夕暮れに染まるキョウノミヤコは小麦色に色づいていて、気持ち早めに沈んでいく夕日は季節の移り目を感じさせる。
空の色の変化に伴い、帰路へと着く人々でにぎわう街道を、同じく俺も帰るべき宿へと向かって歩いていた。
結局、あの後の調査でも有益な情報を得るには至らなかった。代わりに一つ、悩みというと大げさだが、もやもやとした感情が胸に生じていた。
『お前は実際、どっちなんだ』
投げかけられた問いの答えを、俺は未だ出せずにいる。自分がこのカクリヨの事をどう思っているのか、いくら考えてもこれといったモノが出てこない。ならばウツシヨはどうかと考えてみれば、しかしこちらも曖昧な感情が浮かぶばかりで、形を成す気配が無い。
ウツシヨに帰りたくないのか、カクリヨに居たいのか。現状のままで良いと言う考えは共通しているが、どうしてもその理由を出せる気がしなかった。
思考の海に浸っていりながら歩くこと暫く、気が付けば宿がすぐそこまで近づいてきていた。とにかく今は調査が優先だと、先ほどまでの思考を頭の片隅へと追いやって、俺は扉を開けて宿へと入った。
宿の共有スペースにあるテーブル席の一つ、集合場所としていたそこには既に大神と百鬼が座っていて、白上がまだ戻ってきていない様だった。
二人と合流してすぐに白上も帰って来て、俺達は今日の調査の結果について話し合う事となった。
しかし予想していたように、やはり他三人も結果は芳しくなかったようで、得られた情報はあくまで噂と大差のないものであった。
「うん、やっぱりそう簡単には見つからないね」
この結果は大神も予想していたのか、特に動じた様子も無く軽く受け止めている。とはいえ、こうして宿を取った時点で、一日で終わる筈も無いことは周知の事実だ。
そうして調査の結果報告が終わり、三人が気を緩める前に、俺はもう一つ調査とは別にあった出来事を話すことにする。
俺と同じウツシヨ出身者の茨明人と遭遇した。流石に会話の詳細までは省いて概要だけの説明となったが、その話を聞いた三人は、さも驚いたようにその目を丸くしていた。
「それで別れ際にこれを渡されたんだが、これって一体何なんだ?」
聞きながら、明人から渡された紙片をテーブルの上に置いて見せる。まさかただのごみを渡してきたとは思わないが、かといってこれが何なのか見当がつかない。
すると、覚えがあるのか三人はあーっと納得の声を上げる。
「それを使えば、持ち主の契約してるシキガミが呼び出されるはずですよ」
白上が手を掲げれば、その手の上に虚空から見覚えのある小さな白い狐が現れる。
「この子は白上が契約してるシキガミです。シキガミは言伝を運んだり、道案内をしたりも出来るので、多分透さんとまた会うつもりで、その連絡用に渡したんじゃないでしょうか」
「また会うつもりで…」
白上の説明を聞いて、蓋をしていた感情がそっと顔を覗かせる。俺が答えを出せたなら、これを使って呼べと言う事か。
いつになる事やらと、自嘲の笑みすら浮かべたい気分だ。
「…それにしても、ウツシヨ出身でもシキガミは扱えるんだな」
少しでも思考を逸らそうと、ふと思いついて口にする。てっきりイワレが必須かと思ったがそうでは無かったのか、それともウツシヨ出身でもイワレを扱えるようになる手段があるのか。
どちらにせよ、明人がシキガミを扱う事が出来るという事は間違いないらしい。
これに関しては流石に三人共詳しくは知らないようで、そろって首を傾げている。
「ウツシヨから人が迷い込んでくること自体が結構稀だからね…、イワレ自体は溜まる可能性は十分あると思うよ」
「透くんも今はイワレが無いけど、その内アヤカシに成ったりするかもしれないね」
「それで街の屋根を飛び回るのか?全然想像がつかないな…」
正直、あの浮遊感は決して気持ちの良いものでは無かった。寧ろ逆であったのだが、まぁこの話はこの辺りで良いだろう。
とはいえ彼女たちがそれが出来るだけの力を、他とは異なる強大な力を持っていることは、これまでの生活を通して分かっている。キョウノミヤコを回っていても、住人がぴょんぴょんと飛び回ることも無ければ、火を操ったり、水を操ったりしていなかった。
そして聞き込みを続けている内に、『もしや、シラカミ神社の方ですか?』と問いかけられることもしばしばあった。よくよく聞いてみれば、シラカミ神社はキョウノミヤコでも有名で、ケガレ?を払ったり、問題を解決してくれると言う。
この調査も彼女達にしてみればその一環なのだ、元々百鬼も個人的に調査をしていたみたいだし、改めて彼女達がカクリヨでも異質な存在なのだと知った。
そして、そうさせているのが紛れも無いイワレと言う概念。実際それが何であるのかは、未だ理解できていないが、少なくとも影響力の大きさが随一なのか確実だ。
「でも、改めて考えるとイワレって何なんだろうね…。ウチも詳しくは知らないし」
「余も知らなーい」
「白上も同じくです」
イワレとは何か、その問いかけに対して三人は口々に言って匙を投げた。とはいえそれも当然だろう。例えばイワレとは空気のようなものだ。作用までは知っていても、ならばそれがどういった存在なのか、どのような概念なのか、どうやって生まれたのか、そんな事を問われても困るだけだ。
あるものはある、そしてこういう風に活用できる。その程度の認識が、もしかすると丁度良いのかもしれない。
話がひと段落して、ふと大神はこちらへと視線を向けた。
「イワレについてはそれで良いとして話を戻すけど、透君はまたそのウツシヨ出身の人とは会うつもりなの?」
「…どうしようか、少し迷ってる」
明人がこの紙片を渡したのは、白上の言うようにまた会うためなのだろう。けれどそこには一つ足りていない要素がある、俺が三人に話していない要素がある。
正確には、俺が答えを出したらまた会うためにだ。その答えを聞くため、俺の選択を聞くために。けれど、今はまだその時ではない。俺はまだ答えを出せていない。
そもそも明人の事をまだ、俺は完全に信用したわけでも無いのだ。
「そうなんですか?折角同郷の方と出会えたんですから、友好を持っても良いと思いますけど…」
しかし予想外にも、迷う俺にそう言ったのは白上だった。
「ウチも良いと思うよ。それにカクリヨに迷い込んだって事は、もしかしたら異変の事も何か知ってるかもしれないし、一度話を聞いてみるだけでも」
「…確かにそうだ、先に聞いておけば良かったな」
他で頭が一杯になって完全に聞くことを忘れていたが、確か明人は二年前に迷い込んだと言っていた。直接的な原因は知らずとも、何かしら情報を持っている可能性は十分にあった。
そうなると、ますます答えを出す必要性が増してきた。
一株の憂鬱と焦燥感が心に灯る。ただの二択にここまで追い込まれるなど若干屈辱的ですらあるが、それだけ自分にとって大切な要素である証左でもあるように感じた。
話が終わって、流石に疲れたのか伸びをして、あくびをしながら白上と百鬼は揃って銭湯へと向かい外へ出て行った。
二人を見送り、俺は一度部屋にでも戻ろうかと席を立つ。
「あ、透君、少し良いかな」
そんな俺を呼び止めたのは、一人残っていた大神だった。てっきり白上や百鬼と銭湯に行くのかと思っていただけに、驚きつつ足を止める。
「大神、二人を追わなくても良いのか?」
「うん、今は透君と話がしたくてね」
ちょいちょいと手招きをされて、不可解に思いながらも取り合えず元の席に座り直す。
話であれば先ほどすれば良かったものを、このタイミングで。あまり二人に聞かれたくない話題という事だろうか。
「それで、話って?」
テーブルを挟み向かい合った状態の大神に話を問いかける。すると目の前の彼女は、心を落ち着かせるように一つ深呼吸を入れてから、話を切りだした。
「単刀直入に聞くけど、透君はどうして、この調査を手伝ってくれてるの?」
「…え?」
一瞬、何を聞かれているのか理解できなかった。どうして、調査を手伝ってくれる。その聞き方ではまるで…。
そこまで考えた所で、大神は慌てて弁明するようにその両手を振る。
「あ、別に迷惑だとかそう言う話じゃないよ!ただほら、ウチもフブキもあやめも元々調査をしてたけど、透君はそうじゃないでしょ?だから君が無理にウチ達に付き合う必要は無くって、それでも手伝ってくれる理由を聞きたかったの」
「何だ、そう言う事か、一瞬本気で焦った。それは…」
ほっと安堵の息を吐き、思わず苦笑を浮かべながら理由を語ろうとして、けれどそこから言葉が続けられることは無かった。
「それ、は…」
何故、俺は調査をしている。
当たり前のように調査を進めていたが、思い返してみれば別段俺はカクリヨの異変に対して熱心であったわけではない。
流れに流されて?違う、それも有るが、けれど根本的な理由ではない。
カクリヨの為?違う、カクリヨに対して愛着など湧いていない。
ウツシヨの為?違う、それはカクリヨ以上にどうでも良い話だ。
ならば何故だ、俺は何のために調査をしている。自分を、藺月透という存在を構成する記憶の全てを遡り、総当たりで原因を追究する。
その最中、ふと視線を上げてみれば、こちらを真っ直ぐに見つめる大神の顔が視界に映った。彼女の顔に関連して思い起こされるのは、こちらに向けられた白上や百鬼の笑顔。
すると、怒涛のようにカクリヨに来てからの日常が、紙芝居のように脳裏に浮かんでは消えていく。四人揃ってゲームをして、食卓を囲んで、ピクニックをして。
「あ…」
そうして、たどり着いた一つの答えに、思わず声が漏れた。
(何だ、そう言う事だったのか。そんなに、簡単な事だったのか)
一度気が付いてしまえば、もうそれとしか考えられない程に、しっくりと来る答え。何故今まで気が付かなかったのだろう。こんなにも明確にそこに在ったのに、今の今まで気が付かなかったなど。
「ふっ…」
どうにも自分自身がおかしく思えてつい吹き出して、それから俺は思わず大口を開けて笑い声を上げる。
俺は、とんだ間抜け者だった。
「と、透君?」
突然笑い声を上げた俺に、戸惑ったような大神の声が聞こえてきて、何とか笑いを噛み殺して彼女へと向き直る。
「あぁ、悪い。理由だったよな、単純だよ」
つい先ほどまで分からなかった、自分が何故調査に参加したのか。けれど今なら分かる、きちんと言葉にして表すことが出来る。
「今までの人生で楽しいって思える事なんかなかった、ただ無感情に無駄に生きてきただけの人生だった。けど、このカクリヨに来て、大神や白上、百鬼の三人と出会って生活をしていく内に、いつの間にか俺はこの生活が思っている以上に好きになってた、毎日が楽しくなってた」
以前からは考えられない程に、どうしようもなく今という時間が愛おしい。こんなことを考える様になるとは思いもしなかった、このカクリヨに来てからはそればかりだ。俺は変わる事が出来た、世界を綺麗だと思えるようになった、それもこれも全ては三人のおかげだと迷いなく言える。
「だから俺は、三人に恩返しがしたいんだ」
これが、紛れも無い今の俺の本心だった。
「恩返しって、そんな必要…」
「良いんだ、俺がそうしたいだけなんだから」
肩をすくめて言えば、大神は尚も続けようとするが、言葉が見つからないようで口をパクパクと開閉し、しかしすぐに諦めたように息を吐いてその顔に笑みを浮かべる。
「透君って、結構頑固なんだね」
「あぁ、自分でも驚いてる」
そんな彼女ににやりと笑みを返す。
喉の奥に刺さっていた小骨がようやく抜けたかのようで、すっと心が新鮮な空気を取り込み始める。先ほどとは打って変わって、何とも清々しい気分だった。
すっかりと辺りの暗くなった夜更け。
どうにも寝付けなくて、俺は少し風にあたろうと部屋の窓を開ければ、すっと冷たい風が入り込んでくる。
調査の初日にして、今日は色々な事があった。まぁ、殆どが俺の精神的なモノではあったのだが、それはさておき。自分の本当の感情に気づくことが出来たのが、一番の収穫だった。
星の瞬く夜空を眺めながら、ほうっと余韻に浸っていると、ふと頭上から微かな鼻歌が聞こえてきた。この部屋は宿で最上層に位置する、するとこの歌の出所は屋根上に限定される事となるわけで、そんなところに誰がいるのかと、気になって窓から乗り出し、屋根の上を見てみる。
「~♪」
そこにはゆらゆらと揺れる白い獣耳と尻尾を携えた少女、白上が気分良さげに鼻歌を歌いながら、眼を閉じて屋根の上に腰かけていた。
「白上?」
思わずぽつりとその名を呟けば、彼女はぱちりとその目を開いて反応してこちらを見た。
「はい?…って、透さん、そんなところで何してるんですか?」
「いや、こっちのセリフなんだけどな。鼻歌が聞こえてきたから、気になって覗いたんだ」
話ながら白上はこちらへ近づいてくると手を差し出し、その手を取った俺は屋根上へと引き上げられながら答える。
すると、それを聞いた白上は明らかに失敗したという風な行状を浮かべる。
「あれ、もしかして聞こえました…?出来るだけ抑えてたつもりだったんですけど…」
「丁度開けたからな、それまでは気づかなかったから大丈夫だと思うぞ」
「なんだ、そう言う事でしたか」
ぱっと表情を明るく切り替える白上に促され、俺は彼女と隣り合う形で腰掛ける。
こうして一緒に夜空を見上げていると、白上から過去の話を聞いた時の事を思い出す。彼女もこんな気持ちだったのだろうかと、ふと親近感を覚えた。
「透さん、悩み事は解決したみたいですね」
不意に、脈絡もなく核心を突かれて、思わずむせ返りそうになる。
「…なんで分かるんだよ」
「ふふん、白上は周りをよく見ている事に定評がありますので」
自信たっぷりに言っている所悪いのだが、割と心を見透かされているようで心臓に悪いので、是非ともやめていただきたい。
しかし…周りをよく見ているか。
「…そうだな、本当に白上は周りをよく見てるよ」
「ん、透さん?」
何やらいつもとは違う雰囲気を感じ取ったのか、白上は不思議そうにこちらを見つめる。
「ありがとうな、白上。初めて会った時から、ずっと気にかけてくれて」
「っ…」
ずっと一言礼を言いたかった。勿論これで貸し借り無しにしようなんて事は思っていない。ただ純粋に、彼女の感謝を伝えたかった、ただそれだけだった。
「こうして俺が変われたのは白上のおかげだ。白上が気にかけてくれて、切っ掛けをくれた。おかげで俺は今、毎日が楽しく思えてる。だから、ありがとう」
勿論、大神や百鬼のおかげでもある。けれど、やはり一番大きかったのは白上の影響だ。彼女が導いてくれて、俺は自分の感情と向き合うことを覚えた、与えられたものを素直に受け取れるようになった。
だから、この言い分は割と正当なモノの筈だ。
と、話は終わったのだが、一向に白上から返事が返ってこない。
「…おい、何か言ってくれよ」
遅れてやってくる羞恥に襲われつつ、チラリと横へと視線を向けて見た所、隣には座ったまま膝を抱いて、顔を埋めている白上の姿があった。
何をしているのかと、不思議に思っていれば、ふと綺麗な白い髪の合間から真っ赤に染まった彼女の頬が覗いた。
どうやら、完全に照れてしまっているらしい。
「おーい、白上さーん?」
「あー、もう、何ですか急に!白上をいじめてそんなに楽しいですか!」
揶揄い混じりに呼びかけていると、遂に爆発した白上は立ち上がり、星明りを逆光に赤い顔にうっすらと涙目で抗議の声を上げる。どちらかというと照れ隠しなのだろうが、その様をみて、思わず笑いがこみあげて来る。
しかし、そんな事をすれば彼女が更にへそを曲げてしまうのも必然で、ぷくりとはち切れてしまいそうな程に白上は頬を膨らませる。
「むぅ…、黒ちゃん!!」
白上が叫ぶと同時、強風が吹き白上の姿が黒上の姿へと変化し、ぽんと代わりに小さな白い狐のシキガミが姿を現す。
『黒ちゃんは透さんが部屋に戻るのを手伝ってあげてください、白上はもう寝ます!!』
「はいはい、了解了解」
ぷんすかと怒る白上の姿が面白いようで、黒上はにやにやと笑いながらひらひらとその手を振る。完全にへそを曲げてしまったようで、白上はふて寝をする気満々である。
やりすぎたかと思い始める中、ふと消える前に白上は立ち止まった。
『…透さん、次の満月の夜、予定を空けておいてください』
「え、…あぁ、分かった!」
チラリとこちらへ一瞬振り返ってそれだけ言い残すと、今度こそ白上はその姿を消してしまった。そうして、屋根上には俺と黒上の二人が残される。
「悪いな、黒上。世話をかける」
とばっちりを受けた側の黒上だが、しかしその割には彼女はかなり上機嫌に見えた。
「気にするな。おかげでフブキの珍しい顔が見れたからな、あたしは今かなり気分が良い」
「さいですか」
そう話す黒上は今にも鼻歌を歌い出しそうだ。そんな彼女から、ふと空へと視線を移してみれば、そこには綺麗な星空が浮かんでいる。
こんなにも未来の予定が楽しみだと思えたのは、生まれて初めてだった。