「それで、今日はこれから学園の調査ですか?」
街灯も届かないような路地裏に繋がる広間で、うっかり時刻を確認する為に手に持っていた携帯を落としそうになった。
時刻は夜の十時過ぎ。あれから帰宅した俺とフランチェスカは昼食という名の鍋を食べ、一時の休息を得た。
休息と言っても、フランチェスカは体力の限界だったので、昼食後には倒れるように眠ってしまった。俺と一緒でなければ眠る事も出来ない彼女の傍で、俺は秋月さんに電話を掛けた。
内容は勿論、フランチェスカの具合が良くないので今日の手伝いには行けない、というものだ。日中は秋月さんの手伝いをしているフランチェスカだが、疲弊している状態で無理なんてさせられない。
秋月さんからは快く了解が返ってきた。元々、『慈愛』という言葉が似合う人だ。具合が悪い人間に無理をさせるような事はしない。
そして俺は俺で夜の仕事を手伝う事になっている。フランチェスカの身の安全を確保するのに力を貸してもらった対価だ。
昼の仕事は書類や情報の整理といった安全な仕事なので、安心してフランチェスカに任せられる。
だが、夜になるとそうも行かない事が殆どだ。昼に整理した情報を元に、魔術師の工房に乗り込んだり、そもそも人間なのかも分からない通り魔的な何かを誘き出す為に一人裏路地を歩いたりと、正直命の保証はなかった。
俺は魔術関連の事件を解決する“制陰協会”に属する、対魔術師用の魔術師だ。
そうは言っても、俺の専門は自分の“属性”を活かした干渉耐性を武器にした、電光石火の制圧だ。暗示や洗脳といった、相手に干渉する事で対象をどうにするタイプの魔術師は、得てして直接の戦闘能力は大した事はない。
その分干渉に対する対策がなければ厄介なのは間違いないが、俺には“無干渉”という大きなアドバンテージがある。干渉出来ない相手に直面して冷静さを失った相手ぐらい、“身体能力強化”で制圧する事は容易い。
まぁ、秋月さんが担当する連中は殆どばりばりの武闘派連中なので、この方法は通じないのだが。何とか応戦しながら秋月さんが一網打尽にするのを待つばかりである。
秋月さんにそう言われたのは、今回も命拾いした、と安堵しながら、足元に転がっている数名の意識が無い魔術師達の数を数えつつ携帯を見ていた時の事だった。
「……何故それを?」
秋月さん相手にしらばっくれても無駄なのは分かりきっている。
俺は大人しく認めつつ、秋月さんの方を見ながら質問をした。
秋月さん――
肌は雪の様に白く、項の辺りで一つに結ばれた蒼白の髪は、月明かりに明確な色があればこんな感じかもしれない、と思う程、仄かに煌めいて見える。
微かに垂れる白い瞳は優し気で、秋月さんの印象を一層柔らかくしていた。艶やかな唇は大抵は笑みを形作っており、そこから発される声音を聞くとらしくなく和んでしまう。
異性という存在の容姿を詳しく見た事が殆どない俺でさえこうなのだから、普通の人間が見れば、見惚れる事は避けられないのだろう。これでいて『強い』という言葉では生温い程強いのだから恐ろしい。
そんな秋月さんは建物と建物の間に出来た路地裏からひょっこり姿を現しながら、いつも通りの柔らかな表情で何て事ないように言ってくる。
「お見通しってわけじゃありませんよ。唯、深花君達を保護した方から連絡がありまして」
そう言われて、思いつくのは上桐しか居ない。
あの野郎、他言無用だと言った筈なのに、こうも簡単に喋るとは。
俺の不満が顔に出ていたのか、秋月さんはこちらを宥めるように笑い掛ける。
「あの人が話したんじゃありません。唯聞いてたんですよ、電話でずっと」
「電話? ……そうか、あの狸教師、最初から通話を繋いで話をしてやがったのか」
俺の予想は当たっていたらしく、秋月さんは『正解です』と頷いた。
「でも、上桐さんを責めないであげてください。元々は二人の事を心配して、連絡をしてきてくれたんですから」
「……分かりましたよ。そのまま通話を繋げて事情を聴こうとしたのは秋月さんって事ですね」
「そうです。ですので、嫌うなら私です」
そんな事を言われても、秋月さんを嫌う事など出来る筈もない。
何しろこちらには返しきれない恩がある。そもそも事情を盗み聞きをしようとしたのだって、俺達の事を心配している故の行動だろう。
俺だけならともかく、フランチェスカの事まで心配してくれている相手の事を悪く思うのは無理がある。
だが、それはそれとして、少し不味い事になったのは事実だ。よりにもよって秋月さんに聞かれてしまうとは。
秋月さん自身も、俺がこの事を誰にも話す気がなかった事に気付いているだろう。
そして、秘密を抱える意味も、きっと察しが付いている。秋月さんは困ったように笑って、優し気な顔で俺を見上げる。
「フランチェスカさんの危険性を、協会の人間に知られたくなかったんですよね」
こうまで図星を指されては、秋月さん相手でなくとも認めざるを得なかった。
俺は誤魔化す事なく頷いた。秋月さんにはそれで理由の全てが伝わっただろう。
協会にとって、フランチェスカは嘗て討伐した魔女でしかない。
それこそ俺が亡者の学園の事件を解決した功績や、その中でのあいつの活躍、そして協会内で発言権を持つ秋月さんの声を総動員して、漸く身の自由を得られた程だ。それ程までにフランチェスカの“反転”は危険視され、管理されるべきだと考えられている。
フランチェスカという“反転の魔女”が狙われたという事は、フランチェスカの“反転”が狙いかどうかは関係なく、彼女の存在そのものが危ぶまれる事に繋がってくるのだ。
だから、協会の人間には誰にも知られてはいけなかったのだ。たとえそれが秋月さんが相手だとしても。
だが、思いつめていた俺に対して、秋月さんの答えはおよそ協会の人間とは思えないものだった。
「さて、深花君が何を気にしているのかよく分かりませんねぇ。協会の人間なんてどこに居るんでしょうか。ここに居るのはお仕事が終わった
ぐるり、と辺りを見回して、秋月さんは悪戯っぽく笑ってみせた。
どうやら、知らないふりをしてくれるらしい。足元に転がっている魔術師達はどう説明を付けるのか気になるが、この際無視でいいだろう。
……だが、俺は黙っていてもらう対価を持ち合わせていない。
「何をすれば、いいですか」
手札を持っていないあまり訊いてしまうと、呆れたような言葉が返ってくる。
「深花君は相手の善意に対して慣れてないですね。貰えるものは貰っておいた方が、人生楽ですよ?」
俺の肩を小突いてそう言うと、秋月さんは本当に優し気な目で俺を見上げる。
冷酷に敵を追い詰めていくような恐ろしい瞬間なんて幾らでも目にしている筈なのに、何故だかその表情が秋月さんの素顔な気がした。
それがあまりにも自然で、受け入れるのが当然だと思わされて。
慣れないまま「ありがとうございます」と返すと、おかしそうに「不器用ですねぇ」と笑われた。
「大切にしたいって気持ち、上手く伝えられないんですよね。自分にも、相手にも」
上桐にも言われた事だ。あいつに言われただけなら否定してやったのだが、秋月さんに言われてしまうと流石に認めざるを得ないだろう。
どうせ桜にも、あいつにも思われていたんだろう。
「でも、下手でも深花君なりに伝えようとしているんですよね。フランチェスカさんからよく聞いてますよ」
「……あいつ、変な事喋ってないだろうな」
「色々聞いてますよ。……主に目覚めてから直ぐの事とか」
「……もっとちゃんと口止めしとくんでした」
このにやつき具合から鑑みて、フランチェスカの下着の事に違いない。
何しろフランチェスカが生きていた時代には上の下着など存在していなかったが、現代で生きる上ではそうはいかない。
当然俺には馴染みが無く、フランチェスカ自身はそもそも存在をよく知らない。
フランチェスカの身の回りの衣類を揃える点において、俺達二人に真っ先に立ちはだかった壁だった。
身近の頼れる女性――母親か秋月さん、どちらに訊くか、唐突に現れた究極の選択。
最終的に母親に頼る事にしたのだが、フランチェスカの人見知りのせいで会う事は出来ず知識だけ与えられ、実際の測定と購入に関しては俺が付き添う破目になった。
着用に関しては何とか自力で出来たので本当に安堵したが、出来なかったら今度こそ秋月さんの出番だっただろう。
「そうやって身の回りの事をちゃんとフォローしてあげる優しさは、ちゃんとフランチェスカさんに届いてます。だってあんなに嬉しそうに話すんですから」
「……そうですか」
それはお互い様だろう。俺だってフランチェスカが変わろうとしている理由を言われた事はないが、誰の為なのかは分かっている。
こうまで通じ合いながら、こんなにもお互い上手くいかなければ、不器用と言われても仕方ない。
「まぁ、二人の事は二人自身で決める事だと思いますから、この話はこれぐらいにしまして。解決するまではフランチェスカさんのお手伝いはお休みって事でいいんですよね?」
「そうしていただけるならありがたいんですけど、大丈夫なんですか?」
「問題ありませんよ。いつも一人で仕事をしているのが少し寂しいので手伝ってもらっていただけですから。また会える日を楽しみに待ってます、と伝えておいてください」
そんなに寂しいのであれば、協会の人間に頼めば幾らでも一緒にやってくれそうではあるが、そうも行かないのだろう。
秋月さんの家系は“四季家”と呼ばれる協会の創設者の一角である。秋月さんの協会内の発言権も、彼女自身の功績に加えて、家柄によって保たれている部分が大きい。
俺自身こうやって手伝っていても、深花家が秋月家とのコネクションを持とうとしている、という見方は避けられない。
秋月さん自身がそれを分かっているので、気軽においそれと頼むわけにはいかないのだった。派閥と言うのはどこの組織でも面倒なものだ。
自分の事はどうだっていいのか、秋月さんは咳払いを一つして人差し指を立てて、得意気にこんな事を言ってきた。
「それでは、不器用な深花君に一つアドバイスです。もっとしっかり気持ちを伝えたいのなら、先ず理由を見つけましょう」
「理由?」
「そうです。フランチェスカさんを大切にしたい理由、ですよ。小難しい理屈じゃなくて、ちゃんとした理由を見つけてくださいね」
それは俺にとって最も難しい事ではないだろうか。魔術師に理屈を捨てろとは酷な事を言う。
まぁ、あの秋月さんが折角言ってくれた事だ。事件の調査をしていく中で、意識しておいて間違いはないのだろう。
ともかく、これで大方の問題はクリアした。これからどうなるかは俺達次第。
フランチェスカがランに変わっていくのかも。俺がフランチェスカとどう向き合っていくのかも。俺達自身に懸かっている。
◇
「……あの、芳乃君。今日の晩御飯は美味しかったですか?」
これから敵が潜んでいるかもしれない場所に向かうというのに、随分と呑気な質問だった。
あれから手伝いを終えて秋月さんと別れ、食事を済ませれば深夜零時前。そろそろ頃合いなので二人揃って家を出て、
家を出てから、俺達の間に会話はなかった。俺の服の袖を掴んで周囲を警戒しながら歩いているのは変わらないのだが、今日の様子は普段の怯えた感じとはまた違い、様子を伺うように俺の事を見つめ続けている。
何か心配させるような事でもあったか、と事情を探る為に会話を切り口を探していたのだが、先に会話を切り出したのはフランチェスカで、会話の出だしはそんなものだった。
「……もしかして、ずっとそれを気にしてたのか?」
「そ、そうですけど」
はぁ、と安堵と呆れを隠さずに溜息を一つ。それに気付いたフランチェスカが、珍しく拗ねた様子で頬を膨らませた。
「だって、今日の晩御飯は初めて作ったんですもん。お口に合ったか気になるじゃないですか」
「別にシチューなら――――」
食えない物なんてそうそうない、と答えようとして、先程の秋月さんとのやり取りを思い出した。
……伝える、か。確かにこういった感想を自発的に伝えた事はそう多くない。
今の様にフランチェスカが訊いてきて、俺はそれに答えるだけ。答えるにしても、今口を滑らせかけたようなぶっきらぼう。
確かにこれでは、伝わるものも伝わらないだろう。
「……初めて作ったって言ったな。何で知ったんだ?」
「え、と。お昼のテレビでやってたんです。芳乃君、いつもお鍋ばっかり食べてますけれど、こういうのも好きかなぁ……って」
「まぁ、そうだな。シチューも嫌いじゃない。……今日のやつも、美味しかったよ」
「本当ですか……?」
さっきまで拗ねていた様子はどこへやら、フランチェスカは期待を込めた瞳で控えめに訊いてくる。
「本当だよ」と返せば、また喜びを控えめに表現するようにはにかんだ。
確かに、伝えるというのは大事な事のようだ。こうして相手と生活をしているのなら尚更。
学園に近付いてきた。これなら着く頃には丁度“結界”が作動しているだろう。
遂に始まるのだ。俺とフランチェスカが行う、あの男の真意を探る夜が。
「……これから外套の男の調査をしていく中で、俺にも一個目的が出来た」
「芳乃君にも、ですか?」
「まぁ、今後の為に必要だと思う事だ。お前みたいに誰かの為なんて大層な目的じゃない」
だから訊くな、と目線で告げると、フランチェスカは大きく首を振って了解した。
詳しい事は何も伝えていないのに、俺の目的を尊重してくれる。そんな彼女を大切にしたい理由を、俺はこの夜の中で見つけよう。
笑えてくる話だ。桜やあいつが居なくなって、今更そういう人間らしいものを探そうとしている。
何より、そういった人間らしさを探そうとする自分を悪くないと思っている自分が居る。
「……魔術師なんてつまらない生き方だしな」
「そう……なんですか。神無さんは色んな事が出来て、とっても楽しそうでしたけど」
「そういう事じゃない。……ま、秋月さんはどっちの意味でも楽しそうなのは確かだ」
だが、それは秋月さんの答えだ。
俺は俺だけの理由を、フランチェスカと共に挑む夜の中で見つけてみせる。
「とにかく。俺の目的はついで程度に考えて、お前はお前の目的を忘れるなよ、フランチェスカ」
「はい。……ですから、変わっていくあたしの事、憶えておいてくださいね」
言われるまでもない事だ。それこそ大きく頷いて肯定すると、フランチェスカは嬉しさと切なさが綯交ぜになった笑みを浮かべた。
それはフランチェスカだけが見せる、彼女だけの笑顔だった。