大神の用意してくれた朝食は白米に焼き魚、そしてわかめのみそ汁。少し遅めになってしまった朝食だが、そのどれもが温かな湯気を上げていた。
手伝えなかった事を申し訳なく思うと共に大神に感謝しつつ、白米を箸で口に運びながら目の前へと視線を向ければ、焼き魚をほぐしている百鬼の姿が視界に映った。
「百鬼は今日もキョウノミヤコに行くのか?」
そう、これからの予定について尋ねてみる。昨日は元からケンジ君と遊ぶ約束をしていたようだが、今日については特に何も聞いていない。
「うん、ケンジくんと約束はしてないけど、どこかで会えたら良いなって。…透くんはどうするの?」
「そうだな、百鬼が良ければ俺も一緒に行こうかな。特にこれと言って予定も無いし。」
「やったっ!
じゃあ今日も透くんと一緒。ケンジくんも喜ぶと思うよ。」
「まだ会えると決まった訳じゃないだろ。」
むしろ喜んでいるのは彼女の方に見える。やや早とちりをする百鬼に苦笑いを浮かべながらも、俺の胸の中には疑念が渦巻いていた。
(本当に嬉しそうだ。)
今朝、いや、正確には昨夜から、何処か百鬼の言動が好意的になっているように感じていた。例えば、今のように一緒にいれて嬉しいなど、直接的な言葉で伝えてくるような事は今までには無かった事だ。そんな小さな言動の差異はただ目の前で直面しているだけでも十分に感じ取れ、それが更に疑念を助長する。
「…?」
ジッと見つめていれば、それに気づいた百鬼はにこりと微笑を返してきて、ただ見ているだけなのにやましい事をしているように感じ、思わず彼女への視線を逸らしてしまう。が、百鬼は気分を害した様子も無く、焼き魚の横に盛り付けられている大根おろしへと醤油を垂らしていた。
その後は静寂の中、カチャカチャと食器の音のみが空間に響き渡る。現在、神社の中にいるのは俺と百鬼のみである。白上は「この匂いは!?」などと何を感じ取ったのか急に叫び立ち上がると、そのままどこかへと駆けて行ってしまい、大神は用事があるとのことで朝食の準備を終えると一足先に神社を出発していた。
以前、俺がシラカミ神社へと訪れる前の話は詳しく聞いていない。その為これが元の形であるのかと問われれば疑問は残るところだが、それでも昨夜のように全員が揃うこともこれから少なくなってしまうのだろうか、などと考えればいくらかの寂寥感が胸をよぎる。
(あ…、もしかして。)
その瞬間、凪いだ水面へと石を投げ込まれたかのような気づきを経て、パッと顔を上げて目の前の鬼の少女を見る。もしかして、彼女も同じだったのではないか。
『一人になりたくない。』
昨夜の百鬼の言葉。彼女もまた同じ寂しさを抱えていたのではないか。だからこそ彼女は部屋に押し入ってまで、誰かと共に居ようとしたのだ。
しかし、そう納得しかけた所で不意に思考がその結論に対して本当にそれだけなのかと待ったをかける。本当に、百鬼という少女がそれだけの事でこうも変わるだろうか。否だ。昨夜の彼女は、何処か支えを必要としているように見えた。だからこそ何も聞かなかった。ならば…。
考えれば考える程に分からなくなっていく。ならば彼女を苦しめているものは、一体何だと言うのだ。
「あの…透くん…。」
「ん?」
「そんなに見られると、余、恥ずかしい…。」
途切れてしまいそうなまでにか細い声に思考を中断すれば、目の前に座る百鬼の顔がその瞳もかくやと赤く染まっていることに気が付く。そればかりか彼女は落ち着かないように体を揺らしその瞳を涙で潤ませており、現在の彼女の心情を如実に表していた。
「わ、悪い。」
慌てて視線を顔ごと横に向ける。しまった、つい考え込んでしまい目の前の百鬼の事を失念していた。誰であれ、正面から無言のままじっと見つめられ続ければ猛烈ないたたまれなさを感じるだろう。と、そこまで考えたところでひょんないたずら心が顔を覗かせる。これまで受けた彼女からの悪戯の数々、一度はその仕返しをしたいと考えていた。ならば、これは絶好のチャンスと言える。
決めるが早いか、逸らしていた顔を正面へと戻して再び、今度は能動的に彼女をジッと見つめてみる。その効果は予想以上に覿面で、百鬼は最初こそ驚いたように目を丸くしていたが、徐々に羞恥が驚きを上回ってきたようで更にその顔を赤く染めていき、遂には隠れるようにそろそろと机の下へと潜って行ってしまった。
「いきなり隠れてどうしたんだよ。」
「うー…、透くん声笑ってる。」
百鬼の言う通り、あまりに上手くいくものでついそれを可笑しく感じてしまった。彼女は赤い顔を机の下に隠しつつ抗議するようなむっとした瞳だけをこちらに覗かせる。如何にも怒っていますといった風貌だが、それはお門違いと言う奴だ。
「むー…。」
「仕返しだ、仕返し。今までされた悪戯のな。…それと今朝の分も。」
「今朝…あっ…。…余、何のことか分かんない。」
「今あって言っただろ。」
子供のような唸り声を上げる百鬼に、特に最後の辺りを強調しながら伝えれば一瞬何のことかと考え込む彼女であったが、すぐに思い至ったようで分かり易くその瞳は揺れ動いた。次はどうするのか思い見ていると、百鬼は何事も無かったかのように椅子へと座り直し箸を手に取る。
「あ、透くん、このお魚美味しいね。」
「誤魔化すの下手すぎだろ。流石にそれく…」
「はぁ…ただいま戻りましたー。」
あまりにもお粗末な誤魔化し方をする彼女にジトリとした視線を送っていると、不意に玄関の方からそんな声が聞こえてくる。それを聞いた瞬間、この話が終了することを察知した百鬼の顔は勝ち誇ったものとなり、同時に俺の表情は苦々しく歪められた。とはいえ、そこまで重要な話でもない為すぐに諦めもつく。
そうしていれば。すぐに玄関からの足音は近づいてきて、足音の主が姿を現す。
「おや?二人共何かあったんですか?」
「「いや(ううん)、別に。」」
こちらを不思議そうに見つめてくる白上フブキに対して、俺と百鬼は箸を取り、揃ってそんな風に白を切ったのだった。
太陽も頂点へと位置した昼頃、俺と百鬼は朝食の席で話し合っていたようにキョウノミヤコへと足を運んでいた。キョウノミヤコは今日も今日とて盛況で、通りは人で溢れかえっており、そんな人ごみの中を縫うように歩きつつ先日ケンジ君と別れた噴水広場の周辺へとやってくる。
「ケンジくんいないね。」
「まぁ、待ち合わせてすら無いからな…。その辺りをぶらついて、運が良かったら出会う程度に考えておこう。」
きょろきょろとケンジ君を探して辺りを見渡す百鬼をそうなだめつつ、けれど自分も同様にその姿を人ごみの中に探す。ここで待ち合わせを下ということはケンジ君の家もこの周辺にありそうなものだが、普段の彼の生活を知らないだけに行く当ても無い。結局のところ、先ほどの言葉の通り運に頼らざるを得なかった。
「そう言えば、透くんはカクリヨにはもう慣れたの?」
当ても無く歩き続けていると、不意に隣にいる百鬼からそう問いかけられる。思えば、既にカクリヨに来てから二か月程が経過した。その間の事を思い出せば、とても二か月とは思えない程の情報量に辟易としてしまいそうになるが、それ以上にこのカクリヨには居心地の良さを感じていた。
「勿論、俺の中じゃもうカクリヨの方が故郷みたいになってきてる。…って、元々ウツシヨの記憶なんて無いんだけどな。けど、そう思えるくらいにカクリヨでの思い出はどれも大切なものになってるよ。」
ウツシヨとカクリヨ、どちらの世界を選ぶかと問われれば、間違いなく俺はカクリヨを選ぶだろう。そもそもカクリヨを捨てることなど出来はしない。ウツシヨなどと言う記憶の存在しない世界など比べるべくもない。透という人間にとってカクリヨこそが世界の全てなのだ。
「百鬼にも大切な思い出とかあるんだろ?あんまり聞かないからさ、百鬼の昔の話とか聞いてみたい。」
「余…?」
少しだけ、踏み込んだ質問をした。そんな確信を覚えつつ百鬼への視線は緩めない。過去の話はこれまで話題に上がることは殆ど無かった。それこそ簡単な説明は受けたが、それ以上の話は無い。恐らく記憶の無いことへの配慮もあるのだろうが、それを除いても意図的に避けていた部分はある気がしていた。
何処かはらはらとしながら百鬼の言葉を待つが、事の他彼女は簡単にその口を開いた。
「うん、あるよ。綺麗な思い出が数え切れないくらいにたくさん。思い出って凄いよね、余もずっと支えて貰ってるから、透くんが大切に思う気持ちはすっごく分かる。」
そう続けた際の百鬼の表情は今まで見た者の中で最も優しさに満ちていた。機嫌を損ねていなかったと、抱いていた不要な不安を宥めつつ、それ程までに言わせる思い出には俄然興味が湧いてくる。
「余がまだ小さい頃のことも覚えてるよ。余ね、よく村の人たちに遊んで貰ってたの。皆当時の余より強くて、刀の振り方とかシキガミの扱い方とかもその時に教えて貰って。」
「それで、今の百鬼が誕生したと。まさかその人たちも教えた子供がカミになるとは思わなかっただろうな。」
今となってはカクリヨにおいて肩を並べる者のいない、カミの中でも更に上位の力を持つ百鬼。そんな彼女の幼少期がどんなものであったのかと思えば、その時から既に技術なりを叩きこまれていたらしい。けれど、百鬼はそんな予想を否定するように首を横へ振った。
「ううん、多分皆余がカミになるって分かってたと思う。だから余計に色々と教えてくれてたんだって、今考えてみると分かるの。」
「百鬼、それって…。」
どういう、そう続けようとしたところですぐそばの路地裏への脇道から聞き覚えのある声が聞こえた気がして口をつぐむ。思わず百鬼へと顔を向ければ、彼女もまた口を開いてこちらを見ている。彼女の反応で確信へと変わった。どうやら運は良かったらしい。聞こえてきたのは、ケンジ君の声だった。それを理解するや否や、俺と百鬼はその脇道へと進路を変更した。
歩を進めるにつれて、聞こえてくるケンジ君の声もまた大きくなっていく。それが話し声だと把握できるようになるまで、さほど時間はかからなかった。
「やっぱり、これ以上はもう良いよ。アヤカだって他の友達と遊びたい気持ちが無いわけじゃないのに、わざわざおれの所に来る必要は無いんだから。」
聞こえてきた話し声の中の単語の一つが耳に止まり、思わず進んでいた足が止まった。それを察知した百鬼もまたその足を止め、不思議そうな視線をこちらに送ってくる。どうしたの、瞳でそう問いかけられて、ケンジ君には聞こえないように声を落とし、百鬼へと耳打ちをする。
「なぁ、アヤカってセイヤ祭の時に一緒におままごとをしたあの子の名前だよな。」
「あ…うん、そのアヤカちゃんだと思う。」
それを聞いて百鬼もピンと来たようで、彼女もまた同意を見せる。一旦様子を見るかと考えていると、ケンジ君のいる方向で状況が再び進展を見せた。
「アヤカはアヤカが来たいからここに来てるの。」
幼いながらつんと要求を突っぱねる強かさを秘めた声に、アヤカちゃんとはこのような子だったかと思わず疑問が頭に浮かぶが、一度会っただけ、それも演技の中の彼女しか知らない事を思い出す。何やら口論をしている雰囲気な為、取り合えずそっと音を立てないように声の発生源へ三差路の角から顔を覗かせる。
「おれはアヤカの事を思って言ってるんだ。」
「アヤカだって、ケンジの事思ってるもん。」
二人は互いが向かいうように位置を取っており、売り言葉に買い言葉で顔を突き合わせていた。天秤がどちらに傾くのか、その答えはすぐに示される。
「…分かったよ、今日は一緒に遊ぼう。にぃちゃんともねぇちゃんとも特に約束は無いし。」
「っ…うん!」
結局、先に折れたのはケンジ君であった。小さく息を吐きながらケンジ君が言えば、アヤカちゃんの顔がパッと明るくなる。それを見るケンジ君の顔は疲労感を感じさせるもどこまでも穏やかだった。やがて話はまとまったのか、ケンジ君とアヤカちゃんは手を繋いで何処かへと走って行く。そんな二人がいなくなったことを確認して、俺と百鬼はようやく路地裏の角から離れた。
「ケンジ君は見つかったけど、先約が入ったみたいだな。」
「そうだね。でも間に入ろうとは思わないから、ケンジ君と遊ぶのはまた明日にする。」
「何だ、明日も会いに来るのか。」
少々意外な返答に瞠目する。今日訪れて、また明日もキョウノミヤコへ訪れる。それは大した事は無いようには聞こえるが、どうにもケンジ君にこだわっているように感じた。仲が良く、一緒に遊ぶのが楽しいから、そんな理由も考えられるが、確実にそれだけではないと本能が告げている。
「うん、出来る限り会いに来ようとは思ってる。…透くんはどうする?余からは無理に誘えないけど…。」
「…勿論付き合うって。俺もケンジ君には会いたいしな。」
『百鬼、お前は何を隠してるんだ。』つい言いかけたその言葉を飲み込んで、笑顔で誤魔化して、言いにくそうに弱弱しい瞳を向けてくる百鬼へ首肯して見せる。百鬼が隠したがっているのなら、聞かない。昨夜そう決めたのにも関わらず、思いがけずに聞いてしまいそうになる。それ程までに彼女が隠し事をしているのは明白であり、それがケンジ君に関与している事もまた明らかだった。
「俺、もう少し我慢強い方だとは思ってたんだけどな…。」
「何かあったの?」
「いや、特には、何でもない。」
簡単に折れてしまいそうになる自分にぼやけば、百鬼は首を傾げる。こういう所だけを見ると、天真爛漫なただの少女に見えるのだが、人は見かけによらないという事だろうか。誰であれ悩みは抱えているモノだ。
「?変な透くん。」
「誰が変だよ。」
軽口で返しつつ路地裏から通りへと戻ろうと歩き出そうとしたところで、ケンジ君達が走って行った方向とは別の角から見知った顔が出てくる。狼の耳を携えた少女、大神ミオである。
「あっ、あやめに透君だ。二人共こんなところで何してるの?」
「ミオちゃん。余達はちょっと人を探してたんだけど、もう見つけた所。ミオちゃんは何してたの?」
「ウチはこの指輪について調査してたの。」
言いながら大神は懐から一つの赤い宝石が付いた指輪を取り出した。その指輪はセイヤ祭の日の最後の調査でウツシヨへ開いた門の付近に落ちていたものである。何かの手がかりになるかと大神に渡しておいたのだが、一人で調べてくれていたらしい。と、その指輪を見た途端、百鬼が後方へと下がったのが分かった。大して動いておらず大神から見ても不自然にならない程に微かではあったが、確かに彼女は俺の背に隠れるようにしている。
「それで大神、何かわかったのか。」
そんな百鬼に意識を向けつつ大神に問いかけてみると、彼女は至極残念そうにため息を吐いた。
「うーん、それが全然。だから何か知らないかせっちゃんに聞いてみようと思って、さっき伝言を送った所。」
「神狐か、確かに何か知ってそうだな。」
イヅモ神社の神主である神狐セツカ。大神からはせっちゃんと呼ばれており親しい間柄のようだ。そして、彼女は何かと博識な面があり、右手に埋まる宝石についても情報を持っている。ただ、秘密主義というのが玉に傷らしい。そんな彼女からの返答待ちだというのなら、今はやることも無いのだろう。
「そんな訳でウチはもう神社に帰るけど、二人はキョウノミヤコにいる?」
「あぁ、そうだな。もう少しのんびりしてから帰るよ。」
「ミオちゃん、また後でね。」
要件を終えているのはこちらも同じだが、百鬼の様子が気がかりだ。帰るにしても一旦話を聞いてからした方が良いと考え、手を振って背を向ける大神を見送ると、次いで百鬼へと向き直る。何処か怯えたような彼女の様子。原因は考えるまでも無く、あの指輪だ。
「大丈夫か、百鬼。」
「うん…。余、あの指輪苦手。凄く嫌なイワレが渦巻いてる。」
そう言う百鬼は明らかにその端正な顔をしかめていた。イワレ、つまり何かしらの力が込められているのは間違いない。けれど、ここまで嫌がる素振りを見せるとなると、かなり曰くつきのものでもあるようだ。この情報については、帰ってからでも大神に伝えれば良いだろう。
幾分か百鬼も落ち着いてきたところで、今度こそ路地裏を後にする。路地から出れば冬にしては温かな光が冷えた体を包み込んでくれる。
「よし、折角だしどこかで食べて帰るか。百鬼、昨日みたいなオススメの場所を頼む。」
「賛成ー、余ね行ってみたい茶屋があって…。」
体が温まるにつれて心にもゆとりが生まれる。空気を入れ替えるように明るく言いながら、百鬼と二人、キョウノミヤコの雑踏の中へと二人身を投じるのであった。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。