どうも、作者です。
以上。
宿の外を見れば、このひと月で見慣れたイヅモ神社の風景が広がっている。
外で動いているのは微かにちらつく白雪のみ。
木々のざわめきすら聞こえぬ静寂の中、空を覆い隠す厚い雲は徐々に白んできて、嫌でも一日の始まりを意識させられた。
今宵は満月。
月の満ちるこの日を迎えて、このイヅモ神社はどこか寂寥感に満ちていた。
昨夜は遅くまで起きていたためか、まだ布団の中にいる黒い狼の少女を慈しむ様に眺める神狐の姿は幻想的にすら見えた。
そして、こんな何ともない一幕の時間すら今宵失われる。
この場に満ちる静寂は、神社全体の嘆きの表れのようで。
誰もこの無情な時の流れを止めることはできない。
ならば、せめて見届けよう。
彼女たちの迎える、結末を。
「透君、これの皮を剥いてもらっても良い?」
「おう、任せてくれ。」
ミオから渡された野菜群を、少しは慣れた手つきで下処理を行っていく。
朝を迎えてミオも目を覚ました後、布団を仕舞った俺達は広間ではなくその横にあるキッチンにいた。
普段であればシキガミに任せることが多いが、折角だからと、今朝くらいは自分たちで作ろうという事になった。
そして理由はもう一つ。
「すまぬの、シキガミを動かせれば良かったのじゃが…。」
珍しく神狐は申し訳無さそうに耳を垂れさせている。
というのも、今朝から神狐はシキガミを使用できないらしい。
正確には、シキガミを扱う余力が現在の彼女には無い。その証拠とでも言うように、彼女の背に揺れる尻尾は1本に減っていた。
「大丈夫、ウチも料理するのは好きだから。
それに最近はサボってばっかりだったし、勘を取り戻さないと。」
そう気高に言うミオ。
無論、彼女とてその理由に察しはついている。
だが、まだ折れない。
まだ時間はあるから、まだ猶予はあるから。
昨日、シキガミが俺の前に現れたのはこの為だろう。
実質的にシキガミと会えたのは昨夜が最後となった、だからその前に意思を伝えに来たのだ。
「…っと。」
意識が逸れていたためか危うく指を切りかけた。
そうだった、料理が久しぶりなのは何もミオだけではない。
むしろ経験が無い分リセットされてしまっているような気もする。
これは注意しないと野菜を血だらけにしてしまいそうだ。
包丁を握りなおし、集中しながら野菜の皮を剥いて行く。
「透君、和え物の味付けこれでどうかな?」
すると、横合いからそんなミオの声とともに箸で差し出されるそれを顔だけ向けてかぶりつく。
「あ、美味い。
これ好きだな。」
口に広がる好みの味に思わず瞠目して言えば、ミオはふわりとその顔に花を咲かせる。
「本当?ならまた作るね。」
「あぁ、頼む。」
これをまた味わえるのだと思うと今から楽しみでならない。
まだ朝食を終えてすらいない中気が早いかもしれないが、そう思える程に好みだった。
これが胃袋を掴まれるという奴なのだろうか。
思っていたよりも、良いものだ。
しみじみと思っていると不意に生暖かい視線を感じる。
視線を向けて見れば、そこにはニヤニヤとした笑みを浮かべる神狐の姿。
「なんだよ、その顔は。」
「いやなに、気にするでない。
少し恋愛成分を摂取しておっただけじゃ。」
「もう…。
せっちゃん、変な事言わないでよ。」
そんな神狐に対して拗ねたように言うミオだが、その頬にはほのかに朱が差していた。
朝食を終え、片付けもあらかた終わった頃。
誰からともなく立ち上がり、俺達は宿の外へと出た。
目的は特に決めていない。
けれど、最後にこの場所を見て回りたいと考えたのかもしれない。
少し冷たい空気、それも歩いていれば次第に温まってくることだろう。
「むぅ…、しかし、改めて見てもあまり目新しくは無いのう。」
「そう?
ウチは結構楽しいよ。」
「まぁ、神狐の場合ずっとここにいるんだもんな。」
境内は広いとは言え、精々1日以内に見て回れる程度の広さだ。
長年この場所に居続けては、見慣れるを通り越して目に焼き付いていることだろう。
「でもほら、今改めて見てみて気づくこともあるでしょ?
例えば…、あそこの割れてる石とか。あれやったのせっちゃんでしょ?」
「うぐ、そんなことは気づかずとも良いのじゃ。」
ミオが流し目を送ると、神狐は明らかに動揺する。
「え、何だよそれ。教えてくれ。」
そんな反応をされては気になってしまう。
聞けば、ミオはさも楽しそうに口を開いた。
「えっとね、ワザの練習で昔よくせっちゃんに見本を見せて貰ってたんだけど、それとは関係なしに不自然に割れてる石があったの。
当時は内部で水が凍って…みたいな説明されてたんだけど、今考えてみると明らかに嘘だよね。」
「へぇ…。」
珍しく出てきた神狐の弱みにニヤニヤといつも受けている笑みを送ってみる。
「あ、あの時は出力の加減が出来てなかったのじゃ。
ミオに見せる前に試しにと思えば、割ってしまっての。」
皿を割ってしまったノリで話しているが、一応見たところ割れているのは腰を掛けられるほどの大きさの意思である。岩と言ってしまっても良いかもしれない。
何処か動揺した様子の神狐は、せわしなくその耳を揺らしている。
つまるところ、神狐なりに見栄を張ろうとしたのだろう。
なんでも卒なくこなしそうに見える彼女だが、今になって意外な一面が見えた。
「それにあの件については、神社のものを壊すなとシキガミに叱られてしまったのじゃよ。」
「え、そうだったの?」
「うむ、言葉は無かったが、身振り手振りで意思を伝えてきての。
あれは怖かったのじゃ。」
「確かに、あのシキガミならやりかねないな。」
シキガミに叱られて小さくなっている神狐。
容易にその情景が想像できる。
ミオもそうだが、この主を前にしてはシキガミの方もしっかりしないといけなかったのだろう。
「せっちゃん…シキガミに怒られて…。」
ミオも同じくその姿を想像したのだろう。
言いながらぷるぷるとその肩を震わせている。
「わ、笑うでない!
ミオとて、失態が無いとは言えぬであろう。」
「えー、ウチ?
何かあったかな…。」
首を傾げるミオ。
それを見て、神狐の顔に勝ち誇ったような笑みが浮かんだ。
「何じゃったかの…、確か…紅蓮の月巫女だったかのう…。」
わざとらしく悩んで見せる神狐の言葉を聞いた途端、ミオの体がぴしりとその動きを止めた。
「紅蓮の…え、神狐、今なんて?」
「じゃから紅蓮の月」
「わああぁぁ!わああ!
何でもない、何でもないから!」
思わず聞き返えした俺の問いに神狐が答えようとした所、ミオは声を張り上げてそれを阻んだ。
「え、でもミオ。」
「良いから、透君は気にしないで。気にしたら駄目だから!」
「あ、はい。」
あまりの剣幕に圧倒される。
余程掘り起こされたくない過去なのだろう。
しかし、そこまでして隠されると余計に気になるのが人間の性というものだ。
「安心せよ透。
この話はまた後程伝えるのじゃ。」
「頼む。」
「もう!せっちゃん!」
羞恥に顔を染めたミオに怒鳴られて、けれど神狐は笑っていた。
それからも、俺達は神社を歩きつつ、二人の思い出の場所を見つけては足を止めた。
「あ、せっちゃん、覚えてる?
あの木に登ってウチが落ちたこと。」
「あれは肝が冷えたのう。
一度この辺りの木を根絶やしにしようか本気で検討したのじゃ。」
その視線の先にはかなりの高さの一本の木があった。
「せっちゃん、凄く焦ってた。」
「当り前じゃ。」
その時の事を思い出したのか、神狐はジト目でミオの腰を小突く。
無論、ただすり抜けるだけ。
しかし、二人とも気にした様子も無く、先へ進んだ。
イヅモ神社の本殿、その広間。
「ここで良く、ワザの事とか教えて貰ってたよね。」
ぐるりとミオは見渡しながら、その成果とでも言うように、小さく炎を宙に踊らせる。
「主は習得が早かったからのう。
いい意味で教えがいが無かったのじゃ。」
「わーい、せっちゃんに褒められた。」
「うむ、前言撤回じゃ。
教えがいの無い奴め。」
悪戯な笑みを浮かべるミオに、神狐は諦めたように息を吐く。
「主は、本当にすぐにカミに至ってしまったのう。」
「うん、頑張ったから。」
そう言う神狐の瞳は、何処か遠くを見つめている。
「まぁ、カミに至ったとはいえ、まだまだ青いがの。」
「すぐにせっちゃんも追い越すから覚悟しててね。」
軽口を交わし合い、二人は思い出に浸っていた。
「ね、透君、お腹空いてない?」
「ん、そう言えばそろそろ昼か。」
不意にミオにそう問いかけられて意識してみるが、しかしそこまで食欲は無かった。
「いや、そこまでだな。」
「ウチもなんだよね。
どうする?お昼は抜いちゃう?」
「これ主ら、ちゃんと食べねば大きくなれぬぞ。」
と、今日の昼飯が無くなりかけた所で、神狐からお りを受ける。
「大きくって、でも、もう食材もあんまり残ってないし…。」
「むう…、仕方ないのう。
では、特別に妾の手料理を振舞ってやろう。」
そんな神狐に言われるがまま、一旦宿へと戻り、一階のテーブルへと着く。
「では待っておるのじゃぞ。」
そう言って、キッチンへと消えた神狐。
会話の流れのままにここまで来たが、落ち着いたところで疑問があふれ出てくる。
「なぁ、ミオ。
神狐って料理できたのか?」
取り合えず、一番の疑問を口に出してみる。
そもそも、調理器具を持てない状態でどうやって料理をするのか。
一応、念力のようなものは使えるようだが、それでも難易度は高い様に思える。
「うーん、どうだったかな…。
あ、でも。」
「お待たせなのじゃー。」
と、話が膨らみかけた所で、つい先ほどキッチンに消えたはずの神狐がそんな声と共に戻ってきた。
その傍らにはいくつかのおにぎりの乗った皿を浮かせている。
「まだ今朝の米が残っておったのでな。」
「いや、にしても早過ぎないか?」
ほとんど行って数十秒足らずで戻ってきた。そんな限られた時間で出来るものだろうか。
「それはまあ、一度に作ったからの。
どうじゃ、凄かろう。」
そう言って神狐は胸を張って見せる。
確かに凄いのだが、見せ所が偏り過ぎていて素直に称賛できない。
「せっちゃんが初めて作ってくれたのもおにぎりだったよね。その後からすぐにシキガミさんに変わっちゃったけど。」
「まぁの、あの時は綺麗にできなかったが、今は違うのじゃ。」
神狐の指さしうた皿の上には、綺麗な三角形のおにぎり。
「練習してたんだ…。」
「無論じゃ、あのままでは格好がつかぬからの。」
そうまでして、お披露目が今日になるとは。
もう少し早く披露しても良いと思うのだが、まぁ、今更だ。
「それより、早く食べてみるが良い。」
「「いただきます。」」
手を合わせて、おにぎりを手に取る。
力の入れ過ぎで固くなっていたが、それでも、すぐに皿は空となった。
それからも俺達は神社を回り、思い出を巡った。
もう回る場所が無いのではないかと思う程に、隅々まで、この場所には二人の歩んできた道のりが詰まっていた。
「それでね、あそこの石は…。」
「ほほっ、ミオ。
その話はもうしたのじゃ。」
同じ話を続けようとするミオに、神狐がそう教えてやれば一瞬だけミオは動きを止める。
ミオの顔に影が差しかかるが、彼女は気を取り直すように頭を振った。
「じゃ、じゃあ、あの木は。」
「それも、既に話したのう。」
尚も次々とミオは話題を上げていく。
けれど、どれもこれも、既に聞いたことのある話ばかりだ。
「な、なら…。」
「ミオ。」
「そうだ、あの話は。」
「ミオ。」
「…。」
何とか話を続けようとするミオだったが、神狐に呼びかけられて、ついには黙り込んでしまう。
「ミオ、そろそろ頃合じゃ。」
空に浮かぶ厚い雲。
そのどれもが、今は真っ赤に染まっている。
一日中、話した。
一日中、思い出を巡った。
楽しかった、色々な話を聞いた、色々な話をした。
神狐もミオも、二人とも心の底から笑い合った。
だが、それも直に終わる。
雲の向こうに浮かぶ夕日が落ちれば、大きな満月が代わりに空へと浮かぶ。
分かっていた。
この場にいる誰もが、そんなこと、とっくに分かっていた。
けれど目を逸らしてきた。
誰が別れを喜んで迎え入れるものか。
「嫌…。」
ぽつりと零すようにミオは口を開く。
「嫌、嫌…。」
目の前の現実を否定するように、首を横に振りながら、なおミオは繰り返す。
「嫌だよ…せっちゃん…。」
その瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
「消えないで…。」
消え入りそうな声で放たれたその言葉は、きっとミオが押し殺してきた想いだ。
「ウチの前から、居なくならないで!」
それを受けた神狐の瞳もまた、薄っすらと涙で濡れる。
「もっと、ずっと、ウチの事見守っててよ!
ねぇ、せっちゃん!」
「ミオ…。」
慰める様に、神狐はミオへと手を伸ばす。
なのに、その手はミオに触れることは無い。
「何で触れないの…?
ウチのこと…抱きしめてよ…抱きしめさせてよ…。」
「すまぬ…、すまぬ…。」
触れ合うことも無く、彼女らは互いを抱き寄せ合い、涙をこぼす。
「これしかなかったのじゃ。
こうするしか…。」
この道しかなかった。
だからと言って、受け入れられる話ではない。
空は徐々に暗くなっていく。
心を置いて行くように、時は進む。
「…もう、時間じゃ。」
「…っ!」
呼びかけに、けれどミオは首を強く横に振る。
「動きたくない!
だって、動いたらせっちゃんが…。」
「ミオ…。」
涙をこぼし続けるミオを見て、神狐は何を思ったのだろう。
「ミオ、愛しきわが娘よ。」
神狐はミオと額を合わせるほどに近づくと、慈愛に満ちた声で言葉を紡ぐ。
「愛しておる。大好きじゃ。
じゃから、…達者での。」
そう言って、神狐はミオの額に手を当てた。
「ッ…待って!
ウチ、まだ何も返せて…!」
神狐の意図を察したミオは慌てて顔を上げるも、その言葉が言い切られることは無かった。
意識を途絶えさせて後ろに倒れ込んでくるミオを、咄嗟に受け止める。
「…これで、良かったのか?」
「うむ、これで良い。」
神狐にそう問いかければ、背を向けたまま、良い筈なんて無いのに自分に言い聞かせるように、神狐は答える。
束の間、小さな嗚咽が聞こえてくる。
しかし、彼女はすぐにその目元を拭った。
「羨ましかろう。
これは、これだけは、妾だけのモノじゃ。」
「…あぁ、これから先もずっと、お前だけのモノだよ。」
既に、辺りには夜の帳が降りている。
雲の向こうでは、月も出ていることだろう。
幾らか落ち着いたようで、神狐はくるりとこちらへと振り返った。
「主には礼を言わねばな。
おかげで、妾はミオの中に残ることが出来る。」
「礼なんて言わないでくれよ。
神狐には色々と世話になったんだから。」
本心から伝えたつもりだったのだが、しかし、神狐はその顔にニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「ほほっ、妾には分かっておるぞ?
ミオのためじゃろう、相変わらず分かりやすいのう…。」
「お前…こんな時にまでそれかよ。」
それに対して苦笑いで返せば、神狐は愉快そうにからからと笑う。
「そんなミオ大好きな主になのじゃが…。」
「言い方。」
相変わらず、最後の最後までおふざけが止まらない神狐にジト目を送れば、「細かい奴じゃのう。」と神狐はぼやく。
しかし、次の瞬間にはその表情は真剣なモノへと切り替わっていた。
「ミオの事、任せたのじゃ。」
「…あぁ、任せろ。」
強い意志を込めてはっきりと返せば、神狐はほっとしたように息を吐く。
「さて、では透よ、ミオを運んでもらっても良いかの?」
「勿論だ。」
ミオを抱きかかえて、神狐の後を追う。
向かうはイヅモ神社の中心地。
「…せっちゃん…。」
そんなうわ言を漏らすミオの頬には一筋の雫が伝う。
それは溶けた雪か、それとも。
シンシンと降り続ける雪は留まることを知らない。
降れば落ちて、溶けて、形を失う。
まるでこれが運命だと教えるように。
次回、大神ルート最終話。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。