どうも、作者です。
俺はこのカクリヨに来てから様々な修羅場をくぐってきた。霊と対峙し、鬼と対峙し、そしてクラウンという悪党と対峙し、それらの問題を乗り越えてきた。故に、多少の事では動じない程度には度胸が付いたと自負している。
だが今この瞬間、それが間違いであったことを思い知った。
そっと目を開けてみれば、そこには昨夜は別々の部屋で寝たはずの百鬼の姿。ジッとこちらを見つめるその綺麗な紅の瞳と視線を交差させる。
まぁ、起きた瞬間彼女が目の前に居る事はまだ分かる。今までだって同じような事はあったし、それだけならどうせ寝ぼけて潜り込んだだけだろうと納得できた。しかし…。
「にゃ、にゃあー。」
頭に猫耳を生やし両手を猫のようにして鳴き声を上げる彼女を前に、俺はどう反応すれば良いのだろうかと、ただただ困惑するばかりであった。
時間は昨夜の時点まで遡る。
夕食を食べ終えた後、銭湯で入浴を済ませシラカミ神社に帰った俺達は三人、居間でのんびりと白上が淹れてくれたお茶を啜っていた。
「なんだか、何もやる気が起きませんねー…。」
だらりとテーブルに突っ伏しながら間延びした声で白上は言う。とはいえそれは俺も百鬼も同じことで、各々脱力して居間の空気は之でもかという程に弛緩していた。
「それにしても、白上ってお茶淹れるの上手いよな。やっぱりコツとかあるのか?」
ふと自らの持つ湯呑に目を落として、白上へと問いかける。俺もお茶を淹れようと思えば淹れられるがその腕は彼女には到底及ばない。どうせ淹れるのなら上手く淹れたいと思うのは自然だろう。
「それはもう毎日淹れてますから、良ければ明日教えますよ。」
「あぁ、是非頼む。」
自慢げに胸を張る白上の提案に俺は即座に乗る。
明日は白上のお茶淹れ講座かと、何とも無しに考えていれば不意に背筋を冷たいものが伝う。それは紛れも無い悪寒であった。しかし、何に対してと視線を巡らせてみればふと隣に座る百鬼がじっとこちらを見ている事に気が付く。
「百鬼?」
「…ううん、何でもない。フブキちゃんのお茶美味しいもんね。余の淹れたお茶とは比べ物にならないもんね。」
思わず声を掛けるが、顔を横に向けながらぷくりとその頬を膨らませて拗ねたように言う百鬼に、ようやく彼女が何に怒っているのか理解して、慌てて先ほどの言葉を訂正する。
「いや、そんな意図は全然無かったんだ。百鬼の淹れてくれたお茶も十分美味い。さっきのは言葉の綾と言うか、ただ純粋に気になっただけで…。」
「余、別に怒ってないから。」
言いながらも彼女はつんとそっぽを向いたまま一向に目を合わせてくれない。明らかに怒っている。しかし、それを指摘すれば彼女が更にへそを曲げてしまうのもまた明白であった.
「あーあ、怒らせちゃいましたね、透さん。」
そんな俺と百鬼のやり取りを眺め白上はニヤニヤと笑っている。
「言ってないで助けてくれよ。」
「いえ、これは透さんの失言が招いたことですので。」
白上も助け船を出してくれるつもりは無いようで、静かに湯呑を傾けていた。どうしたものかと頭を抱えていると、じっと俺と白上のやり取りを見ていた百鬼の頬がますます膨らんでいく。
「百鬼さん?その、話を…。」
「…ぷいっ!」
恐る恐る声を掛けてみるも、更に機嫌を悪くしてしまった百鬼は再び顔を逸らしてしまう。
「余、もう寝るから。フブキちゃん、おやすみ。」
「はい、おやすみなさい。」
不意に百鬼は立ち上がると白上にそれだけ告げ、俺には一瞥もくれずに居間を出て行ってしまった。そうして居間には俺と白上の二人が残される。
「透さん、今の気持ちを一言どうぞ。」
「あー、そうだな…。」
白上に問われてふと考え込む。色々と言いたいことはある、けれどやはり最初に出てくるのはこの一言だった。
「どうして、こうなったんだろうな。」
結局その後部屋に行っても百鬼が出てくることは無く、こうして彼女とは会わないままに朝を迎えたわけで、それ故に昨夜は同じ部屋にすらいなかったことになる。別れ方的にも彼女がこうして猫耳を生やしている意図が分からないし、それ以上に何故布団に潜り込んできているのか、過去を振り返ったところで謎は深まるばかりだ。
「…えっと、百鬼?」
困惑の抜けきらない中、そう目の前の百鬼へと声を掛けてみる。
「にゃあ?」
すると百鬼はこてりと首を傾げると再び猫の鳴き声を上げた。
(あ、可愛い。…違うそうじゃない。)
流されそうにななる思考を振り払い、改めて彼女を見る。その頭にはやはり見間違いではなく猫耳が生えていて、けれどよくよく見てみれば猫耳のカチューシャを付けているだけであり、実物ではないようだ。
謎の要因で百鬼が猫になった訳ではない事が分かり一瞬ほっとするが、ただそれが分かったところでこの状況に何ら変化は無く、何故それを付けているのかという新たな疑問が沸き上がって来るだけである。
「百鬼、その頭のどうしたんだ?」
取り合えず今一番の問題である事の核心について彼女に問いかける。すると百鬼は一瞬黙り込み「だって…。」とゆっくりと口を開いた。
「だって、透くんこういうの好きだから…。」
「…。」
好きである。確かに、それは間違いなく好きである。しかし質問に対する答えとしては不足していて、だからどうして?という疑問が浮かんでしまうのも無理なからぬことであろう。
「けど、何でいきなり…、もしかして昨日の夜の件か?」
昨夜に百鬼を怒らせてしまったから、彼女はその仕返しの為にこうしているのではないか。けれど、よくよく考えてみれば仕返しに俺の嫌がることをするならまだしも、喜ぶことをするのもおかしな話だ。
案の定、百鬼は首を横に振って否定する。だが、その後に続く言葉は完全に予想外であった。
「夜だけじゃない。透くん、シラカミ神社に帰ってきてからずっとフブキちゃんの事ばっかり見てる。」
「白上ばっかり…、…ん?」
虚を突かれてつい間の抜けた声が出る。むっとした表情を浮かべている百鬼であったが、その瞳には明確な不安が潜んでいた。
「いや、そんな事は…。」
「ある。だって透くんは余の事全然見てくれてないもん。」
咄嗟に否定しようとした俺の声に、百鬼は被せる様にそう口にした。多分、これは百鬼の本心からの言葉だ。それが理解できるだけに、否定しようにも返す言葉が喉の奥に詰まって何も出てこなかった。
百鬼の揺れる瞳に吸い込まれるように、俺は呆然と彼女と視線を合わせ続ける事しか出来ない。
「フブキちゃんばっかり見ないで。もっと、余の事をちゃんと見ててよ。」
あたかも縋りつくかのような百鬼のその言葉を受けて、大きく心臓が跳ねる。それだけの為に、百鬼はわざわざ猫耳なんか付けて潜り込んできたのか。そんな納得にも似た感情とは別に、もう一つ増大していく感情。
(その言い方だと、まるで百鬼が俺の事を…。)
そこまで考えて、勘違いをしてその先に進もうとする思考を何とか押しとどめて口を開く。
「百鬼、少し自分が何を言ったか顧みてくれないか。」
朝から頭痛にでもなりそうだ。
頭に血でも昇っているのか、それとも寝起きで寝ぼけているのか。いや、彼女の場合これが素でもおかしくは無いのだが、誤解を招く言い回しになっている事に彼女は気づいていないのだろう。
「余が…?」
伝えたいことを伝えてようやく落ち着いてくれたようで、素直に百鬼は思考するように微かに顔を俯かせる。すると、時間が経つにつれて彼女の顔は徐々に赤く染まっていき、やがて先ほどとは異なる意味合いでその瞳が震えだす。かと思えば百鬼は赤く染まった顔をそのままに、がばりと布団を勢いよく押しのけて立ち上がった。
「あ…余、その…朝ごはんの準備してくる!!」
それだけ言い残すと、百鬼は脱兎の如く部屋から出て行ってしまう。その背を身体を起こして見送ると、思わず気が抜けて後ろへ倒れ込む。仄かに布団に残る他者の温もり。意識しないようにしても、意識してしまう。先ほどから心臓は煩いほどに鳴っており、百鬼に聞こえていなかったのが奇跡にも思えた。
「余の事を見て…か。」
ぽつりと先の彼女の言葉を思い返し、ぽつりと口にする。
彼女がそう思うのもしかすると無理のない事だったのかも知れない。昨日の朝はともかくとしても、実際に昨夜は碌に彼女と目を合わせられなかったのだから。
ケンジからの言伝を受けて、俺はようやくケンジの死に向き合うことが出来た。それ故に時間が経つにつれて、張り詰めていた心の中にも余裕が生まれてきた、生まれてしまった。そうして、今まで目を向ける事のできなかった感情が前面に押し出されて来たのだ。
(…まぁ、半分はケンジの所為だな。)
にやりと悪戯に笑う少年の顔が脳裏に浮かぶ。あそこまで執拗に言われては意識せざるを得なくなった。
可憐な鬼の少女。彼女を見ていく内に胸の中に灯った感情の火は勢いを増すばかりで、衰える様子を一切見せない。その感情を隠そうと、自然と百鬼には極力視線を向けないようにしていたが、それも逆効果となった。これは早めに受け入れて自らの感情との付き合い方を見直した方が良さそうだ。
「…ん?」
ふと自らの右手にはめ込まれた宝石を見てみれば、濁っていた無色のそれは、いつの間にやら想い人を想起させる鮮やかで綺麗な真紅に染まっていた。
ただの宝石の筈がどうにも自らの想いを突きつけられているように感じ、羞恥に溺れそうになる。
(熱い…。)
額に手を当てて目を閉じる。火照った顔の熱を冷ますには、冬の冷気では些か役不足であった。
暫くして、下の階へと降りて居間へと向かう。しかし到着すれどもそこに二人の姿は無かった。
「二人ともどこ行ったんだ?」
辺りを見回しながら声を上げる。そう言えば百鬼は朝食の準備に行ったのだったか、白上も料理は出来ると言っていたし、もしかすると二人で調理をしているのかもしれない。
まだ配膳くらいなら手伝えるだろうと、キッチンへと急ぐ。けれどキッチンの入り口が見えてくるあたりでその足は止まる事となった。というのも、キッチンの中にいると思っていた白上が一人入り口からキッチンの中を覗き込む様にしていた為だ。
「白上。」
「わひゃっ!…って、なんだ透さんですか。もう、驚かさないで下さいよ。」
声を掛ければびくりと肩を跳ねさせて白上がこちらへ振り返る。
「あぁ、悪い。こんなところで何してるのか気になってな。」
謝罪しつつ何をしているのか聞けば、白上は「あちらです。」とつい先ほどまで彼女も見ていたキッチンの中を指さした。
百鬼がいるのではないかと疑問に思いつつ、指の指されるままにキッチンを覗き込み、そして白上が何故ここに留まっているのか、その理由を理解した。
「…透さん?」
「何が言いたいか何となく分かったから先に答えるぞ。あれは俺のせいだ。」
視線の先には料理を作っている百鬼の姿、しかし一つ異変があるとすれば彼女の頭に生えている猫耳と背に揺れる尻尾であった。
「あやめちゃんに何したんですか。事と次第によっては白上の狐神拳が火を噴きますよ。」
「待て待て、別に強制したわけじゃないって。ただ説明し辛いんだが…。」
謎の構えを取って来る白上を宥めつつ、事の経緯を要所のみをぼかしながら伝える。
「まぁ、そんな訳で俺も詳しくは理由を聞いてないけど、俺の行動の結果なのは間違いない。」
先の事を考えても、百鬼があれを身に着けているのは俺が白上の耳や尻尾を見ていたからだし、そこは確実だ。白上も一応は納得してくれたようで、謎の構えを解きポンと手を打った。
「なるほど、そういう事でしたか。白上はてっきり透さんの獣耳への愛が暴走して矛先があやめちゃんに向いたのかと。」
「だからそれは無いって。」
そんな事をすれば俺のシラカミ神社での居場所が確実になくなる。とはいえ原因にはその獣耳への愛も若干含まれている辺り、肝が冷える思いだ。たらりと一筋の冷や汗が背を伝う。
「では、まだ解決したわけでは無いんですよね?」
「そうなる。勿論、このまま放置する気も無い。」
白上のその問いかけに対してはっきりとそう答えて見せる。正直持て余している感情ではあるが、このままずるずると引きずって行けば、それこそ取り返しのつかないことになる。
それを聞いた白上は、安心したようににこりと笑みを浮かべた。
「では、あやめちゃんの事はお任せしますね。」
「分かった。…あと、今日お茶の淹れ方を教えて貰う予定だったんだが、またの機会でも良いか?」
昨夜に約束した今日の予定だったが、状況的にその余裕があるか不確定となってしまった。
「はい、また今度で良いですよ。今はあやめちゃんに集中してあげてください。」
「あぁ、悪い。ありがとうな、白上。」
察してくれてか白上もそう言ってくれて、彼女は尻尾を揺らして居間の方向へと歩いて行った。そして、俺はキッチンの入り口を前に立つ。
いつもならどうという事も無いのに、今は妙な緊張感が漂っていた。それを振り払うように大きく深呼吸を一つ入れて、俺は入り口に掛けられた暖簾を潜った。
透の部屋から飛び出したあやめはそのままキッチンへと入り、無心で料理を作り続けていた。しかし作業もひと段落してくればそうもいかず、思考の渦へと身を投じる事となる。
(変な感じがする…。)
ケンジを見送ったあの日からあやめの胸中には透に対してとある感情が生まれていた。彼女自身このような経験は乏しく、振り回されているのが現状で、透への感情が安定しない事は自覚済みである。
(…余、どうしちゃったのかな。)
けれど、あやめの抱く感情を彼女は自覚できていなかった。故に、浮かぶのは自らへの疑問。以前ならこうはならなかったにも関わらず、現状へと至ったのはひとえに透という存在の影響であった。
透について考えれば、先ほどの自らの言動を思い出し、かっとあやめの顔に熱が籠る、
(あ、透くん…。)
後ろから聞こえてきた足音に、彼女の知覚はすぐに誰であるか告げてくる。
「百鬼。」
そう呼びかけられて、あやめはゆっくりと振り返るのであった。
「百鬼。」
キッチンに入ってすぐ、鍋の前に立つ彼女の背へと声を投げかける。一瞬彼女の頭にある猫耳が震えた気がしたが、気のせいだ。
感覚の鋭い彼女の事だ、ここまで近くで足音をならせば声を掛けずとも俺の存在には気づいていたのだろう。そこまで驚いた様子も無く、ゆっくりとこちらへ振り返った彼女の頬はほんのりと桃色に色づいている。
「透くん…その、さっきは…。」
先ほどの事を思い出しているのか、羞恥に顔を染めながら百鬼は言いよどむ。それに釣られるようにこちらの顔まで熱くなってくるが、けれど今は黙り込んでいる暇は無い。
「あー…その事なんだけどさ。百鬼も俺も少し一杯一杯になってると思うんだ、この状態で話してもさっきの二の舞になりそうだし。」
「あぅ…。」
妙にふわふわとした気分になる。浮ついていると言い換えても良い。百鬼も羞恥が限界に達したのか黙り込んでしまっている。この空気の中で会話をできるとは思えなかった。
故に。
「だからさ、百鬼。この後、朝食の前に俺に時間をくれないか。」
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。