【完結】色づく想ひ    作:ワンダーS

160 / 162
If:After future
If:After 百鬼 Future


 差し込んでくる日差しに白く照らされた部屋、縁側の向こう側からは小鳥の囀りが聞こえてくる。夢か現か判断もつかない、おぼろげな意識の中、のそりと身を起こす。

 嫌に動きが鈍い。思うままに動かない身体に顔をしかめつつ、ぼんやりと外に広がる景色を眺めていると、静かな音を立てて、後ろの襖が開いた。

 「あ、起きてた。…おはよ、透くん」

 一拍遅れて聞こえてくる、鈴の鳴る様な声に振り返れば、ふにゃりとその相貌を崩す鬼の少女の姿。それを視界に収めた途端、霧のかかっていたよな意識が、瞬く間に晴れていくのを感じた。

 あぁ、そうだ。そうだった。俺は彼女と…。

 「…おはよう、あやめ。少し、寝すぎてたか?」

 笑みを返しながら、少々バツの悪い気分で問いかける。すると鬼の少女、あやめは、一瞬キョトンと呆けたような、驚いた顔をして、そして案の定、ぷくりと拗ねた様にその頬を膨らませて見せる。

 「…うん、余よりずっとお寝坊さんだよ。折角ご飯作ったのに、もう冷めちゃった」

 「それは…悪かった。謝るから、飯抜きだけは勘弁してくれ」

 「えー、どうしよっかなー」

 この通り、と頭を下げて懇願するが、あやめはぷいとこれ見よがしにそっぽを向いてしまう。しかし、横からチラリと覗くその顔には、いつもの悪戯な笑みが浮かんでいて、彼女が本気でへそを曲げたわけではない事が分かる。

 「頼むよ、可愛くて綺麗で寛容な鬼カミ様」

 もう一押しとばかりに誉め言葉を並べれば、ようやくあやめは顔の向きを戻して満足そうににっと笑った。

 「…仕方ないから、許してあげる。その代わり、今度余と一緒にお出掛けね」

 「勿論、むしろ望むところだ」

 許しの代わりに突きつけられた条件を快諾すると、満足そうに頷いたあやめは『温め直してくるねー』と、パタパタと足早に部屋を後にした。変わらず無邪気で、天真爛漫な彼女の姿に、思わず小さな笑い声が出る。だが、起きがけで喉が刺激されてか、笑い声はすぐに咳へと変わってしまった。

 幾らか咳き込んでからようやく落ち着いて、あやめがいつも置いてくれている水差しから黒塗りのコップに水を注ぎ、一口だけ含んでゆっくりと嚥下する。そうして、視線を落とした先。水の表面に反射して見えたのは、白く染まった髪を携え、深くしわの刻まれた老人の顔だった。

 

 

 

 食事を終えて、部屋の中にあやめと二人きりで、穏やかな時間が流れる。

 今日はいつもに比べて調子が良いようで、隣に座る彼女も心なしか表情が和らいでいた。そっと重ねられた小さな手は、自分のしわくちゃな手も相まって、一層綺麗に見える。軽く力を込めてその手を包み込めば、同じような力で握り返してくる。言外のそのやり取りに、嬉しさや喜びよりも、安心を覚えるようになったのはいつからだろうか。

 「…透くん、今日は調子どう?苦しくない?」

 様子を伺う様に、あやめは上目遣いで見上げてくる。心配そうなその声音に、ゆっくりと頷きながら、微笑みを返して答える。

 「あぁ、問題ない。きっと、あやめが傍に居てくれるからだな」

 自分なりに、上手く答えたと思った。しかし、当のあやめからの視線は鋭くなり、ムッと不服な表情が返って来る。

 「余はずっと傍にいるよ、昨日も一昨日も、その前からずっと」

 「そうだな、そうだった」

 「もう、相変わらず、その辺り適当なんだから」

 小言の様に言って、ぷんすかと怒る彼女に両手を合わせて謝りつつ、以前にも増して見透かされてしまうようになったと、内心空を仰いだ。

 彼女と出会ってから、随分と長い時間が流れた。今の様に穏やかな時間を過ごすことも、今まで何度あった事か数える気すら起きない。そうして、二人で積み重ねた時間は、その分だけ互いへの理解を深めていく。見透かされる分、逆もまた然りだが、それでも彼女には及ばない。

 「そうそう、今日ね、お散歩の途中で珍しいお花を見つけたの。透くんにも見せてあげたかったくらい、綺麗だったんだよ」

 嬉しそうに話すあやめに、こちらも自然と笑みが浮かぶ。彼女はよくこうして、外の話を持ち込んできては、話してくれるのだ。

 「花か…、あやめがそう言うくらいだから、相当なんだろうな。明日にでも、是非見に行きたいな」

 「うん、少し遠いけど、きっと行けない距離じゃないから。ね?だから…」

 一瞬こちらを見る彼女の瞳に淡い紅の光が灯ると、あやめは言葉を途切れさせ、顔に影を落として口を噤んだ。こういう時は、彼女が何を考えているか、手に取るように分かる。

 「…なら、大丈夫だ。明日には、きっと良くなっているから、出掛ける準備をしておくよ」

 俯く彼女の頬に手を当てて、顔を上げさせる。君にそんな表情は似合わない。だから、少しでも長く笑っていて欲しくて、少しでも悲しんで欲しく無くて。その場しのぎだと分かっていても、俺はこうする他ない。その紅の宝石のような瞳と視線を交差させて、力強く笑って言うのだ。『何も、問題は無い』と、これからも、幸せは続いて行くと。

 すると、あやめは何も言わず、ふわりと微笑みを浮かべる。まるで、安心したと言わんばかりに、ただ笑うのだ。

 「あ、お水もう無くなるね。余、ちょっと新しいの持ってくる!」

 すくりと立ちあがると、あやめは今にも鼻歌を歌い出しそうな程に上機嫌で、水差しを持って部屋を出ていった。彼女の背を見送って、そして足音が離れたのを確認してから、俺は溜めていた息を吐きだす。

 随分と、嘘をつくのに、抵抗がなくなってしまったものだ。

 恐らく、あくる日の様に彼女と街を見て回る事はもう出来ないのだろう。恐らく、彼女と連れ立って歩くことは、もう二度と叶わないのだろう。自分の体だ、そのくらいの判断は付く。

 カミと成って、彼女と悠久の時を過ごす。若かりし頃のその誓いは、今や崩れ去って砂と化した。 

 端的に言えば、俺は適応できなかったのだ。この世界の仕組みに、カミというシステムに。幾ら鍛えても、幾ら試行錯誤しても、幾ら願っても、全てが無駄に終わった。そうして残ったのは、増えたイワレに耐えきれずにボロボロになった体と、寿命というタイムリミットだけ。

 それを知った時の彼女はどんな心持だっただろう、何を思っただろう。それを推し量る事すら、厚かましい事この上ない。けれど、彼女は今に至るまで隣に居てくれた。それがどれ程嬉しかったか、どれ程悲しかったか。いっその事、愛想をつかされていた方が、幾らかマシだったのかもしれない。

 とはいえ、後悔など今更何の価値も持たない。ただ、この時間が続いてくれれば、それだけで良い、そう考えていた。詰まるところ、問題の先送りだ。

 「もう、後は無いか」

 ぽつりと誰も居ない部屋で一人呟く。先送りをした結果の現在だ。先が無くなれば、必然的に負債の一切が、一挙に押し寄せて来る。このままずるずると引き延ばして、押し付けて去る訳にもいかない。

 哀愁にも似た感情を抱きながら、外の景色を眺めれば、丁度桜の花びらが風に踊っているのが見えた。

 「…あやめ、帰って来たなら、声くらいかけてくれよ」

 不意に声を掛けると、襖越しの気配が身を震わすのを感じる。それから一拍置いて、ゆっくりと襖が開き、水差しを持ったあやめが、何処か気まずそうに顔を覗かせた。

 「あ、あはは、余バレてた?」

 「まぁ、長い付き合いだ。このくらいはな」

 肩を竦めて言えば、あやめは少し嬉しそうに頬を緩める。横の盆の上へと水差しを置くと、彼女はそのまま隣へと腰を下ろした。

 「折角悪戯しようと思ったのに…透くん、酷い。フブキちゃんとミオちゃんに言いつけてやる」

 「何故俺がなじられる流れになったんだ、逆だろ普通。言っておくが、確実に二人を味方に付ける自信があるぞ」

 あやめへの可愛がり方が尋常ではない二人も、ここまで明確であれば彼女には付かない筈だ。最後に会ったのがいつだったか覚えていないが、流石にそこまででは無かったという確信がある。

 二人とは、以前まではそれなりに交流はあったのだが、ある日を境にとんと会わなくなった。その理由には思い当たる節はあるものの、こればかりは仕方がないし、自分でも納得している。しかし、文通はしているようで、時折あやめが、『フブキちゃんがね』とか、『ミオちゃんが』などと話すことから、息災であるのは確かなようだ。

 すると、話題に出たからか、不意にあやめが何やら思い出したように、ポンと手を打った。

 「あ、そうだ、伝え忘れてた。透くん、今度ね、二人共来るんだって」

 「来るって、何処に?」

 「ここに。余も久しぶりに会うから、今から楽しみだね」

 二ヘラとだらしない笑みを浮かべている辺り、本当に楽しみなようだ。とはいえ、驚いた。まさか向こうから会いに来ようとするとは、まぁ、十中八九あやめの為だろう。

 「けど…そうか。…なぁ、あやめ」

 「えっと、それでね、ちょっと料理とか頑張ってみちゃおっかなーって、思ってるんだけど、何かいい料理ないかな。透くんも、味見手伝ってよね」

 「それは是非とも手伝うけど、今はそれよりも、だ」

 真っ直ぐに向き合って、じっと彼女を見つめれば、あやめはぴたりと動きを止めて、視線を彷徨わせる。何を話そうとしているのか、察しはついているのだろう。つい先ほどまでの朗らかな雰囲気は、今や張りぼても同然だった。

 「その話…明日とかじゃ、駄目、かな」

 ささやかな、ほんのささやかな抵抗。少しでも、先に延ばそうと、目を逸らそうとする彼女に、首を横に振って答える。今日でないと、話すことが出来ないのだ。

 「駄目だ。今、俺がこうして話していられるのが、奇跡だということは、あやめが一番分かっているだろう?」

 「…」

 あやめは、何も言わない。叱られる子供の様に、ただ黙りこくって、下を見つめている。

 奇跡。そう、奇跡だ。こうして彼女と話していられるのも、こうして彼女を愛おしく思えているのも、全てが奇跡だった。

 「明日にはきっと、俺はもう、こうして話せない。ただのボケた老人に逆戻りだ。だから、さっきは驚いていた。突然記憶も、意識も全てが戻って、ボケた老人から透に戻っていたから」

 違うか?と視線で問いかけるも、彼女は泣きそうな顔で首を振って否定する。けれど、それでは全くの逆効果であった。

 「そんな事…ない。透くんは昨日も一昨日も、ちゃんと余とお話しして…」

 どうしても、認めたくないのだろう。あくまで拒絶しようとするあやめ。そんな彼女に手を伸ばして、その目元を拭う。

 「…俺が起きてすぐ、飯を持って部屋に戻って来てから、少し目元が赤いぞ。流石に気づく」

 きっと隠れた所で、涙を零していたのだろう。なのに、あやめはずっと笑顔で居ようとしていた。だから指摘しなかった。けれど、もうそうも言っていられない。

 あやめを泣かせたら、絶対に許さないと言われていたにも関わらず、この始末だ。白上達が顔を出さないのも、透宛ての連絡がこないのも、頷けると言うものだ。思わず自嘲気味に小さく笑いながら、彼女の眦に浮かぶ雫を指でそっと払う。

 「大丈夫、あやめには白上や大神がいる、絶対に独りになんかならない。あやめの未来には、幸せが広がっているんだ」

 傍から見れば、孫をあやす祖父に見えない。同じ時間を過ごしてきたはずなのに、こうまで異なるものか。時の流れと言うものは、なんて不平等に流れて行くのだろう。

 でも、それでも、あやめは一人では無い。この先には、たくさんの幸せが待っているに決まっている。それを伝えれば、あやめもこくこくと頷いて、笑みを浮かべる。

 「…うん、余もそう思うよ。フブキちゃんとは一緒におしゃべりしたり、ゲームしたりして、偶に突拍子の無い事に誘われたりして、でも、全部が全部楽しいの。ミオちゃんはね、余の事一杯甘やかしてくれて、厳しいこともあるけど、余の事大切にしてくれるから、余も一杯甘えられて幸せなの。でもね…」

 溢れ出る雫は、やがて一筋の涙へと変わり、彼女の頬を伝う。幸せな未来は確かにこの先にある、あやめだってそれは理解している。それでも尚、彼女は笑みをたたえたまま、震える声で、訴えかける。

 「透くんが、居ないよ…?」

 彼女の思い描いた、未来の情景。満ち足りている筈のそこから、一部が欠けている、あって欲しいものが足りない。あやめの頬に触れる自らの手に、まるで縋る様に彼女の手が重ねられる。

 「…ごめんな」

 けれど、謝罪以外の言葉を持ち合わせない今、慰める事すら、俺には出来はしなかった。それを耳にしたあやめは、クシャリとその表情を歪めて、決して離れないようにか、ぎゅっとその手に力が籠められた。

 「嘘…つき…」

 一度、言葉にしてしまえば、感情はまるで栓が抜けた様に、口を突いて形を成す。

 「嘘、つき…、嘘つき…!」

 ボロボロと零れ落ちる涙は、遂には、その顔から笑みすらも押し流して、彼女の心情を表す。

 こんな表情をさせたかった訳では無かったのに、こうさせないための誓いの筈だったのに。どうして、こうなってしまったのだろう。

 「余と一緒に、同じ時間を歩くって言ったのに…!余の事、絶対に独りにしないって、言ってくれたのに…!」

 その悲痛な叫びは、後悔と共に、鋭い刃と化して深く胸の内に突き刺さる。

 やがて、崩れ落ちるように寄りかかってきてあやめは、やせ細った俺の体躯を強く抱きしめ、震えながら嗚咽を漏らす。

 「逝かないでよ…、余の事、置いて行かないで…」

 「あぁ、ごめん…ごめん」

 ただ謝ることしか出来ずに、途方もない無力感が全身を包み込んだ。いつも俺は無力で、最善からは程遠い場所にいる。どうしようもない程に、度し難い程に、いつだって何かが足りないのだ。

 それから暫く、言葉が尽きても尚、声を上げて彼女は涙を流し続けた。そんな彼女を抱き留めながら、しかし、自分を想い涙を流してくれているという事実に、喜びを感じてしまう俺は、何処までいっても、人間だった。

 

 

 

 

 

 

 がばりと、勢いよく布団を跳ねのけて起き上がる。慌てて見渡す部屋の中は、未だに夜の暗闇に満ちていた。

 全速力で走り切った後の様に息が上がり、心臓は痛い程に鼓動を打っている。起きがけで混乱する思考の中、全身を覆うべたりとした不快な汗の感覚が、ここが現実である事を告げていた。それを理解した途端、胸に広がる安堵のあまり、力が抜けた。どさりと背中から布団に倒れ込み、腕で目元を覆って、大きく息を吐く。

 最近よく、繰り返し同じ夢を見る。

 

 

 

 近頃は随分と暖かな風が吹くようになり、風に乗って微かに漂ってくる桜の甘い香りに、春の訪れを感じた。満開に咲き誇った桜の木を眺めながら、その人の姿を求めて、屋敷の廊下を進んで行く。

 何処に居るのだろう。屋敷中を探して歩き回ること数刻。ようやく見つけたのは、村の中心側にある縁側で、そこに腰を下ろして子供たちと何やら話している、淡い桃色の着物に白い羽織を身に纏った彼女の名を呼ぶ。

 「…あやめ」

 その声に反応して、彼女、あやめがこちらへと振り返る。

 少し、大人びただろうか。出会った当初と比べて、綺麗さに磨きがかかった。勿論、加えてかつての可愛らしさも兼ね備えている。あれから数百年ほど、過ぎた年月を考えれば、頷ける変化だった。

 そんな彼女は、自分を読んだ声の主に気が付くと、ふにゃりと変わらぬあどけない笑みを浮かべた。

 「透くん、どうしたの?そんな狐に包まれたみたいな顔して」

 「いや、今日はどうにも夢見が悪くて。多分、その影響だよ」

 話しながら、彼女の隣へと腰掛ける。とんと触れる肩からは、温もりが伝わって来るようで、思わず緩んでしまいそうになる口角を抑える。

 「あ、村長だ!」

 「村長、にやけるの我慢してるー」

 すると、こちらに気が付いたようで、あやめと話していた子供たちが口々に声を掛けてくる。

 「別に、二やついてないって」

 「えー、余からも、そう見えるけどなー」

 澄ました顔で訂正するが、子供たちに同調して、あやめまでも揶揄うように言って来て、思わず締まりの悪い顔をすれば、彼女らは揃ってくすくすと笑い声を上げた。

 かつて、鬼の集落があった跡地。訪れた当時は長らく放置されて、荒廃とした寂寥感の吹きすさぶ村だったが、今や穏やかな村の姿を取り戻していた。ここで暮らしているのは、身寄りのない子供たちに、世話を買って出た何人かの大人たちだ。

 カミとなってから、次の目標を定めようとなった時。俺はふと、ケンジの事を思い出した。身寄りのない子供が、このヤマトには少なからずいる。原因は様々だが、そうした子供たちの帰る場所の一つとして、この村を作ることにした。

 そうして、数百年と続けていく内に成人して村を離れた者から、食料が送られて来たり、情報が入って来たりもして、村の規模は中々のモノとなり、今ではそれなりに大所帯となっている。

 「そう言えば、またうどんが大量に送られてきてたな。全員で食べても、結構な量があまりそうなんだが…、まぁ、白上を呼べばいいか」

 「あ、フブキちゃんなら、明日にはこっちに到着するって。ミオちゃんも一緒って言ってた」

 手紙でも出そうかと考えていると、あやめからまたタイムリーな報告を貰い、若干顔をしかめる。

 「白上の影響でこうなった訳だが、まさか狙ってやった訳じゃないだろうな。…イッセイの家も、そんな一族の伝統にまでしなくても良いんだけどな…」

 初期の頃に独立して、うどん屋を開いた子を思い出しつつ、笑顔で大量のうどんを運んでくるその姿が脳裏に浮かんで、つい苦笑いが浮かぶ。

 白上達は、定期的にこの村にやってきては、子供たちの遊び相手になったりしている。のは良いのだが、若干名、悪い影響を受けている気がしなくもないのは、気のせいでは無い筈だ。

 あやめも同じことを思っていたのか、くすくすと笑いつつ、しかし何故かチラリとこちらに視線を向けてくる。

 「修行になりますから、だったっけ。でも、そこはフブキちゃんじゃなくて、むしろ透くんの影響だと思うよ?透くんも、口を開けば二言目に鍛錬だったし」

 「いや、それは…。…よし、今回は何のうどんにするか決めないとな。次の会議の議題にするか」

 違うと言いかけるも、心当たりがありすぎて否定しきれず、咄嗟に話題を変える。あの頃は力をつけるために必死だったのだ、カミに成ってからまだ気が抜けない時期だったのもある。何はともあれ、無事に天寿を全うしたと聞いた。今あるのは、その負の遺産みたいなものだ。

 「は、村長たちがいちゃつきだした」

 「逃げないと!」

 少しあやめと話し込んでいると、隣でそれを聞いていた子供たちが、それだけ言い残してすたこらと走り去って行ってしまった。あまりにも突然の事態に、呆然とその背を見送る。

 「…どういう事だ?」

 小さな背が見えなくなった辺りで、ようやく再起動して、疑問のあまり隣のあやめへと問いかける。すると、彼女も何処か困った様子で、頬をかいていた。

 「えっと、余達がいちゃつきだしたら邪魔をしてはならない、みたいな決まりがあるんだって」

 「…そんな規則、作った覚え無いんだが」

 「村のみんなが作ったみたい、まぁ、からかい半分っぽいから、余は別に良いけど。それに…」

 そこで言葉を区切ると、あやめはこてりとこちらに寄りかかって、肩に頭を乗せてくる。必然的に近づいた距離に、彼女の温もりをより強く感じる。

 「透くんとこうしてるの、余は好きだから」

 「…そうだな」

 少し早く鳴った鼓動から耳を逸らすように、木々のざわめきへと集中する。こればかりは、どれだけ時間を経ても慣れる気がしない。

 そこまで考えて、ふと今朝がたに見た夢の事を思い出した。

 もしかすると、あれは有り得たかもしれない、未来の一つだったのかもしれない。俺が、カミに成れなかった場合に迎える、一つの終わり。

 あの時に感じた、どうしようもない悲しさと虚脱感がフラッシュバックして、温もりを求めて、彼女の肩を抱いて距離をさらに縮める。

 「ん…どうしたの?」

 「いや、何でもない。ちょっと、こうしたかっただけだ」

 「うーん、そっか」

 突然の行動に不思議そうに見上げてくるあやめだったが、適当に誤魔化すと、それ以上追及することは無く、受け入れてくれた。

 「…なぁ、あやめ」

 「なぁに、透くん」

 名を呼べば、そうして返事が返って来る。その事実が、今はどうしようもない程に、嬉しく感じる。

 「あやめは今、幸せか?」

 おもむろに問いかけると、あやめはキョトンとした顔で目を瞬かせる。しかし、それも束の間、彼女はふわりと誰がどう見ても、幸せに満ちた笑顔で答えた。

 「うん、余ね、今が一番幸せだよ。ずっとずっと、この答えは変わらないと思うくらい」 

 その言葉は、疑う余地も無い程の真実なのだろう。少なくとも今、彼女は笑っている、それが全てだった。

 「そっか、それなら、良かった。俺も、幸せだ」

 片方だけでは無い、二人で勝ち取った幸せ。これからも、きっと辛い事はあるけども、彼女と二人なら、何でも乗り越えられる、そんな気がした。

 「ね、透くん」

 「どうした?」

 ふと声を掛けられて聞き返したが、しかしこういう時は何を言うか大抵決まっていて、想いを伝えるには、一言で事足りる。そして、想いと言うものは、何度伝えあっても良い。

 そうして、隣に座る愛おしい鬼の少女は、満面の笑みで、その言葉を紡いだ。

 「大好き」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。