達がのびのびと暮らしている島の雰囲気がアヤトは好きだった。
人口もそう多くはない島で、アヤトと同年代の子供は居らず、一番歳の近い存在ですら五歳離れた兄であった。そんなアヤトの最近の遊び場が、島の近くにある浅瀬の洞穴だった。島には生息していないポケモン達との触れ合いはとても楽しく、特にタマザラシがアヤトのお気に入りだった。両親がタマザラシを手持ちに持っており、まるで兄弟の如くタマザラシと接しながら育ってきたアヤトが、自分のタマザラシが欲しいと思うのは極自然なことであった。
そんな訳で今日も今日とてアヤトは浅瀬の洞穴までやって来ていた。曲がりなりにもここに来るには海を渡る必要があるはずだが、そこは田舎育ちの面目躍如といったところか、お手製のヨットでなんの問題もなくこの場所に通い詰めていた。
「タッマザッラシ〜タッマザッラシ〜どこにいるのかな〜」
鼻歌交じりで上機嫌で洞窟の中に入っていくアヤト。最初に来た時は薄暗い洞窟を怖がっていたものだが、何度も出入りするうちにそんなものは全く気にならなくなっている。
しかし洞窟を進んでいくうちにアヤトは違和感を感じ覚えて立ち止まる。
「………?何か今日は全然ポケモンが居ないや。皆どこに居るんだろう?」
いつもならズバットやゴルバットにゴローン、お目当てのタマザラシなんかの他に珍しいところで言うとユキワラシも居たりするのだが、今日はその姿が全く見えない。
「もっと奥の方に居るのかな?ゴルバットとかは襲ってくるし、別に居ないならいいけど、タマザラシは見つけたいんだけどな〜」
町の外を手持ちのポケモンも持たずに出歩くのは、この世界では自殺行為に等しい。アヤトは今年10歳になり、ポケモントレーナーの資格を得ることができるが、自分のポケモンはまだ持っていなかった。両親は自分達のポケモンを一体譲ってもいいと提案したのだが、アヤトはそれをきっぱりと断った。やはり自分のポケモンは自分で捕まえたい。両親のポケモンに文句がある訳ではないが、ここは譲れない。
しかし両親もアヤトがよく外に出ているのは把握している。何度も危険だと注意しているのだが、実際に怪我をしたことがないのもあってアヤトは聞く耳を持たなかった。そこでせめてもの護衛手段としてモンスターボールを持たせていた。
モンスターボールはポケモンを捕獲する為の道具だが、基本的には捕獲対象のポケモンをバトルでダメージを与えたり、状態異常にして弱らせてから使うものだ。だが確率は低いが、そんなことをしなくとも捕まえられるケースはある。それに捕獲できずとも、ポケモンがモンスターボールに抵抗している間に隠れたり、逃げたりすることもできる。だからもしもの時はモンスターボールを使え。そう言われていた。
だが当のアヤトはそんなことにボールを使うつもりはさらさらなかった。自分の相棒としてピンとくるタマザラシを見つけるまではポケモンに襲われても逃げる気満々だ。アヤトはこの洞窟でも何度かゴルバットやゴローンに襲われたことはあるが、その時も上手く地形を利用して逃げ切ってみせた。そのせいで変に自信がついてしまっているのだ。
「ん?」
洞窟の奥に向かって歩みを進めていたアヤトだったが、聞いたことのないポケモンの鳴き声らしきものが聞こえた気がして立ち止まる。
気のせいかとも思ったが、耳を澄ませばやはり聞こえる。洞窟内に響いてかなり分かりづらいが、どうやら入口の方からのようだ。
「どうしようかな」
この辺りに生息するポケモンは全て把握しているつもりだったアヤトだが、今聞こえた鳴き声は聞いたことがなかった。つまり自分がまだ出会ったことのないポケモンがいるということ。迷ったのは一瞬だった。未知の出会いを求めて颯爽と踵を返し走り出す。ここに来たのはあくまでもタマザラシを探す為であるが、それはそれ。知らないポケモンに会えるワクワクとドキドキに勝るものはない。
「見えた!さてさて、いったいどんなポケモンが……!?」
洞窟の入口まで戻ってきたアヤトが目にしたポケモンは正に予想外のものだった。
腹側以外を青い鱗に覆われた、龍のように長い身体。三叉の角を持つ、凶悪な面構え。
「ギャ、ギャラドス!?な、なんでこんな所に……!!」
ギャラドスが世間に最も認知されているのは、その凄まじい凶暴性だ。一度怒り狂えば破壊光線で周囲を破壊し尽くす。それを納めるのは並大抵の難易度ではなく、例え嵐の中であっても暴れ続けるという。長いもので言うと一ヶ月間もの間、暴れ続けたという記録すら残っている。
アヤトもテレビ等でその姿を知ってはいたが、実際に見るのは初めてだ。想像よりも何倍も凄まじい威圧感に自然と息を飲む。
この辺りでギャラドスを見掛けたという話は聞いたことがないが、どこかから流れ着いたのだろうか。
そこまで考えて、洞窟内にポケモンの姿が見えなかった理由を悟る。このギャラドスを刺激しない為に、洞窟の奥に引っ込んでいたのだ。
アヤトが呆然と立ち尽くしている間にも、状況は動く。視線の先でギャラドスが悍ましい咆哮を上げ、前方に突っ込んでいく。体勢から察するに繰り出そうとしている技は【かみつく】か【かみくだく】………いや、牙が青白く輝いていることから見るに【こおりのキバ】だろうか。標的として襲いかかろうとしているであろう相手を探し、ギャラドスの前方に視線を向け、目に映ったその姿に呼吸が止まる。
タマザラシだ。
「危ない!!逃げろ!!」
自分が見つかるかもしれないことも忘れて、アヤトは思わず声を上げた。タマザラシとて歴としたポケモンだ。ギャラドスに絶対に勝てないとは言えないかもしれない。だがそれはポケモンバトルでトレーナーがきちんとした指示を出して戦えばの話だ。野生のポケモン同士が本能のままに争えば、それがギャラドスとタマザラシであれば後者が勝てるはずがない。アヤトの様な子供にも分かる程に、種族としてのスペックに差があり過ぎる。
だがアヤトのそんな必死の叫びも虚しく、ギャラドスの牙がタマザラシの体を貫こうとし─────
─────それよりも早く、光り輝く尾を地面に叩きつけ、タマザラシが上空へと飛び上がる。
「………えっ」
一瞬前までタマザラシが居た場所に、ギャラドスの巨体が突っ込んでくる。そのタイミングに合わせ、空中のタマザラシが縦に一回転し、尾をギャラドスの体に叩きつける。
次の瞬間、ギャラドスの体が轟音と共にくの字に折れ曲がる。タマザラシの小さな体のどこにそれ程のパワーが宿っていたというのか。全く予想していなかった光景にアヤトは絶句する。
ギャラドスは当然激怒した。目の前の矮小な存在に、絶対的な上位者であるはずの自分が傷つけられた。その怒りをそのまま攻撃に転じ、発散させる。破壊のエネルギーがギャラドスの口元に凝縮されていく。ギャラドスの代名詞とも言える技、【はかいこうせん】。
放たれた破壊の奔流を、タマザラシが物凄いスピードで転がりながら避ける。またしてもアヤトは目を見張る。確かにタマザラシは転がって移動するものだが、アヤトの知るタマザラシは皆横向きにゴロゴロと転がるだけで、勢いもスピードもあったものではなかった。だがあのタマザラシはどうだ。まるでドンファンもかくやといったスピードで、的確に【はかいこうせん】を躱していく。否、既に【はかいこうせん】はおろかギャラドス自身すらもそのスピードについていけず、縦横無尽に動き回るタマザラシを見失ってしまっている。
【はかいこうせん】を放ち続けていたギャラドスの動きが止まる。【はかいこうせん】は強力な技だが、使った後に反動で動けなくなるというデメリットを持つ技だ。相手を仕留めることができれば何のも問題もないが、耐えられれば致命的な隙を晒すことになる。それを、タマザラシが見過ごすはずはなかった。
猛スピードで転がっていたタマザラシが動きを止め、全身に凍える冷気を纏う。次第にタマザラシの体が青白く光出し、耳鳴りの様な音が周囲に響く。限界まで高まったエネルギーをタマザラシが解き放ち────
────世界は氷に閉ざされた。
「あ………え……?」
凍っていた。周囲の海も、地面も、壁も、そしてタマザラシが対峙していたギャラドスまでもが、物言わぬ氷の彫像と化し、辺りには静けさだけが残された。
【ぜったいれいど】。一撃必殺の名を冠する、氷タイプの技。命中率が低く、同じ氷タイプのポケモンや自分よりもレベルの高い相手には効かないという弱点こそあるが、その威力は絶大だ。
同じ氷タイプの技でも【ふぶき】等は高威力の技として知られるが、【ぜったいれいど】はそれらとは一線を画する。何せ文字通りの一撃必殺だ。一定条件下を除いて、当たれば問答無用で相手を瀕死状態へと追い込む。そんな理不尽さを持つこの技は、ある意味では最強と考えられなくもない。
初めて目の当たりにした一撃必殺の威力に呆然としていたアヤトだったが、タマザラシがこちらへ目を向けたことで、自分が今どういう状況なのかを思い出す。
そこで初めて気づいたが、そのタマザラシはとんでもなく目つきが悪かった。普通タマザラシと言えばくりくりとした可愛らしい目をしているものだが、目の前のタマザラシは三白眼でまるでヤンキーの如くこちらを睨みつけている。
「タマァ……?」
「ひっ……!?」
まるで心臓を鷲掴みにされたかの様な恐怖に、思わず腰を抜かしてその場にへたり込む。初めて向けられる剥き出しの殺気を前に、もはやアヤトは正気を保ってはいられなかった。
噛み締めた奥歯が震えでカタカタと音を鳴らし、瞳からは涙が溢れた。この日、アヤトは本当の意味でのポケモンの恐ろしさを知ったのだ。
今度はアヤトを標的と定めたか、眼前のタマザラシが悪魔の如き凶相を浮かべアヤトへ飛び掛かる。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
それは決して意識した行動ではなかった。完全に無意識にアヤトは背に背負っていたバッグをタマザラシに向かって投げつけた。だがポケモンの技でもなんでもないそれをタマザラシが避けるのは容易く、無駄の無い動きでバッグを紙一重で躱し────
────空いていたバッグのチャックから偶然零れたモンスターボールがその体に当たり、タマザラシはボールへと吸い込まれた。
タマザラシが収まったボールはそのまま地面へと落下し、激しく揺れ動く。そのまま数秒が経過し、カチリという音と共に、ボールの揺れは収まり、辺りは静寂に包まれた。
「……………つか……まえ………た……?」
アヤトがそれを事実として認識したのは、かなりの時間が経ってからだった。体の震えも収まり、正気を取り戻したアヤトは、信じられない様な顔で目の前のモンスターボールを見つめる。
捕獲対象を弱らせなくても、捕獲が成功する確率はある。だがそれは極低確率であり、ましてや敵意が剥き出しの、ギャラドスを圧倒してしまうような高レベルのポケモンが相手ではありえないはずの現象だったはずだ。
「ん?あ、あれ……このボールって、兄ちゃんが前にくれたやつ……?」
よく見れば、それは普通のモンスターボールではなかった。上半分が紫色に赤い二つの丸の模様。中心にMの文字が刻まれたそのボールは、確かに以前アヤトが兄からプレゼントされたボールだった。
『いいかアヤト。このボールはとても貴重な物なんだ。だから、将来お前が絶対に捕まえたいと思ったポケモンに出会うまで、大切に取っておくんだぞ?間違ってもその辺の野生ポケモンに使ったりするなよ?』
その時に兄から言われた言葉を思い出す。これまで兄の言いつけを守り、お守りとして持ち歩いていたのだが、それを偶然とはいえ使ってしまった。次会った時に怒られることを想像し、表情が曇ったアヤトだったが、すぐに気持ちを切り替える。
「僕……ポケモンを捕まえたんだ」
確かに偶然ではあったが、初めてのポケモンゲット。想像していたのとは大分違った過程にはなったが、タマザラシを捕まえることができた。しかもあれだけの強さを持つポケモンを捕まえられたのだ。テンションが上がらないはずがなかった。
本来であればトラウマになってもおかしくない体験ではあったが、アヤトはお調子者で忘れっぽい質だ。それに加えて、モンスターボールで捕まえた野生ポケモンは基本的に大人しくなるということもあり、アヤトの中には既に恐怖はなかった。
「よし!出てこい、タマザラシ!」
期待を胸にボールを投げる。ボールが空中で開き、赤い光と共にタマザラシが姿を現す。
「………タマァ」
見れば見る程目つきの悪いそのタマザラシは機嫌が悪そうにそっぽを向いていた。どうやらアヤトを攻撃する意思はひとまずは無さそうだ。
「僕はアヤトって言うんだ。これからよろしくね、タマザラシ!」
「タマァ」
屈みこんで目線を合わせながら、笑顔で右手を差し出し握手を求めるアヤトに、タマザラシは心底嫌そうな声音で返事をする。
しばしアヤトの右手を見つめていたタマザラシだったが、不意に表情を和らげ右手を持ち上げ────
────期待していたアヤトの顔に唾を吐きかけた。
予想外のことに固まるアヤト。捕まえたばかりであるし、懐いていないのは仕方ないことではあるが、想像していた初めてのポケモンとの触れ合いをぶち壊され、かなりショックを受けている。
「タマタマタマッ!!」
しかも性格の悪いことに、そんなアヤトの姿を見てタマザラシは手を叩きながら爆笑している。流石に少し苛ついたアヤトであったが、何とか表には出さず、何事もなかったかのように顔をハンカチで拭い、乱暴にタマザラシの頭を撫でる。
「こ・れ・か・ら!よろしくな!タマザラシ!」
「タマッ!?タマァーーー!!」
「へぶっ!?」
大して仲良くもない相手に頭を撫でられ、怒ったタマザラシはアヤトの腹に頭突きを食らわせる。それをもろに食らったアヤトはあまりの痛みに蹲り悶絶する。
「う……うぉ……ぉ……い、痛い……。ん?ってタマザラシお前何してるんだ!!」
何とか痛みを堪え、立ち上がったアヤトであったが、タマザラシが自分のモンスターボールに噛み付いているのを見て思わず声を上げる。
「こら!止めろ!壊れちゃうだろ!!」
「タマーーー!!タマタマタマーーー!!」
ボールを咥えたまま逃げ回るタマザラシとそれを追いかけ回すアヤト。だがアヤトを煽る様な笑みを浮かべたまま、器用にタマザラシは転がりながらアヤトを翻弄する。
そして子供の体力では長時間はそんな追いかけっこも続かない。ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら、膝に手をつき立ち止まったアヤトの姿を見て、タマザラシの目が光る。
「タマァーーー!!」
「なっ!?しまった!!」
タマザラシはボールを咥えたまま、ギャラドスと戦っていた時に見せた様な物凄いスピードの転がりで洞窟の奥へと向かう。捕まったとしてもボールごと逃げてしまえば何の問題もないということだろう。すぐに追いかけるアヤトだったが、タマザラシの本気のスピードに追いつけるはずもない。
「ま、待てーーーー!!」
「タ〜〜マタマタマタマーーー!!」」
もはや懇願に近いような絶叫を上げるアヤトと、高笑いをしながら高速で転がり去っていくタマザラシ。
勝負は見えたかに思えたが、このくだらない茶番は意外な形で幕を閉じることとなる。
カチリ、と音が鳴った。それはタマザラシが咥えたボールの開閉スイッチ。どうやら転がっているうちに地面の岩か何かで偶然スイッチが押されたようだ。
「タマ?」
間抜けにも思える呆けた声を出しながら、ボールに収納されるタマザラシ。アヤトは何とも言えぬ表情をしながらそのボールを拾い上げた。
「…………帰ろう」
念願の初ゲットを成し遂げたにも関わらず、憂鬱な気分で家路につくアヤトであった。
アヤト
今作の主人公。ホウエン地方のトクサネシティ近辺の小さな島に住んでいる。一番好きなポケモンはタマザラシであり、初めてのポケモンもタマザラシにすると決めていた。
容姿は黒髪黒目でイケメンと言うほどではないがそこそこ整った顔立ちをしている。
五歳年の離れた兄がいる。