注意
この物語はフィクションです
True:Another 1
時々行き交う自動車の光に照らされた早朝の空は未だ薄暗く、冷えた石の床材に触れていた足先が響くような痛みを訴えてくる。
移り行く視界に映る景色の中、耳を打つ風切り音は煩わしくて、けれど同時に何処までも心地良い。そっと息を吸い込めば、街を包む冷たい空気が肺を刺した。
(あぁ、寒いな…)
強まるばかりの風に急速に体温は奪われていく。寒さから逃れようと自らの身体を抱き、ゆっくりと瞼を降ろす。そして落ち着く暗闇の中、ぱたりと意識は途絶えた。
幸せな家庭に生まれたとは自信を持って言える事だった。
何不自由ない生活、一軒家に優しく時に厳しい両親、そして…
「お兄ちゃん、クローバーあった?四葉のクローバー」
小走りで走り寄って来る幼い少女は、服の裾に泥を付けたままにこやかに手を振っている。
「花、服に泥ついてるぞ」
「あ、ほんとだ。お兄ちゃん取って!」
それを指摘してやれば、両手を上げて甘えてくる少女は妹の花だ。
年の離れている事もあり家族から蝶よ花よと甘やかされている彼女は少々甘えたな側面が強いが、それもまだまだ可愛い範囲で、俺もよく甘やかしすぎだと周りからは言われている。
求められるがままに、ぱぱっとついた泥を払ってやると花は「ありがとう!」とまたにっこりと愛らしい笑みを浮かべて礼を述べるのだから、つい釣られてこちらの顔にも笑みが浮かぶ。
これは将来魔性の女になる事間違いなしだとは母の口癖だった。
「二人共ー、ご飯だよ!」
がらりと窓が開けられてそんな声と共に母が顔を覗かせる。母の料理はひいき目抜きに美味い。その為、それを聞くや否や花と共にクローバー探しを切り上げてそそくさと家の中に入って手を洗う。
居間に入ればテーブルの上では温かな料理が湯気を立てていて、母と父が既に席についている。
『いただきます』
食卓を囲んで、声を揃えて言う。横を見れば視線に気づいた花がにっと笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん、クローバーの続き!」
「おとと、そんなに引っ張るなよ」
食後、食器を片づけた花に袖を引っ張られてすぐに玄関へと向かう。そんな俺達の様子を呆れたように見て見て笑うのは母だった。
「あんた、あんまり花の事甘やかすんじゃないよ?」
「へいへい、分かってまーす」
背に投げかけられたその言葉に後ろ手を振って答える。そんな軽い返事に母は俺が全然分かっていないと察したようでため息をつくがその顔は優しかった。
花に導かれるがままに家の横にある少し広めの庭へと出ると、早速地面に膝を付け目を皿のようにして生い茂る緑の中から四葉のクローバーを探す。
今朝からこうして探しているのだが、そう簡単に見つかるものでもないようだった。
「なぁ、花。もしかしたらここには無いかもしれなぞ」
ただでさえ確率の引く四葉のクローバーを、家の庭で探すのも無謀に近い。ならば公園や河川敷などもっと広い場所で探した方がまだ見つけやすいのかもしれない。
それを花に伝えるのだが、しかし…。
「ううん、あるの!」
意外と諦めの悪い妹様がこう言うのだ、ならば俺は従う他無い。
「分かった、ならもう少し頑張ってみるか」
そうして探し続けて、そろそろ日が傾き出そうかという時間帯になった時、不意に甲高い歓声が横から聞こえてきた。
「あった!お兄ちゃん、見つけた!」
テンション高く言いながらキラキラと目を輝かせる花の手には、確かに四つの葉に別れたクローバーが存在していた。
「本当に見つけたのかよ!凄いな、花!」
まさか本当に見つかるとは思っておらず、驚きながらも苦労が報われたとなれば嬉しいもので、感情のままに花を抱き上げ、くるくるとその場を回り笑い合って喜びを共有した。
暫くして地面に降りた後も興奮は冷めやらぬようで、花は頬を紅潮させている。
「それじゃあ、そろそろ家に入るか」 「
「あ、まって!」
凝り固まった体を伸びをしてほぐしてから玄関へと足を向けると、不意に花に呼び止められて振り返る。すると、花は手に持っていた四葉のクローバをこちらへと差し出した。
「これ、あげる」
「え、俺にか…?」
四葉のクローバーが欲しくて探していたのではなかったのか。そう思い問いかけると、花はこくこくと頷いて見せる。
受け取るか迷っていると更にずいとこちらに差し出されるそれを遂に俺が受け取れば、花は満足そうに笑う。
「ありがとう…けど、何でだ?これ、花が欲しかったんじゃ…」
「だってお兄ちゃん、毎日お勉強頑張ってるから。花も何か応援したかったの」
それを聞いて思わず花の顔を見た。頬にはまだ泥が付いており、膝は地面に触れていて汚れてしまっている。朝からずっと俺の為にここまで頑張ってくれたのだと理解すると同時に、こみ上げてくる感情のままに花を抱きしめた。
「ありがとう、花…!」
「えへへ」
改めて言えば、花は照れたような声を上げる。物よりもその気持ちが、何にも代えがたい程に嬉しかった。
先程の花の歓声を聞いてか、がらりと窓が開いて母が顔を出してくる。
「あんた達、お風呂沸かしたから入ってきな。その間におやつでも用意しといてあげるから」
「「はーい」」
花と二人庭に座り込んだまま、にやりと笑う母へと口を揃えて答える。ふわりと揺れたレースのカーテンから見えた椅子に座るいつもは寡黙な父も俺達を見て微笑んでいる。
(あぁ、幸せだ。)
心の底からそう思える。こんな幸せがいつまでも続くモノだと、この時はそう信じ込んでいた。
それは俺が家を出る事となり最後に旅行にでも行こうと家族で遠出をした日の事だった。
雨の降る中、信号待ちで止まってた所に大型のトラックが横から突っ込んできて、俺達家族の乗る車は崖を転がり落ちた所までは覚えているが、そこからの記憶は無い。
次に気が付いた時には、俺は病院のベットの上に居た。全身打撲の片腕の骨折。診察に来た医者に告げられた俺の現状だった。確かに全身が痛むが、その後事情を伝えに来た刑事の一言でその痛みも吹き飛んでしまう程の衝撃を受けた。
「両親が行方不明?」
同じ車に乗っていた筈の父と母の姿が消えてしまっていたとのことだ。連絡もつかず、事故現場の周囲を捜索しているが、手がかりは一向に見つからないらしい。つまりは生死不明だ。
監視カメラなどの映像から、事故直後までは確かに車の中に居たことは確かなのだが事故の後脱出した形跡もないにもかかわらず、車の中に居たのは俺と花の二人だけだったようだった。
引き続き捜索を続ける、状況がまとまり次第また来ると言い残して刑事はその場を後にした。そして、入れ替わるように入って来た医者に恐る恐る俺は問いかける。
「花は、妹はどうなったんですか」
「…妹さんは命に別状は有りません。ですが…」
医師が言うには花は事故の衝撃で脊髄に著しい損傷を受けており、この先歩行が困難になる可能性があるとのことだ。詳しくは今後の経過を見ての判断となるらしいが、けれど覚悟はしておいて欲しいとのことだった。
それを聞いて俺は呆然と窓へ目を向けた。反射する自らの顔は青ざめており、生気が無い。
たった一日だ。それもたった数瞬の出来事でこんなにも呆気なく、幸せは瓦解した。
翌日、花が目を覚ましたと医者から教えられるや否や、俺は体の痛みも無視して病室を飛び出した。
「花…花っ…!」
縋るようにその名前を呼びながら走り続けて、ようやく花の居る病室へとたどり着く。遅れてやってきた医者が入り口を開けると同時に、部屋の中へと入る。
「あ…、お兄ちゃん…?」
同時にか細い声が聞こえてくる。声の出所へと目を向ければ、起き上がることも出来ず、寝たきりの状態の花が薄く目を開いて視線だけこちらに向けていた。
「花、良かった…」
慌ただしく傍に駆け寄りその手に触れる。俺の顔を見て安堵するように花の表情が和らぐが、すぐにその視線が後方あたりを彷徨った。
「お母さんと、お父さんは…?」
「二人は…」
言葉に詰まる。伝えても良いのか、伝えないべきなのか。けれど、花はじっと真っ直ぐに見ていて、嘘を付けるとは思えなかった。
「何処に行ったか、分からないんだってよ。けど大丈夫、すぐに見つかるさ」
安心させるように笑みを浮かべて、半ば自分に言い聞かせるように言う。大丈夫だ、すぐに見つかってまた家族揃って笑い合える日が来る。
けれど、現実は無情だった。
いくら日を跨いでも、両親が見つかったという連絡は来なかった。代わりに、先日説明に来てくれた刑事が再び来訪して、これからの身の振り方を話し合うと共に、車の中に残されていたという父と母の荷物を持ってきた。
その中には二人の財布や通帳も入っていて、つまりこれを残しては遠くまで移動は出来ない筈だという事だ。警察側もそれは承知の上で、改めて徹底的にそれこそ草の根を分けるまで周囲を捜索したのだが、それでも尚見つからないらしい。
神隠しにでもあった。最早、そう断言する方が信憑性が出るのが現状だった。
それから暫くして、俺は退院できることとなった。
「…お父さんとお母さん、見つからないね」
「…そうだな」
病室の中でぽつりと花が零した言葉に、一拍遅れて返事を返す。あれからも捜索は続けられたが、やはり両親が見つかったという報告は上がってこない。
「お兄ちゃん、花たち、どうなるの?」
ベットで横になったまま外を眺める花の顔には明確な不安が浮かび上がっていた。その眦には涙が浮かんでいる。両親が居なくなって、自分もベットから起き上がる事すらできない現状だ、無理も無い。
「大丈夫だ、兄ちゃんが何とかする。兄ちゃんが居るから、大丈夫だ」
浮かぶ涙を拭って、精一杯笑って見せる。そうだ、俺には花しかいない。花には俺しかいない。俺が守るんだ、守らないといけない。
これからも、ずっと。
事故に遭い、両親が失踪した日から数年が経過した。
あれから俺は花の面倒を見つつ生活費や花の学費の為に働き始めた。幸い家は残されていたし、良い就職先にも巡り合えて両立も叶っている。
残された金もまだ余っているし、当面の間は生活に困ることは無いだろう。
「兄さん、制服を着るの手伝って?」
「ん、ちょっと待ってな」
車椅子に乗った花に呼ばれて、急いで手に持っていたトーストを口に放り込む。
あれから月日が経って、花も大きく成長した。綺麗な顔は幼さは残るもののモデルと比べても見劣りしないとは家族の贔屓目だろうか。
数年も経てばもう慣れたもので、ささっと着替えを手伝って花の座る車椅子の後ろに回り押してテーブルの傍まで移動させる。
花が朝食を食べている間に家事を済ませておく。
その後は花を学校まで送るため、荷物を持って花と共に玄関へ進む。
「…兄さん、ごめんね。」
「ん、何が?」
その途中、不意に花が口を開いた。しかし、その声は泣き出してしまいそうな程に震えている。理由を問いかければ、花はぽつりぽつりと言葉を続けた。
「私のお世話しないとだから、兄さんは結婚も、学校も…」
「なんだ、そんな事か…。別に花は悪くねぇだろ」
花も多感な年頃だ。人格が確立してくると共に様々な知識も身に着けて来て、今までは気にしなかったことも気になるようになってしまったのだろう。
「でも、兄さんは実際…」
「もう一度言うぞ、花のせいじゃない。これは俺がやりたくてやってることだ。」
足を止めて、花の正面にしゃがみ込んで向かい合って言葉を続ける。
「親父とお袋が居なくなった今、俺と花は唯一の家族だろ。助け合って何が悪いってんだ」
「私、何も返せてない…」
「返してもらってる。花、お前は俺の生きがいなんだ。お前がいるから、俺は生きていられるんだ」
冗談めかしたような言い草だが、けれどこれは紛れも無い本心だった。
花が居てくれるから、俺はこうして笑うことが出来ている。俺にはもう花しかいない。残されているのはもう花だけなんだ。
「ありがとう、兄さん」
花の顔にようやく笑みが戻る。それを見て安堵しつつ、くしゃりとその頭を撫でてから俺は花の背後に戻る。
花が居てくれるなら、俺はなんだって出来る。なんだってして見せる。 そんな決意を胸に玄関を出た俺の視界を太陽が明るく照らした。
頬をくすぐる感触に意識を取り戻す。瞼を開けると視界に飛び込んでくるのは鮮やかな色取り取りの草花。身体を起こせば、そこは森の中に開けた草原だった。
「何だ…ここ…」
見覚えの無い景色に疑問の声が漏れる。何故こんな場所で眠っていたのか、そもそもここは何処なのか皆目見当がつかない。
ふと視線を上げれば雲一つない青々とした空が広がっている。草花を揺らす風は冷たいが、照らされた日光は暖かい。
「…」
呆気に取られて無言のまま脱力して後ろへ倒れ込み、大きく息を吸って吐き出す。
何がどうしてこうなったのだろう。少なくともこんな場所に来た記憶など一切存在しない。夢にしては感覚も意識もはっきりとし過ぎている。なら必然的にここは現実になるが、それでもにわかに信じがたかった。
(…まぁ、どこでも良いか)
そうして思考を放棄して目を瞑る。そう、もう関係ないのだ。今更どこに迷いこもうが、俺は…。
「あのー」
不意に透き通るような可憐な声が聞こえてくる。他に人が居たのかと意外に思いながら視線を向けて、そして今度こそ完全に思考は停止した。
「大丈夫ですか?」
声を掛けてきたのは一人の少女だった。白い狐の様な耳を頭に生やした彼女の吸い込まれてしまいそうな程綺麗な瞳がこちらへ向けられている。
「大…丈夫、です」
射竦められながら零すようにそう伝えれば、少女はほっと安堵したように息を付く。そんな彼女の仕草に連動するように動く頭の耳はそれが作り物ではない事を示していた。
「こんなところで何をしてたんですか。もう冬も近いんですから、いくら晴れてると言っても風邪を引きますよ」
「…はい、すみません」
驚愕も抜けきらない最中に小言を貰い、意味も分からないままに体を起こして謝罪する。それを聞いた少女はおもむろに視線をこちらの顔から外して首、胴体、足へと移していくと首を傾げた。
「珍しい服…あの、つかぬことをお聞きしますけど、カクリヨという言葉をご存じですか?」
「カクリヨ…?いや、知らない…です」
突如として問われた聞き馴染の無いその単語を口の中で繰り返してから分からないと素直に伝えると、しかし少女は何処か合点がいったように頷いた。
「成程、なら貴方で間違いないみたいですね」
ぽつりと呟かれた彼女の含みのある言い回しはまるで自分の事を知っているかの様で、けれどこちらはこの少女に覚えは無い。
「間違いないって、何が…」
「詳しい事は後で説明します。取り合えずは白上に…って、そう言えば自己紹介がまだでした」
言いかけた所で不意に少女は言葉を区切ると、改めて向き直り失敗したと照れを隠すように笑みを浮かべ手を差し出してくる。
「初めまして、私は白上フブキです」
「俺は、藺月…透です」
そよ風の吹く森の中の草原の上で見知らぬ少女と名を名乗り合って、笑顔と共に差し出された手を握る。
これが俺、藺月透と彼女、白上フブキの初めての出会いだった。