お昼代約束フランチェスカ   作:昼飯用

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4.夜が明けて

ふと、目が覚めた。

朝に眠りから覚めるような緩やかな覚醒ではなくて、スイッチを押して無理矢理切り替えるような、急かされるような目覚めだった。

開けた視界を処理するより先に上体を起こす。目が覚めた直後の景色より身体を起こした景色の方が状況を把握し易かったのは、幸か不幸か。

視界内にある設備と備品には見覚えがあった。穂叉(ほさ)学園の保健室。そこのベッドの上に俺は寝かされていた。一応五体は満足らしい。足の先から指の先まで、ちゃんと感覚が通っている。

四肢の中で唯一満足に動かないのは左腕だが、不自由の理由は外傷に因るものではない。

縋るように左腕の袖を掴まれていた。袖を掴んでいる相手――フランチェスカは朧気な瞳をこちらに向けていたが、状況を理解したのかはっとした様子でこちらに距離を詰めてくる。

 

「芳乃君! 大丈夫なんですか!?」

「……あぁ、何とかな」

 

精神干渉系の魔術に抗うという無茶のおかげでまだ少し頭が重いが、身体と精神には問題はない。

唯、抱き着かんばかりにこちらに密着してくるのは勘弁してほしかった。背中に寄り添われるのは慣れているが、正面から来られるのは些か刺激が強い。

フランチェスカを受け止めながら、その刺激から目を逸らそうと状況を確認する。

 

「あの外套の男は?」

「え、と……あれから、現れる事はありませんでした」

 

あの状況の俺達を放っておく理由が、外套の男にはない。恐らくは外套の男が消えたのは奴にも予期していないアクシデントだ。

外はもう明るい。どうやら“結界”が強く作用する時間はとっくに終わっているようだ。俺達は無事に“結界”から帰還出来たのだろう。

壁に掛けられた時計を見れば、時刻は九時を過ぎていた。もう生徒はとっくに登校して授業が始まっている時間だが、三年は既に自由登校期間になっているので授業はない。精々未だ進路が決まっていない人間が教師に相談しに来るぐらいだ。

とりあえずは保健室を抜け出してさっさと帰宅した方がいい。そう判断してフランチェスカを引き剝がそうとした時、俺は彼女の異変に気付いた。

 

「……悪い、怖かっただろ」

 

彼女は、静かに泣いていた。瞳からぽろぽろと零れる雫はフランチェスカの感情の印だった。

微かに震えるその小さな身体に溜め込んでいた恐怖に、俺が起きた事で耐えられなくなったのかもしれない。

俺が気絶してから、俺を引き摺って保健室まで逃げてきて。恐怖を感じる夜を、自らが何度も殺されたこの校舎でたった一人で過ごしていたのだ。その恐怖は想像を絶するものだっただろう。

無理をさせてしまった。そんな事をさせたかったわけじゃない。あの時無理にでも引き返すべきだった。

だが、謝罪と後悔を籠めた俺の言葉を、フランチェスカは顔を上げて赤く腫らした目で俺の顔を見つめて否定する。

 

「違います……。あたし、確かに怖かったですけれど……」

 

服を強く掴まれて、すすり泣く声が漏れる。

 

「芳乃君がもう起きなかったらどうしようって、死んじゃったらって……その方が、ずっと、怖くて……」

 

不安に耐える必要のない俺の腕の中で己の不安を言葉にして、吐き出して。

感情のままに泣いているこの少女を魔女と呼ぶなんて、昔の連中はどうかしている。

 

「逃げろって言ったのに立ち塞がったお前が言う事じゃない。お互い様だ」

 

心の内から漏れた素直な感想だった。

俺が殺され掛けたのも、それを庇おうとしたお前が危険に晒されたのも。

俺が死ねば、どうせお前は死を“反転”させて死ぬだろう。お前が死ねば、どうせその後俺も死んでいた。

順番が違うだけで、結果は何も変わらない。だから気にしていない。

――――本当に、そうか?

ふと湧いた疑問を、頭の中から振り払う。今はそんな事どうでもいい。フランチェスカを慰める方が先決だ。

 

「あたしの我が儘で、芳乃君が危険な目にあって……」

「その我が儘に付き合うって決めたのは俺だ。その結果も、何もかも、全部俺の責任だ」

 

お前は呼ばれただけなんだ。あのよく分からない怪しげな外套の男に、本当に身勝手な理由で呼ばれただけ。

だから、お前が責任を感じる必要はない。傷付いて泣く事なんてない。お前は幸せになって、笑っていれば――――。

 

「……っ」

 

虫唾が走った。あの男と同じような事を考えようとする自分がそこに居る事に。

その苛立ちを自分の中で消化出来ないまま、状況は変わっていってしまう。

まるで自分の城だと言わんばかりの遠慮のなさで、保健室の扉が開かれた。

 

「……おや、起きたんだね」

 

入室してきた男の顔を見て、俺はたった今まで抱えていた苛立ちとは別の苛立ちから舌打ちを返した。

男は俺の舌打ちに、「その調子なら、もう大丈夫みたいだね」と楽しそうに返してくる辺り、こいつとの妙な付き合いの長さを感じさせられて更に不機嫌になった。

男の存在に気付いたフランチェスカが、涙を拭いながら慌てて俺に説明をしようとする。

 

「あ、あの……こちらの方は、その……」

「知ってる。……残念ながら、よく知ってる」

「はは、その手厳しさも懐かしいね」

 

上桐(かみきり)(さとる)。嘗てこの学園の夜を亡者の学園として創り上げた魔術師。

今では協会に“魔力回路”を潰されて唯の一般人と化している。この学園の養護教諭として真面目に働いている事だろう。

俺としては胡散臭い存在にしか思えないが、生徒から人気がなかったわけじゃない。少し癖のある茶髪や幼そうに見える顔立ちから、教師としてはとっつき易い部類にあるらしい。

……こいつに異性として好意を持っていた人間だって、俺は知っている。

 

「いやぁ、驚いたよ。いつも通りに出勤したら、保健室の鍵は開いているし。締め忘れたかな、と思って中に入ってみれば、よく知った顔がベッドで眠っていて、もう一人の見知った子が不安そうに手を握っていたんだから」

 

そんなこいつは、相手が俺であるのなら大抵の事には動じなくなってしまったらしい。まるで驚いていなさそうに、嘘くさい笑みを浮かべて言ってくる。

俺は上桐の介入で泣き止んでくれたフランチェスカを引き剥がして、ベッドの淵に座らせた。俺もその隣に座った事を確認すると、こちらへ歩きながら上桐は続けてくる。

 

「まぁ、保健室を使うのは構わないんだけどね。深花君はこの学園の生徒だし、ランさん……いや、フランチェスカさんだって、この学園の生徒だろう?」

「いえ、その、あたしは……」

「卒業はしていないんだよね? なら、生徒って事でいいんじゃないかな」

 

釈然としていなさそうなフランチェスカを「そういう事にしとけ」と宥める。

……それにしても、まぁ。上桐も上桐で随分と友好的な対応を取るものだ。

フランチェスカは上桐の亡者の学園を根底から“反転”させた張本人だ。その事については同情の余地など一つもないのだが、当人からすれば忘れてしまいたい苦い記憶の筈だ。

その張本人を目の前にして、そして更に亡者の学園で敵対した俺が居て。こうして普通に話している事自体が奇跡に思える。

俺としては、こいつとはもう生徒と教師以上の会話をする気はなかったのだが。

そんな俺の考えを知ってか知らずか、上桐は「それで」と切り出した。

 

「どうしてこんな時間帯に保健室に? ……いや、回りくどい真似は止しておこうか。何があったのかな?」

 

俺以外の生徒に評判の目を細めて問う上桐に、俺は舌打ちを返した。

答える気はない。だが、このまま黙っておいて下手に動かれるのも面倒だ。

余計な探りを入れられるぐらいなら、ここでしっかり話しておいた方が御し易いだろう。

 

「他言無用だ。誰にも言うな」

「分かったよ」

「誰にも、だ」

「……分かってるよ。誰にも、言わない」

 

こいつの聞き分けがいいのはいつもの事だが、今回ばかりは唯単に聞き分けたわけでもないだろう。

目が戻っている。とっくに失われた筈の、魔術師としての目だ。

舌打ちの代わりに溜息を一つ。それに連動してフランチェスカの苦笑い。……懐かしさを感じたのは、気のせいじゃない。

その懐古から目を背けるように、俺は目を閉じて今日の深夜から保健室に逃げ延びるまでを上桐に説明した。

“反転”の“結界”の中で、正体不明の外套の男がフランチェスカを待っていた事。外套の男はフランチェスカの素性を知っていて、再びフランチェスカを眠りに就かせようとしていた事。そして外套の男は俺へ殺意を向け、更には“無干渉”を貫通して精神干渉を行った事。その後、恐らくはアクシデントで俺達に止めを刺せず、三つの光になって消えた事。

俺の知る限りの情報を話し終えた後、上桐は顎に手を当て、考えを纏めているようだった。

上桐ばかりに考え事をさせるのも腹が立つ。そもそもこいつは今回の件には無関係だ。事態が起きてからゆっくりと考える時間もなかったが、俺も状況を把握するべきだろう。

そうして始まった俺と上桐の思案が終わったのは殆ど同時だった。顔を上げて目が合う。俺は舌打ちをし、上桐は微笑んだ。

 

「順番に行こう。情報から察するに。深花君達を襲った外套の男は、きっと霊体だね」

「だろうな」

「……そうなんですか?」

 

体力の限界なのか俺の肩に体重を預けてきたフランチェスカに、俺は視線を向けずに頷いた。

 

「普通の人間があんな風に三つに分裂するかよ」

「そ、そうですけれど。あたし、霊感なんてないですよ? それなのにどうして……あ、そうか。“反転”……」

「そうだね。フランチェスカさんの“結界”の中では、不可視の霊体は可視の実体を得る」

 

正確には、この学園の昇降口を通った霊体でなければ性質は“反転”をしない。

屋上を直接目指すような事をすれば、霊体は霊体のままだ。

そして更に言えば、“結界”を張った本人は“結界”の影響を受けない。

 

「あそこじゃ霊体も実体も見分けがつかない。霊体だって判別出来る確固たる瞬間を見れたのは、運が良かったな。唯、問題は……」

「その霊体が誰なのか分からない、って事だね」

 

同じ疑問点を持っていた点は、腐っても元魔術師だと言うべきだろう。

あいつが霊体という所まではいい。今更実体が無い相手くらいで騒ぎ立てるような神経は持ってない。

だが、そこから先の相手の正体を探る段階になれば、霊体である事が大きく足を引っ張ってくるのだ。

 

「外套の男の目的は、あいつの言う事を信じるなら、『フランチェスカ=フリジメリカを慰霊塔の下に再び眠らせる』、『深花(しんか)芳乃(よしの)の殺害』の二つ」

「うーん……よく、分かりません。どうしてその二つが、あの人の目的なんでしょう」

「あいつはお前の素性を知っていた。現代ではお前の素性を知っている人間は殆ど居ないし、知っている人間は全てリストに載って身元が割れている。上桐も含めてな」

 

そう言って上桐を睨みつけると、「そもそも僕はもう魔術を使えないから、何もしようがないんだけどね」と困ったような笑みで返された。

実際、魔術が使えればこいつが犯人の可能性だってあった。まぁ、流石に監視者が居ると分かっている領域で、何かを企む程間抜けでもないだろうが。

 

「そして、一応だがあいつはお前の事を案じていた」

「はい。あたしを傷付けないように、芳乃君の前から退いてほしがったりしていました」

 

そう、随分と独善的な形だったが、あいつはお前の事を大切にしようとしていた。

そして決定的な証拠として、あいつの事を知っていた。俺と明日のお昼代で契約を交わし、亡者の学園の調査を共にした精霊の事を。

現代では知りえないフランチェスカの素性を知り、大切にしようとしており、あいつの事を知っている霊体。条件から考えれば、答えは一つしかない。

 

「あいつは亡者の学園に通っていた過去の人間だ。お前が生まれた時代と同じ、百四十年前の亡霊」

「百四十年前の……あの、芳乃君」

「何だ」

「あたし、あの人を見た事がある気がするんです。何時の時代かは分からないんですけど……」

 

今のフランチェスカにはこの時代で数ヶ月生きた記憶がある。更に、ほんの一部だがあいつの記憶も流れ込んでいる。

更に過去の記憶の最後にあれだけのショックを受けたフランチェスカが、その一瞬の記憶の時代を把握出来ないのは無理からぬ事だろう。

フランチェスカの既視感の報告により、俺も忘れていた事を思い出した。

外套の男に既視感を抱いたのは、フランチェスカだけじゃない。俺もだった。だが、俺の既視感の方は勘違いの可能性だってある。

状況から考えて外套の男は百四十年前の亡霊で間違いはない。余計な情報を口に出すのは憚られた。

だが、あいつが百四十年も前の亡霊だとすると、そこには大きな問題が一つある。

 

「外套の男は、百年以上前の魂の割には摩耗が少な過ぎるね」

 

上桐の言葉に俺は頷く。

意味が分からない様子で首を傾げるフランチェスカを見て、補足をする。

 

「肉体から切り離された魂は唯消耗するだけのエネルギーになるんだ。普通の人間なら半世紀もしない内に魂が摩耗しきるだろう。たとえ魔術師であっても、百四十年の摩耗には普通は耐えられない」

 

俺の補足を聞いて、フランチェスカは更に首を傾げた。

元々俺に体重を預けている関係上、どんどん肩に頭を擦り付ける格好になってくる。心臓に悪い。

 

「あの、あたしは……?」

「お前の場合は慰霊塔の下に肉体があっただろ。その肉体も、慰霊塔の周りに植えられたソメイヨシノからエネルギーを貰って維持が出来ていた。お前は唯眠ってただけだ」

「まぁ、僕の都合で去年の九月頃に亡者の学園に登校してもらっていたんだけどね。本当に余計な事をしてしまった」

「それはお前が迂闊だっただけだろ」

 

上桐に事実を突きつければ、「その通りだね」と気まずそうに頬を掻いた。

鼻で笑って追撃してやると、隣の少女は「そうでしょうか」と異を唱えた。

 

「あたし達にとっては、余計な事なんかじゃありませんでした。上桐先生が亡者の学園を創ったから、あの子は芳乃君と出会えて、あたしは芳乃君と一緒に居る事が出来ています……」

 

小さく笑って、フランチェスカは上桐を見る。

 

「だから、ありがとうございます。上桐先生」

 

あいつが上桐に最後に見せた感情は怒りだった。亡者の学園の最後の夜に、あいつが初めてぶつけた激しい感情。

怒らなかった俺の代わりに怒ってくれたあいつと同じ姿から、今度は感謝の気持ちを伝えられる。

今の一言は、どんな罵倒よりも元魔術師には効いた事だろう。

事実その通りだったようだ。いつも物腰柔らかな優男の上桐が、苦虫を嚙み潰したような表情を見せて、咳払いを一つした。

 

「とにかく、エネルギーが少ない霊体は存在の濃度が薄過ぎて、“反転”の性質を以てしても完全な実体を得る事は出来ないんだ。“反転”の“結界”の中では、生前刻まれた行動を繰り返すだけの緑色の輪郭だったね」

「あいつ等は亡者の学園の調査の中で接触する事が出来なかった。完全にモブだったな」

 

フランチェスカが「モブ……?」と呟いていた。どうやらまだ日本語に馴染んだ英語には慣れていないようだ。

フランチェスカに『モブ』の意味を教えている間に、上桐は何かしらの仮説を立て始めたらしい。その思考の速さは、流石元死霊専門の魔術師と言うべきだろう。魔術を使えなくなっても、その知識を失ったわけではない。

 

「となると……うん。やっぱり、こんな感じじゃないかな」

 

少しして、上桐は仮説を立て終えたようだ。

 

「一応聞いとく。さっさと話せ」

「お願いします」

 

足を組んで、膝の上に頬杖を突いて話を聞く体勢を取った俺と、俺に体重を預けたまま話を聞こうとするフランチェスカ。

そんな俺達を見て上桐は小さな笑みを一つ浮かべ、仮説を説く為に口を開いた。

 

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