どうも、作者です。
夜の帳が降りたキョウノミヤコ。明かりは暗い空に輝く月と煌めく星々のみで、だけど歩くには十分な明るさだった。そんな街並みをおれは一人で歩く。にぃちゃんやねぇちゃんには黙って出てきた。時間が時間だし、起こすのも悪いと思って。あとで怒られるかもしれないけど、それでも良いと思った。
こうして一人散歩に出たのは、単に眠れなかったから。だから少しだけ夜風に当たりたくなった。そして、おれはそんな状況にうってつけの場所を一つ知っている。
ぽつりと陰に取り残された子供は軽い足取りで街を行く。月と星はその子を見逃さないように、その光を放ち続けていた。
暗闇の中微かに聞こえた物音にふと目を覚ます。眠気を覚ますように眼を擦って辺りを見渡せば、丁度部屋を出て行く小さな背中が見えた。窓の外を覗いてみるも未だ空には星が輝いていてる。こんな時間に何処へ行くのだろう。
「…今の、ケンジくん…?」
隣で同様に百鬼が目を覚ます。とはいえ、まだまだ意識は覚醒してないようでその瞳は閉じているのかと思う程細められていた。
「あぁ、ちょっと様子を見てくる。」
子供が一人で出歩くにはあまりにも遅い時間帯だ、このまま一人で行かせる訳にもいかないだろう。百鬼にそう断りを入れ、ケンジを追って、俺は家を出た。
小さな少年が最終的に辿り着いたのはキョウノミヤコにある高台。暗闇に満ちたキョウノミヤコを一望できるそこは、他ならぬ彼に教えて貰った場所だった。
そんな高台の柵越しに街を見下ろしている彼の背中に声を掛ける。
「ケンジ、こんな時間に何してるんだ。」
するとぴくりとその肩が震えて、少年、ケンジはゆっくりとこちらへ振り返った。
「あれ、にぃちゃん。何でここに…。」
まさか他に誰かいるとは思わなかったのだろう。声の主が俺であることを確認すると、その目を丸くしている。そんなケンジの様子に若干苦笑いを浮かべて口を開く。
「出て行くのを偶々見かけてな。それで、ここから景色でも見たかったのか?」
月明かりが辺りを照らしているとはいえ見えるものにも限りがある。控えめに言って夜のキョウノミヤコは見て楽しいものでもないだろう。そう思い聞いてみれば、ケンジはその首を横に振った。
「夜風に当たりたかっただけ。ここ、風通しが良いからさ。」
ケンジがそう言うと同時に風が吹き髪が揺れた。確かに、ここはよく風が吹く。けれど肌を刺す冬の寒さはまだまだ健在で、目の前の少年の恰好は防寒とは程遠い。
「それなら上着くらい着ておいた方が良かったな。体、冷えるだろ。」
言いながら一応持ってきておいたケンジの上着を被せる。ケンジは言われてようやく気が付いたように自らの身体をさすった。寒さに鈍くなっているその様子に、思わず表情が歪みそうになる。
「…にぃちゃんが気の利いたことしてる。」
「何で意外そうなんだ、このくらい出来るっての。」
茶化すように言うケンジの頭を自らの感情を誤魔化すように少し乱雑に撫でれば、ケンジは「冗談だよ。」と何とも可笑しそうに笑った。
暫く笑っていたケンジだったが、笑いが収まると今度はこちらを見てニマニマとしていた。
「…俺の顔に何かついてるか?」
不安になり、思わず自らの顔を触りながら問いかける。
「違う違う、…なんていうか、嬉しくて。」
「嬉しい…。」
今一つ意図が理解出来ずに首を傾げれば、「うん。」とケンジは首肯して口を開いた。
「だって、にぃちゃんがおれの事ケンジって呼んでくれてる。」
「え?…あ。」
にやりと口元を歪めるケンジ…ケンジ君に言われて、いつの間にか彼の事を呼び捨てにしていた事にようやく気が付く。まだ寝ぼけているのか、昼にそう呼んだ名残でついそのまま呼んでしまっていたようだ。
「あー、悪い。妙に口に馴染んでて。」
「謝らないでよ。おれ、にぃちゃんにはそう呼んでもらいたい。」
慌てて訂正しようとするが、ケンジ君はそれを遮り呼び方を自ら希望した。その事実に少しだけ面食らった。
「…そうか?ならこのままで良いか。」
ケンジがそう言うならと、現状を続けることに決めた事を伝えれば、ケンジは満足そうに笑みを浮かべる。これだけの事でここまで喜ばれては、逆に困惑してしまいそうだ。
それから暫くの間、二人で夜空を見上げた。見えるものが上にしかないのだからそれは自然な流れとも言えるだろう。高台から見る夜空は心なしかいつもより壮大で、呑み込まれてしまいそうな程に綺麗だった。
「…おれさ、さっき嘘ついた。」
そんな空を見上げながら、ぽつりと零すようにケンジが呟く。
「嘘って、呼び方か?」
「ううん、ここに来た理由の方。」
問いかけに対するその答えに、一瞬息を呑む。横目にそれを見たケンジはくすりと笑い声を漏らすと再度口を開く。
「おれ、にぃちゃん達と出会ってから幸せなんだ。今までの人生の中で、一番に。だから、失いたくないって思った。手放したくないって、思った。」
ケンジの話を無言のまま聞く。ケンジもそのまま続けた。
「最初はさ、死ぬのが怖かった。自分の命の終わりが目の前に来て逃げ出したくなった。でもにぃちゃん達と過ごしてるうちに、どんどん怖さが無くなっていった。にぃちゃん達と一緒なら、おれは怖くない。」
聞いている内、自らの拳を感情を抑える様に力の限り握りしめる。
「だから、にぃちゃん達と最期まで一緒に居たい。」
そう話すケンジの瞳は不安に揺れている。我儘…のつもりなのだろう、けれどその答えはとうに出ている。
「…あぁ、当たり前だ。ずっと、一緒にいるよ。」
ハッキリとそう答えれば、ケンジは心底嬉しそうに眼を細めた。
「ありがとう、にぃちゃん。」
「別に礼を言われるような事じゃ…。」
「…おれの為に頑張ってくれて、ありがとう。」
続けざまに紡がれたケンジの言葉を聞いて、思わず言葉が途切れた。
「おれ知ってるよ、にぃちゃん達がずっと助けようとしてくれてた事。時々何処かに行ってたのも、その為なんだって。」
違う、頑張れてなんかいない。何も見つからなかったんだ。どれだけ探しても、どれだけ願っても何も見つかりはしなかった。
それなのに、どうしてそんなに嬉しそうに笑うんだ。
「ありがとう、おれの為に悲しんでくれて。」
頬を熱いものが伝う。蓋をしてきた感情があふれ出てきて、目の前の子供を繋ぎとめるよう抱きしめる。
「ごめん…、ごめんな…。俺はっ…!」
「だから、謝らないでよ。おれ、嬉しかったんだ。初めて家族が出来た気がした。初めて世界が怖くなくなった。にぃちゃん達から、色んなものを貰った。」
腰に回ったケンジの腕にぎゅっと力が入る。
嬉しいだなんて、言わないでくれ。どうして運命を受け入れるんだ、どうしてそんなに幸せそうに笑うんだ。そんな心の声が浮かび上がっては気泡の様に消えていく。
「こんなに短い時間の中で最期に出会えたのが、にぃちゃん達で本当に良かった。」
家へと続く道をケンジを肩車して歩く。上からは気分良さげな鼻歌が聞こえて来て、彼の上機嫌さがありありと伝わってきた。
「おれ、にぃちゃんの肩車好きだな。」
と、上からそんなお褒めの言葉が降りてきて、頬が緩みそうになる。
「それは嬉しいな。こんなもん、いくらでもしてやるぞ。」
「やった、じゃあ明日…ってもう今日か。今日もしてもらおっと。」
言いかけてケンジは空を見てすぐに訂正した。ケンジの言うように空は既に白んできていて、次の日の始まりを告げている。
「ちょっと帰るのが遅くなったな。」
「…もしかしてねぇちゃんに怒られるかな。」
「…。」
ふと思い立って言えばぎくりとしたようなケンジの声に、しかし正直俺もどうなるか予測がつかないため何とも言い難く、つい無言になる。家を出てからそれなりに時間が経ってしまった。仮に百鬼がそのまま飽きて待っているとすると…。
「…まぁ、最悪朝飯が消えるだけだ。」
ぷんすかと怒る鬼の少女の姿を思い浮かべて、自らの頬が引きつるのを感じた。
「うへー、…あ、でもそれならにぃちゃんの料理が食べれるかな。」
「その場合百鬼は一緒に作ってくれないだろうから確実に焦げるぞ。」
「うん、それがにぃちゃんらしくて良い。」
てっきり嫌がられるかと思っていれば、殊の外肯定的な答えが返ってきて毒気を抜かれる。どうやら俺の失敗料理がお気に入りになってしまったらしい。それについて喜べばいいのか、嘆けば良いのか複雑な気分になる。
「ねぇちゃんと言えばさ、この前…。」
「それ本当か。じゃあ…」
他愛も無い会話をしながら帰路を進んでいれば、そう間も無く辺りを浮かび上がってくる朝日が照らし始める。キラキラと輝くそれは世界の始まりを告げているようで、ケンジ君と二人、その光景を眺める。
「…な、にぃちゃん。おれさ夢が出来たんだ。」
見入っていると、ふと頭上からケンジのそんな声が聞こえてきた。
「夢って、どんな夢なんだ?」
ケンジからこの手の話題が出てくるのは珍しい。気になって聞いてみるが、けれどケンジは迷うような唸り声を上げる。
「う-ん、でも夢っていうよりこうなったら良いなって感じなんだけど…。」
「なんだよ、勿体ぶらないで教えてくれ。」
変に焦らすケンジに、早く続きをと促す。
きらりと朝日が煌めいて視界がくらむ、ケンジが言葉を紡いだのはそんな瞬間と同時であった。
「もし、次があるなら。にぃちゃんとねぇちゃんみたいな親の元に生まれたい。」
そのケンジの夢の内容を聞いて、はたりと進めていた足が止まった。けれど、それも束の間で再び歩みを再開する。
「…馬鹿だな、ケンジはまだ生きてるだろ。」
「うん、だから生きてるうちに願っておきたいんだ。」
そう答えるケンジの声はどこまでも穏やかで、震えそうになる声を必死に抑えた。
「…ありがとう、にぃちゃん。」
繰り返されたその言葉に、俺は答えることが出来なかった。
家に帰れば、案の定百鬼から遅いとちょっとしたお小言を貰ってしまった。けれど、すぐに彼女は温かい飲み物を入れて迎えてくれて、ケンジと二人顔を見合わせて笑みを浮かべた。
そうして俺達の日常は続き、ケンジが眠る様に息を引き取ったのは、それから二日後の事だった。
ケンジの墓は、キョウノミヤコの外れにある共同墓地に作ってもらった。ここなら孤独を感じる事も無いと思っての事だ。ケンジのロケットはいつでも見れるように開いて墓に掛けてある。
「ケンジくん、最後まで笑ってたね。」
ぽつりと隣の百鬼がそう呟く、彼女の言う通り、ケンジは最後まで幸せそうに笑っていた。どこまでも幸福感に満ちていて、これ以上ないくらいに満足していた。彼をそうさせた世界はきっと、何よりも残酷だったのだろう。
ふと、後ろから足音が聞こえた。振り返ってみてみればそこには幼い少女、アヤカちゃんの姿があった。彼女にはケンジの事は伝えてあった。なにせ、ここ中で彼と一番付き合いが長かったのは間違いなく彼女であったし、これがせめてもの筋だと思った。
「…ケンジ、ここで眠ってるの?」
「うん、そうだよ。」
呆然とした様子で零すアヤカちゃんを、百鬼が連れ立って墓の前へと促す。今何を思っているのか、じっと墓を見るアヤカちゃんの感情は伺い知れない。
「おにいちゃん、おねえちゃん。ケンジは、幸せだったんだよね。」
「…うん、余も透くんもそう思ってる。」
「そうなんだ…なら、良かった…。」
ほっと息を吐くような言葉、けれどその言葉とは裏腹にアヤカちゃんの双眸からはぽたりぽたりと涙が零れる。
「…幸せなら、良い事の筈なのに。泣いたら、駄目なのに…。」
かすれるようなその声は徐々に嗚咽へと変わっていき、やがて小さな泣き声が一つ墓地に響いた。
アヤカちゃんが落ち着いた後、俺と百鬼はアヤカちゃんを家まで送り届けてケンジと過ごした空き家へと戻った。もうここで暮らす理由も無くなった。持ってきた荷物を纏めて帰り支度をし、軽く掃除だけして荷物を覗けば、後はすっかり元通りのがらんとした空き家の一つへと戻ってしまった。
その事実に寂寥感を覚えつつ、百鬼と共に家を後にする。
「…あっと、悪い百鬼。ちょっと忘れ物をしたから取って来る。」
キョウノミヤコを出る寸前。となりを歩く彼女へそれだけ伝えて、俺は来た道を戻ろうと切り返した。
「忘れ物なら、余も一緒に…。」
「いや、百鬼は先に帰っててくれ。俺もすぐにシラカミ神社に帰るから。」
ついてこようとする彼女だったが、そこまで大したようでも無いため、軽く断って百鬼とはそこで別れた。
百鬼と別れた後、俺は家ではなく高台へと向かった。忘れ物などただの方便で、ただ少しだけ一人になりたかった。備え付けのベンチに座り、何をするでもなくぼんやりと青い空を眺める。そうして、どれ程時間が経過したのだろう。空に徐々に赤が差し込んできた頃、後ろから誰かの足音が聞こえた。
「透くん、見ーつけた。」
「百鬼?」
振り返った先には、先ほど別れたはずの鬼の少女。どうやら戻ってきたらしい、しかしここに居る事がバレるとは思わなかった。…いや、今はそんな事どうでもいいか。
「余も隣座っても良い?」
「あぁ、どうぞ。」
少し横に移動して、彼女と二人並んでベンチに座る。それから、会話も無く静寂のままにただ日が徐々に落ちていくのを見ていた。
「…俺、多分天狗になってたんだ。」
そんな静寂を破るように、俺は口を開く。百鬼は無言で、俺の話を聞いてくれる。それが尚更に感情の吐露を助長させた。
「イワレっていう力を手に入れて、何でもできる気になってた。実際、何度も人を助けることが出来た。」
巨大な看板を軽々と運ぶことが出来た。カクリヨの異変を解決できた。離れ離れの親子を再開させることだって出来た。
「でもさ、救えなかったよ。小さな子供一人、俺は救えなかったんだ。」
本当は、もっとやりたい事だってあった筈だ。諦めたこともたくさんあって。夢だっていくつも出来て、いくつも叶ったかもしれない。だけど、それが実現することはもう無い。
「こんな力があっても、何も意味が無かった。どれだけ力があっても、子供一人救えないんじゃ…、何の…。」
「透くん…。」
涙は止めどなく溢れ出てくる。何がワザだ、何が鍛錬だ。そんなもの、何の意味も為さなかった。ケンジを救えないんじゃ、何の意味も無い。
今まで蓋をしていた分、感情の奔流に流されてしまいそうになる。そんな俺を繋ぎとめる様に、百鬼はこちらへと寄り添ってくる。
「悪い、百鬼。ちょっとだけ、寄りかかっても良いか…。」
そんな彼女へとつい弱音を吐いてしまうが、彼女はしかと頷いてくれる。
「うん。でも、その代わりなんだけど…。」
けれど、横合いから聞こえてくる彼女の声もまた、涙に濡れていた。
「余も、ちょっとだけ寄りかかっても良いかな…。」
「…あぁ、勿論だ。」
キョウノミヤコを夕日が照らし、街は小麦色に輝きを放つ。そんな光に呑み込まれながら俺と百鬼はその手を固くつなぎ合わせ、ぽつりと零れ落ちた二粒の雫が地面を濡らした。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。