どうも、作者です。
暗い部屋から出てから偶然出会った少女。アヤカと名乗った彼女はおれが住居としていた空き家を突き止めると、それから毎日のように朝ごはんを持ってきた。最初こそ断っていたけれど、アヤカは思いの外強情でちっとも聞きはしなかった。
アヤカだって他の子と遊びたいだろうに、どうしておれに構うのだろう。ずっとそれが疑問だった。
キョウノミヤコを歩くのは新鮮だった。見たことの無い街並みに、見たことの無い食べ物。偶にアヤカと歩いた時にも色々と知らないことを教えて貰った。この街のルールも教えて貰った。その際に旅芸人が来たこともあったけど、前の背中に隠れて見れなかったのは今でも残念に思う。
他に小さなイベントが開催されていたこともあった。ステージには同じ年代くらいの少年少女が並んでいて、司会の質問に元気よく答えていた。お父さんのこんなところが好き。お母さんのこんなところが好き。答えるたびに対象となった親は喜んでいた。歓喜のあまり、子供を抱き上げる親もいた。
『良いな…。』
肩車をされて満面の笑みを浮かべるその子を見て、思わず口からそんな言葉が零れ落ちる。そんなことを言っても仕方ないのに、それは分かっている筈なのに。どうしようもない程に、彼らが羨ましかった。
この時にアヤカが居なくてよかった。自分がどんな顔をしているのか、分からなかったから。
そうして過ごしていく内に、時々体調が悪くなる様になった。自分の中に何か悪いものが溜まっていくような感覚。酷いときは一歩も動けなくなる程に気分が悪くなった。
折角自由になれた筈なのに、どうしてここまで辛いのだ。無性に世界が憎らしく思った。
冬が差し迫ってくると、次第に街が騒がしくなってくる。どうやらセイヤ祭という大きなお祭りがあるらしい。その準備の為に大人が出ばり、広場には子供たちが集まってきていた。
そんな彼らと一緒に遊んで見ても、心の奥底にはどうしても暗い感情がうごめいていた。周りの子供たちは全員帰る場所があって、家族がいる。それだけで、何処か壁が出来ている様な気がした。
そんな日が続いてようやく訪れたセイヤ祭。いつもの様に子供だけで遊ぼうと集まった所で、角の生えた女の人がやってきた。
『ね、余も一緒に遊んでも良い?』
そう言われて断るような奴は居なかった。自分の事を鬼だというねぇちゃんは俺達と同じ様に遊び、笑っていた。そうして迎えた昼下がり、遊んでいる俺達の所に一人の男の人がやってきた。鬼のねぇちゃんの知り合いのようで、暇をしているならとねぇちゃんに誘われてその人も一緒に遊ぶことになった。
それから、改めて何をして遊ぼうかという話になる。けど、この中にはアヤカも含めてまだおれよりも幼い子はたくさんいた。だから、その子たちのやりたいことをさせてやりたいと思ってそれを伝えた。
すると、にぃちゃんは驚いたように目を丸くして、急に頭を撫でてきた。理由を問えば。
『いや、凄い奴だなって思って。』
そう言って、にぃちゃんに褒められた。生まれて初めて頭を撫でられた、褒めて貰えた。にぃちゃんは怖い大人と同じように体が大きくて、声も低い。なのに嫌悪感を微塵も感じなかった。寧ろ暖かくて、ちょっとだけくすぐったかった。
そんなにぃちゃんとねぇちゃんと、アヤカも加えておままごとをすることになった。普通の家庭なんか知らないから、何となく役に合うようなことを言って。そんな折、にぃちゃんに何かしてほしいことはあるかと聞かれて、おれは思わず素で肩車と答えてしまった。よく見かけていた家族の中にそんなことをしていた子もいたから気になっていたのかもしれない。
すると、にぃちゃんは軽々とおれを持ち上げて肩に乗せた。突然の事で驚きもあったけど、すぐに目の前に飛び込んできた光景にそんなことも忘れて呆然としてしまう。自分の目線が遥かに高くなって、そして自分を支えてくれる手は力強くて安心感も覚える。
束の間の肩車。ただそれだけなのに無性に嬉しく感じた。そのことが自分自身で驚きだった。
日が暮れて来て、みんなそれぞれ家に帰る時間帯になる。にぃちゃんとねぇちゃんもこれから用事があるらしく、二人を大きく手を振って見送った。遠ざかっていく背をみて名残惜しさを感じる。出来る事ならもう一度だけ、肩車をして欲しかった。
夜になって、もう一度ねぇちゃんがおれの所へやってきた。どうして場所が分かったのかと問えば、『余、目が良いの。』とだけ、ねぇちゃんは答えた。
ねぇちゃんは笑って答えたけど、でもすぐにその顔は悲しそうに歪みかける。その理由はすぐに分かった。
なんでもおれは生まれつきイワレを受け入れる機能に問題があるらしく、そう長くは生きられないかもしれないという事だった。ねぇちゃんは話すだけでも辛そうにしていた。しかしそれを聞いたおれの心は、揺らぐどころかすんなりとそれを受け入れた。
『ケンジくん、怖くないの?』
怖いわけない、だって元々何もないのだから。それに何となく自分の身体の調子が悪いことは分かっていた。その理由を知れてむしろすっきりとしていた。教えてくれたお礼に、ねぇちゃんに秘密の穴場スポットを教えてあげた。
ねぇちゃんは別れ際に、また明日会いに来ると言っていた。なんでもおれの中のケガレが増えると最終的に周りに影響を与えてしまうらしい。でも、ねぇちゃんは多分周りよりもおれの事を心配してくれていた。それがねぇちゃんなりの優しさなんだと分かった。
温かな光に照らされたがやがやと騒がしいキョウノミヤコの通りを一人で歩く。自分の命は長くない、それが分かってから、妙に体が軽かった。なんでも出来る気がした、何処へでも行ける気がした。
そうして歩いていれば、ふと視界の端に一つの家族の姿が映った。お父さんに、お母さん、その二人に挟まれて幸せそうに笑っている子供。それに比べて、おれは…。
考えてしまえば、気づいてしまえば、冷や水をかけられた様に浮かれた気分が冷まされる。沸き上がって来るどうしようもない程の寂しさを振り払うように、おれは走った。走って、走って、路地から路地へと走って、再び通りへと駆け出た瞬間、誰かとぶつかりそうになった。
『あれ、ケンジ君?』
頭の上から聞こえてきた声に目を上げれば、そこには昼間に肩車をしてくれたにぃちゃんがいた。驚いて先ほどまでの感情も忘れて必死に取り繕う。幸いにぃちゃんにはバレなかった。
と、にぃちゃんの横にねぇちゃんの姿が無いことに気が付いた。てっきり二人は恋人同士だと思っていた。だって、おままごとの時二人の様子がとても自然だったから。それを指摘すると、にぃちゃんはやんわりと否定した。少し前に別れたねぇちゃんの居場所はにぃちゃんも知らないらしい。
『そっか…、お似合いなのにな…。』
その事実に思わず肩が落ちる。勝手な我儘だけど、二人には一緒にいて欲しかった。少しの間会話をしてにぃちゃんとはそこで別れた。最後にねぇちゃんが居るかもしれない場所を伝えて、おれは誰もいない路地裏にある家へと向かった。
翌日、昨夜の約束通りにねぇちゃんが待ち合わせの噴水広場へとやってきた。けれど、一つ予想外だったのはにぃちゃんも一緒に来てくれたことだった。恋人じゃないと言っていたけど、本当は恋人なのではないかと疑ってしまう。
その日は一日中、日が暮れるまでにぃちゃんとねぇちゃんと一緒に過ごした。その途中、にぃちゃんが街の人に頼みごとをされていた。看板を運んで欲しいらしいけど、どう見てもひとりで持てる大きさじゃない、けどにぃちゃんは軽々とそれを持ち上げてしまった。涼しい顔で案内されるままにそれを移動させて、戻ってきたにぃちゃんに対して抱いたのは称賛で、興奮のあまりただ『すげー!』と連呼することでしか感情を表現できなかった。
おれに出来ないことを軽々とやってのけたにぃちゃん。一瞬、ほんの一瞬だけ、父親に抱く感情とはこんな感じなのだろうかと思った。この時からだろうか、にぃちゃんへの憧れが、家族への憧れと混ざって行ったのは。
次の日は流石ににぃちゃんとねぇちゃんには会えなかったけど、その代わり二日ぶりにアヤカと遭遇した。相変わらずの強情さで、いつもの様におれが折れてしまう。でもアヤカはもっと明るい世界に居るのだから、おれなんかに関わる必要は本来ない。そのことにはずっと罪悪感を感じている。アヤカだけでなく、にぃちゃん達にも。
街の通りで抱き合って歩いているにぃちゃんとねぇちゃんの姿を見かけたこともあった。やっぱり恋人なんだと思ったけど、やはり違うと否定された。そろそろ自分の常識の方がおかしいのではないかと不安になった。その時、また一緒に遊ぶ約束をした。アヤカも会いたがっていたからアヤカと一緒に四人で。夜が明けるのが楽しみだった。
そうして迎えたその日は、けれどいとも簡単に打ち砕かれた。アヤカを一度家に送っている最中、急に自分の中から何かがあふれ出してきた。黒い靄に全身が包まれて、意識が遠のいていく。完全に意識を失う寸前、最後ににぃちゃんとねぇちゃんの声が聞こえた気がした。
次に目が覚めた時、ベットの横に思いつめたような顔をしたにぃちゃんが座っていた。その表情からにぃちゃんがおれの事を聞いたことを理解した。前から何となく知っていたけど、にぃちゃんは分かり易い。
にぃちゃんがねぇちゃんと同じ質問をしてきた。『怖くないのか。』って、勿論怖くなんてない。そう答えようとしたのに、今度はそう簡単に答えられなかった。心のどこかに確かに存在するひやりとした恐怖。それを笑顔で塗りつぶして答えたけど、あの様子だとにぃちゃんにはバレてたかもしれない。にぃちゃんの事、言えないなと思った。
その後、にぃちゃんとねぇちゃんの二人揃って話があると言われた。なんでもこのまま一人で居させられないとかで、一緒に住んでも良いかとの申し出だった。嬉しかった。夢の様だとも思った。本当は断るべきだったんだろうけど、でも、自分の欲を抑えられなかった。
最初の日は、にぃちゃんが荷物を取りに帰ってねぇちゃんと一緒だった。
『なぁ、ねぇちゃん。にぃちゃんって普段どんな感じなんだ?』
夜、ふと気になって聞いたみると、ねぇちゃんは考えるように顎に手を当ててからふわりと笑った。
『透くん?そうだなー…。頑張り屋さんっていうのが率直な感想かな。自分に出来る事を自分なりにやってて、朝の鍛錬も毎朝余に付き合ってくれてる。』
そう話すねぇちゃんの顔は優しかった。仲が良いとは思っていたけど、やっぱりその通りなんだ。それからもにぃちゃんについて聞けば、ねぇちゃんはその全部に答えてくれた。そこまで話して良いのかと話終わりに聞いてみると、ねぇちゃんは明らかにしまったという顔をして慌てて口止めをしてきた。にぃちゃんもだけど、ねぇちゃんも意外と抜けてるんだなと思った。
にぃちゃんとねぇちゃんと生活していく内に、二人とも思っていたほど完璧な存在では無いことが分かった。にぃちゃんなんか卵焼きを焦がしてしまって。興味本位で食べてみるとやっぱり焦げ臭くて、でも味なんかどうでも良くなるくらいに心が温かくなった。だから完璧で無いという事がほんの些細な事に思えた。寧ろそれが当然で、それも含めてその人の個性なんだ。
二人のシキガミってやつも見せて貰った。ねぇちゃんが出したのは建物の様に大きな鎧武者でにぃちゃんと一緒に驚いた。にぃちゃんのシキガミは小さな鳥で、一目見た瞬間から妙な親近感を覚えた。触れてみるとふわふわとしていた。名前はちゅん助というらしい。ちゅん助は時折自分から触られに行くように手に体を寄せて来る。シキガミだから命がある訳ではないのに、それでも小さな生き物の生命を感じたような気がした。
夕方になり、いつもなら一人になる時間帯。でもにぃちゃん達と一緒に暮らすようになってから一人になることは無くなった。夜になれば温かな光が灯って、家の中には寒さが無くなった。
夕飯の支度をする二人の姿を見て、ふとキョウノミヤコで見かけた家族の様子を思い出す。普通の家庭ってどんな感じなのだろうと、ずっと考えていた。こんな感じかな、あんな感じだったら良いな。そんな絵空事を毎夜毎夜思い返していた。でも、叶う筈無いと思っていたそれが、今目の前に実現していた。二人は夫婦などではない、自分は二人の子供ですらない。にも関わらずおれの心は目の前の光景が、ずっと求めていたものだと確信していた。それを理解して溢れ出てきた涙を止める事なんて、できはしなかった。
その日の夜は、にぃちゃんとねぇちゃんと一緒に寝た。こんな我儘言って良いのかと思ったけど、二人とも軽く了承してくれた。おれはそんな二人のそういう所が大好きになった。
にぃちゃんは、おれに幸せになって良いと言ってくれた。不幸である必要なんてないと。その言葉が何よりも嬉しかった。
朝を迎えて居間に入れば、昨日と変わらず二人は優しく迎えてくれる。その事実に心が躍るようだった。にぃちゃんに剣術を教えて貰っている最中、ねぇちゃんは何処かへと出かけていた。つい気になってにぃちゃんに聞いてみれば、ぎこちない様子で誤魔化していた。にぃちゃんは分かり易いんだから、もう少し顔を隠すなりした方が良いと思う。
昼には帰ってきたねぇちゃんとにぃちゃんは家の外で何か話していた。でも、内容は聞かずとも分かる。二人とも、おれの寿命を何とか出来ないかずっと探してくれていたのだ。もう時間も無いのに、それでも諦めないで。
それだけで、おれには十分すぎるというのに。
十分だと思っていた。もうこれ以上貰えないと思っていた。でも、にぃちゃんはおれにもっと我儘を言って欲しいと言ってくれた。甘えていいんだと。
そして最後にはおれの心に刺さったままだった杭を、同じ言葉で上書きするように、抜き去ってくれた。自分の全てが肯定された、そんな気がした。
自分の感情が抑えきれなくて、思わずにぃちゃんに抱き着けば優しく抱きしめ返してくれた。泣いてるのかと聞いてくるにぃちゃんに今の顔を見られたくなくて強い言葉で否定しても、にぃちゃんはただ困ったように笑うだけで受け入れてくれた。
ずっと暗いだけだった人生が、全部明るくなった。今までの不幸はこの刹那のようなひと時の為だったのだと思えた。
その時ににぃちゃんとねぇちゃんと撮ってもらった写真は、ロケットの中にしまってある。見返すだけで、自分に家族が出来たような気分になった。もし、父ちゃんと母ちゃんが居たらきっとこんな感じなんだ。最後に知れて良かった。
毎日が優しくて、暖かくて、楽しくて。孤独も、悲しみも、寒さも無い。何にもない、空っぽだった心は、今や溢れ出てしまう程に満たされている。こんな時、この感情をどんな言葉で表すのか考えるまでも無い。
おれは今、これ以上ないくらいに幸せなんだ。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。