振り返った先に立っていた鬼の少女。
つい先ほど別れた筈の彼女の姿に、思わず唖然として彼女に見入ってしまう。
「あの、百鬼?
ここは俺の部屋なんだけど…。」
「?知ってるよ?」
辛うじて口を開けてここは百鬼の部屋では無いとはっきりと伝えるも、しかしそれはあっさりと肯定されてしまう。つまるところ誤解や間違いなどでは無く、彼女は自分の意思でこの部屋に居るという事になる。
「じゃあ、何か話があるとか?」
「…。」
ならば他の理由かとそれらしいものを挙げてみるも、百鬼は無言のままその首を横に振る。
「今は…一人になりたくない。」
言いながら百鬼は眠気を覚ますように目をこすった。
一人になりたくない。
それを聞いた俺の胸中に浮かんだのは驚愕。いつもは天真爛漫に振舞っている彼女がそんなことを言ってくるとは、少々意外に思えた。
「…けど、わざわざ俺の部屋に来なくても。
白上や大神の方がその辺適任だと思うぞ?」
正直、人を慰めるという行為に置いては包容力なども含めてあの二人の方が向いているし、俺にその適性があるかと問われれば否と答える他なかった。
「ううん、透くんが良い。」
けれど百鬼は迷う様子も無くはっきりとそう断言する。
その答えに自らの心臓が強く跳ねたのが分かった。それは驚きからなのか、それとも別の感情からなのか。はっきりとは理解できないが、何となく百鬼には悟られたくないと思った。
「…分かった、取り合えず立ち話もなんだし適当に座ってくれ。」
何ともない風に取り繕いつつ、彼女からは顔を隠すように背を向けて座る。
少し落ち着こうと深呼吸をしていれば、とんっ、と背中に軽い感触を感じた。
肩越しに後ろへ視線を送ってみれば、視界に映るのは白く艶やかな長髪から覗く百鬼の後ろ顔。未だとろんとさせたその瞳から、吸い込まれてしまうように目を離せなかった。
「やっぱり…、透くんの傍にいるとなんだか落ち着く。」
百鬼はほっと息を吐いて安心したようにその瞳を閉じる。それと同時に離れなかった視線を外し、俺は前を向く。
あまりに唐突の出来事で回っていなかった思考だが、そんな百鬼の様子を見て銭湯への道中で感じた違和感が再び顔を出した。
「百鬼、さっきからなんか変だぞ。
何かあったのか?」
「ん…。」
背中合わせに座っている百鬼へとそう問いかければ、彼女は微かに声を漏らした。その反応だけで、彼女が何かを抱えている事くらい察する事はできる。
しかし、百鬼は何も話し出そうとはしなかった。それは眠気からか、それとも単に話したくなかっただけなのか。
どちらにせよ、今の彼女からその理由を聞けないということは明白だった。
「…まぁ、良いけどな。」
話したくないというのならそれで良い。無理に聞き出そうとする気もない。
「…何も、聞かないの?」
根掘り葉掘り聞かれるとでも思っていたのか、百鬼は心底不思議そうにこちらを見る。
気にならないのか。
そんなもの気になるに決まっている。ただ彼女がそれを望まないのであればそれを汲もうという気持ちの方が大きいだけだ。
「あぁ、聞かない。
百鬼だって話したくはないんだろ?」
それとも聞いて欲しかったのかと聞けば、彼女はその首を横に振って否定する。
なら、これで良い。一人になりたくないというのなら傍に居よう。
「透くん…、ちょっと変だよね。」
「今の百鬼に言われるのは心外だな。」
言い返してみれば、百鬼は静かにその喉を鳴らす。
何が可笑しいのか、などと思いつつ自らの口角に手を添えてみれば同様に笑みを浮かべていることが分かる。
「でもね。」
と、百鬼が再び口を開くのと同時に背中に感じていた熱が離れていくのを感じた。
思わず振り返ってみれば、窓から差し込む月明りに照らされた綺麗な紅の瞳と視線が交差する。
「余は透くんのそういう所、好きだよ。」
そう言って、彼女は微笑んだ。
その瞳に他意は無く、ただ純粋に彼女がそう思ってくれていることを表していた。
「…そうか。
それは、光栄だな。」
「うん。」
茶化して言うが、恐らく感じる気恥ずかしさは彼女にも気取られているのだろう。
顔を背けるように背を向ければ、再び軽い衝撃と共に背中に熱が戻ってくる。
眠気は感じる。
けれど、もう少しだけこの時間が続いても良いと思った。
他愛もない話をしながら、結局どちらから先に意識を落としたのかは分からぬままに、夜は更けていった。
夢を見た。
誰かと何かをするような能動的な夢ではなく、ただ目の前で景色が移り変わっていく夢。
視界いっぱいに映る色とりどりの花。
いくつもいくつも、数えきれないほどにそれは咲き誇り、世界を彩っている。
なんて綺麗なのだろう。
花が与えてくる幸福は、等しく忘我的であった。
一輪、花が枯れた。
また一輪、更に一輪。
数えきれないほどある花の中で枯れてしまったそれは、他に咲いている花があるにも関わらず異様なまでに意識を引かれる。
枯れた花を残したまま、その分だけ新しい花が咲いた。
けれど、次々に枯れていく花は新しいものでは到底覆い隠せない程に、その存在感を増していく。
永遠に枯れた花が視界を覆いつくすことは無い。
同時に枯れた花が視界から消えることも無い。
咲いた花を慈しめば慈しむ程に、枯れた花はそれ以上の悲哀を返してくる。
枯れないでとそう願っても、それを止める手立てを持っていなくて。
ただその様子を見守ることしか出来なかった。
陰鬱な気分を背負ったまま朝を迎えた。
夢見が悪い何てモノではない、胸の内をかき回されてそこに負の感情をぶち込まれたような気分だ。
瞼を突きさすような朝日に、既に太陽が空へ顔を出していることを知る。
気を抜きすぎた。胸を埋め尽くす後悔の念。
特に予定もないのだから、今日こそは鍛錬をと思っていたのだが、完全にリズムを崩してしまった。
まぁやってしまったのなら仕方ない。少し遅めだが鍛錬に行こうと体を起こそうとして。
地面に張り付けられたかの如く体が動かないことを悟った。
「は?」
まさかの事態に驚いて目を開ける。
眩しい横合いからの朝日に瞳を刺され、手で遮ることでようやく視界を確保した。
「すぅ…。」
そして目に入ったのは、頭上にある端正な顔立ち。
それは正しく昨夜見た鬼の少女のモノと同一だ。というか百鬼だった。
頭の後ろの普段の枕とは違う感触。
心地よい寝心地でいつまでも寝ていたくなるような感覚に、自らの現状を理解する。
つまるところ、現在百鬼に膝枕をされているらしい。
横へ視線をむけてみれば、彼女の両手が自らの両頬へ添えられているのが見えた。試しに頭を起こそうと力を込めてみるも、空間ごと固定されてしまったかの如くピクリともしない。
「…どうしてこうなった。」
そこまで確認して、ようやく至極真っ当な疑問が口をついてでる。
昨夜の時点では確かに背中合わせで話をしていた筈だ。どちらからともなく眠ってしまうまで話したが、少なくとも、膝枕をしてもらうような状況にはなっていなかった。
しかし、現状はその記憶をを易々と否定してくる。
どうにせよ、百鬼が起きるまでは動けそうも無いと、早々に現状への抵抗を諦めて身体の力を抜く。
百鬼の手によって抑えられているとは言ったが特に痛みなどは無く、何もしていなければただ手が添えられているだけだ。
ただ、動こうとすると絶妙な力加減で丁度動けない程度に押さえつけられる。
これを寝ている状態でやってのけるのだから、つくづく彼女の力の規格外ぶりにもはや驚嘆を通り越して呆れが出てきてしまう。
「なんでこの状態でそんなに気持ち良さそうに寝られるんだか。」
すやすやと寝息を立てる百鬼は正座をしているのにも関わらず、何処までも健やかな寝顔をさらしている。それは結構なのだが、出来れば手も同様に休んでいてもらいたかったものだ。
意趣返しとばかりに百鬼の額をつついてみるも、彼女の瞼が開くようなことは無く。代わりに視界に入ってきた自らの右手に意識は集中した。
「…相変わらず、濁ってるな。」
そこに埋め込まれている宝石を見て、ぽつりと呟く。
周囲からは透き通っている、もしくは鮮やかな色がついているように見えるようだが、それがどのような色をしているのか一度くらい見てみたいものだ。自分からはただの石ころのようにも見えるそれに、やはり周囲が羨しいと感じることもある。
とはいえ、所詮は好奇心だ。
あくまでもどんなものなのかという興味に他ならない。
目を覚ます気配もない百鬼の顔をもう一度見て、今度こそ脱力して腕を下ろした。
「…ちょっと、フブキ…」
「ミオだって…。」
天井のシミでも数えていようかと考えていた折、不意に襖越しにそんな声が聞こえてきた。
上へと向けていた視線を襖の方へと向けてみれば微かに襖は開いていて、その隙間からは二対の瞳がこちらを覗き込んでいた。
「白上、大神。」
「「わひゃっ!?」」
名を呼びかけてみれば驚いて体制でも崩したのか、白上と大神が襖を倒す形で部屋へと揃って派手な音と共に転がり込んできた。
「何してるんだ、二人共…。」
膝枕された状態でどの口が言ってるのだとは思わなくもないが、しかし、今はこちらの方が優先だ。
転がったままぽかんとこちらを見つめている白黒の二人組へと問いかければ、彼女らは気まずそうな顔をしながらもその口を開いた。
「その…白上は丁度お二人の部屋を通りかかった際に襖が少し空いていまして。
ちらりと部屋の中であやめちゃんが透さんに膝枕をしているのを目撃して…今に至ります。」
「ウチは起こしに来たらフブキがここに居たから、何を見てるのかなと思って部屋の中を見て…はい、今に至ります。」
叱られた子犬のようにしゅんとする二人。
ただ、取り合えずすべての始まりは百鬼の膝枕からということは分かった。
「だからって覗き見なんてしなくても、普通に入って…。
…来れないよな、普通。」
言葉の途中で自らの状況を鑑みてみれば、彼女らの行動も無理はないと思い直して、一瞬の硬直の後直前の自らの言葉を訂正する。
確かに、同じ状況にあれば部屋に押し入るような真似は出来そうもない。
「あ、透さんもそう思うんですね。」
「まぁ、流石に自分の状況くらい理解してる。」
「でも、その割には透君落ち着いてるような…。」
「さっきあらかた驚いて諦めたからな。」
これでも先ほど現状を理解した時は驚愕したのだ。
それこそ夢見が悪かったにも関わらずその一切を吹き飛ばしてしまう程に。
「ん…。」
と、流石にここまで騒がしくすれば目も覚めるというものだ。
小さく唸り声を上げると、百鬼はゆっくりとその瞳を開く。
「…透くん…おはよ…。」
まだ完全に覚醒しきっていないのか何処かぼんやりとした瞳と目が合えば、百鬼はふにゃりとその相貌を崩した。
「あ、あぁ、おはよう…。」
間近で見るそんな百鬼の表情に思わず面をくらいつつ、なんとか挨拶を返す。
ただそれだけで、彼女が何処か嬉しそうに見えるのはただの気のせいには思えなかった。
しばらく、無言でそんな彼女と見つめ合う。
すぐ真上にある彼女の瞳とのあまりの距離の近さに、自らの心臓が早鐘を打つのを感じた。
「…えっと、ウチとフブキは先に戻ってるね。
ウチは二人の事、応援する。」
「襖は後で直しに来ますので…。その…お邪魔しました?」
「え、おい。」
そんな俺と百鬼やり取りを見ていた白上と大神は微かに頬を赤くしながら気まずそうに言うと、引き留める間もなく部屋を後にしていった。
唐突に現れて去って行った二人と、呆然として見送る。
「何だったんだ…、一体。」
「余も分かんない。」
結局、あの二人は何がしたかったのだろう。
ただ、結果的にではあるが百鬼を起こしてくれたのは僥倖だ。これでようやく起き上がることが出来る。
ぐいと体を起こそうと力を入れる。
しかし、体が起き上がることは無く、再び百鬼の絶妙な力加減によって体制を維持させられてしまう。
「…あの、百鬼さん?」
「なあに?」
思わず上を向いて呼びかけると、百鬼はこてりと小首を傾げる。いつもの悪戯かとも考えたが、その瞳に悪戯の色は映っていない。
その事実に余計困惑は深まっていった。
「いや、色々と聞きたいことはあるんだが…、まず聞かせてくれ。
…なんで膝枕?」
それは朝、目が覚めた当初にまず投げかけたかった疑問。
何故俺は頭を固定されているのか。どうして百鬼は正座をして寝ていたのか。
他にも疑問はつきないが、どうしてもこれだけは先に聞いておきたかった。
「えっとね、余が起きた時、透くんが何だか苦しそうにしてたから。」
「苦しそう?」
苦しそう、と言われればあの奇妙な夢と流れ込んできた感情を思い出す。悪夢だとは思ったが、どうやら表情にまで現れていたようだ。その事実に打ちのめされて穴にでも入りたくなるが、残念ながら頭を固定されているためそれは叶わなかった。
「昔にこうしたら悪い夢を引きずらなくなるって聞いて、それでしてみたんだけど…透くん、まだ苦しい?」
心配そうにこちらを見つめてくる彼女に思わず息がつまった。複雑な理由などなく、単に純粋な善意でしてくれていたようだ。
「いや、おかげさまで今は全く。
かなり驚きはしたけど。」
「うん、その驚きで嫌な気分をかき消せるらしいよ。初めてだったけど、上手くいって良かった…。」
驚きでかき消すというよりは上塗りに近い、とんだショック療法だ。
だがその効果は確かで、実際、起きた後は膝枕への疑問で頭がいっぱいで悪夢のことなど考えられなかった。
「ということは、それなら百鬼は俺より早くに起きてたんだよな。」
記憶にある限り、目が覚めてから百鬼の瞼が開いているのを見たのはつい先ほどだ。
「うん、そのはずだったんだけどいつの間にかまた寝てたの。
余もびっくりした。」
「それで正座したまま眠ってたのか。」
本気で驚いている様子の百鬼に思わず苦笑いが浮かんだ。
思えば、彼女にはキョウノミヤコの調査の時だって、苦しい時には支えて貰っていた。
普段は天真爛漫な面に目が行きがちだが、こうして、よく彼女は人に寄り添っている所がある。トウヤ君やヨウコさんの元にも足繫く通っているようだし、これもまた彼女の魅力の一つだ。
「…。」
ふと、そこまで考えてこの状況に対する羞恥が再び顔を出してくる。
どうにもいたたまれない。そう思うも百鬼に頭を押さえられたままで到底起き上がれそうもない。
「なぁ、百鬼。
俺の頭を押さえる理由は何かあったりするか?」
「んー…。」
既に完全に目が覚めている以上悪夢を見ることは当然無く、既に膝枕をする理由すら存在しないにも拘わらず、彼女は未だに頬に置かれた両手を外す様子を見せない。
「なんだかこの角度で見る透くんの顔って新鮮だから、もうちょっと見てたい。」
「新鮮って、何時でも見れる顔だから勘弁してくれたりは…。」
「やっ!」
必死の命乞いも百鬼の笑顔の一言で否定され、ひくりと自らの頬が引きつるのを感じた。
結局、天国と地獄の入り混じった時間は、何時までも居間に来ない事を不思議に思った大神が再び部屋を訪れるまで続いた。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。