調査の為にキョウノミヤコに来てから迎えた二日目の朝は、幸先の良さを表してか快晴が空に大きく広がっていた。
朝食の準備が必要ない分、今朝はたっぷりと睡眠を取れた。身支度を整えてから部屋を出て共有スペースへと向かえば、テーブル席に昨夜ぶりの白い狐耳を生やした一人の少女の姿を見つける。
「おはよう、白上」
声を掛けながら隣の椅子へ座った所、彼女はびくりと肩を揺らしてからゆっくりとこちらを向いた。
「…おはようございます、透さん」
まだ昨夜の事を引きづっているのか、彼女の顔にはありありと警戒の色が浮かんでいて、先ほどからしきりに尻尾と耳が動いている。
「なんだよ、まだ気にしてるのか?」
「いえ、昨夜の件はもう白上なりに整理は付きました。ただ何時また透さんが脈絡もなく昨夜みたいなことをしてくるのか分かりませんので」
そう言いながら白上は謎の構えを取ってシャーッと威嚇をしてくる。どうやら妙に警戒されてしまっている様だ。
「と、言われてもな…、白上に感謝してるのが本心である事に変わりはないし」
「だーかーらー、そういうところですよ!」
白上が叫ぶと同時、ぱしんという軽快な音と共に頭に軽い衝撃が走る。顔を上げた先には、いつの間に取り出したのかハリセンを持った白上が、ジトリとした目をこちらに向けていた。
「悪いかったって、ほんの出来心だったんだ」
「ワザとなんじゃないですか、まったくもう」
少しやりすぎたかと思い、浮かぶ笑みを押し殺しつつ拝み倒せば、彼女も渋々ながらようやく矛(ハリセンだが)を収めてくれる。
これからは、思ってもあまり口にしない方が良いのだろうか。一瞬そんな考えが脳裏をよぎるが、しかしそれはそれで今度は俺の気が済まない。やりすぎても昨夜のように逃げられるだろうし、適度で済む程度を計って行こうと心に決める。
「それで、大神と百鬼はまだ起きてきてないのか?」
先程から気になっていた空いたもう二つの椅子に視線を送ってから問いかける。まさか珍しく大神が寝過ごしたのかと思ったが、しかしそれは問いかけてすぐに後ろから聞こえてきた声によって否定された。
「あ、透君も起きてたんだ、おはよう」
「透くん、フブキちゃん、おはよー」
振り返ってみれば、丁度共有スペースに入って来たすっかり身支度を整えていつも通りな大神とあくび交じりに寝ぼけ眼をこすっている百鬼の姿があった。大方、普段のように大神が百鬼を起こしに行っていたのだろう。
「何と言うか、変わらないな」
シラカミ神社を離れても普段と変わらない、そんな二人を見てついくすりとした笑みが顔に浮かぶ。普段通りの彼女らの姿に、いつからか安心感すら覚えるようになった。こういう所、かなりカクリヨでの生活に染まってきている自覚がある。
「…ん、透くん、何か良いことあった?」
目の前の光景に感慨深さを感じていると、ふと先ほどまで眠そうに目をこすっていた百鬼に問いかけられた。
「いや、特に之といっては無いが、どうしてそう思うんだ?」
「なんだか、透くん楽しそうに見えたから」
彼女の返答に対し、つい自分の顔に手を当ててみるも、流石にそれだけでは自分が今どんな顔をしているのか分かる筈も無かった。感情が表情に出やすくなっているとは、以前にも言われた。別にそれは良いのだが、しかしぱっと見で分かる程となるとそれは相当だろう。
「…そんなに分かり易いのか」
「うん、けど今日はいつもより一際?」
どうやら悪化しているらしい。衝撃の事実を更に上乗せで突きつけられて、つい頬を痙攣させる。
とはいえ、だ。まだ百鬼の勘違いの可能性も否めないという事で、チラリと一縷の望みをかけて大神と白上へ視線を送ると、二人からはその通りだと言わんばかりの首肯が返って来た。
「ウチもそう思う。というか、昨日話した時点でもうこんな感じだったような…」
「確かに透さんは変わりましたよね」
顎に手を当てて首を傾げる大神。一方で白上は先の事を根に持ってか何処かジトリとした視線を向けて来ている。
そんな彼女を見てふと思い立ち、試しにと白上の獣耳を触るとどんな反応するのだろうと、頭の中で疑問を思い浮かべてみた所、白上ははっとしたように息を呑むと大神の後ろに回って耳を隠してしまった。
割と考えている事が筒抜けになっているようだ。
「なるほどな…。…よし、そろそろ朝食にするか」
朝からこれはカロリーが高すぎる。そう判断した俺は思考を頭の中から何処か遠くへ向かい放り投げるのであった。
「今日も調査、頑張りますよー!」
宿の前にて白上はぐっと伸びをして自らに気合を入れる。これから二日目という事もあり、今日こそは手がかりを見つけるのだと、白上だけでなく全員がそろって息巻いていた。
すると、ふと白上が何か思い出したかのようにピンと耳を立てて、そう言えばとこちらに向き直る。
「聞き忘れてましたけど、透さんは今日は先日聞いた明人さんと会われるんですか?」
「ん、あぁ、その予定だ。迷いも晴れたし、白上の言うように折角の同郷の人だからな。ついでに何か異変について知らないかも聞いておくよ」
話しながら、昨日明人に渡された紙片を取り出して見せる。
これを使えば明人のシキガミが現れて道案内をしてくれると言うが、一体どんな姿かたちなのか、実は楽しみであったりする。
「使い方は破るだけでいいんだよな」
「うん、それで合ってるよ。…あ、でも場所には気を付けてね?シキガミの大きさ次第だけど、十分スペースのあるところじゃないと通行人にぶつかっちゃうかもしれないから」
「分かった、まぁ、ここなら大丈夫そうだな」
まだ朝と呼べる時間帯にも関わらず、周囲にはちらほらと通りを住人が歩いているが、幸いそこまで密集している様子も無く、タイミングさえ見誤らなければたとえ象が出てきたとしても大事になる事は無いだろう。
話も終わったところで、三人はそれぞれの方角へと向かって宿を離れて行った。その背を見送ってから、俺は改めてふと手の内にある紙片へと目を落とす。
カクリヨならではの技術に、実際に自分が触れるのは之が初めてだ。果たして文字通り鬼が出るか蛇が出るかなわけで(一瞬百鬼の顔が脳裏に浮かんだ)。
周囲を確認してから、俺は少し緊張しながら紙片を両手で持ち、そのまま二つに引き裂いた。
「…あれ」
が、何も起こらない。何が出て来ても驚かないように身構えていたのだが、流石に何も出てこないと言うのは完全に予想外だ。
「不良品か?」
これでは明人と会うことなど不可能だ。早くも今日の予定が破綻してしまったと嘆こうかと考えた、その時だった。
持っていた紙片が熱を持ったかと思うと、一拍遅れてぼふんと紙片を中心に大量の煙が発生する。紙片を持っていた俺も当然その煙に巻き込まれ、大きく咳き込む。すると刺激のあまり涙の滲む視界に、ふと人影らしきものが映り込んだ。
やがて風に流される形で煙が晴れれば、その人影の姿もあらわになった。
「…おや、思っていたよりもお早いお呼びですね」
その人物はかっちりとした赤いタキシードを身に纏い、頭に同じ色の紳士風なシルクハットを被っていて、ゆっくりと上げられたその顔にはピエロ風のメイクが施されている。
本日二度目の驚愕。本当に、このカクリヨとやらは悉く予想の斜め上を行くらしい。
「…誰だ?」
辛うじて口に出すことが出来たその疑問を受けて、目の前の道化師は「これはこれは、名乗り遅れまして」と被っていたシルクハットを手に持ち、紳士めいた礼をする。
「お初にお目に掛かります。私、名をクラウンと申します」
そうして再び上げられた顔にはそのメイクに似つかわしくない、理知的な笑みが張り付いていた。
クラウンと名乗った男に続く形で、キョウノミヤコの通りを歩く。彼の恰好はカクリヨでもかなり異質なようで、道行く住人からちらちらと視線を受けているが、クラウンはたいして気にした風も無く、むしろ堂々としているように見えた。
「…てっきり、動物か何かが出てくると思ってたんだけどな。一応聞くけど、明人のシキガミで間違いないか?」
「えぇ、正式な契約というよりは仮的な契約になりますが、概ねその認識で問題無いでしょう」
未だ信じられずに再度問いかければ、クラウンは顔だけこちらに向けて変わらぬ調子で答えた。
掴みどころが無い、それがクラウンを見ての第一印象だ。シキガミという概念をよく知らないだけに、彼がどのような存在なのか今一理解しかねている。
会話が可能な以上意思はあるのだろうが、果たしてこのまま接するのが正解か否か。
「熱心な視線を感じますが、何か気になる事でも?」
と、考え込んでいると前を歩くクラウンから不意に声がかかった。視線に気づかれていた事に若干気まずさを覚えつつ、こどうせなら聞いておこうと、質問を投げかける事にする。
「あぁ、人型のシキガミってカクリヨでは一般的なのか?こうして会話まで出来るようなシキガミは」
すると、クラウンは一瞬間を開けてから口を開いた。
「そうですね…、ないわけでは無いでしょうが、稀であることに変わりは無いでしょう。少なくとも、私は他に喋るシキガミには会ったことはありません」
「なら、珍しい者同士で契約を結んだ形になるんだな」
ウツシヨから迷い込んだ明人に、カクリヨでも珍しいシキガミであるクラウンとはまた変わり者同士、型にはまったような組み合わせだ。
こうして歩いていると人間にしか見えないのだから、シキガミとは何なのだろうと、一種の哲学的な疑問が頭をよぎる。とはいえ、それは人間とは何かという問いかけと同じなのだから、考えた所できっと答えは出ないのだろう。
「…ところで、本当に徒歩での移動でよろしかったので?貴方程度であれば、抱えての移動も可能ですが」
「いや、このままでいい。その移動方法には少しトラウマがあるんだ」
苦々しく顔を歪めながら、食い気味でクラウンからの提案を拒否する。グラグラと世界ごとシェイクされるような経験は、人生において一回でもあれば十分だ。
「では、もうしばしの辛抱を」
「あぁ、悪いな」
話し終えると、クラウンは視線を外して前を向く。こうしてタキシードを着た道化師との時間は、それからもうしばらく程続くこととなった。
キョウノミヤコにある路地裏、クラウンに連れられてやってきたのはそこは薄暗く、人気の無い場所だた。
どうしてまたこんな所までと疑問に思わなくも無いが、気にするだけ無駄だとすぐに割り切り進んでいると、前方に開けた空間が見えて来て、そこに一人の男が立っているのが見えてきた。
近づいて行くとあちらも気が付いたのか、男、明人はこちらに向けて手を掲げた。
「よう、透。また早かったじゃねぇか」
いの一番に明人は先ほども聞いた言葉を口にする。
「クラウンにも言われたよ。まぁ、自分でもどうして気が付かなかったのか不思議なくらいだったからな」
気づいた後は簡単な事だった。多分、それまで俺自身がそう言ったことに関心を向けなかったせいなのだろうが、それでももう少し早く気が付けたのではないかと、そう考えてしまう。
そうして改めて向き直ると、明人は先日と同様に問いかけてくる。
「カクリヨに居たいのか、ウツシヨに帰りたくないのか。透、お前はどっちなんだ?」
昨日は答えられなかった問いだが、けれど今は明確な答えを俺は持っている。ウツシヨに帰らない理由、カクリヨに居る理由、それは。
「どちらでも無い。正直言うとウツシヨだろうがカクリヨだろうが、どちらでも変わらない。俺はあの三人が居るならどっちでも良くて、それがカクリヨなだけだったんだ。だから俺はウツシヨには帰らない、これからもカクリヨで暮らしていくよ」
重要だったのは何処で暮らすかじゃなく、誰と居るかだった。三人が居るのならウツシヨに居ると答えただろう。
シラカミ神社での生活は、それほどまでに居心地の良いものであった。
「…そうか」
答えを聞いた明人はぽつりとそれだけ呟く。何処か噛み締めるようなその声は、紛れも無い彼の本心がにじみ出ていた。
やがて、顔を上げた明人の表情は感情が抜け落ちてしまったかのようで、ただ空虚にこちらを見つめている。
「明人?」
様子の変わった明人に呼びかけると、それに反応して明人ははっと気が付いたようで、表情に力が戻って来る。
「…あー、わりぃな、少し考え事をしてた。それよりも、誰と居るかだっけか。俺も一緒だよ、透。同じ考えだ。実際世界なんてどうだっていいんだよ、そいつさえいてくれればな」
話ながら、明人は宙に視線を彷徨わせる。まるで今もそこに居るかのようで、その表情は何よりも優しいものであった。
「明人にも居るのか。恩人と言うか、一緒に居たい人が」
「あぁ、居る。詳しく話したくはあるんだが…この後少し用事があってな。そろそろ行かねぇとなんだ」
見ればクラウンも明人の横に移動していている。そう言えば今日はこちらからコンタクトを取った訳だが、明人の予定などは結局把握できていないのであった。
「それは悪かった、一方的に呼んだな」
「いや、俺もそれ込みで渡したんだ。ただまさか今日になるとは思わなくてな、予定を詰めちまってたんだ。こっちに非がある」
見通しが甘かったと頭をかくと、明人は「その詫びと言ってはなんだが」と何やら昨日受け取った物とは違う、少し大きめの一枚の折りたたまれた紙を取り出して、こちらに手渡してくる。
開いてみてみれば、少し大雑把ではあるが覚えのある形の通りと建物の配置、そしてその一部に赤い丸が示されている。
「キョウノミヤコの地図…だよな。この赤丸は?」
「お前、確か噂について調査してるんだろ?噂の出所らしき場所をマークしてある、そこに行けば何か掴めるかもしれねぇ」
明人の説明を受けて、もう一度地図へと目を落とす。ちらほらと見覚えのある地形は有るが、生憎赤丸のある部分とその周辺は見覚えのない場所で、道も少し入り組んでいる。これは一度持ち帰ってから、大神や白上に案内して貰う他無さそうだ。
けれど、この情報自体はかなりありがたかった。
「あぁ、助かるよ。参考にさせてもらう」
「同郷のよしみだ、少しは贔屓にもするさ。…それじゃあ、またな、透」
そうして明人とクラウンは路地の先へと進み、姿を消した。
明人と別れた後、一応は夕方まで聞き込みを続けたが特に何も成果は得られなかった。そうして宿へと戻り全員が集まったところで、俺は明人から貰った地図について三人に説明をする。
「…という事らしいんだが、どう思う?」
一通りの説明を終えてから、三人へと意見を求める。カクリヨに関する知識が足りない以上、判断はゆだねる他ない。
「聞き込みだけでは他に情報も出てきませんし、白上は一度見に行くのもアリだと思いますよ」
「余も結局なにも見つけられなかったから…、もし違っても行って損は無さそう」
二日目にしてようやく見つかった手がかりに、二人の表情は明るかった。そして残るは大神の意見だが、彼女はじっと地図を見て確認を取るように手に持っている水晶玉と見比べている。
やがて、確認を終えたのか大神は一つ頷いてから顔を上げた。
「…うん、実はウチも占いで手がかりのありそうな場所を絞り込んでたんだけど、その区画と一致してる。だから、この地図の信憑性は問題ないと思うよ」
「じゃあ…」
ここまで来れば、もう方針は決まったも同然であった。それを裏付けるように大神が鶴の一声を上げる。
「明日は、全員でこの一帯をくまなく調査します」