あれから数日後、俺はあの若い男…もう研究員でいいか。研究員に連れられて、とある施設に来ていた。
「学園都市に来て早々ごめんね?でも、上からの命令だから仕方ないんだよ」
施設の中を案内しながらそう言う研究員。だがルームメイトと親交を深めることが出来ずじまいだから許さん。絆の力はスゴインダゾー。というか、普通小学一年生に上からの命令って説明するか?まあ俺だからいいけど。
「さて、僕の案内はここまでだよ。中に入ってからは主任がいるから。あ、主任は偉い人のことだけど、知ってる?まあ、その人に話を聞いて」
研究員が『主任室』と書かれたプレートが付いているドアの前で止まると、俺にそう告げてきた。これでやっとショタコン(?)の魔の手から逃れることが出来るぜ。
研究員がドアをリズムよく二回ほどコンコンッとノックをすると、「入っていいぞ」と声が聞こえた。
「失礼します」
研究員が扉を開けて中に入っていく。…なぜか俺の手を握って。
ちょ、おま、何手ェ掴んでんだよコルァ!離せや変態ショタコン野郎が!
心の中で研究員を罵倒するも、手は握られたまま。ぐぬぬ、手汗が気持ち悪い。このまま電気を流しこんでやろうか。微弱だけれども。
「主任、御坂魅琴君を連れてきました」
「そうか、御苦労。下がっていいぞ」
主任がそう言うと、研究員もといショタコンは去って行った。…なぜか俺の頬を一撫でして。
ゾワワッと鳥肌が立つ。あ、あいつ…!本物のショタコンだったか!さっきまではほんの冗談でショタコンショタコン言ってたけど、いたいけな少年の頬を撫でるとかもう変態だよ!しかも撫で方が尋常じゃないくらいいやらしかったし!
まずい…!ここは変態の巣窟だったか!もうDNAマップのこととか関係ねえ!早くここから逃げ出したい!
「さて、初めまして御坂魅琴君。私はこの研究所で主任を務めている田中という者だ」
おお、田中とな。前世の俺の名前と同じじゃないか。
「たな…御坂魅琴です。よろしくお願いします」
危ない危ない。田中利夫ですって言いそうになっちまったぜ。まあそれはともかく、目上の人に対して礼儀正しくするのは基本だよね。だがあのショタコンは別だ。あいつは軽蔑すべき存在だ。あれは泣いていいレベルだと思う。
「ふふ、なかなか礼儀正しいじゃないか。…さて、早速本題に入るが、ここに君を呼んだ理由を説明したい。そうだな、実際に見てもらった方が早いだろうな。まずはそこに案内しよう」
俺はこくこくと頷く。良かった、田中主任は普通の人だった。変態じゃなかったよ。
田中主任は俺が頷くのを見ると、椅子から立ち上がり、後ろからついてくるように俺に言う。
一緒に歩いている間は一切の会話もなく、何だかとても気まずい。チラッと田中主任の方を見ると、なぜだか険しい顔をしていた。それに汗もすごい量だ。具合でも悪いのだろうか。
「あ、あの…。体調が悪いんですか?すごい汗の量ですけど…」
俺の声を出した瞬間、田中主任はビクッと肩を震わせてこちらを向く。
「あ、ああ。大丈夫だよ。心配を掛けてしまったようだね」
どう見ても大丈夫そうには見えないが、俺がどうこう言える立場ではないので黙っておくことにした。
しばらく歩いていると、壁が途中でガラス張りになって、下が覗けるようになっていた。この下に、筋ジストロフィー患者がリハビリをしているのだろう。
「下を見てごらん」
田中主任に言われたとおりに下を見てみる。すると、痩せ細った少年達が、リハビリ器具に掴まって必死に立ち上がろうとしていた。
「彼らが今、何をしているのか分かるかい?」
ここは素直に分からないと言った方がいいだろう。小学一年生が筋ジストロフィーなんて分かるはずがないからな。
「いえ、分かりません。どうしてあんなに必死なんですか?」
俺が尋ねると、田中主任は一瞬悲しそうな顔をするも、すぐに元の柔和な顔に戻った。
「それはね、彼らが筋ジストロフィーという病気だからだよ」
「筋ジストロフィー?」
あたかも知らないような顔をして田中主任に聞き返す。
「そう。彼らはね、時間が経つにつれてどんどん筋力が衰えていくんだ。最後には自力での呼吸が出来なくなったり、心臓の活動が困難になったりするレベルまで衰えてしまう」
呼吸ができない、心臓が動かない。改めて聞くと、その病気の残酷さを思い知ってしまう。
チラッと下の方を見ると、一人の少年が倒れていた。
「あ…」
思わず声を出してしまった。見ていられないな。俺は彼らから目をそらす。
「どうにかして、助けることはできないんですか?」
俺は駄目元で田中主任に聞いてみる。あ、もちろん俺のDNAマップは使わない方向で。
「そう…だね。現状では、彼らを助けることは不可能だろう。現在の医学では根本的な治療法がないし、いくら努力をしたところで、筋力の低下を防ぐことはできないからね」
うーん、やっぱり無理か。この光景を見続けるのは結構辛いんだよなあ。
「だが」
田中主任は言葉を繋げる。
「君の能力を使えば、彼らを救うことができるかもしれない」
やっぱりDNAマップは必要かー。ぐぬぬ。
「脳の命令は電気信号によって筋肉へと伝えられる。もし仮に、生体電気を操ることが出来れば、通常の神経ルートを通らずに筋肉を動かすことが出来るだろう」
田中主任は一息つくと、再び言葉を繋げる。
「途中で学園都市に入ってきた君が
今日、俺はDNAマップの提供を断るつもりでここに来ている。まあ勝手に自分のクローンを造られるのが嫌なのもあるが、よくよく考えれば、クローンは兄弟とも言える。『御坂美琴』も『妹達』のことは姉妹として扱っていた。その兄弟を13001人も見殺しにするのだ。そんなこと、俺には出来ない。だから───
「───君のDNAマップを提供してくれないか」
「…え?」
なぜか、そう言った田中主任の顔は先程よりも険しく、何かに耐えるような顔をしていた。
それはまさしく、罪悪感に耐えるような、そんな顔だった。
どうして、そんな顔をするんだ?なんで?どうして?
そんな疑問を持っても、二人の間の時は止まったまま。
「…人が救えるかもしれないのに」
ぽつり、と俺は呟いていた。
「人が救えるかもしれないのに、どうしてそんな顔をしているんですか」
思わず言ってしまった。
しかしこういう時なら、大人は笑顔で、そして子供を諭すような声で提供を呼び掛けるはずだ。おかしい。何かがおかしい。
「…すまない」
なんで謝るんだ。止めてくれよ。
「提供して、くれないか」
そんな泣きそうな顔で。そんな苦しそうな声で。すがるように言われたら───
「…分か、りました」
───ああ、やってしまった。田中主任の演技だっていう可能性もあるのに。
なんて単純なんだ、俺は。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
───私は、屑だ。
上層部から、『御坂魅琴』という少年のDNAマップを持って来い、と言われた時には、彼らが何を言っているのかが分からなかった。
どうしてその少年の、しかもまだ小学一年生のモノが必要なのか。私は彼らに尋ねたが、彼らは一向に答えようとしない。そればかりか、出来ないのならばクビにする、とまで言ってきた。
彼らは正気じゃない。そう判断した私は、即座に話を切り上げ、呼び出された部屋から出ようとした。
───彼らを、救いたくはないのか?
足が止まった。なんて卑怯な奴らなんだ。私が保護している筋ジストロフィー患者をこの話に持ってくるなんて。
───協力してくれるというのなら、来年度の予算を倍にしてやってもいい。
倍?彼らは倍と言ったのか?なぜだ。なぜそこまでして『御坂魅琴』のDNAマップが欲しいんだ。
頭の中がグルグルと回転しているような錯覚を覚えた。
私が保護している患者たち。『御坂魅琴』という顔も知らない少年。
彼らを天秤に掛けて、どちらかを取るかは、恐らく上層部にとっては一目瞭然のことだっただろう。
悔しさと情けなさで顔が歪む。ああ、くそ。
「こんにちは、田中先生」
唐突に声が掛かる。何度も聞いたことがある声だ。
「天井、先生」
天井亜雄。今回の一件は、彼が提唱したモノだ。何を企んでいるのかは知らないが、彼のDNAマップが正しく使われることはないだろう。
「DNAマップの回収に来ました。さ、早くこちらへ」
「…少し、待っていてください」
いずれにしろ、私に選択権はない。後は天井亜雄にDNAマップを渡すだけ。それで終わりだ。私はなんの関係もなくなる。これでいいんだ。来年には増えた予算でできる研究も増えることだろう。彼らを救えるのは私なんだ。だから、これでいい。
───ああ、私は屑だ。