それは自宅で一息つこうとコーヒーを淹れてる最中だった。
「チ~ノくん。た~だいま♬」
「ぴっ!?」
妖しいしっとりした声を耳元でくすぐられるように囁かれ、思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
そこにいたのはココアさん・・・。
いや、違う。
グラデーションを施したような鮮やかな、滑らかさが伝わってくる髪。
甘い甘いむせかえるような、それでいてもっと嗅いでいたいような香り。
肩や腿を露出している、私を見ろと主張しているような服。
そして仄かに唇や頬などに化粧を施した、あどけないながらも大人な魅力を醸し出している表情。
こんなに艶やかな色気に満ちている人はココアさんじゃない。
いったいこの人は・・・。
「誰・・・?」
「私だよココアだよ」
「違う・・・・・」
「違わない!」
「ユラちゃんと買い物してたから雰囲気映っちゃったのかも」
「な、なるほど・・・」
「あと香水も付けたし」
「なるほど・・・・・」
甘いスイーツのような匂いがココアさんから放たれ、僕の鼻を突っつく。
服だっていつもと違って少し露出度が高い。
こんなココアさん知らない・・・。
「どう?今日の私?」
「えっ」
「ちょっとワルな大人っぽい私にチェンジ~!してみたんだ!」
ここは気の利いたことを言うべきなんだと思う。
いつもと違っていて素敵です、とか。その格好もかわいいです、とか。
でもそれよりも、知らない匂いを漂わせているココアさんに対するモヤモヤの方が勝っていた。
「・・・・・たまにだけにしてください。そういうの」
「あ~。もしかしてドキッとした~?」
「してないです・・・・・」
ココアさんも頑張っていつもと違う自分にチャレンジしたのだろうに。
僕は最低だった。
その夜。
「・・・・・・・・・・・・・」
昼のココアさんの色香がまだ体の中に残っていて、眠れない。
「はぁ・・・はぁ・・・・・」
ピンク色の甘い靄が、僕の体の内側を突っついているようでこそばゆい。
目を無理やり閉じても、瞼の裏に映るのは昼の色気に満ちたココアさんの姿。
強く目を閉じれば閉じるほど、より鮮明に浮かび上がってきてしまう。
眠れるはずがなかった。
「もうこんな時間・・・・・」
時計を見てみるともう深夜の2時だった。
早く寝ないと明日も持たないのに。
「・・・・・・・・・・・・・」
寝なきゃいけないのは分かっている。
でも体が疼いて仕方なかった。
「トイレ・・・・・」
ただトイレに行くだけ。そう自分を言い訳させる。
この時間ならココアさんは起きていないだろう、という安心感を覚えながら。
本当に僕は最低だった。
数日後、休日に僕は野暮用で街を出歩いていた。
「あれ~、ひょっとして~」
ぬらりとした撫でられるような声がした方を向いてみると。
「チノ君じゃ~ん。こんなところで会うなんて奇遇だね~」
そこにいたのはユラさん。リゼさんの幼馴染で、今は同じ大学に行ってるいるらしい。
そして、この間ココアさんを魔性に染めた人・・・。
「あれ~?物凄く警戒されてる~?」
思わず傍の柱の影に隠れていた。
「今日は一人~?」
「え、ええ。ちょっと服が欲しくて・・・」
さっきは失礼なことをしてしまった。
妖しさ全開な人だけどリゼさんの親友だ。悪い人ではない・・・はず。
「でもココアちゃんと一緒じゃないなんて、珍しいね~」
「ええ、今日はちょっと・・・」
普段はココアさんと一緒に来ることが多い。でも今日は一人だった。
理由は言えないけど・・・。
「ふぅ~ん。じゃあさ、私にコーデさせてよ~」
「えっ」
「大人っぽいセクシーな男の子にしてあげるからさ~」
妖しさ全開過ぎる!!
「うんうん、いいねいいね~。ちょっと香水も付けてみて~」
結局断れずに勢いで押し切られてしまった。
しかも着せられているのはいつもの服の感じとは違い、大人っぽい服ばかり。
「こ、この服、少し胸元が・・・」
「年頃の男の子ならそれくらいでいいって~」
そう言って着せられたシャツは胸元のボタンが空いており、鎖骨や胸板が少し見えていた。
派手な服を着せられて落ち着かない・・・。
「それくらいしないとココアちゃんには並び立てないよ~」
「い、いや!そんなつもりは・・・!」
「違うの~?」
「うぅ・・・」
正直なところ、図星だった。
前の大人っぽいココアさんを見せられて、何だかよく分からないけど危機感を感じてしまった。
それで気が付いたら一人で服を買いに来ていた。
ひとつ前に進んでしまったココアさんに焦燥感を感じていたのかもしれない。
でも、僕なんかがこんな大人ぶった服を着ておかしくないのだろうか。
「ほら、薄く化粧もしてみて~」
「ぼ、僕なんかが化粧なんてしていいんでしょうか・・・」
「良いって~。最近だと男の人でも化粧は珍しくないし~」
そういえば化粧は元々、お風呂に入る習慣がなかった時代の人たちが臭いや汚れを隠すために始めたものという話もある、と授業で習った気がする。
そう考えると男の僕が化粧をしてもおかしくはないのかもしれないけど。
「『僕“なんか”』って言う考えが一番おしゃれの天敵なんだからね」
そう言っているユラさんの口調はさっきまでと違って少し真剣に聞こえた。
「正直、私の責任でもあるし」
「え?」
「ううん~、何でも~」
ユラさんはいつの間にかさっきまでの間延びした口調に戻っていた。
でも、一瞬見えた表情が僕は何となく気になっていた。
「ほ~ら、力抜いて~。パウダー付けるよ~」
(こ、こそばゆい・・・・・)
ユラさんに弄られ、妙な気持ちが湧き出てきていた。
ココアさん違うんです。断じて浮気なんかじゃないんです。
「ふぅ・・・」
いつもと違う買い物。少し疲れてしまった。
「あれ~、お疲れ~?」
「あ、いいえ。すいません、僕の買い物に付き合ってもらってるのに」
「ううん~、私が振り回してるようなもんだしさ~」
せっかく服を選んでもらっているのに気を遣わせてしまった。申し訳ないです・・・。
「じゃあちょっとブレイクしようか~」
「ブレイク?」
「このキャラメルモカチーノの~、トッピングは~」
「・・・・・・・・」
「チノ・・・そのお姉さんは・・・・・」
「いえ、違うんですフユさん」
今、僕とユラさんはブラバにいた。
しかもよりにもよってフユさんがシフト中の時に。
「チノ、浮気はダメだよ」
「本当に違うんです・・・」
心なしかフユさんの目に光が無いような気がした。
冷たいような、脂っぽいような汗が背中や額からじわっと出てくる。
「でも、今日のチノ大人っぽい・・・」
「えっ」
フユさんは顔を赤らめて目を泳がせていた。
服のせいだろうか。それとも薄く化粧をしたせい?
恥ずかしくなり、僕もフユさんの方を直視できなかった。
「あ~、カップル割りがある~。せっかくだし使っちゃう~?」
「ゆ、ユラさん!」
「チノ、浮気は殲滅だよ」
「違うんですホントに違うんです」
後ろに真っ黒なライオンを幻視するほど、フユさんから怒りのオーラが発せられていた。
ブラバの甘いコーヒーを飲んで一息ついた。はずなのにさっきよりも疲れた気がする・・・。
「いや~ごめんね~、何だか私ばっかに付き合わせちゃってるみたいで~」
「いえ、こっちも何だかんだで楽しいです」
「楽しいなら良かった~」
ひと通り回って少しずつ打ち解けてきた。あんまりワルな人でもないのかもしれない。
リゼさんの親友なのだから当然かもだけど。
「見てみてー、あの二人」
うん?
「うん、どっちもすっごい美形だね」
「姉弟かなー?」
「もしかしてカップルだったりして」
道行く女の人二人が僕らの方を見て噂している。
というかカップルと誤解されている。
気まずい・・・。
「チノ君~、サービスしたげたら~?」
「ええっ!?」
「大人の男になるための練習と思って~」
そんな、軽い男みたいな真似・・・。
「たまには真面目じゃなくなってもいいと思うよ」
「!」
ユラさんがまたさっきみたいな真面目な口調になる。
いつも聞くような、背中を自然に押してくれるような声と似ていた。
「・・・・・・・・・・」
少し考えて、僕はその二人に軽く手を振った。
「キャー!手ぇ振ってくれた!」
「真面目そうな子だけどイカすじゃん!」
引かれなかったのは良かったけど、やっぱり恥ずかしい・・・。
「チノ君」
「は、はい・・・」
「やったね」
ユラさんは明るい顔でVサインしてくる。
まるで高校デビューを成功した弟を見るような姉のような顔だった。
僕もVサインを返した。
何となくだけど、嬉しかった。
「今日はありがとうございました。すっかり付き合わせてしまって」
「こっちこそ~、楽しめたよ~」
1日も終わり、僕とユラさんはベンチで一休みしていた。
「服、選ぶの手伝ってくれてありがとうございます。僕だけじゃ絶対選べなかったです」
色々と刺激的な日だったけど、貴重な体験になったと思う。
たまにはこういう風にワルぶるのもいいかもしれない。
「そうだね~。チノ君、ゆっくりペースが好きみたいだからね~」
「そう・・・かもですね」
「もしかして~、ココアちゃんの足並みに合わせるの疲れてたりして・・・」
「えっ」
急に雰囲気が妖しさを醸し出してきた。
「チノ君、ココアちゃんとまるでタイプが反対だもん。別の女の子を選んでみたかったって気持ちもあったりするんじゃない?」
そんな・・・ことは・・・・・。
「いいんだよ。男の子はみんな心の中にオオカミさんがいるんだから。それに従って遊びを覚えることも大事だよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「選んじゃいなよ、気軽に。他の女の子」
ゆらりと僕の顔に、か細い手が添えられた。
「ユラさん・・・・・」
そのユラさんの表情を見て、思わず言いたくなってしまった。
「無理してくださらなくても大丈夫ですよ」
「え?」
妖艶な発言とは裏腹に、ユラさんは顔を真っ赤にしてプルプル震えていた。
「い、いや~、そんな無理なんて~・・・」
「見るからに恥ずかしいのを我慢してる顔ですし。あんまり男の人と話したことないんじゃ」
「そ、そんなことないよ~。私みたいなワルい女になれば毎日ブイブイ遊んでるから~」
「遊びってどんな?」
「・・・・・あっちむいてほいとか、大縄跳びとか」
「ちっちゃい子と遊んであげてるんですね」
すごくいい人みたいだ。
流石はリゼさんの親友です。
「ごめんね~、からかって。ワルい子はやっぱり私だけでいいみたい~」
「ユラさんはワルい人じゃないですよ」
「え~」
「僕の服、あんなに時間をかけてコーディネートしてくれたり、疲れた時にブラバに誘ってくれたり、さっきも僕のこと後押ししてくれました」
それにココアさんを変えてしまったことに、わざわざ責任を感じてくれていた。そもそも悪い変化じゃないけど。
本当は他人の心を案じてワルぶれる人なんだろう。
それに、真面目な人に真面目じゃなくても良いって教えれるのって難しいと思うから。
「ユラさんはとてもいい人なんですね。ココアさんが染まっちゃうのも分かります」
「・・・・・恋人ってやっぱり似てくるんだね」
そんなユラさんは。
恥ずかしさのあまり生まれたてのウサギみたいにプルプル震えていた。
「ココアちゃんにも似たようなこと言われたよ~」
「ココアさん、人の良いところを見抜く天才なんです」
「あはは~、分かるな~」
どうやらココアさん、また妹を増やしていたみたいだ。
そういうところは本当に“ワル”だと思う。
「チノ君もそうだよ」
「え」
「そういうワルさがココアちゃんそっくり」
「そう・・・ですかね」
最近よく言われる。
でもまだまだココアさんには及ばないと思う。
・・・ゆっくりでも良いから並び立たないとな。
「ココアちゃん色に染められてるんだね~。やっぱりワルだな~、ココアちゃん」
「全くですね」
「チノ君ももうちょっとワルになっちゃえば~?男の子なんだし~」
「ちょっと考えてみます」
遠くの方の空が、ほのかな紫色に染まり始めていた。
いつもと違って、少しだけ“ワル”な空に見えた。
「ただいまー」
帰宅し、一息つこうとリビングへと向かう。服装はワルのままで
「あれ」
リビングへ向かうとココアさんがくつろいでいた。僕には気づいていないみたいだ。
そんなココアさんを見て、少しいじわるしてみたくなった。
・・・今の僕はワル。
「ココアさん、ただいま」
「ぴえっ!!」
そっと近づき、耳元でくすぐるように話しかけた。
「え?え?誰!?」
「僕です。チノですよ」
「違う・・・」
「違いませんよ」
この間とはまるで逆みたいだ。
「どうです?少し大人な服を選んでみたんですが」
少し広げるように服を見せる。
ちょっと微笑んでみたりして。
「・・・チノ君。ちょっと聞きたいことが」
「何です?」
「これ」
そこには昼間の大人の服を着た僕が写っていた。
しかも送り主がユラさんからだった。
「あ・・・」
「ユラちゃんと遊んでたの・・・?」
ああ・・・、ココアさんの目つきが鋭く・・・。
全身に冷や汗がじんわりと回る。
「もーっ!恋人ほっぽいて何してたの!!」
頭から煙が出るほどの怒りようだった。
確かに僕が悪いけど・・・。
でもそんなココアさんを見て、僕はさらにワルぶりたくなった。
ダンッ
僕は片手で遮るように、ココアさんを壁に押し付けた。
「!?」
「何してたと、思います?」
軽く口角を上げ、目を細めるようにする。
ココアさんは目を回して、顔から煙を出していた。
「・・・ごっ、ごめんなさい!ちょっと調子に乗りすぎました」
慌ててココアさんを開放する。
完全に調子に乗っていた。
「服を選んでもらったんです。この間のココアさんみたいになりたくて・・・」
やっぱりワルは向かないみたいだ。長く続けられない。
「すいません。嫌でしたよね・・・」
「・・・い、嫌ではないです」
「え」
「今のチノ君も・・・素敵です・・・・・」
僕に敬語を使うなんて。
こんなおどおどした様子のココアさん見たことがない。
「で、でもいつものチノ君も好きだから・・・その・・・たまにしてくれると・・・・・」
・・・何だろう。
ココアさんがすごくかわいい。
「ドキッとしました?」
「えっ!?」
「しましたね?」
「~~~っ!も~っ!チノ君ワルい子!!」
「あははっ、ごめんなさい」
少し不真面目になるって楽しい。
たまにはワルもいいかもです。
翌日、僕は地べたに正座していた。
目の前には満面の笑み、だけど明らかに心が笑っていないリゼさん千夜さんシャロさんがいた。
「チノ君そういうのよくないと思うわ」
「はい・・・」
「あまり過ぎるといかにココアとはいえ刺されるわよ」
「はい・・・・・」
「言いたいことは分かるな?」
「すいません・・・・・・・・」
ただひたすらに許しを請うしかなかった。
“ワル”は本当にたまにだけにしておくべきです・・・。
「ユラ、あまりココアとチノに変なこと教えるな」
「分かってるって~」
昔からの親友から忠告を受ける。
でもしょうがないじゃん。
あの二人、面白いんだから。
それに何となくほっとけないし。
でもこの間のチノ君、良かったな~。
ココアちゃんがお姉ちゃんで・・・。
「ねえリゼ」
「何だ?」
「弟っていいね~」
「はぁー!?」
まあ今のところは違うけど。
いつかはなってみるのも、悪くはないかも。
ワルワル服のココアちゃんエ・・・かわいいですよね。