それはとある日の事。
いつも通り平和な、けれど何処か騒がしい日常の流れるこの頃、シラカミ神社で生活する俺達四人は、大きめのバスケットを持って森の中の道を歩いていた。
「ピクニック~♪」
前を行く白上と百鬼は手を取り合い、らんらんとスキップでも踏みそうな程の上機嫌ぶりで、即興のリズムを口ずさんでいる。
「二人共ー、一応ここ足場が悪いから転ばないようにねー!」
「はーい!」
「分かってますよー!」
注意を促す大神に元気よく答えつつ、彼女らは険しい道もなんのそのと軽々と先へ進んで行っていった。
白上と百鬼の言うように、今回は皆でピクニックへと赴いていた。こうなった経緯としてはなんてことは無い。ただ誰かが思い付き(今回は百鬼だった)、他がそれに同調して揃って行動に移した、それだけだ。
とはいえ、行動力がありすぎるのも考え物だ。幸い、空は青く澄み渡っていて絶好のお出かけ日和だが、流石に今朝提案を受けて、出発までに間に合うよう準備をするのも骨が折れた。
しかしその甲斐もあり、バスケットの中には俺と大神の最高傑作が陽の目を浴びる事を待ち望んでいる。
今から二人の反応が楽しみだと、隣を歩く大神とほくそ笑み合っていれば、ふと前の方から歓声が聞こえてきた。
「ひゃー、綺麗ですね!」
「凄ーい!」
続けて飛んでくる感嘆の声に、俺と大神は顔を見合わせて、すぐに二人の元へと急ぐ。やがて周りに立ち並んでいた木々を追い越すと、頭上から降り注ぐ明るい日光に一瞬目を閉じて、再び目を開き目の前の景色を視界に収めた。
木々の開けた先に待っていたのは、ずっと先まで続いている大きな草原だった。季節に似合わずに咲き誇る草花、少し遠くには吹く柔らかな風に水面を波立たせる小さな湖が見える。
そこに在るのは圧倒的なまでの自然で、俺達は思わず足を止めてその光景に見入った。
「良い景色だねー」
「あぁ…」
風になびく髪を抑えながら言う大神に、俺は心ここに在らずで相槌を打つ。それ程までに、この景色を美しいと思った。
「本当に、綺麗だ」
草原へと到着すると、俺達は丁度良い所にあった木陰にシートを敷いて、諸々の準備を終えてから一度腰を落ち着ける。
一般人であるこちらはここまででそれなりに疲労困憊ではあるのだが、しかし同じ道を歩いてきた筈の白上や百鬼はそうでもないようで、二人共ウキウキで楽しそうに周辺を見て回っている。
「透君、お疲れ様。お茶飲む?」
「ありがとう大神、貰うよ」
手渡されるコップをありがたく受け取る。冷たいお茶で乾いた喉を潤しながら、しゃがみ込んでまじまじと咲いている花を眺めている白上と百鬼を見る。
「元気だな、二人共。大神も結構余裕ありそうだけど、疲れてないのか?」
シートに座り、同じく二人を見つめる大神の顔は涼し気で、汗一つかいていない。
「うん、ウチもあの二人もカミだからね、このくらいなら全然だよ」
「ここまで移動して、息切れ一つ無いのは羨ましい限りだ」
今居る草原だが、実はシラカミ神社からはそれなりに離れていたりする。其の甲斐も有り景観は最高ではあるのだが、道のりは基本的に舗装された道では勿論ない。森の中の道は所々木の根が出張っている為歩きづらく、余分に体力を持っていかれた。
「透君はイワレが無いから尚更きついんだと思う。少しでもあったらある程度は補正がかかるんだけど…」
「まぁ、元々がイワレの無いウツシヨ出身だからな、ある方がおかしい」
人気の無い森の中ということもあるのだろうが、基本的にカクリヨは街以外の道は、道として認識できる程度でそこまで舗装されている訳ではない。
その原因に当たるのは恐らくイワレの存在だろう。イワレによって身体能力がウツシヨの平均とはかけ離れており、少し道が悪い、長距離を移動する、これらの点が苦にならないのだ。
「ねぇ、透君は…」
「ん?」
ふと何かを言いかけた大神は、けれど途中で言葉を止めてしまう。不思議に思い彼女の方へと目を向けてみると、大神は誤魔化すように笑みを浮かべた。
「…やっぱり何でもない!それより、そろそろお昼だから、ささっと準備しちゃうね」
「そうか?ならあの二人も…」
呼び戻さないと、そう思い外していた視線を戻してみれば、つい先ほどまでそこに居た筈の白上と百鬼の姿が消えていた。
きょろきょろと辺りを見渡してみるも、何処にも彼女らの姿は見当たらない。
「あれ…大神、白上と百鬼の事見てないか?」
「え?さっきまでそこに…って、居ないね。どこ行ったんだろ…」
どうやら大神も見ていなかったようで、首を傾げている。完全に二人を見失ってしまった。
これでは折角作った料理のお披露目が出来ないではないか。いや、それは別に良いのだが、消えた二人が白上と百鬼という点に少し嫌な予感を感じる。なにせ悪戯好きな百鬼に、ノリの良い白上だ。何かを企んでいるに違いない。
大神も同じ結論に至ったようで、些か警戒した様子で周囲へ目を走らせながら、そっと手を前に出す。
「あっちがその気なら、ウチにだって考えがあるからね」
普段餌食になっている彼女の事だ、日ごろの鬱憤もあったのだろう。その瞳に炎を灯して大神が言うと同時、淡い光と共に彼女の手の上に手のひら大の水晶玉が現れた。
「二人の居場所は…」
集中するように目を瞑りぽつりと呟かれたその一言で、今現在彼女のやろうとしている事を察し、固唾を飲んでその様子を見守る。
そよ風が頭上の木の葉を揺らす。やがてかっと目を見開いた大神は、おもむろにもう片方の空いた手を頭上へと向けた。
「そこっ!!」
裂帛の気合と共に、ごうと音を立てて掲げられた彼女の手のひらから丁度上にある生い茂る木の枝達へ向けて大きな炎が立ち昇った。
「わひゃあ!?」
「うきゃあ!?」
すると、頭上からそんな驚いたような悲鳴が降って来る。それから一拍遅れて木の葉にしては大きな影が二つぼとぼとと落ちて来て、慌ててバスケットを横へと避難させる。
安全地帯にバスケット下ろしてから、落ちてきた二つの影へと目を向けて見ると、そこにはぐるぐると目を回した白上と百鬼の姿があった。
「白上に百鬼、いつの間に木の上に昇ってたんだよ…」
どうやら気が付かぬ内に、頭上へと移動していたらしい。
「もう…、フブキ、あやめ?毎回ウチを驚かそうとしたって、そう簡単にはいかないよ」
ふふんと大神は得意げに鼻を鳴らして見せる。思っていた以上に腹に据えかねていたのか、その顔は爽快感に満ちていた。
「ちょっと、占星術を使うのはずるいじゃないですか!」
「ミオちゃんずるい、占星術反対!」
気が付くなり抗議の声を上げる二人であったが、大神はぺたんとその耳を抑えて聞こえていないふりをする。
そんな彼女らを見つつ、俺はそっと炎の立ち上がった頭上の木を見上げた。
豪快な炎にさらされた木の葉たちは、しかし焦げ目一つ見せずに緑に潤っていて、影響は何一つ出ていないように見えた。白上や大神も、落下の衝撃で目を回してはいたが、彼女らにも焦げ目は見えない。
本当に驚かせただけで、温度としては高くない、見た目だけのモノだったようだ。
「それで、今回は何をしようとしてたんだ?」
「…珍しいものを見つけたんですけど、普通に見せるのも味気ないので…」
「これと一緒に骸骨を目の前に落とそうかなって…」
未だきゃいきゃいと騒ぎ立てる二人へと問いかけてみると、何処かバツが悪そうに白上と百鬼が答え、手に持っていたものを見せてくる。
その視線の先には、ハート形の葉が四つついた植物。
「…四葉のクローバーか?」
「そう!さっきフブキちゃんと一緒に見つけたの!」
話には聞いていたが実物を見たことは無いその名を口に出せば、百鬼は先ほどまでのバツの悪さは何処へやら、見るからに嬉しそうにパッと顔を明るくし、瞳を輝かせた。
「いやー、悪戯は失敗に終わりましたけど、こちらは大収穫でしたね」
こちらでは白上が先の大神に似た仕草で胸を張っている。だが、白上は軽く言ってはいるものの、大神にとっては死活問題で、彼女は件の首謀者へと不満げな視線を送っていた。
「なら悪戯なんてせずに普通に見せてくれれば良かったのに…」
「それだと面白くないじゃないですか」
「ウチをおもちゃにしようとしてない!?」
憐れな声を上げる大神だったが、彼女は強かだった。彼女は素早くバスケットを手繰り寄せると、その中に入っている三角形の紙包みを取り出して見せる。
「悪戯をする子は、お昼のサンドイッチの数を減らします」
座った眼で宣言する大神に、今度は白上と百鬼が震える番だった。
再三になるが、太陽も頂上へと近づいている今、彼女らはとても空腹だ。そこに、暴力的なまでに魅力的な香りを漂わせるサンドイッチ。それを目の前で取り上げられるという事は、これ以上ない拷問に等しい行為であった。
「ミ、ミオちゃん、ごめんね。余すっごく反省してる。だから…許して?」
いち早く行動に移したのは百鬼だ。彼女はうるうると目を潤ませて、何とも庇護欲を誘う仕草で許しを乞うた。
「…あやめは良い子だねー!たくさん食べて大きくなるんだよー」
「わーい!」
大神にとって、それは特攻の付いた武器に他ならない。するりと態度を軟化させた彼女は嬉々として持っていた紙包みを百鬼へと差し出し、許された百鬼は歓声を上げた。
それを見つつ、次は白上の番かと彼女の方へ視線を向けるのだが、白上は大神ではなく何故かこちらへとすっと寄ってくる。
「…透さん、白上の分を後でこっそりとお願いします」
「いや、そこは正攻法で行けよ」
変な所で狐らしさを出してぼそりと囁いてくる白上に、つい真顔でツッコミを入れてしまう。流石に百鬼のようにとはいかないだろうが、それでも幾らかやりようはあるだろう。
しかし、白上はそれを首を横に振って否定した。
「無理ですよ!ああいった泣き落としは既に何回も試行済みなんです!」
「何回も試行するなよそんなもの」
そう言えば白上は普段からお菓子を巡って、激しい戦を大神と繰り広げているのであった。詰まるところ、彼女にとって今の状況は普段と相違なく、今までの積み重ねが仇となっているようだ。
「…ちなみに戦績は?」
「白上の全敗です」
「諦めろ」
即答で返って来た絶望に、こちらもまた即答で返す。
これで一割でもあればまだ可能性はあった。しかし全敗、確率がゼロではベットも何もあったものでは無い。
「ちょちょ、見捨てないで下さい!透さんだけが頼りなんです…!」
「無理なものは無理だって!」
が、白上はまだ諦めきれないらしく、裾を引いて引き留めにかかる。昼食が掛かっているのだ、必死にもなろうというものだが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
「フブキー」
「はひ!?」
一通り百鬼を愛で終わった大神の次のターゲットは勿論白上。間延びした声で不意に大神から呼びかけられた白上はびくりと体を揺らしてピンと耳と尻尾を逆立たせる。
そして、そのままゆっくりと恐る恐る振り返る白上を待っていたのは、笑顔のままこちらへおいでと手招きをする大神であった。
その様はまるで地獄へと誘わんとする悪魔、もしくは死神のそれだ。
「透さん…」
「骨は拾ってやる」
遂に観念した白上はがくしと肩を落とし、とぼとぼと背に哀愁を漂わせながら歩いて行った。
一通り白上が大神にこってりと絞られた後、俺達は揃ってシートの上に座り、バスケットの中身を目の前に広げていた。サンドイッチは勿論の事、他にも容器に入った煮物や卵焼き、唐揚げ、ぼんじり等々を数も種類も多く揃えていて、容器を開けた際には各々から歓声が上がった。
「これを全部あんな短時間で作ったんですか!?」
そう言って白上は俺と大神へとまるで崇めるような視線を向けてくる。彼女が驚くのも無理はない、何せサンドイッチなども具材を揃えて挟む必要がある上、この量を作るにはそれなりに時間を要する。さらにそこに揚げ物まで追加されているのだ、普通に考えて時間は足りない、当初は俺もそう考えていた。
「つくづく大神のワザが羨ましく思った」
「あはは、火の制御は得意だからね」
対象の熱量を制御できるというのは、料理業界においては最早革命的ですらある。保温は勿論、火の通りにくい内部にまで熱を浸透させることが出来る、それだけで揚げ時間の短縮にもなればその分量も用意できる。改めて、自分にイワレがない事を悔やんだものだ。
そして雑談も程々に、手を合わせてそれぞれが箸を取る。
「これ美味しい!揚げたてサクサクー」
「あっふ!あ、へも、おいひいへふ!」
口々に、白上は唐揚げの熱さに悶えつつ、感嘆の声を上げる。
シラカミ神社に来てからこの方、こうした反応が返って来る事に、毎度嬉しさを覚える。やはり自分の為だけに作るより、何倍もこちらの方が良い。
「ミオちゃんも透くんも凄いなー…、余も料理したくなってきちゃった」
「あ、良いね。今度、あやめも一緒に料理しようよ」
彼女らの話を聞いて、ふと以前に百鬼も料理が出来ると言っていたことを思い出す。
「そっか、百鬼も料理が出来るんだっけか」
「うん、最近はあんまりしてないけど、これでも結構料理は出来るよ」
ふんすと胸を張る百鬼。まだ彼女の料理を食べたことは無いため、今から既に興味が尽きない。
「では、白上は三人の料理を食べる役ですね。全員料理が上手なので今から楽しみです」
そうほくそ笑むのは矢面の立たなかった白上だ。彼女はあまり料理をしないと聞いていた為、割とその立ち位置が確立しつつあった。しかし一人、そんな白上の立ち位置を揺るがすものが居た。
「えー、でもフブキも最近隠れて料理の練習してたでしょ?ほら、昨日とか」
「え、そうなの?フブキちゃんの料理、余も食べたかった」
「俺もだ、料理するんだったら呼んでくれよ」
大神によって一気に話題の中心へと立たされるのは白上。まさか過ぎる展開に理解が追いつかないのか、彼女は眼を白黒させて、見るからに泡食っていった。
「あ、いえ、ちょっと試しにやってみただけで!そんな人様に出せるようなレベルじゃ…」
「でも結構美味しそうだったよ?」
「ミオー!!」
謙遜して何とかお茶を濁そうとする白上を、けれど大神は所々口を挟んで阻止していき、遂に白上は大神へと抗議の声を上げた。やはり扱いは心得ているようで、大神は誰よりも白上の扱いが上手い。
「じゃあじゃあ、今度みんなで一緒に料理しようよ!」
そして、無邪気な笑みを浮かべて提案する百鬼に止めを刺されて、尻込みをしていた白上もついには折れた。
「うぅ…分かりましたよー」
「決まりだな。大神、ナイス」
「任せなさい」
ここまで落とし込んだ大神へと素直に称賛を送れば、彼女はどんと頼もしく胸を叩く。恨みがましい視線を送る白上だったがすぐに笑みに塗りつぶされて、それからも雑談を交えつつ賑やかな食事の時間が続いた。
食事を終えて、俺は一人シートに座り休憩をする。
他三人は現在湖の方に行って水遊びをしているようだ。その様子を遠目に見ながら、ほうっと一息をついて心を落ち着ける。吹く風は季節に似合わず涼しいもので、暖かな陽気と入り混じって心地よさを与えてくれる。
ぱしゃぱしゃと視線の先では盛んに水しぶきが上がっている。
あの三人はどうしてそこまで動けるのだろうと不思議に思う程に活発に行動していた。比べて、こちとら食後と疲労が重なって眠気に苛まれている真っ最中だ。
(平和だな…)
自分がこんなにものんびりとした思考をするようになるとは思わなかった。うつらうつらと、次第に舟を漕ぐようになり、やがて意識は暗闇に落ちる、その時だった。
『…くそっ、この身体じゃ食えないんだった』
「ん?」
ふと聞こえてきた聞き覚えのある声にふと横に目を向けて見れば、小さな白い狐(正真正銘の動物の方の狐だ)が残っていたサンドイッチの紙包みを抱えて座っていた。
何処から来たのか、今喋らなかったか。上手く状況が呑み込めずに、じっと見つめていれば、その視線に気が付いた狐はふとこちらへを向いた。
『…何見てんだ』
「え?あ、悪い」
流石に今度はしっかりと聞き取れる。つい反射的に謝って視線を外すが、やはりおかしいと気が付いて再び、視線を戻す。
狐である。どこからどう見ても小さな白い狐である。関連して上がってくるのは白上だが、彼女は今湖の方にいる。
そこまで考えて、ふとこの喋る狐の正体に思い当たった。
「なぁ、もしかして黒上フブキか?」
『ん?何であたしのこと…あぁ、そう言えば前にフブキが話してたな。そうだ、あたしは黒上フブキだ』
狐は一瞬怪訝そうな雰囲気を纏うも、すぐに合点がいったのか納得した風に声を上げる。やはり間違いは無いようだ。
以前、聞いた白上の過去の話。その際に黒上フブキの名が出て来ていた。今まで遭遇することは無かったが、まさかこんな形で邂逅することになるとは思わなかった。
「それで、黒上は何してるんだ。それなら余ってるから食べても問題ないが」
見た所、サンドイッチ目当てで出てきたようだが、しかし持つばかりで彼女は一向に食べようとはしない。
疑問に思い問いかけた所、黒上は意気消沈とした様子で口を開いた。
『シキガミの身体だと飯が食えないんだ…完全に忘れてた…。…そうだ。透、ちょっとフブキをここに呼べ』
「白上を?まぁ、良いけど…」
すると、名案とばかりに彼女は白上を呼べと要求してくる。何をするつもりなのか、不思議に思いつつ取り合えず白上へと声を掛けてみることにする。
「白上ー、少しいいか!!」
「…?はーい!」
湖の方へと手を振って呼びかければそう返事が返ってきて、すぐに白上がこちらへと駆けてくる。その合間に黒上は再び口を開いた。
『礼を言う、透』
「別にこのくらいは良いが、呼んでどうするんだ?」
『それは見てれば分かる』
今一彼女の意図を理解できないでいるも、そう間も無く白上がこちらへとやって来た。
「透さん、どうなさいました?」
「あぁ、それが…」
呼んだ経緯を説明しようとチラリと横の黒上へ視線を向けると同時、唐突に強風が吹いて思わず目を閉じた。そして、再び目を開けて改めて黒上、小さな狐の方へと目を向けて見ると、しかし何故かその姿に違和感を覚えた。
先ほどまでの鋭い雰囲気は霧散していて、代わりに狐から感じるのは白上に似た雰囲気。彼女は何故か困惑したようにきょろきょろと辺りと自らの姿を見比べている。
「…よし、これで解決だ」
横合いからそんな白上の声が聞こえてくる。けれど、何処か違和感を感じる。同じ声質の筈が、しかしこれはどちらかというと先に聞いた黒上の声だ。
改めて白上の方へと視線を戻してみると、そこには見慣れた白上の姿。けれど、白を基調としていた彼女の面影はなく、白い長髪は黒い長髪へと、今は色合いの反転した黒を基調とした姿に変化していた。
『ちょっと、黒ちゃん!変わるなら変わるって言ってくださいよ!』
呆然としていると、小さな狐の方から白上の声が飛んでくる。それを受けてふと考え込む様に顎に手を当てると、白上、もとい黒上は顔を上げた。
「変わったぞ、フブキ」
『事後報告じゃないですか!』
そんな彼女らのやり取りを見て、ようやく状況を理解する。どうやら白上と黒上が入れ替わっているようだ。入れ替わると色合いが反転するらしい。
一人納得していると、黒上はそれはさておきとそそくさと先程まで持っていたサンドイッチの紙包みを手に取る。
『…もしかして、それが食べたかったんですか?』
「そうだ、悪いか」
『いえ、確かに美味しかったですからね。それなら仕方ないです』
サンドイッチを頬張りながら憮然とした調子で黒上が答えれば、白上は同意するようしきりに頷いていた。この黒上、どうしてもこのサンドイッチが食べたくて出てきたらしい。
「…おい、透。今変な事考えてないだろうな」
「気のせいじゃないか?」
図星を突かれた気がしてそっと視線を逸らしておく。彼女の前では、あまり下手なことは考えない方が良さそうだ。
「あ、黒ちゃんだ!」
「フブキちゃん…黒くなってる…」
すると、足音と共にふと声が聞こえてくる。見れば大神と百鬼がこちらに戻ってきていて、大神は珍しいものを見る様に、百鬼は心底驚いたように目を丸くしている。
「あー…」
それらを受けて黒上は一瞬思考した後、すさまじい勢いでサンドイッチを平らげると、再び辺りに強風が吹き荒れ、次にその姿を視界に映した時には黒上から白上へと姿が戻っていた。
「あ、隠れちゃいましたね」
「えー、ウチ、久しぶりに黒ちゃんと話したかったのに…」
残念そうに大神はしゅんとしている。彼女がこう言うという事は、今のはかなり珍しい事例だったのだろう。
「ね、フブキちゃん、黒ちゃんって?」
「黒ちゃんはですね…」
黒上の存在を知らなかった百鬼の問いに白上が答える。
こうして普段は起こらないような事も起こったピクニックを、俺達はそれからも思う存分堪能するのであった。
そうして楽しかった時間は過ぎ、シラカミ神社のある山の麓へと帰って来たころには、既に空は茜色に染まっていた。
「いやー、楽しかったですね!」
「ウチも久しぶりにはしゃいじゃったなー」
「今度余も黒ちゃんと話せるかな」
「そこは黒上次第じゃないか?」
口々に感想を言い合ったり、雑談をしたりと話しながら歩いていれば、道の先に見慣れたミゾレ食堂の看板が見えてくる。
そして、ミゾレ食堂の前を通りかかった所で、丁度食堂の扉が開き、中から店主であるミゾレさんが顔を出してきた。
「あ、ミゾレさんだ。こんばんは」
「おや、あんた達。揃って何処か出かけてたのかい」
「うん、ピクニックに行ってた!」
ミゾレさんの問いかけに対して百鬼が元気よく答える。それを見て微笑ましそうにミゾレさんだったが、ふと百鬼が手に持っていたものを見て目を見開いた。
「四葉のクローバー…」
ぽつりと呟くそれだけミゾレさんは、その顔に感傷とでもいうべき感情を浮かべて、視線を宙に彷徨わせた。
普段から豪快に笑っていることの多いミゾレさんがそんな顔をするとは思わず、一瞬ぽかんと目を瞬かせてしまう。
「ミゾレさん、大丈夫ですか?」
「…あぁ、いや、少し昔の事を思い出してただけさ。そろそろあたしもボケてきたかね」
白上が声を掛けると、ようやくミゾレさんははっと息を吸うと誤魔化すように手を振る。何やら事情のありそうな雰囲気だったが、けれどあまり立ち入るような事でも無いだろう。
「それより、あんたらはもう聞いたのかい?」
「何をですか?」
話を切り返るミゾレさんに聞かれて、何の事やらと顔を見合わせてから大神が聞き返す。するとミゾレさんは、『あたしもさっき客から聞いたんだがね』と前置きを置いてから離し始める。
「何でも、キョウノミヤコで人が居なくなってるって、もっぱら噂になってるらしいのさ」