「透君、ちょっと変わったよね」
そう話すのは割烹着を身に着けた大神だ。彼女は出汁を取る為に火にかけた鍋を匙でかき混ぜつつこちらにちらりと珍しいものを見るような視線を送っている。
朝に白上と話してから、俺はいつものようにキッチンで大神と共に昼食の準備をしていた。
「そうだな、取り合えず無理に敬語は使わなくなった。…気になるか?」
「ううん、距離が近づいた気がして良いなって」
柔らかく微笑む彼女を見てほっと安堵の息を吐く。正直自分でも急激に変えすぎかとも考えていたが、一応は受け入れて貰えているようだ。
「でも、どうして急に?昨日までは敬語を外す気配も無かった気がするけど…」
大神はそう不思議そうに問いかけてくる。
それは至極真っ当な疑問だろう。昨日の今日で自分でも何となく不慣れな感覚を覚えているのだ、大神がそれ以上の違和感を感じるのも道理だ。
「あー…、まぁ、色々とあってな」
「ふーん…」
昨夜聞いた白上の過去と現在の話。それらに影響を受けたことを悟られるのがどうにも気恥ずかしくて、そんなあやふやな言葉で場を濁そうとするが、しかし大神は何処か意味深な視線を送ってくる。
「何だよその目は」
「…さては、フブキと何かあったでしょ」
包丁とまな板が強くぶつかり、鹿威しに似た音がキッチンに鳴り響く。半分まで千切りにされたキャベツがまな板の上でバランスを取るのと、俺が動揺から抜け出すのは同時であった。
「な、何で知って…」
ポロリと零れ落ちるその言葉を途中で口に手を当ててせき止めるが、大神のにやりとした笑みを見て手遅れだったと悟る。
「やっぱりそうだったんだ。いやー、口調も変わったけど、最初の頃と比べで透君は表情が随分と豊かになったんだね」
揶揄うように言ってくる大神に思わず自らの顔が引きつるのを感じる。
「性質悪いぞ…、あぁそうだよ、悪いか」
「あ、開き直った」
ここまでくればもう自棄である。距離を近づけるというのもきちんと良し悪しがあるらしい。
若干熱い頬を誤魔化す様に目の前の野菜を切り分ける。そんな俺の姿を見て、大神はくすくすと笑みを浮かべた。
「でも、ウチが今の透君も良いなって思ってるのは本当だよ。だって透君、前よりずっと明るい表情してる」
「それは…どうも」
どう答えれば良いのか、返事に迷った挙句俺はそんなぶっきらぼうな答えを返す。こうして肯定的な事を言われるのは、どうにも慣れない。
「ん、ちょっと口調戻ってる?」
小首を傾げる大神。やはり昨日の今日ではまだ定着してはいない様で、恐らくこれからも時折出るのだろうなと内心で苦笑いを浮かべる。
「目ざといな…。ほら、それより野菜の下拵え終わったぞ」
「はーい、こっちももう直ぐ終わるよ」
そうしてやや強引に話を流して、俺と大神は昼食の準備を進める。いつもと変わらないそれが、今は無性に代えがたいもののように感じた。
昼食の後、後片付けなど諸々を終えればやることも無い自由な時間となる。最近はめっきり無くなってしまったが、一応はまだカクリヨの異変も解決していない。とはいえ、何も情報が無く異変も落ち着いている今特にやる子も無いのは確かで、平和な日常が続いている。
御託は並べたが、俺はそんな時間が実は苦手だったりする。別に平和が嫌と言うわけでは無い、むしろ望むところなのだが、ただ何をしたものかと途方に暮れてしまうのだ。
今までこれと言って趣味を作ってこなかったのが完全に仇となっていた。この辺り、他の三人は各々が趣味のようなやることを持っている。
例えば白上はよく部屋でゲームをしているし、大神は料理をしたりそれ以外は部屋に籠って何かしていて、百鬼はよく外で刀を振っているのを見かける。
対して、俺は何をやるでもなく部屋で一人天井を眺めていた。
「…俺も何か趣味を作るべきか」
そうでもしないと時間を持て余してしまう。趣味と言ってぱっと思いつくのはやはり料理だが、しかしそこまで熱意があるかと言われると頷きがたい。
元々料理自体が無心で何かに集中するために続けていたものだ。好きでやっているかと言われるとそうではない。
(まぁ最近は楽しいけど、趣味にするとなるとな…)
今の状態で趣味にすると恐らくのめりこんでしまう自信があった。ただでさえ大神も趣味で料理をしていて時折量産されているのだ、いくら四人いるとはいえそこに俺の作った分まで加わるとなると消費が怪しくなる。
(となると料理は除外。他に趣味にできそうな事と言えば…)
これまでのカクリヨでの生活を振り返って何か良さそうなものはないかと思考を巡らせる。とは言えども高々数日、確かにここでの日々は一日一日が濃いが、そう都合良くは見つからない。
「あ…」
諦めて何か暇をつぶせそうなものでも探しに行こうと立ち上がりかけたその瞬間、ふと先日に四人でやったゲームを思い出す。
あの時はまだ迷いの中に居て気づかなかったが今なら分かる、俺は確かにあの時間を楽しんでいた。
「ゲームか…」
この神社でゲームと言えば白上だ。今の時間なら部屋にいるだろうし、相談も兼ねて一度彼女の元へ話に行くのも有りだろう。
「…よし、行くか」
思いつくや否や、俺は今度こそ立ち上がり部屋を後にした。
出た廊下には外から眩しい日光が差し込んで来ていた。ふと外へと目を向けてみれば、青々とした空には雲一つ浮かばない気持ちの良い快晴が広がっており、その下には幻想的な自然が水平線の先まで続いている。
(改めて、ウツシヨとは違うんだな…)
ここから見える景色は結構お気に入りであったりする。大抵鉄塔や建物などの見えるような開発の進んでいるウツシヨではまずお目に掛かれない光景だ。
(こんな風に考えるようになるとは思わなかった)
以前までの自分ならこんなこと考えもしなかった。カクリヨに来てからは予想外の連続で、今では新たな自分の一面を見つけることが楽しくなってきている。それもこれも、シラカミ神社での生活があってこそなのだろう。
受け入れてしまえばなんてことは無い、そんな風に考えながら俺は外から視線を外す。
「…ん?」
すると、先の廊下の端に何やら小さな火の玉が浮かんでいるのが見える。火の玉はこちらへ来てと誘うように揺れ方を逐一変えていて、それを見た俺はこの光景に既視感を覚えていた。
「百鬼だな、確実に」
そうして辿り着いた仕掛け人の名前を断言する。前は確かあれに近づいた瞬間に鬼の面をかぶった出現して、驚いた俺を見て百鬼は大層楽しそうに笑っていた。
(…今回はどこに隠れてるんだ?)
仕掛けているということはどこかから見ている筈だ。きょろきょろと周囲を見渡してみるが、どの物陰にもそれらしい影は見当たらない。あくまで引っかかるまでは出てこないつもりらしい。
「…仕方がないか」
ここでスルーするのも一つの手なのだが、如何にもそれをするのは躊躇われた。悩んだ末、意を決して俺はその火の玉へと近づいていく。今か今かといつ驚かされても良いように身構えながら火の玉のすぐ傍まで移動するも、しかし一向に何も起こらない。
遂には手で触れられるまでの距離になり不思議に思いながらそれを見つめていれば、ゆらりと大きく火の玉が揺れたかと思うとそのまま何事も無く消えてしまった。
「えぇ…」
完全に肩透かしを食らってしまい気の抜けたような声が出る。これは新しいパターンだ、まさか何も起きないとは思わなかった。
今一つ百鬼が何をしたかったのか分からないままに先に進もうとくるりと背後へ振り返る。
「ばあ!!」
「どわっ!?」
途端、上から突如として百鬼が目の前に降って来て、俺は思わず驚愕に肩を跳ねさせた。後ろへと後退り見てみれば、そこには天井から蝙蝠のようにぶら下がる形の百鬼が髪を下に垂れさせながら悪戯な笑みを浮かべていた。
「どう?びっくりした?」
「…あぁ、心臓が口から飛び出るかと思った」
してやられた。若干の悔しさを感じつつ未だ高鳴ったままの鼓動の中で答えると、何故か百鬼はぽかんと呆けた顔でじっとこちらを見る。
「百鬼?」
「笑った」
どうしたのかと声を掛けると、百鬼はぽつりとそんなことを呟く。確かに苦笑いが浮かんでいる自覚はあるが驚く程の事だろうかと不思議に思っていると、百鬼は身軽に天井から廊下へと降りて目を輝かせながらずいとこちらへずいと詰め寄って来る。
「透くん、今笑ったよね!」
「笑ったというか、苦笑いだが…はい」
状況も理解できないまま取り合えずその通りだと頷けば、一瞬百鬼は顔を俯かせて、次の瞬間感情を爆発させた。
「いやったー!透くんが笑ったー!」
喜色満面で飛び跳ねる百鬼に、今度は俺が呆然とする番だった。ただ笑っただけでここまで喜ばれるのはそれこそ赤ん坊くらいのモノではなかろうか。
喜ばれるのは良いが、流石にこのレベルだと困惑が勝る。
「何がそこまで嬉しいんだよ、笑うくらい普通の事だろ?」
「えー、でも透くんの笑顔、余は初めて見た」
「…」
返って来た彼女の言葉に思わず黙り込む。咄嗟に否定の言葉が出なかったのは、自分でもそのあたり確信が持てなかったからだ。
そうなの?と確認を取るように目で問いかければ、百鬼はこくりと頷いて肯定してくる。
「今までの透くん、無表情って言うか何だか暗い表情が多かったの。でも今日の透くんは凄く明るい顔してる」
上機嫌そうな百鬼に言われて、つい自分の顔に手を当てる。確かに意識して笑うことも無かったが、まさかそこまでとは思わなかった。
しかし、明るくなったか…。
「大神にも言われたよ。そんなに違ってるか?」
「うん、余は今の透くんの方が良いと思う」
即答だった。
どうやら自分で思っている以上に、いつの間にか俺は変わってきているようだ。彼女らの反応から少なくも良い方向であるのは確かで、変われているという事実は素直に嬉しく思った。
そして、こうして大神と百鬼と話して分かったが、白上だけでなく彼女達もまたよく俺の事を見てくれていたようだ
「じゃあ透くんが笑ったってミオちゃんに報告してくる!」
「…待て、その珍獣みたいな扱いは不本意なんだが…!」
言い残して風のように去っていく百鬼にその言葉は届かず、すぐにその背は見えなくなってしまった。取り残された俺はただ一人、ぽつりとその場に残される。
それにしても、先の百鬼の反応。彼女が悪戯をしていたのは、もしや俺を笑わせる為だったのだろうか。にしては大神も犠牲になっていたし、彼女の趣味の側面も否定できない。けれど、仮にそうだったとしたのなら…。
(…まさかな)
流石に考えすぎだ。そう結論付けてから、俺は元の目的通り白上の部屋へと足を向けた。
「白上、居るか?」
『…はーい!』
部屋の前、襖をノックして声を掛けると中から少し物音が聞こえて来て、少し遅れてから白上の声が聞こえてくる。
そして襖が開くと、何故か寝巻に着替えた白上が姿を現した。
「おや、透さん。透さんから訪ねてくるのは珍しいですね」
「あぁ、少し話がしたくてな。…それよりその格好は?」
昼食の際には普通の恰好であった筈だ。部屋の中へと招き入れる白上へと途中問いかければ、彼女は自らの恰好へと目を落とす。
「寝巻ですよ。天気も良い事ですし、少しお昼寝でもしようかと思いまして」
そう言って白上が指さした先にはちゃっかりと窓際に布団が敷かれていて、暖かな陽気の中眠る気満々といった気概を感じさせる。
「それで、お話とは?」
「実は…」
白上の用意してくれた座布団に向かい合う形で座り、改めて白上は要件を問うてきて、俺はここに来た経緯を簡潔に説明する。
「…なる程、趣味を探してるんですね。その一環でゲームが上がって白上の所へ来たと」
「そうなる。まぁ、どちらかと言うと他にも何かないかって相談よりではあるんだが」
別にゲームにこだわりがある訳ではない。こちとらその辺りに関しては初心者と言っても差し障りは無いため、自分にあった趣味を探したいと考えていた。
「そう言う事でしたら任せて下さい!この白上、現在の趣味は多岐に渡っていますので立派に透さんを導いて見せますよ」
「よろしく頼む」
とんと張った胸を叩く彼女に頼もしさを覚える。
白上はコホンと一つ咳ばらいを入れると、何処から取り出したのか眼鏡を掛けてくいと上げてからから口を開いた。
「まず趣味と言っても方向性を決めないとですね、大雑把にアウトドアやインドアで分けてそこから絞り込んでいくというのも一つの手です。白上の趣味はゲームだったり、後はお茶を淹れたり、屋台巡りだったり…どちらかと言うとインドア寄りですね」
そうして始まった趣味講座。白上の話を受けて、改めて自分の関心について考えてみる。
体を動かす事は嫌いではないが、特に好きという訳でも無い。しかし、これは今までその機会が無かっただけで、いざ動いてみると思いの他しっくりくるのかもしれない。手を動かすのも同様で、やはりこちらも判断がつかない。
「…難しいな。今まで触れてこなかったものが多すぎて、自分の傾向が掴めない」
それを聞くと白上は考え込む様に口元に手を当てた。
「んー、そうですか。…ならひとまず色々と試してみるのは如何ですか?一度やってみて合わなければ他のモノに移れば良いですし」
「試すか…なる程、その手があったな。ありがとう白上、助かった」
「いえいえ、どういたしまして」
彼女のおかげで、何となく方向性は定まった。
趣味を決めるにしても一つに固執しなくても良い。白上のように多くの趣味があれば気分に応じてその日にやることを決められるというものだ。
「と、いう訳で。今日の所は透さんも一緒にお昼寝をしませんか?ほら、先ほども試してみようという話になりましたし」
話も纏まった所でお暇しようと考えていた折、不意に白上は手を合わせてそんな提案をしてくる。それ自体は良いのだが、しかし浮かぶ疑問が一つ。
「…昼寝って、趣味の内に入るのか?」
率直な疑問を口にすると、しかし彼女は甘いと言わんばかりに指を振る。
「透さん、趣味について細かい所を気にしてはいけません。要はそれを楽しめるかどうかが肝心なんです。白上の魂がそう叫んでいます」
「…そっか、勉強になる」
尤もな事を言ってはいるが、ふとこの狐実は眠いだけなのではないかという疑念が湧いてきた。現に話が纏まった辺りから声音がふわふわとしていて、目も眠そうにとろんとしている。
「白上、今眠かったりするか?」
「ははっ、そんな訳ないじゃないですか」
聞いてみるとしっかりと答える彼女だが、言葉とは裏腹にその瞳はすっと逸らされた。どうやら眠たいらしい。元々昼寝をしようとしていたのだ、それも当然と言える。
「とにかく、透さんも一緒に寝ましょう。物は試しと言いますし、今日は日差しが気持ち良いですから」
「あ、あぁ、分かった」
あくび交じりに言う白上に流されて、二人揃って窓際に敷かれた敷布団の上に並んで横になる。
「ほら、暖かくて目を閉じれば…すぅ」
それからさほど時間も経たずに、横からはそんな白上の寝息が聞こえてきた。彼女の言う通りぽかぽかとした陽気は掛け布団を必要とさせず、眠気を誘ってくる。
(確かに、これは眠くなる)
やがて隣から聞こえてくる気持ちの良さそうな寝息に誘われてか耐えがたい眠気に襲われて、いつの間にか意識は暗闇へと落ちて行った。
「透くん、居ないね」
「そうだね、フブキとゲームでもしてるのかな」
きょろきょろと辺りを見渡しながら言うあやめにミオがふと当たりを付けて答える。
時刻は夕方、いつもであれば既に夕食の準備を始める時間帯だが、一向に姿を見せない透を不思議に思ったミオはあやめと共に彼を探して神社を回っていた。
「部屋にもいなかったから、そうかも」
透の部屋にも訪れた二人だったが中はもぬけの殻で、次の目的地として二人はフブキの部屋へと向かう。
「フブキー」
襖をノックしながら声を掛けるミオであったが、中から返事は返ってこない。基本的に部屋に居る事の多いフブキなだけにこれは予想外で、ミオとあやめは互いに目を見合わせた。
「二人でお出かけ?」
「んー、それなら声を掛けると思うけど…。フブキ、開けるからね」
一応再び声を掛けてから、ミオは取っ手へと手を掛けて襖を横に開く。そうして目にした部屋の様子に、二人は揃って納得の声を上げ、その顔には笑みが浮かぶ。
「…ミオちゃん、どうする?」
「うーん…、今日はこのままにしてあげよっか。あやめ、夕食の準備手伝ってくれる?」
「うん、余頑張る」
声を落として話し合う二人。その視線の先では窓から差し込む夕日に照らされて、フブキと透が揃って寝息を立てていた。