調査を開始してから三日目。
先日ようやく見つけた手がかりをもとに、俺達は四人揃ってキョウノミヤコのとある区画へと足を運んでいた。
「この先が目的地なのか?」
「うん、この地図のおかげでかなり道も分かり易くなったから、すぐに到着すると思うよ」
そう言って大神はその手に持つ紙片をゆらりと揺らして見せる。昨日明人から受け取った地図は、この調査においては有用であったようで、大神の占いと組み合わせて、目的地はかなり明確になっていた。
「手がかりってどんなのかな。行方不明になった人の関係者とか?」
「一番ありえそうなのがそこですね、次点でその人の足取りだったりでしょうか。何にせよ情報が見つかるのは助かりますね」
会話を交わしながら、俺達は大神を先頭に歩き続けた。そうして少し入り組んだ道を通り抜けた先、見えてきたのは路傍にある一軒の花屋であった。
「あそこみたいだね」
目的地であるその花屋へ近づいて行くと、中にはジュウゾウと名乗る老人が店番として座っていた。彼によると、行方不明になったのは彼の孫、細かく言えば彼の娘の息子のようで、名はトウヤらしい。
始まりは二週間ほど前、トウヤ君は外に出た切り帰って来なくなってしまったという。それからジュウゾウさんとトウヤ君の母であるヨウコさんが捜索を行ってきたが、未だにトウヤ君は見つかっていない様だ。
噂の出所は、間違いなく此処だろう。
話を聞いた後にそう結論付けて、更に詳しく話を聞こうと白上と大神はこのままジュウゾウさんから、俺と百鬼は家に籠っているというヨウコさんの下へと向かう事となった。
「頼む、どうか二人を助けてやってくれ…!」
花屋の二階にある住居へと向かおうとしていると、不意にジュウゾウさんが頭を下げた。表情は伺えないが、その声には溢れんばかりの悔恨が込められていた。
そんな彼に対して力強く首肯を返してから、改めて二手に分かれて俺と百鬼は二階へ続く階段を昇る。
二階にある住居の扉は木製で、取り付けられているノッカーを叩けばカンカンと響くような音が鳴った。そのままジッと中からヨウコさんが出てくるのを待ったが、しかし、待てども暮らせどもヨウコさんが出てくることは無かった。
「…留守って訳でも無いんだよな」
「うん、ジュウゾウさんはずっと籠りきりだって言ってから…、あれ?」
小首を傾げて百鬼がもう一度ノッカーを叩くが、結果は一緒だ。もしかすると眠っていた利するのかもしれない、一度戻ろうかと踵を返しかける。すると、いきなり中からバタバタという大きな足音が聞こえて来る。
ヨウコさんが来訪に気が付いたのだと、そう考えた俺達は顔を見合わせて待っていると、バタンと激しい勢いで扉が開くと同時、扉をするりと通り抜けた黒い影が這うように迫って来る。
「…っ!」
勢いをそのままにぶつかって来たそれに、俺は地面へと押し倒された。
背の痛みに呻き声を上げる中ふと見上げたその先では、振り上げられた、ぎらりと光を反射する包丁の切っ先がこちらへ向けられている。
「透くん…っ!!」
躊躇なく振り下ろされた包丁は、けれど、突如としてぴたりと目の先僅か数ミリほどで静止した。チラリと視線を横へ移してみれば、瞳に紅い輝きを灯した百鬼が必死の形相で、包丁を握る女性の手を掴んでいた。
ぐっとそのまま百鬼が女性を引き離してくれて、ようやく自由を取り戻して起き上がると共に、横からかしゃんとした音が上がる。見てみれば女性の手から包丁が零れ落ちていて、彼女はその場で蹲ってしまっていた。
「あぁ…トウヤ、トウヤ…!」
顔を両手で覆い滂沱の如く涙を零しながら肩を震わす女性。彼女がヨウコさんなのだろう。
背中に若干痛みを残しながら立ち上がれば、丁度百鬼がこちらへと寄ってきていた。
「ありがとう、百鬼。助かった」
「ううん、ごめん。余びっくりして反応遅れちゃった…」
開口一番に礼を言うも、予想外に百鬼はしゅんとした表情をしていた。何か落ち込んでいるようだが、しかし普通に間に合っていたし、こうして怪我も無かった以上何を悔いているのか俺には理解できなかった。
「何言ってんだよ、ちゃんと助けてくれただろ?…にしても、流石に今のには驚いたな」
まさか、いきなり襲いかかられるとは思っていなかった。百鬼がいなければ今頃顔が見れたものでは無くなっていたかもしれないと考えると、彼女には感謝の念が尽きない。
しかし、百鬼はそんな俺を見て目を丸くしていた。
「透くん…。…ううん、今はそれより…」
何か言いかけていた彼女だったが、切り替える様に頭を振ると改めてヨウコさんへと目を向ける。明らかに通常の状態ではない、精神的に不安定であるのは明白だ。
「かなりケガレが溜まってる…、透くん、ヨウコさんを中に入れてあげよ」
「あぁ、分かった」
二人で横から支えて、ヨウコさんを連れて一旦室内へと入る。先ほど凄まじい勢いを感じた彼女の身体は、ゾッと寒気を覚えるほどに軽かった。
「トウヤ…トウヤ…」
「…先ほどは、誠に申し訳ございませんでした。私、気が動転してしまって」
憔悴しきった顔で頭を下げるヨウコさんに、気にしてないからと何とか頭を上げて貰おうとする。
あの後暫くして、ようやく彼女は正気を取り戻していた。ただ、あくまで正気に戻っただけで、生気はまるで感じられず、青白い肌にぱさぱさの髪と、到底普通だとは言えない有様だった。
そして、ようやく落ち着いて話が出来るようになってから、言葉を選びつつ俺達がここに来た目的を説明する。
「…という事でして、お辛いとは思いますが、宜しければトウヤさんが行方不明になった日の事を教えてはいただけませんか」
先のヨウコさんの様子を見て痛感した、こうして聞くのは彼女の心の傷を抉るのと同意だ。ただでさえ弱っている所にまた更に当時の記憶を思い起こさせるのだ、彼女の心労は察するに余りある。けれど、これも必要な事だと割りきる他ない。
「えぇ、これでトウヤが見つかるかもしれないのなら、幾らでもお話しします」
幸いヨウコさんも了承してくれて、彼女はゆっくりと当日の事を話し出す。
「あの日は、何の変哲もない至って普通の日でした。私は花屋をしてるんですが、トウヤもよく手伝ってくれる子で。勿論友達と遊びに行く日もあって、その日も丁度遊びに出掛けて行ったんです。元気よく『行ってきます』って外に飛び出していって、私は『気を付けるのよ』と見送りました。それが、トウヤとの、息子との最後のやり取りになるだなんて思いもしませんでした」
話すにつれて、ヨウコさんの声には涙が混じり始めて、後悔の念に駆られるように震えていた。けれども尚彼女は続ける。
「夕方になっても、夜になっても、あの子は帰って来なくて。もっと早く探しに行っていれば、もっと早く気づいていればとは何度も何度も考えました。いえ、そもそもあの日引き留めていれば、こんな事には…」
遂に涙に言葉が途切れて顔を覆うヨウコさんに百鬼が寄り添う、慰めるようにその背を摩る。これ程までにヨウコさんはトウヤ君の事を思っているのだ。そんな彼女の事が、俺には少し眩しく見えた。
「…すみません、話の途中で」
「いえ、ゆっくりで構いませんよ」
「余達が、トウヤくんの事絶対に見つけるから」
「…ありがとう、ございます」
再び涙に濡れそうになる目元を拭って、ヨウコさんはふと思い出したように立ち上がった。
「少し待っていてください、確かトウヤの顔写真があった筈なんです」
「本当ですか?助かります」
顔が分かれば見つけた際に整合も取り易くなる。足早に部屋を出るヨウコさんの背を見送って、俺と百鬼は一息入れる。
「ここに来て良かったな、情報もそうだけど、ヨウコさんの事も」
こうして会いに来てかなりの収穫があったのも確かだが、それ以上に今にも折れてしまいそうなヨウコさんの支えになれた、そんな気がする。
それは百鬼も同じなようで、こくりと彼女は頷いている。
「うん、希望があるのってかなり大事だから。…それより透くん」
すると、百鬼は何やら改まった様子で真っ直ぐこちらへ視線を向けてくる。気のせいかその視線は何処か気遣うような色が見えた。
「さっきの事、大丈夫?」
「さっきの事…?」
何の事やらとふと首を傾げるも、すぐに先ほどのヨウコさんとのひと悶着の事だと思い至った。
「あぁ、おかげで特に怪我も無い。…にしても相変わらず百鬼は凄いよな、あそこから咄嗟に振り下ろされた包丁を止めるんだからな」
思い返してみると割りと常識破りな事をしている。普通減速してようやく止めるが限度だろうに、百鬼はぴたりと腕を掴んだ瞬間に静止させていた。この辺り、流石だと言う他無い。
感心していると、けれど百鬼は違うとばかりに首を横に振った。
「そうじゃなくて、怖かったりしなかったの?余が止めてなかったら、透くんは…」
「あぁ、百鬼が助けてくれたおかげだ。ヨウコさんも気が動転してただけで謝罪まで貰ったし、もう俺は気にもして無いさ」
ありがとうな、と笑顔で伝えるが、しかし百鬼は何故か悲しそうにその眉を落としてこちらを見ている。
「透くん、やっぱり…」
「おい、百鬼…?」
その表情の意味を問いかけようと口を開いた所で、丁度ヨウコさんが部屋へと戻って来て、俺はぱっと口を噤む。
気にはなるが、今は目の前の問題に集中するべきだと、思考を切り替える。
「お待たせしました、丁度良い写真が有ったので、それを持ってきました」
囲んで座っているテーブルの上にヨウコさんが置いたのは、細い鎖の繋がったロケットのブレスレットだった。
「ロケット…?」
「カクリヨだと、自分の子供に自分が持ってるのと同じロケットと家族写真を一緒に送る風習があるんだよ。街にもロケットを首にかけてる子をちらほら見かけるでしょ?」
あまり馴染みの無いそれに思わず疑問の声を上げると、百鬼が横から補足を入れてくれる。つまり、親子で同じ形のロケットを代々受け継いでいく形を取っているのだ。
詰まるところ、同じ写真のロケットを持っていれば親子であると分かるという事だろう。
改めて見たロケットの中には一枚の写真が入っていて、映っているのは一人のヨウコさんらしき女性と、一人の小さな男の子。
「こちらで笑ってるのが、トウヤです。本当に笑顔の似合う良い子なんです」
「本当に、幸せそうだ」
この写真を見るだけでも、この親子が幸せな家庭を築いていたのは確かなのだと分かる。
それからもトウヤさんの行きそうな場所、好みの食べ物など特徴を聞いていると、不意に玄関の方から扉をノックされる音が聞こえてくる。
「あぁ、多分白上と大神だな。少し見てくる」
ジュウゾウさんなら普通に入って来るだろうし、大方あちらも話がひと段落したのだろう。
立ち上がり玄関へと向かえて外を見れば、予想通りそこには白上が一人大きめの袋を引っさげて立っていた。
「白上、一人か?大神は…」
「ミオでしたら今はジュウゾウさんに手伝ってもらって、占星術でトウヤさんの居場所を占ってる所です。白上はそろそろお昼も過ぎてる頃なので差し入れにと」
そう言って白上は持っている大きな袋を掲げて見せる。その中からは食欲をそそる香りが漂ってきていて、彼女の言うようにお昼を過ぎている事を実感させられる。
「助かるよ…、白上もまだ食べてないのか?」
「はい、良ければご一緒しても?」
「勿論、ヨウコさんと百鬼は部屋に居る」
そうして白上を連れて部屋へと戻る。
すると、ヨウコさんは白上の事を知っていたのか、彼女の姿を見た途端目を丸くしてその眦に涙を溜めた。
「白上様まで…、トウヤの為にありがとうございます、ありがとうございます…」
「わっ、ちょ、ちょっと頭を上げて下さいよ」
感極まって何度も何度も頭を下げるヨウコさんに、戸惑った様子であたふたと白上は両手を横に振る。そうしているヨウコさんの顔には微かではあるが生気が戻ってきていて、彼女に希望を与えることが出来たのだと、百鬼と顏を見合わせて笑みを浮かべた。
それから大神を待ちつつ話を続けていれば、あっという間に時間は過ぎて行っていつの間にか夕暮れが近くなっていた。
「あっと、そろそろお暇しないとですね。白上は先にミオに声を掛けてきます」
窓の外を見てから、ささっと白上はそう言い残して部屋を出て行く。彼女の背を見送ってから、俺と百鬼も外へ出る準備を整える。
「あ、透さん」
と、立ち上がった所でヨウコさんに呼びかけられて何事かと彼女へと目を向ける。
「その、本当に申し訳ありませんでした。こんなに親身になってくれている方に、私は…」
そう言ってヨウコさんはその顔に影をと落とす、まだ斬りかかったことを気にしているらしい。いや、むしろ当然ともいえるのか、気が動転していたとはいえ、罪悪感に苛まれるのも無理はない。
「怪我も無かったんですから、気にしないで下さい」
「…はい、本当に、トウヤの事も、ありがとうございます」
最後に、ヨウコさんは深々と頭を下げる。それを受けて何処か照れくささを覚えながら、絶対に見つけようという決意と共に俺と百鬼は外へと出た。
外に出て見上げた空は青と赤が同居した何処か幻想的な、絶妙な色合いをしていた。あと一時間も経てば街は小麦色に色づいて、真っ赤な夕日が山の向こうに消えていくのだろう。
扉がしまり、下へ降りようと階段へと足を向けかけた所で、ふと百鬼が立ち止まった。どうしたのかと振り返れば、百鬼はじっと真剣な表情でこちらを見つめていた。
「…透くんって、優しいよね」
そうして彼女が口にした言葉に、俺は豆鉄砲でも食らったようにぽかんと口を開ける。
「なんだよ、藪から棒に」
「だって、普通刃物で斬りかかられたら、その人に怒りや恐怖を覚えるよ?なのに透くんはヨウコさんにそんな感情を向けないで、ずっと一定の優しさで接してた」
「いや、まぁヨウコさんの場合は…」
「気が動転してても、一緒だよ」
何度目かになるその理由を返そうとすると、語気も強く百鬼はそれに被せる様に言う。その瞳に浮かぶやるせなさ、それに隠れる確かな怒り。
「透くん、あの時反抗しようとしてなかった。仕方ない事だって諦めてた」
「そんな事は…」
否定しようと口を開くも、それ以上続けることが出来なかった。図星を突かれていたからだ、百鬼の言う事が正しかったからだ。
「それでね、余気が付いたの。透くんは自分に無関心なんだって、自分の優先度だけが極端に低いんだって」
そこまで話して、百鬼はぐっと奥歯をかみしめる。激情に耐える様に、やるせなさを抑え込む様に。そうする彼女は眉を落として、瞳を潤ませて真っ直ぐ視線を交差させる。
「その優しさが、透くんの自分への無関心から来てるとしたら。余は、ちょっと悲しい」
「…っ」
百鬼の言う事は尤もだった。一度は捨てたものだから、価値を見いだせなかったから、そんな考えが心の根底にこびりついてしまっている。
其の事に、気づかされてしまった。
じっと視線を外そうとしない彼女に、俺は負けを認める様に一つ息を吐いて両手を上げる。
「…悪かったよ、その通りだった。これからは気を付ける。…けど、多分すぐには無理だから、その時はまた指摘してくれるか?」
「…っ!…うん、任せて!」
自分では変わったと思っていても、変わらない部分もある。こうして発見して、指摘して貰ってまた、今回は能動的に自分自身を変えるのだ。
(…ままならないもんだな)
本当に、彼女達と過ごしていると今までの自分との差に呆れすら感じてしまう。けれど、こうして変わっていくのも悪くないと、今はそう思える。
全く、返そう返そうといくら試行錯誤しても、彼女達から受ける恩は重なっていくばかりだ。
「透さーん、あやめちゃーん!」
ふと下の方から白上の声が聞こえてくる。
見れば、白上と大神が揃って手を振って、俺と百鬼を待っている。
「じゃあ、行くか」
「行こー、明日からも頑張らないとね」
「あぁ」
口々に会話を交わしながら、百鬼と共に二人の元へと急ぐのであった。
太陽はゆっくりと傾いて行き、やがてキョウノミヤコには真っ赤な夕暮れが訪れる。移り変わっていくその空を眺める街は、不気味な程の静けさに満ちていた。