お昼代約束フランチェスカ   作:昼飯用

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さくっといこう


3.黒い外套

体育館に掛かっていた鍵を“反転”させ、静かに扉を開けようとするフランチェスカ。

しかし開けようとはしていても、開けはしなかった。震えながら扉に手を掛けるだけで、時間だけが過ぎていく。

やはり、自らにとって嫌な思い出がある場所には、近付く事さえ勇気が要るのだろう。俺にとって屋上がそうであったように、フランチェスカにとっては体育館は死の記憶が染みついた場所なのだ。

しかも俺とは違い、フランチェスカの死の記憶は自らのものだ。厳密には体育館で行われたのは殺害ではなく封印だが、それでも自らの心を抉るには十分過ぎる。

魔法が使えるだけで、感性は普通の少女なのだ。平然と足を踏み入れられる方がどうかしている。

……と思っていたのだが、現実は違うみたいだった。

 

「ぐ、ぬぬ……」

 

確かに、手が震えてはいた。力を籠めて、それでも扉が動かずにぷるぷると震えていた。

力み過ぎてフランチェスカの顔が赤くなっていく。……そういえば体育館の扉は鉄製なので、特別重かったな。レールが錆びかけているので滑りも悪い。女子が片手で開けるのは苦労するだろう。

 

「代われ。開けてやるから」

「す、すみません……」

 

勝手に何か重い事を考えていた自分が阿保に思えてきて、溜息と共に俺はフランチェスカと扉を開ける役割を交代した。

力を籠めてみても中々に扉は重い。やっぱりフランチェスカには無理だったな。

それでも腕の力だけではなく体重移動も使ってみれば開かない筈はなかった。擦れる音を響かせて扉は開く。

 

「凄い……芳乃君、力持ちですね」

「一応男だからな。流石にお前よりずっと力はある」

「男の子なのは知ってますよ。……いつも一緒に眠る時、あたしとは身体つきが違うなぁって思ってますもん」

「……あっそ」

 

仄かに照れながらそう言われても、それはお互い様である。

眠る時、背中に伝わる熱のある柔らかな感触。それでいて、霊体だったあいつとも違い、確かな質量を持っている。あいつと同じように眠っていた時には意識していなかった、自分とは違う匂いも感じた。

フランチェスカという少女がそういう存在なのだと理解をするまでは、不思議と目が冴えてしまったものだ。

 

「……体育館に行くのは平気なのか?」

「……どういう意味ですか?」

「怖いだろ。それぐらいは分かるよ」

「ばれちゃってましたか……」

 

ばつが悪そうに笑うフランチェスカに、俺は唯頷いて返す。

『行かなくていい』とはもう言わない。この“反転”の“結界”に踏み込む際に、フランチェスカは自らの恐怖と戦いながらも後悔しない事を選んだのだから。

俺はその選択を邪魔する事だけはしない。俺に出来る事は、フランチェスカ=フリジメリカの傍に居る事。

それはフランチェスカにも伝わってくれているのだろう。俺達は――俺は、今も変わらず夜には隣に居るのだから。

 

「でも、平気です。……いいえ、平気じゃなくても頑張れます。芳乃君が居ますから」

 

ばつの悪さは拭えてはいなくとも、その笑みは少しだけ気が緩んでいるように見える。

それが確認出来れば十分だった。フランチェスカは自らの言葉に嘘を吐かないよう足を進め体育館内へ入っていき、俺も後を追った。

体育館も校舎と似たようなものだった。月明かりを頼りに照らされる内部は、窓の大きさから若干校舎より明るいぐらいのもので、闇と呼んでも差し支えない。

体育館の中央まで歩いて、周囲を確認する。

内装がおかしくなっている、なんて事もなかった。包丁が全てジャックナイフになっている家庭科室。本棚の中身が童話だらけの図書室。種目に使う道具が一切ないグラウンド。それらを見てきた俺にとっては、拍子抜けに思えてしまう程何の変哲もない。

俺の記憶通りの体育館。そして、フランチェスカの記憶にはない体育館。

フランチェスカが通っていた当時の体育館から何度か建て替えられているのだ。フランチェスカの記憶以外に、最早彼女との縁なんてありはしない。

 

「……待っていた」

 

――――そんな場所に、そいつは居た。

壇上の下で、そいつは一人待っていた。暗闇のせいで姿ははっきりとは分からない。まるで闇から染み出たような、ぼんやりとした輪郭が確認出来るだけだ。

その様子が嘗て亡者の学園に誘われていた薄緑の輪郭達と被って見えたのは気のせいだろう。

影が一歩踏み出す。歩いて、近付いてくる度に輪郭が肉付いていった。

膝まで届く、長く黒い外套を纏った人型だった。ポンチョの様な形状をしているそれは、そいつをすっぽりと包み込んでいた。背丈は俺より少し低く、外套のせいで詳しくは分からないが、身体付きも貧弱そうに見える。

首から上は外套のフードを深く被っている事で完全に隠されていた。辛うじて口元が見えるが、それもこの薄暗さでは当てにはならない。

外見からでは男か女かも、年代さえも読み取る事が出来ない。そんな不気味な存在が自らを待っていた。それはフランチェスカにとっては恐怖だろう。

だが、それ以上に俺を襲っていたのは、微かな既視感だった。

どこかで見た事がある。……どこでだ? こんな怪しい恰好をした奴なんてそうそう忘れる筈がないのに、それが思い出せない。

 

「あなたが……あたしを、呼んでいたんですか?」

「待っていたよ、フランチェスカ」

 

二度目の外套の声から、漸くこいつが男だと察した。

男の言葉の意味を理解すると同時、既視感を無視してフランチェスカを庇うように前に出る。

この男はフランチェスカの名前を知っている。たったそれだけの事で、警戒に至らせるには十分だった。

フランチェスカ=フリジメリカという少女の戸籍がこの時代に出来たのは、ほんの数ヶ月前からだ。

今のフランチェスカは百四十年前の魔女とは別の人間になっている。協会の極一部しか知らない魔女の存在を、並大抵の人間が知っている筈もない。

世間では普通の少女で通っているフランチェスカに興味を抱く理由もない。……だとしたら、こいつは。

前に出た俺の方へ、男の首が微かに動く。

 

「そして……深花(しんか)芳乃(よしの)

 

その布の奥に隠された瞳から視線が浴びせられる。

――――敵意。それも亡者の学園で浴びせられた経験の無い、殺意が籠められた敵意。

フランチェスカに言葉を向けていた時には無かった明らかな敵対のサインが、俺には容赦なく向けられていた。

ポケットの中にあるカッターナイフの存在を強く意識する。

 

「……君が契約を結ばなければ、彼女は幸せに眠っていられたのに」

 

その言葉に、俺はこいつの危険性を確信した。

フランチェスカの名前を知っているだけでなく、俺の名前まで知っている。

そして何より、フランチェスカという人間の素性まで。

口振りからして俺がフランチェスカの魂と契約し、あいつと亡者の学園を駆けた事も当然知っているのだろう。

フランチェスカ=フリジメリカが“反転する魔女”である事を知りながら、彼女の事を待っていた。

 

「お前、何者だ」

 

知らず呟いた短い問いに、頭巾の奥から言葉が返される。

 

「何者でもない。私は存在しない者だ。唯一つ、本物だけを求め続ける、名前さえない探究者」

 

要領を得ないこの男の言葉に、どうしてだが俺は納得し掛かけてしまっていた。

納得を通り過ぎた後に身体の奥から溢れ出る嫌悪感を吐き出すように、俺は言葉を投げ掛ける。

 

「名前はなくても理由ぐらいはあるだろう。どうしてフランチェスカを待っていた」

「無論、彼女が本当に居るべき場所へ連れていく為。誰に脅かされる事もない、安らかに眠り続けていられる場所へ」

 

それがどこであるかなんて、訊くまでもなかった。

こいつは連れ戻しに来たのだ。フランチェスカが眠り続けていた慰霊塔の下に、目覚めたフランチェスカを再び眠らせようとしている。

フランチェスカが俺の袖を握る力が強くなるのを感じた。怯えているのは明白だ。

 

「は、誘拐かよ。本物とか本当とか、尤もらしい言葉を並べておきながら、やる事は結局犯罪者と違わない。探究者が聞いて呆れる」

 

敵意と侮蔑を込めて返した言葉に、外套の男の大した動揺はなかった。

唯、顔も見えないのに。暗闇から放たれる視線だけが俺を射貫き続ける。

 

「それでも、本物だ。あるべき姿だ。壊されるべきではなかった。続いていくべきだった」

 

まるで譫言の様だ。俺達に向けて言っているかどうかも怪しい。

 

「あたしは……」

「もう、傷付かなくていいように……君の未来を閉ざそう」

 

恐怖を堪えて何かを言おうとしたフランチェスカの声を遮って、外套の男は告げる。

その声音が優しかった。そして、苦し気で、切なげで。罪悪感から自らの心臓を握り潰してしまいそうだと思えてしまう程、選択の余地が無い言葉だった。

だけど、そんな事俺にはどうでもよかった。

怯えている。フランチェスカが、お前に。怯えさせたんだ。お前が、フランチェスカを。

――――理由は、それで十分だ。

 

「フランチェスカ、少し離れてろ」

 

名前を呼んで、彼女の手を振り払って数歩前に出る。

微かに漏らした声が不安を教えてくれたのに、俺はそれに振り返る事は出来なかった。

“身体能力強化”を発動し、外套の男の懐に踏み込む算段を立てる。

 

「続いていくべき幸福を壊した君を、私は許さない」

 

外套の男は、俺の雰囲気が変わった事を察した。

しかし身構える事はない。余程防御に自信があるのだろうが、俺の“無干渉”にはそういった特性は効き難い。

お前が魔術師か魔法使いかは知らないが、異能に頼った防御は俺には通じない。カッターナイフの一閃は確実にあいつに通る。

こちらが足に力を籠め、跳躍をしようとした瞬間。

 

「悪いが、荒事には耐えられない。無作法で悪いが、出来る対処を取らせてもらおう」

 

外套の男はゆっくりと右手を前に伸ばし、何もない虚空を掴む。

パントマイムの様な所作が手繰り寄せる結果は、俺の予想だにしていないものだった。

 

「眠れ」

「なっ、に――――!?」

 

俺の意志とは無関係に身体が揺れた。

痛みはないが後頭部を思い切り殴りつけられたように、頭がぐらつく。平衡感覚さえ奪われた気がして、踏鞴を踏む事さえ叶わない。

身体に力が入らない。虚脱感に抗う術を持たない俺の身体は、情けなく体育館の床に倒れ込んだ。

受け身も取れずに全体重の衝撃を身体全体で受け止めた痛みが、今の俺に唯一ある刺激だった。

 

「芳乃君!」

「くる、な……。逃げろ……!」

 

視界の外から掛けられたフランチェスカの声に、何とか声を絞り出しながら彼女を制する。

こんな状況ではフランチェスカを守りきる事は到底無理だ。せめて彼女だけは逃がさないと、この男の思い通りになる。

幸い頭は働いている。俺の身に何が起きたのかを見極める必要がある。

この男が行った事は容易に想像出来る。精神干渉の類の魔術だろう。暗示や催眠といったものでも、行き過ぎれば相手の身体の自由を奪うぐらいは訳がない。

問題はそこじゃない。それが俺に対して通用してしまった事が問題だ。

“無干渉”の“属性”を持つ俺に対して精神干渉や呪いの類は効果は薄い。今まで俺に対して干渉系の異能を通したのは、俺自身の魔力で発動させてしまった術式だけだ。

この耐性をこうも容易く貫通するなんて、こいつは一体――――。

 

「君の心には穴がある」

「な、に……?」

 

その言葉が、俺の琴線に触れた。

 

「フランチェスカと行う、嘗て契約した精霊との逢瀬の真似事は楽しかったか」

 

外套の男の見透かしたような言葉に、身体の奥が熱くなった。

力が入らない身体が本能のままに動こうと微かに痙攣する。こんなにも直情的に怒りが湧いてくるなんて、今までない事だった。

 

「開いた穴を埋めようとする代償行為。その偽物の慰めがどれだけ彼女を傷付けるかも知らず、何と愚かしい事か」

 

それだけ、触れられたくない所だったんだ。

お前なんかが触れていい部分じゃない。その言葉を口にしていいのは、フランチェスカだけだ。

そう声を荒げてやりたいが、それも叶わない。俺を無力化した事を確認した外套の男が、ゆっくりとこちらに近付いてくる。

俺に向けているのは殺意だ。静かな言葉の中にある確かな殺害衝動が、このままでは俺に襲い掛かってくる。

そんなのはお断りだ。俺はこんな所で死ぬわけにはいかない。自分の終わりは自分で決める。それが俺らしいのだと、あいつは言ったのだから。

だが、どれだけ力を籠めようとしても身体は痙攣するばかりで状況は好転しない。

諦めはしないが終わりは着実にやってくる。そんな時――――。

 

「……そこを退いてくれないか、フランチェスカ」

 

俺の視界に、闇に溶けるような黒いゴシックが揺れた。

揺れが治まったゴシックはまるで俺と外套の男を遮るカーテンの様に立ち塞がる。

同時に外套の男の足音が止まる。フランチェスカ=フリジメリカが、外套の男と対峙していた。

 

「ば、かが……にげ、ろ」

「嫌です」

「そこに居ると、君まで傷付いてしまう」

「それでも、嫌です」

 

声は震えていた。恐怖を乗り越えたわけじゃない。

そうだ。何度も怖い想いをしてきた筈だ。今だって逃げ出してしまいたいに違いない。

それでもこうして立ち塞がり、外套の男へ言葉を返す理由。

 

「大好きな芳乃君が死んでしまうくらいなら、あたしも一緒に死にます」

 

……あぁ。知っている。

 

「芳乃君と一緒なら、怖いけれど耐えられます」

 

死の理由になる程の好意。命を燃やし尽くす程の恋。

あいつが夜に散った。あいつが夜に戻っていった。

止めたかった筈なのに。俺がそれを止めなかったのは、どうしてだろう。

 

「芳乃君だけを殺しても無駄ですよ。あたしは芳乃君の死を“反転”させます。生き返った芳乃君の心臓が、あたしの心臓を止めます。そういう風になっているんです。あなたは芳乃君だけを殺す手段を持ってません」

 

動かない身体が恨めしい。

その震える手に、いつもみたいに服の袖を差し出してやりたかった。

 

「……、」

 

外套の男の息を呑む音が響いた。それきり、音はない。

フランチェスカの言葉の意味を咀嚼して、自分の中に取り込むような静寂の後。

 

「君のその好意は……偽物に過ぎない」

 

言ってはならない事を、こいつは言った。

 

「どういう、意味ですか」

「君が深花(しんか)芳乃(よしの)を好ましく思う気持ちは、ランチという精霊に引っ張られただけだ」

「そんな事……ありません」

 

フランチェスカの声が揺らぐ。揺らぎの性質は恐怖ではなく不安に変わっていた。

身体が熱い。本当に熱い。眼鏡を掛けて外す手順を踏まなくても、“魔力回路”が開いていくのが分かる。

さっき俺が偽物だと言われた時とは比べ物にならない程、精神を昂っていく。この感情に怒りという名前がある事に、俺は漸く気付いた。

身体に力を籠める。当然動かない。それがどうした。動かそうとしていないだけだろう。

 

「そんな気持ちの為に、君がこれ以上傷付く必要は――――」

「……お前、少し黙れ」

 

変わらず、声を絞り出さなければ言葉を発する事さえままならない。

身体が震える。動かない身体を、力以外の何かで動かす。まるで壊れたブリキの様にぎこちなく、手の平で床を捉える。

 

「芳乃君!」

「許せない……お前の気持ちが偽物だなんて、俺は絶対に認めない」

 

虚脱感に抗う事がどれだけ負担になるのかは考えない。そんな事は後でいい。そんな風に考えてしまう自分を嘲笑うのもまた後だ。

腕で上体を持ち上げて、開いた隙間に片膝を立てる。そのまま膝を支点にして上体を起こして、腰を持ち上げて立ち上がれ。

ほら、簡単だろう。多少ふらつくがやってやれない事はない。

 

「大丈夫ですか……?」

「は、ぁ……今は、な……」

 

フランチェスカに肩を貸されながら、外套の男を睨みつける。

肩で息をする俺の弱弱しさでは威嚇にもならないが、この男の殺意だけには負けたくなかった。

 

「まだ意識があるのも驚きだが。それよりも、何故立てる? 力などとうに入らない筈……ぐっ、ぅ――――」

 

外套の男が急に頭を抑え、大きく揺れた。

身体の中で何かが暴れるように身体全体も振り始めた。立ったままのたうち回ると表現する方が正しいだろうか。

 

「そう、か……私は……!」

「芳乃君、これは一体……」

「さぁ、な……」

 

暴れ続ける外套の男が微かに光り始めた。

光は急速に輝きを増していき、光の粒子へと変わって外套の男を包んでいく。

 

「フランチェスカ……君の、幸せが……」

 

そして、風船が膨張に耐えきれず破裂するように。

外套の男の身体が光に包まれたまま大きく三つに弾けて、そこには誰も居なくなった。

残されたのは俺とフランチェスカの二人だけ。危機は去った。そう見ていいのだろうか。

 

「今のは……」

 

フランチェスカの言葉に、何かを返す事は叶わなかった。

視界がぶれる。敵が眼前から居なくなった事で、無理矢理身体を動かしていた何かが切れてしまったらしい。

 

「芳乃君!?」

 

五感で得た情報を頭で処理する余裕すらない。

目の前が真っ暗になったのかも分からない程、鋏で断ち切られるように、意識がぶつんと切れた。

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