「……“恨みの外套”、ってとこか」
男が消え去った後の家庭科室。その中で俺は奴の言葉や感情の中から特徴を見出し、そのまま名称とした。
その呟きを聞いていたフランチェスカは、ひょっこりとこちらを覗き込む。
「恨み……ですか」
「別に珍しい感情じゃない。そんな感情が一切ない人間の方が信用出来ないな」
“恨みの外套”が揺らいだ瞬間からすっかりその様子はなくなっていたフランチェスカの怒りも、その感情の一つだろう。
「え、と……それで、“恨みの外套”さんはもしかして……」
ある方向――“恨みの外套”が粒子となって流れていった方を見ながら、フランチェスカは俺へ言外に問う。
フランチェスカはこの校舎内での土地勘があまりないせいで気付かないと思っていたが、しっかりと気付いていたようだ。
「あぁ。恐らくは体育館に戻ったんだろう。あれが外套の男の一部であるのなら、ありえない話じゃない。まぁ、三分の一のあいつが、ここに居た時の様に姿形が保てているとは思えないけどな」
隠している理由もないので素直に答える。更に言えば、これはこれからフランチェスカがやらなくてはならない事に繋がる情報だ。
それが分からないフランチェスカではない。
体育館の方を見つめたまま、フランチェスカは譫言の様に自らの考えを口にした。
「残りの二人も、あそこに戻ったのなら……」
「俺達が昨日出会った外套の男は、再び体育館へ顕現する」
答えを引き継いだ俺の言葉に、フランチェスカはこちらへ視線を移した。
月明かりに照らされた世界の様な薄青の双眸へ俺は続ける。
「やろう、フランチェスカ。“恨みの外套”はお前の問いに答えられなかった。恐らくは残りの二人も同じだろう」
だから、あいつには元の外套の男に戻ってもらわなければならない。
元に戻す事で俺達への敵性が復活する恐れもあるが、危険なのはこうして分裂した外套の男に会いに来た時点で覚悟していた事だ。
フランチェスカの目的は元に戻ってもらわなければ達成出来ないのなら、俺達に迷う理由なんて存在しなかった。
「それに残りの二人と接触する事で、あの男の正体に近付ける可能性が高い」
「そういえば……知っていましたよね、あたしの事」
そう。“恨みの外套”はフランチェスカの事を詳しく知っていた。
外套の男が語った、幸せとか安息とかそんな安っぽい言葉ではなく、エピソードとしてフランチェスカの行動を記憶していた。
「元々あいつとフランチェスカが同世代なのは予想が付いていた。その上で日常でのお前の事を知っているとなれば、その対象はかなり絞られてくる」
何よりあの口振りからすれば、フランチェスカを“反転の魔女”ではなく、一人の人間として捉えていた事になる。
そんな風にフランチェスカを見れる立場の人間は、決して多くはない筈だ。当時のフランチェスカは孤児院育ちで、学校には友達が居なかった事はあいつの口から聞いている。
そうともなればフランチェスカ自身が何となく候補を付けられそうなものだが、生憎とそう簡単にはいかないらしい。
「前も言った通り、見た事があるような気はするんです。“恨みの外套”さんが言っていたあたしの行動は、孤児院で実際にやった事もあります。でも、孤児院に居た人達の中にあんな黒いコートを着た人は居ませんでしたし、声を聞けば分かる筈なんです」
「成程。見た事はあるけど面識はない、って事か」
フランチェスカの頷きを区切りに、一先ず俺達は家庭科室を後にする。
“恨みの外套”が去った以上、これ以上この場所に居ても進展はない。“反転”の“結界”は深夜の間の僅かな時間にしか存在しない。時間を無駄には出来なかった。
「次は図書室だな。行くぞ」
「はい」
差し出した服の袖を握ったのを確認して、俺とフランチェスカは図書室へと移動を開始する。
図書室へは特別棟の一階であるここから四階まで階段で昇る必要があり、更に廊下の反対側まで歩かなければならない。
そんな長い移動の最中、フランチェスカはふと訊いてきた。
「図書室の七不思議さんは、どんな人だったんですか?」
「“童話に還るアリス”。こっちでの姿は小さな女子生徒だったな。容姿も性格も幼い感じだったから、基本俺は怖がられていたな」
「……芳乃君、小さな子の相手とか得意そうですけど」
きょとん、と至極不思議そうにそんな事を言われるのは初めての経験だった。
桜にも、上桐にも――――勿論あいつにも。寧ろ子供の相手なんて絶対出来ないとまで思われていそうなのに。
「お前はそう思うんだな」
「そうですよ? だって芳乃君、とっても優しいですもん」
「……お前に対しての態度を基準にされるのは困る。誰彼構わず世話を焼く俺なんて想像出来るか?」
言われたフランチェスカは、実際に想像してみたらしい。
「んー」なんて呑気な声を出して口元に人差し指を当てている。フランチェスカにとってトラウマの地であるこの学園で、こうして気を抜いてくれるのは精神衛生上いい傾向なのだろう。図書室に着いてから気を入れ直せばそれでいい。
そう思って好きにさせていたが、フランチェスカの声は段々と沈んでいった。一体どうしたのかと目線を送れば、掴んでいる俺の服の袖を控えめに引きながら、小さな声でこう言った。
「……その。芳乃君の優しい所、あんまり知られたくないです」
珍しく、本当に困ったように訴えられる。
恐らく初めて抱いたであろうその感情は、俗に言う独占欲と呼ぶものだろうか。
そんな心配なんて一つも要らないというのに、フランチェスカは大真面目に俺に訴えかけていた。
その様子がおかしくて、俺は呆れた素振りを見せながらも、きっと内心では笑っていた。
「知る人間が居ない。安心しろ」
そもそも俺が優しいという評価はフランチェスカの主観だ。それを否定する事はしないが、フランチェスカ以外にはそうではない可能性だって大いにある。上桐に対しては絶対に当て嵌まらないだろう。
そうこう話している内に、図書室の前まで辿り着いた。
家庭科室と同様に、内部から溢れ出る異常はない。元々ここに居た“童話に還るアリス”という七不思議に凶暴性はない。嘗て精神の異常を表現するかの様に図書室内の本棚から本が散乱していた事があったが、ジャックナイフの様に俺達へ害を為す事はなかった。
そして、フランチェスカの直感通りなら、ここにも外套の男を構成する三人の内の一人が居る。
「開けるぞ、準備はいいか?」
「はい」
“恨みの外套”と同じように、主に俺に敵対心はあれど会話が通じる相手ならいいのだが、今回もそうである確証はない。
最大限警戒しながら、俺はゆっくりと図書室の扉をスライドさせ、内部へ侵入する。
「図書室も大きな異常は無さそうですね……」
「……あぁ、そうだな」
俺はフランチェスカの確認に、少し間を置いてから返事をする。
亡者の学園での図書室の異常は、所々背表紙がひっくり返されて収納されている童話だらけの本棚だ。
近くの本棚を確認しても、あちら側と変わらない普通の本棚だった。
名前を聞いた事があるような流行りの作家の小説が纏められた新刊コーナー。図書室はあれ以来何度も利用しているが、全く興味が無かったのでこんなコーナーがある事自体知らなかった。
ともあれ、家庭科室と同様に、図書室にも亡者の学園の影響は見られない。
家庭科室と同様であるならば、俺が見るべき方向は決まっている。
月明かりだけが頼りの室内で分かっているかのように視線を向けた方向へ、フランチェスカも同様に向けた。
「……待っていたよ」
――――嘗て童話に還った童女の様に、月明かりに照らされた男が窓際の椅子に座っていた。
その姿は外套。“恨みの外套”と同じように、フードを深く被り顔の情報を隠蔽している。
だが、その体躯は“恨みの外套”より少し大きく見える。例えるのなら“恨みの外套”が俺で、この外套の男は上桐の様な関係性だ。
三つに分かれたにしてはおかしな事だった。取り込んだ想念の量の違いか、それとも別の要因でもあるのか。
「待っていたのなら、そんな隅じゃなくて真ん中に堂々と鎮座してたらどうだ」
「ここに居るのが自然な気がしてね。惹かれてしまった、と言う方が正しいかな」
「魂だけとは言え、随分と感覚的な事だ。魔術師が聞いて呆れるな」
「……あぁ、肝心な時にもそうであれればよかったんだけどね」
どこか引っ掛かる物言いだったが、重要な情報の一つに確証が取れた。
この男は魔術師だ。なら、俺に対して行った精神干渉も魔術という事になる。魔術だろうが魔法だろうが“属性”頼みの俺の耐性は関係無いのだが、魔術だと分かった事は外套の男の理解に大きく繋がる。
魔術を使う事実に対しての考察はまたあっち側に戻って上桐にでもさせればいい。あの男に頼るのは本当に癪だが、今は使えるものは何だって使うべきだ。
「あたし達も、あなたを捜していたんです」
「僕を? ……それは光栄だね」
言葉とは裏腹に男は目を伏せ、俺達と向き合おうとはしない。
フードで顔は見えないので、厳密に言えば若干俯いたという表現が正しいか。
その声色には辛苦が混じっていた。発言の内容とはまるで反対だ。
「確認したい事がある。お前は三つに分かれる前――元のお前の考えは分からないな?」
「そうだね。記憶はある。何をしようとしたのかも分かる。でも、理由だけは分からない」
俯いたまま声を紡ぐ態度は、およそ友好的とは言い難い。
これがフランチェスカからの質問であったのなら、顔ぐらいは上げたのだろう。
恐らく、“恨みの外套”と同じように俺へ敵意は持っている。だが、やはり襲い掛かってくるような凶暴性はない。
「期待に沿えなくてすまないね」
「答えられるとは思ってない。期待通りだ。……まぁ、お前の根幹に纏わる疑問は、些か増えたけどな」
俺への敵意は消えていない。しかし、俺がフランチェスカと共にいるという事実だけで会話をしている。
フランチェスカへの感情が、敵意を抑え込む程強い。霊体である以上どんな存在よりも本能に近いというのに、まるで理性の様に機能している。
その外骨格の様なフランチェスカへの感情を持ちながら、何故フランチェスカの記憶から明確にお前の存在が出てこない。
「その点についてはお前が元に戻ってから問い詰めてやるさ」
「だから、今はあなたとしかお話し出来ない事を……と思ってきました」
「そうか……君と話せるなんて、これが僕の罪に対しての罰なのかな」
たとえ分裂したとしても、自分だけの世界に閉じ籠った会話しか出来ないのは変わらないようだ。
だが、これだけ執着しているフランチェスカの会話を『罰』と言い、それが罰になるだけの『罪』が自分にあると自覚している。
この男の素性を掴む為にも、この話題を逃すわけにはいかない。
「罪と罰、ねえ。随分と大層な表現だ。魔術師らしい気取った考え方だな」
「あたしとお話しする事が……罰、なんですか?」
俺の挑発とフランチェスカの疑問。そのどちらに対してなのかは分からないが、男は辛そうに頷いた。
「何故自分にこんな事が起きるのか。そう思った事はないかな? 自分という世界を構築する全てが辛かった事は? 僕はあるよ。永遠にね。辛かったさ。周りの称賛が。過去として受け止める冷徹さが。……僕自身の選択が。気が狂ってしまう程に辛かった」
“辛みの外套”、とでも言った所か。家庭科室で出会った“恨みの外套”よりは気質が大人し気なのは抱えている感情の違いからか。
こいつの後にはグラウンドに居るであろう外套の男にも会わなくてはならない。願わくば“恨みの外套”が凶暴さの最大値であってほしいものだ。
「最愛の少女を喪う、心に穴が開くような経験を、君もしてきたんじゃないかな」
そして、やはりどう分裂していようとこの男が外套の男の一部である事に変わりはない。体育館で投げ掛けられたような問いを、こいつもしてくる。
だが、今までの二人の様に俺を責めるような口振りではない。同意を求めるような俺への確認。同じような言葉でも、“恨みの外套”とはまた違った意味合い。
こいつがあの外套の男の一部であるのなら、外套の男が俺に掛けた言葉には、そういった感情も含まれていたのだろうか。
「答える義理はない。そもそも、俺はお前に用はないんだ。会話ならフランチェスカとやれ」
「成程。君は僕に罰を受け続けろと、そう言うんだね。君がそうしているように」
言いながら、“辛みの外套”はそれを受け入れるようだった。
フランチェスカの方を向き、話を聞く体勢を取る。
「……フランチェスカ?」
“辛みの外套”が呼ぶ名前に、俺もそちらを見る。
フランチェスカの表情は沈んでいた。元々ポーカーフェイスが得意な奴ではないが、こうまで沈んでいるのを見るのは初めてだった。
「罪と……罰」
薄青の双眸が俺に向けられる。仄かに潤む瞳が伝えるのは哀しみ。
……何が罪で、何が罰なのか。フランチェスカがどんな風に考えているかなんて、言われなくても分かってしまう。
そして、実際に否定したところでフランチェスカの心を軽くする事は叶わない。それが俺の本当の罪である事は明らかだった。
「……過ぎ去った思い出を求める事は、罪なんですか」
「人は過去には生きられない。罰と断じられる事もある」
「でしたら、思い出の代わりを求める事が、罰なんですか」
「失いたくなければない程、新たな何かを得た時に比べてしまう。満たされない事自体が罰になるだろうね」
“辛みの外套”の言葉は、停滞そのものに感じられる。
過去に生きられないと言いながら、確実に過去に縛られている。
それがどんな理由からなのか、“外套の男”の素性が判明すれば明らかになるのだろう。
「無駄なのさ。願う事自体が。顧みる事全てが。……もう、そこにはない。叶わない事だと、受け入れるしかない」
残念ながら、“辛みの外套”の言葉は俺にも理解出来てしまう部分がある。
ないものはない。もう、あいつは返ってこない。それを全部理解して、俺達は今に繋がる決断をした。
……だけど、諦めずに探し続けてくれている存在が、俺の隣には居る事も知っている。
「……違います」
停滞の言葉を受けてのフランチェスカの否定の言葉の続きを、“辛みの外套”は待った。
「まだ、あたしの中にはあるんです。埋めてあげられるものが、あたしの中には残されていますから」
「……君は」
俺の心の欠落。あの日に欠けた、桜とは違うもう一つの心の穴。
それを埋められる何かを哀しげに求め続けるフランチェスカを見て、“辛みの外套”の中の何かは刺激されたのか。
「――――っ」
「……こいつにも始まったか」
ぶれ始めた“辛みの外套”のシルエットを見て、俺は一人呟く。
言葉通り、家庭科室の“恨みの外套”と同じ様に、この外套にもシルエットのぶれから始まる光の粒子への変換が見られた。
いきなり始まった前回とは違い、今回は多少冷静に観察をする事が出来ている。グラウンドに座しているであろう残り一人の外套との邂逅の際にも役に立つだろう。情報の収集はしておくに限る。
「あなたも……消えてしまうんですか?」
「あぁ……そうみたいだ。僕をここに留めていたものを、君に取られてしまったのかな」
「あたしが……?」
フランチェスカを見つめながら、外套の頭部は揺れた。
こいつをこの図書室に留めていた要因。童話に還った童女の聖域に残された、秘匿されるべき神秘。
それをフランチェスカが奪った事で“辛みの外套”が体育館へ戻っていく。理屈は分かった。その要因を探すには、時間は足りそうにはないが。
「正しくは、それの主が君になったと言うべきかな。流石は、この“結界”の主だ」
「そんな……」
「君が、特別でなければよかった。たった一つの特別が、君の幸せを遠ざける。あの過ちさえなければ、君は……」
こいつの言うフランチェスカの幸せが何なのかは、この際どうだっていい。
この男もまた、フランチェスカの過去を知っているような口ぶりだった。眠りに就く前のフランチェスカの、個人としての過去を知る事が出来た人物である事は明白だ。
「君の……幸せを、守りたかった」
願う事さえ無駄だと悟った男の、遺言の様な一つの願望。
粒子と共に空気に溶けたその言葉を、俺達は静かに聞いていた。