『お前を自分の子供と同列に扱うつもりは無い』
引き取られた先で開口一番に言われたその言葉をよく覚えている。
物心の付いた時には両輪は既に存在しておらず、幼かった俺は必然的に両親の親戚の下へと転がり込む事となった。こういう時に運が試されるのだが、多分この時の俺は運が無かったのだろう。
人というのは多種多様で、全員が悪人でも無ければ全員が善人という訳でも無い。そして、引き取られた先の人柄はお世辞にも善人とは言い難かった。
既に子の居るその人たちにとって、突然転がり込んできた他所の子供は邪魔という他無かったようだ。だから当然長い間家に置くことも無く、何かと理由を付けられて俺はそれからも様々な場所を転々とした。
下手な鉄砲数打ちゃ当たる。そんな言葉があるが、生憎と言葉どおりにいかないのも人生だ。
最終的に預けられた施設を出てからは、働いて食事をして寝て、その繰り返しの毎日だった。夢も無ければ幸福も無い、ただ生きているだけの人生がそう長く続けられるはずも無く。
意味を見いだせない以上自分の中でその価値はどんどんと下がっていく一方で、次第に天秤が逆を向くのも自然の流れとも言えた。
コツンと硬質な足音が辺りに響き渡る。開け放しになっている扉から外へ出れば、強めの風が吹いて髪が揺れる。早朝の空は薄暗くて、まばらな車の光が低い位置に見えた。
少し前までのうだるような暑さは何処へやら、冷え切った空気に思わず身を震わせる。もう少し着込んだ方が良いかと思ったが、もうそんな事どうでも良いかと思いなおす。
(もし次があるのなら、その時はもう少しマシな環境が良いな。)
最後に考えることがそれかと未だ未練を残す自分を何処か可笑しく思いながら、一歩前へと足を踏み出した。
目を開けると、ここ数日で見慣れた天井が目に入った。布団を取って体を起こし、まだ薄暗い部屋を一望する。シラカミ神社であてがわれた部屋、窓の外ではまだ夜空が広がっているのが見える。
(変な夢だった。)
いや、夢と言うのもまた異なるのだが、もしかすると昨日白上さんから夢見が悪かったという話を聞いたからかもしれない。
ここ数日妙に目の行く白い狐の少女を思い浮かべながら、ふと自らの頭へと手を当てる。そこにはもう獣耳の感触は無く、無事元の状態に戻れたことを確認してほっと一息ついた。
特段不便があったわけでも無いのだが、しかし些か聴覚が鋭敏になりすぎていて落ち着かなかったのも確かだ。慣れればまた別なのだろうが、あれが常時の白上さんや大神さんにはこれから大きな音を立て過ぎないようにしようと考えつつ、俺は身支度を終えて部屋を出た。
「透君、今日はちょっと調子が悪そうだね」
そう話すのは割烹着を身に着けた大神さんだった。彼女は棚から食材を取り出しながらチラリと横目でこちらを見ている。
「…そう見えます?」
「うん、何だか元気が無いように見える」
唐突に言われて思わず顔に手を当てながら聞き返すと即座に首肯が返って来た。自分でも気が付かないうちに影響が出ていたようで、原因はもしかしなくとも今朝見た夢だろう。
「今朝は少し夢見が悪かったので、多分その所為です」
当たりを付けた原因を伝えれば、大神さんはあっと思い出したかのように声を上げた。
「それ昨日フブキも言ってた。もしかして順番に夢見が悪くなるのかな…」
「どうでしょう、この神社に悪霊でも住み着きましたかね」
何ともなしに放った冗談。しかし、それを聞いた瞬間、ぴたりと時が止まったかのように大神さんはその動きを止めた。心なしか冷や汗を垂らすその顔は青く見える。
「大神さん?」
「わひゃあ!?」
その様子を不思議に思い声を掛けると、大神さんはびくりと肩を跳ねさせ大声を上げた。あまりの驚き様にこちらまで驚いてしまう。
「…あ、もしかして悪霊の部分ですか?」
「言わないで良いから、言わないで聞かないウチは何も聞いてない悪霊なんていない…」
ピンと来て確認するように問いかけてみる。すると途端に大神さんは耳を塞いでしまい、うわ言のようにぶつぶつと一人呟き始めてしまった。
そう言えば彼女はホラー系統を極端に怖がっている節がある。ちょっとした冗談のつもりだったのだが、彼女にとっては恐怖心を抱くには十分すぎたようだ。
「うぅ、今日もあやめと一緒に寝ようかな…」
「もうどっちが母親かわかりませんね」
涙目で震える目の前の彼女に先日百鬼さんに見せていたような母性は無く、むしろ幼子のようにすら見えた。
こうなると二人の関係が逆転することになるのかと、ふと大神さんを優しくあやす百鬼さんの姿を想像し、しかし思いの他しっくりと来て特に違和感を覚えない自分に驚いた。
(百鬼さんって、あれで意外と包容力があるんだな…)
「あれで意外と?」
「ん?」
頭の中でふと思ったそれに何故か後ろから返事が返って来る。嫌な予感を感じつつぱっと振り返れば、そこにはキッチンの出入口に立ってこちらを見ている鬼の少女の姿があった。
「…おはようございます、百鬼さん。もしかして、声に出てました?」
「おはよう、透くん。うん、丁度聞こえた…それであれでってどういう事?」
にこにこと微笑みながら言う百鬼さんだったが、彼女から感じる威圧感は凄まじく完全にやらかしたことを悟る。
「あ、いや別に百鬼さんを乏そうとした訳ではなくて…」
「うんうん、それであれでって?」
「すみませんでした」
何とか弁明をしようと口を開くも繰り返された百鬼さんのその問いに即座に頭を下げる。こうなってしまってはもう抗いようがない、これ以上変に刺激するよりも素直に謝っておいたほうが良い。
「いいもん、余はどうせぽわぽわしてるもん」
ぷくりと可愛らしく頬を膨らませた百鬼さんはそのままつんとそっぽを向いてしまった。やはり先ほどのは思い違いだったかと考えつつ何とか許しを得ようと拝み倒していると、いつの間に平静を取り戻していたのか、不意に大神さんが口を開く。
「そうだ、あやめ。透君がちょっと調子が悪いみたいだから居間に連れて行ってあげてくれる?」
「透くん調子悪いの?分かった、余がちゃんと面倒みるね」
先ほどまで拗ねて見せていた様子は何処へやら、大神さんの話を聞いた途端に百鬼さんはぱっと切り替えて心配そうな表情を浮かべてこくりと一つ頷く。
「え、ちょっと待ってください、別にそこまでする程じゃないです。それに朝食も作らないと」
「ウチが作るから大丈夫だよ。昨日ミゾレさんと一緒に作った試作がたくさんあるし、ご飯を炊いてお味噌汁を作るくらいだから」
だから心配しないでと、彼女にそこまで言われてはこちらも強くは出れなかった。
「…じゃあ、お願いします」
「うん、任せて」
やはり悪いのではと抵抗を感じつつも彼女の心遣いに折れれば、大神さんは満足そうに頷いて、俺はそのまま百鬼さんに手を引かれてキッチンを後にした。
居間へとたどり着いた俺と百鬼さんであったが、到着するや否や百鬼さんは何処から取り出したのか布団を畳の上へと敷くとそこへ俺を寝かせようとしていた。
「あの、百鬼さん?」
「透くん大丈夫?余がお熱計ってあげようか?」
戸惑い混じりの呼びかけはしかし百鬼さんには届いていないようで、手慣れた手つきでてきぱきと看病の用意をする彼女の対応は完全に病人に対するそれであった。
「大丈夫です、調子が悪いと言っても少し夢見が悪かっただけですから」
調子が悪いの部分で恐らく互いの認識に齟齬が生じていた様で、すぐに誤解を解く。
「そうなの?…確かに表情が暗いかも」
「暗いのは多分元からです。とにかく、体調には問題ありません」
キョトンとした表情で顔を覗き込んでくる百鬼さんへそう答えれば、彼女は何処か安堵したようにほっと息を吐く。
「そっかー、なら良かった」
はにかみながら言う彼女の姿を、俺は思わずジッと見つめてしまう。誤解もあったが、しかし彼女なりに心配して全力を尽くそうとしてくれていた。
「…ありがとうございます」
それを理解したからなのか、気が付けばそんな感謝の言葉が口から零れ落ちていた。咄嗟の事で口に手を当てるも、流石に聞こえていたようで百鬼さんはぱっと顔を輝かせて笑みを浮かべる。
「どういたしまして!」
ただこれだけの定番のやり取り、けれどこの時の俺にとってはどうしようもない程に気恥ずかしく感じて、内面が外に出てこないように抑えるのがやっとだった。
それから暫くして、大神さんが盆に朝食を運んできてからいつもの様に白上さんを起こしに再び居間を出て行く。その両手にはやはりというべきかフライパンとお玉が握られていて、あの騒音がシラカミ神社においての暁鐘となりつつある。
「ミオ…、もう少し優しく起こして下さいよー…」
「フブキが寝過ごすからでしょ」
そうして寝ぼけ眼をこすりながら居間に入って来る白上さんのささやかな抗議を一蹴する大神さん。テンプレートとなったそんなやり取りに、いつの間にか俺は安心感を覚える様になっていて。
「全員そろったし、朝ごはんにしよっか」
大神さんの鶴の一声で席に着く。テーブルの上には湯気を立てる朝食が並べられており、揃って手を合わせてから箸を取る。
(…温かいな)
胸の奥にじんわりと広がる温もりは心が溶けてしまいそうに思える程に熱くて、それに伴って生じる困惑や戸惑いを誤魔化すようにぐっと俺は湯気を立てる味噌汁を喉の奥へと流し込んだ。
昼下がり、各々が自由行動をしている最中縁側に座り一人外の景色を眺める。太陽に照らされた雑木林、揺れる木の葉、それらを眺める様はまるで穏やかな老後の様で、まさかこんな平穏の中に居る事になるとは思いもしなかった。
それに比べてと、ふと今朝見た夢を思い出す。
今の状況とは正しく雲泥の差だ。偶然紛れ込むことになったこのカクリヨという世界で、こんな平和な生活を送る事になったのは紛れもなく彼女らの存在が大きいのだろう。
「…何なんだろうな、これは」
ぽつり呟いて胸に手を当てる。自らの中に確かにある妙なざわめき。それが何であるのか、いくら考えても答えは出ないままだ。
(…答えを知って、それでどうするんだ)
答えを知りたいと思う一方で、それに何の意味があるのかと問いかけてくる自分も居る。どうでも良いことだ、知ったところで何も変わりはしない。それは分かっているつもりなのに、尚知りたいと思うのは何故だろう。
そんな自問自答は延々とループして、結局答えを見失うのだから何とも馬鹿げた話だ。
「あ、透君ここに居たんだ」
ふと大神さんの声が聞こえてくる。彼女の方へと視線を向けて見れば大神さんだけでなく白上さん、百鬼さんも揃っていて、三人共外出の準備を既に整えていた。
「あれ、何処か出かけるんですか?」
まさか新しい異変についての手掛かりでも掴んだのかと一瞬思ったが、しかしそれにしては三人共軽装だった。
「うん、ミゾレ食堂にタッパーとか返しに行くついでに、折角だし今日の夕飯も済ませちゃおうと思って」
そう言って大神さんは大量のタッパーの入った袋を開いて見せる。確かに昨夜、今朝、先の昼と三食の中で大神さんがミゾレ神社で作ったという料理が出てきたが、改めて見るとかなりの量がある。
「透君の準備ができ次第出発するけど、すぐに出れそう?」
「えぇ、今からでも」
食事をするだけで荷物は必要にならない為準備の必要も無く。俺達はそのままミゾレ食堂へと神社を出発した。
「…確かに、食堂ってのは客の腹を満たすための場所さ。あたしもそれを信条にしてるし、食いたい奴を拒むつもりもない。…だけどねぇ…」
ミゾレ食堂の中、カウンターから出てきた店主であるミゾレさんは苦々しい表情で続けると、ずいとその指を俺達の座るテーブル席の一角へと向けた。
「そこの狐娘だけはそろそろ出禁にしようか」
「…白上ですか!?」
指したその指の向かう先に座る白上さんはそれを受けてちらちらと左右を見渡してから自分の事だと気が付くと、とんと持っていた器を置き、口の中のモノを飲み込んでから驚愕交じりの悲鳴を上げた。
その顔にはありありと心外だと言う彼女の心の声が浮かび上がっており、それを見たミゾレさんの額には薄く青筋が浮かんだ。
「あんたが来るたびにうどんとそれに関する材料が底をつくのさ!どんな胃袋してんだい!」
「いつもフブキがご迷惑をおかけしてます…」
「ちょっ、ミオまで!?」
予想外の身内の裏切りに白上さんの驚愕に満ちた声が響く。そんな彼女の前にあるテーブルの上にはこれでもかという程の器が重ねられており、それらすべてが彼女の注文した大量のきつねうどんの名残であった。
正確な数字については十を超えたあたりで数えるのをやめた。料理人泣かせとはまさにこのことで、その内俺もあれの餌食になるのだと思うと軽く現実逃避をしたくなるレベルだ。
そんな悪行の果てにミゾレ食堂を追放されそうになっている彼女は、おろおろと味方を探して今度はこちらへ視線を向けてくる。
「と、透さん、あやめちゃん…」
「あ、百鬼さん、それ美味しそうですね。なんですかそれ?」
「茶碗蒸しだよ、余の中で最近ブームが来てるの」
助けを求めるような彼女からそっと視線を逸らして他の話題へと興じる。少しくらいは助け舟を出したいところなのだが、しかし横に立つミゾレさんの鋭い威圧感を放つ視線を前にしてはそんな事出来るはずもなく。
味方のいない現状を把握し、徐々に迫って来るミゾレさんの姿に白上さんの顔に絶望が宿る。
「そんな…、ミゾレさん、白上だって悪気があった訳ではないんです!ただここのきつねうどんがあまりにも美味しくて、つい食べ過ぎて!」
「…美味しい」
必死な形相の白上さんのその弁明を聞いて、ピクリとミゾレさんが反応を示した。
「はい、丁寧に取られた出汁、のど越しの良いもちもちとしたうどん、繊細な味の調整、どれをとっても完璧なここのうどんが白上は大好きなんです!」
そこに更に畳みかけるように白上さんは続ける。自らの作った料理をここまで褒められて何も思わない者が果たして世界にどれだけいるのだろう。
「…全く、今回は見逃してやろうかね」
「よしっ!」
遂に陥落したミゾレさんに、白上さん渾身のガッツポーズが決まる。何とか窮地は脱したらしい。
「ではミゾレさん、もう一杯お替りをお願いしてもよろしいですか?」
「あんたは…、ったく、仕方ないねぇ」
舌の根も乾かぬうちに次を要求する白上さんに、けれどミゾレさんも笑みを浮かべて奥へと引っ込んでいき、そしてそう時間も掛からずに先までの器よりもさらに大きな器一杯のきつねうどんを運んできて白上さんの前にどんと音を立てて置いた。
歓声を上げる白上さんは、お礼を口にするや否やすぐにうどんに夢中になってしまった。
「…まぁ、あれだけ食べられるのは気持ちが良いからね」
「ミゾレさん、なんだかんだで甘い所あるよね」
「ほっときな」
大神さんに揶揄われてぶっきらぼうに言い放つミゾレさんは、けれど悪くは思っていないようで、ミゾレさんと彼女らの仲も相応のモノであるという事が伝わって来る。
何処か他人事のようにそれを眺めていたが、しかしミゾレさんは今度はこちらへと視線を向けてくる。
「あたしだけじゃなく、透も覚悟をしておくんだね。あれの相手は骨が折れるよ」
「あー…確かにそうみたいですね。今から既に不安です」
シラカミ神社で料理をするという事はそういう事になる。ミゾレさんの忠告を素直に受け取れば、ミゾレさんはそんな俺を見て驚いたように目を丸くした。
「おや、透。あんた、少し見ないうちに変わったじゃないか」
「はい?」
何のことか理解できずに、思わず疑問に声を上げる。変わったとは何の事だ。困惑が表情にまで出ていたのか、ミゾレさんはにやりと笑みを浮かべて続ける。
「前はしけた面をしてたけどね、今は随分と明るくなってる。この子らに影響でもされたのかい?」
「明るくって…俺が?」
「そうさ、あんたは今良い方向に変わってるのさ」
そう言って大きく笑うミゾレさんだったが、対照的に俺はぴしゃりと冷水を浴びせられたかの様な心地だった。同時に今まで答えを見つけられずに蓋をしていた様々な困惑、戸惑いが一気に溢れ出て来て、何が正しくて何が間違いなのか分からなくなる。
急に目の前の現実が、まるで別世界の出来事のように見えた。多分、俺は今までのぼせていたのだ、もしくは夢を見ていた。
周囲は暖かい空気に満ちているのに、自分の周りだけ冷たい氷で覆われている。
(何も、変わってなんかない…)
その言葉はまるで自分に言い聞かせているようで、そんな俺を白上さんだけがじっと見つめていた。