本編
「アスナ、ごめん!」
「だ、大丈夫だよキリト君!別に怒ってないから」
中庭でいつもなら昼食を摂っている時間、不意に彼ー桐ヶ谷和人は膝と手を地に付け、頭を下げた。
いわゆる土下座というものである。
土下座された方ー結城明日奈は困惑していた。
「……ほんとに怒ってない?」
「怒ってないってば。だって来週の日曜日でしょ?早いうちに言ってくれたんだから文句は言わないよ」
「……デートの予定が入ってたけど……?」
「うーん。それじゃあ再来週にしようか」
「ありがとう、アスナ!」
週明けの月曜日から、一体何の話をしているかというと、前日の日曜日にさかのぼる。
〜prr、prr、prr〜
「もしもし、桐ヶ谷です」
珍しく、ALOに潜らず、家で課題を終わらせていると、滅多に掛かって来ない家の電話が鳴った。
妹の直葉は部活、母の翠も仕事で家に居なかったため、必然的に自分が出ることになった。
一体誰が掛けてきたのか疑問に思いながら返事をすると、見知った(聞き知った)声が聞こえてきた。
「もしもしキリト君。元気かい?」
俺のことをキリト君と呼ぶ人は2人しかいない。
彼女であるアスナともう1人。
「何の用ですか、菊岡さん」
元総務省役員、菊岡誠二郎だ。
「わざわざ家の電話に掛けてくるのやめてもらえますか?俺以外が出たらどうするつもりだったんです?」
「いやぁ、悪いね。でも僕のことは君の家族みんな知ってると思うけどね」
「……用がないなら切りますよ」
「ちょ、ちょっと待って。話す、話すから!」
「それで?何の話ですか」
「実はね……やっぱりいつものとこで話そうかな?」
こう言って電話を切られた。
よし、決めた。
今度クリスハイト1人でボスのタゲ取らせよう。
幸い課題はあと少しで終わる。
なら行っても大丈夫だろう。
「ユイ、いるか?」
「はい、パパ」
「明日奈たちに菊岡さんに会ってくるって伝えておいてくれ」
「了解です!事故に合わないように気を付けてくださいね!」
「ああ。あと直葉に鍵しまってるってメール送ってくれ」
「わかりました!」
「やぁ、すまないね。急に呼び出して」
「悪いと思ってるなら二度とやるなよ」
「もちろん、わかっているさ」
この人のことだ。
どうせまたこういうことがあるんだろう。
「で?結局話ってのはなんだよ」
「まあ落ち着いて……。君は『遠月茶寮料理學園』って知っているかい?」
「『遠月茶寮料理學園』?確か、凄い優秀な料理人を育成する所だろ?それがどうかしたのか?」
自分に関係あるとは到底思えない話だ。
「そこの学生たちが研究発表をするんだ。君も来ないかい?」
「……それじゃあ帰ります。さよなら」
何の話かと思えば、料理の話か。
確かに美味いものは好きだが、研究を聞きたいわけじゃない。
「……キリト君自身には関係ないが、ユイ君やアリス君に関係あると僕は考えているんだがね」
「なんだって!」
言ってから口をつぐむ。
流石にここで大声を出すのは不味い。
席についてもう一度話を聞く。
「……料理がどう2人に関係あるんだ」
「彼女たちは将来、いや、もう1人は既に現実世界に来ている。ユイ君もこの世界を見ることくらいはできるだろう?」
「それがどうした」
ユイやアリスは人間に限りなく近いAI、人工知能だ。
将来……現実世界……人工知能……。
「……義体、か?」
「その通り。話が早くて助かるよ」
「視覚や聴覚はもうできている。残りは味覚と嗅覚、あと触覚だけど……、料理ってことは」
「前二つだよ。そのスペシャリストがいるんだ」
「なるほど……いつその研究発表があるんだ?」
「ちょうど二週間後の今日だよ」
確か……その日はアスナとデートだったはず。
「持ち帰って考えていいか?」
「いや、今ここで決めてくれ」
「うーん……。わかった。参加する」
「ふぅ、良かった。あ、あと研究発表でびっくりするようなことがあるから」
「そりゃそうだろ。知らないことを知るんだから」
「いや、そういうことじゃなくてね……」
「?」
「まあいいか。それじゃあね。はいこれ」
「なんだよ、これ」
「ここのケーキだよ。家族によろしくね」
せっかく良い話で終わったのに、最後の最後にイラッとさせることを……!
やっぱり食えない人だ。
「ただいま」
「おかえりー、お兄ちゃん。もう、出かけるなら先に言ってよね」
「悪い、スグ。急用でな。代わりにこれ」
菊岡さんにもらったケーキは、ご機嫌取りに使わせてもらおう。
「うわぁ、ケーキだ!ありがとうお兄ちゃん」
「おう」
「こんにちは、キリト君」
「よう、アスナ」
「菊岡さんの所に行ってくるって言ってたけど、何の話をしてきたの?」
「実はーー」
昨日菊岡さんに言われたことと、デートに行けないこと、そして勝手に決めてしまったことを伝えた。
土下座で。
そして冒頭に戻る。
「アスナ、ごめん!」
「だ、大丈夫だよキリト君!別に怒ってないから」
「……ほんとに怒ってない?」
「怒ってないってば。だって来週の日曜日でしょ?早いうちに言ってくれたんだから文句は言わないよ」
「……デートの予定が入ってたけど……?」
「うーん。それじゃあ再来週にしようか」
「ありがとう、アスナ!」
学食組視点
「おいっ、桐ヶ谷が姫に謝ってるぞ!」
「なんだって!俺にも見せろ!」
篠崎里香が食堂に着くとそこは荒れていた。
「何よ、これ……」
いつもなら窓際は空いており、余裕で席を確保できるのだが、今日に限っては空いていなかったのだ。
誰かが座っているわけではない。
人が密集して座れないのだ。
「リズさん!いい所に!」
唖然としていると、綾野珪子、通称シリカがやって来た。
「シリカ!これ、何があったのよ」
「私もよくわかっていませんが、キリトさんが土下座しているみたいです」
「キリトが土下座ぁ?アイツ、一体何やらかしたのよ!シリカ、見てないの?」
「無理ですよ!こんな壁みたいに男子が集まってたら」
「仕方ないわねぇ。男子、邪魔よ!どきなさい!」
無理やりにも男子に道を開けさせる。
「今告白したら俺ワンチャンあんじゃね?」
「バカ言うな。姫と付き合うのは俺だ!」
「ああもう、うるさいわね!」
中庭を覗いてみると、確かにキリトは土下座していた。
だが、されている方のアスナは、困惑というか、焦燥というか、怒ってはいない顔をしていた。
「ああ、なるほどね。多分デートの日とかにどうしても外せない用事が入ったとかそういう所ね」
流石に2人とは長い付き合いなだけはある。
推理が完全に一致している。
「大丈夫でしょうか……」
「心配する事ないわよ。もうすぐ男子もガッカリしていなくなるわ」
午後の授業では、明らかに気の抜けた男子生徒が大量発生したという。