【完結】色づく想ひ    作:ワンダーS

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If:After 白上 Future

 

 小麦色に照らされた街並みを一望できる秘密の高台で、君に想いを告げようとした。

 季節に似合わず汗ばんだ手を握りしめて、不思議そうに首を傾げる君の瞳を見つめて、壊れそうな心臓の鼓動を耳に言葉を紡ごうとしたあの時。沈みかけていた真っ赤な夕日の位置に、傍らに咲いていた花の色と、振り返ってみれば思いの他覚えているものだが、中でも一際印象的なのは、風に靡く、全てを飲み込んでしまいそうな黒髪だった。

 

 

 

 画面に映るもう一つの世界に降り立った分身、手に握るコントローラーの対応したボタンで自由に動かせるそれを操作して、迫りくる敵を打ち倒していく。しかし、倒しても倒しても次の敵が出て来るものだから忙しなく指は動き続けて、部屋の中はカチャカチャという音に埋め尽くされていた。

 これだけ操作を続けていればボタンの押し間違いなども出てきそうなものだが、そこは年季が違う。食い入るように画面を見ながら、けれど指は精密な機械のように的確に目的地へと運ばれている。最早体の一部であるかの感覚で分身を動かすようになってから、はて、どれだけの年月が流れたのだろう。

 関係のない思考にリソースを割きながらも、分身の動きに迷いは無い。進んでいく内に目の前の事しか考えられなくなっていくが、現在はまだ余裕のある局面だ。それは相方の方も同じで、お互い順調にスコアを伸ばしている。

 そうこうしている間に、場面が切り替わった。ここから敵の数も増えれば、求められる操作の難度も右肩上がりになる。どちらかがミスをすれば途端に瓦解する緊張感に急かされながら、最善を選択していくこと暫し、先にミスをしたのは相方の方だった。

「あぁっ、くそ!また同じ場所でミスった。このゲーム後半の調整おかしいだろ!」

 画面へと表示されたゲームオーバーの文字に、悪態をつきながらコントローラーを手放した相方が、どかりと無遠慮にこちらへ背をもたれ掛けて来る。拍子に揺れた黒い獣耳に頬をくすぐられて、俺は思わず片目を閉じながら、宥める様に彼女の身体に後ろから手を回す。

「いやいや、それがこのゲームの醍醐味なんだろ?このくらいの難易度が無いと張り合いがないって、持ってきたのはお前だぞ、フブキ」

 ゲーム開始前の彼女の言葉を引き合いに出してやれば、宝石のような紅の瞳が不服そうにこちらを見上げた。

「確かに私がそう言った。だけどな、透。物事には限度がある。なんだこの難易度は、クリアさせる気自体がそもそも存在していないだろう。これを作った奴は最早性根から…」

「あー、分かったから。ほら、落ち着け落ち着け」

 着実にヒートアップしていく彼女を落ち着かせようと声を掛けつつ、頭を撫でようとする。が、頭に手を置いた途端、ぺしりとその手を叩き落とされてしまった。どうやら、今の彼女はそんな気分ではないらしい。

 拒否された事実に若干へこまないでもないが、これはこれで味わい深いものだ。緩みそうになる頬を抑えていると、そんな考えが漏れ出てでもいたのか、こちらに向けられた紅の瞳がすっと細められた。

「おい、どうしてそこで嬉しそうにする。…前々から薄々感じてはいたんだが、お前変な趣味嗜好に目覚めてたりしないか」

 心なしか、腕の中の彼女が距離を取ろうとしているように感じる。所謂ドン引きという奴だろうか。確かに多少ずれている自覚はあるが、こればかりは謂れも無き誤解だ。

「失礼だな、俺は普通だ、ノーマルだ。誰がどう見ても至って健全な一般人だろ」

「私からはそう見えないから言ってるんだ。というか、一般人ですらないカミの分際でその発言は、そもそも無理がある…」

 誤解を解こうと弁明するも、逆に揚げ足を取られ、俺はお手上げとばかりに降参の姿勢を取る。そも、彼女に口で勝とうとする事自体が間違いであった。なにせ、戦歴は連戦連敗。些細な諍いでさえ、勝てたためしなど一度たりとも無いのだから。

 惚れた弱みと言ってしまえばそこまでだが、偶にくらい攻勢に立ちたいと密かに野望を抱くのは、悠久を生きるカミとしての小さな変化の一つなのだろうか。

「…おい、透。聞いてるのか、何か反応しろ」

 思考の海に身を沈めようとした所で、不意に掛けられたその声に引き上げられる。些かぼんやりとしながらも、視線を声の出所へと落として見れば、若干頬を赤らめつつも、不機嫌そうにこちらを見上げているフブキの顔が視界に映った。

「…俺は一般人ではないって話だよな」

 最後に話していた内容は確かそれだった。確かめるように問いかけるも、それを聞いたフブキの眉が僅かに上がるのを見て、思わず頬が引きつる。

「そうだな、お前の言う通り、カミを一般人とは呼ばない。ただ…おかしいな。私はその後にもう一言二言続けた筈なんだが、そちらの方には言及してくれないのか?」 

 柔らかく微笑むフブキだったが、しかしその眼差しは表情とは相反したものであった。挑発的でありながら、奥底からは有無を言わさぬ威圧感が放たれている。虎の尾を踏んだ、いや、この場合は狐の尾を踏んだが正しいか。何にせよ、お叱りを受けることに変わりは無いだろう。

 これ以上の災いは御免こうむると口を噤んでいれば、やがて痺れを切らしたのか、フブキは身じろぎを一つしてこちらの首へと腕を回した。そうして、自然と眼前で向き合う事になった彼女の吐息が頬を撫でる中、俺はその目に嗜虐的な色を見た。

「私はあいつのように優しくは無いからな。もう一度、なんて通じない。思い切った一言を聞き逃された私の悲しみが、お前に分かるか?」

「その割には、随分と楽しそうだ」 

「いーや、私は悲しい。心に傷がついた。だから、透、お前にはこの責任を取る義務があるんだ。責任の取り方は分かるだろう?…今度こそ、間違えるなよ」

 そう言ってフブキは目を閉じた。澄まし顔のまま、少々頬が赤らんでいるように見える彼女は、つんと顔を上げて待っている。こんなおあつらえ向きの状況を前にせずとも、彼女の要求は知るところだ。

 後ろに回した手で上を向く彼女の首を支えて、端正な顔との、既に無いに等しい距離を縮めていく。慣れ、なんてものは存在しない。証拠に、徐々に距離が近づくにつれて、鼓動は早鐘を打っている。触れる手からは、彼女の熱が伝わってくる。初々しい、などと言ってくれるな。こればかりは幾年の歳月を経ようとも、どうにもならないものだ。

 二人きりの部屋、二人きりの空間に、甘い香りが満ちているように感じる。俺とフブキにとって、その世界は閉め切られていた。誰にも干渉されず、誰にも視認されない世界であると、そう錯覚するほどに、その意識は互いへと向けられていた。

 だからだろうか、部屋に満ちている香りが焼き菓子のそれであることに、襖越しに近づいてくる第三者の足音に気が付かなかったのは。

「フブキー、透君、さっきあやめとお菓子焼いたんだけど、二人も食べてみない?」

 今正に唇が触れ合おうとした折に、襖の開く静かな音と共に響いた声が部屋の静寂を破り去った。思わぬ第三者の介入に、自然と動きを止めて、視線を声の出所へと向ける。

 部屋に入って来たのは、菓子の乗っているであろう皿を持った大神だった。割烹着を身に纏った彼女は、時折と言うにはやや高い頻度で、こうして菓子を差し入れに来る。常であれば、このまま談笑を交わして、穏やかな空気に和むところだが、しかし、今日ばかりは様子が異なった。

「お、大神…?」

 棒立ちのまま物々しい雰囲気を漂わせる彼女に、戸惑いながら声を掛けてみれば、返事代わりにじろりと睨みつけられる。

 普段は温もりを感じさせるその瞳が、極寒を思わせる冷気に沈んでいる。そこからありありと伝わって来る、軽蔑、不信といった念の数々に、ようやく俺は自身の置かれた状況を理解して、喉からか細く空気を漏らした。

「…透君。ウチね、そういうのは二人の問題だから、あまり口出しはしたくなかったんだけど。それでも、これは無しじゃないかな」

 その瞳に勝る冷淡な声で、大神は問い詰めて来る。彼女の表情は様々な感情が入り混じっているが、あえて一つ挙げるとするならば、失望という言葉が合っているだろう。長い付き合いの中で、始めて見る顔だった。

 これはマズイ。今までの信頼など諸々の積み重ねが、一度に崩れ去る危機だ。

 脳内でけたたましく鳴る警鐘を他所に、僅かに残った冷静な部分で現状を打開する手立てを思考する。しかし、どう考えても、腕の中に居るフブキの姿が致命的過ぎた。

「いや、待ってくれ。これは、誤解なんだ。少なくとも、大神が考えている様な事実は皆無だ。とにかく、一度落ち着いて話をだな…」

 背を冷や汗に濡らしつつ苦し紛れの弁明を行っていると、いつまでもやって来ない感触に焦れたのか、ぴくぴくと黒い獣耳を揺らして胡乱気に瞼を開けたフブキが小首を傾げて、俺の視線を辿るように大神へと振り返った。

「…?あ、ミオ!どうしたんですか…って、もしかしてそれはクッキーでは?ありがとう、ミオ!わーい、今日のお菓子はクッキーだー!」 

 先ほどまでとは打って変わって朗らかな表情を浮かべたフブキは、その紅の瞳に大神が手に持つ皿を目敏く映すなり、匂いから今日の菓子と推察すると両手を上げて歓声を上げた。

 世界がひっくり返ったとしてもその姿の主が取るとは思えない仕草に加えて、馴染み深い親友の声音で話しかけられたことで、どうやら脳の処理速度が追いつかなくなったらしい大神は、ぽかんとこれまた今まで見た中で一番の呆気にとられた表情を浮かべて、零れ落ちそうな程に大きく目を見開いていた。

 

 

 

 動きを止めて石像と化した大神が元に戻ったのは、それから暫くした後だった。その間、目の前で手を振ってみても反応を示さない大神に、フブキがペンを取り出した辺りでそれを止めてのひと悶着が有ったが、無事にシラカミ神社の平穏と今日の夕食を守りきれた。

 そうして現在、再起動を終えた大神が仁王立つ前で、俺と未だに黒上の姿を取ったままのフブキは揃いも揃って正座で並んでいた。

「…それで、二人共、これは一体どういう状況なの?」

 だが、見上げる大神の顔には困惑がありありと浮かんでいる。硬直からは抜け出したものの、先ほどの衝撃は未だ存分に尾を引きずっているらしい。

 この今にも説教が始まりそうな状況も、大神の動揺の表れだろう。普段から、こうして説教が行われていたものだから、混乱に陥った彼女は条件反射でこの体制に落ち着いたようだ。先の問いかけも、幾分かは現状に対しての意味も含まれていよう。

 詰まるところ、俺もフブキも正座をする必要はない。とはいえ、側から見ればとんでもない誤解を招く状態だったという自覚もあって、大人しく大神に従っていた。

「えっと、まずは確認させてね。黒ちゃんの格好をしてるけど…フブキ、なんだよね?白上フブキ」

 口火を切った大神に念押しするように尋ねられ、フブキがこくこくと頷いて答える。

「あ、はい、白上です。シラカミ神社の神主で、透さんの恋人の白上です」

「そこまでは聞いてないけど、まぁいいや。そっか、ちゃんとフブキだったんだ。良かったー…」

 フブキの答えを聞くなり、大神はあからさまに脱力して、深く安堵の息をついた。

 大神からしてみれば、部屋に入ると俺と黒上がキスをしようと顔を近づけている、という親友の恋人の浮気現場に遭遇してしまったのだ。それは驚きもするし、怒りもするだろう。俺が消し炭にされる前に、フブキが白上フブキとして大神に話しかけてくれたのは、不幸中の幸いだった。

 そうして、胸を撫で下ろしていた所、幾らか落ち着きを取り戻した大神は、ふと気が付いた風に胡乱気な目をこちらに向けた。

「浮気じゃないなら良かったけど…。でも、じゃあどうしてフブキは黒ちゃんの恰好して透君と乳繰り合ってたの?」

 大神が投げかけたその至極尤もな疑問に、俺は内心で深く同意を示した。

 実を言えば、フブキが何故このような行動をとったのか、その理由については聞かされてもいなければ、見当もついていなかった。

 過去に、黒上がフブキの姿で揶揄ってくることは何度かあったが、その逆は殆ど無い。それこそ、恋人になる前、彼女に想いを伝えようとして逃げられた時くらいのものだ。中身がフブキだと分かっている時点で、何やら味わい深いものがあったため気にしていなかったものの、冷静になって思い返してみると、何故今更?といった疑問が浮かんでくる。

 俺と大神、二人分の疑念の視線を受けたフブキは、きょろきょろとこちらを交互に見比べると、居心地悪そうに視線を逸らして口を開いた。

「えっと、なんと言いますか。ほら、透さんとこの関係になってから長いじゃないですか。その間、ずっと白上は白上のままですし?だから、こう、マンネリ防止?にどうかなーっと思いまして。…透さんも、黒ちゃんの姿で迫られて、満更じゃなさそうでしたし」

「へー、透君満更じゃなかったんだ。そうだよね、ノリノリでキスまでしようとしてたもんね」

 疑問形だらけのフブキの言葉に、大神の瞳が再び絶対零度に凍てついた。本当にそれを信じたのかと問いただしたくもなるが、しかし、状況はいつの間にやら完全に二対一の一の方である。圧倒的にこちらが不利だ。こういう時、つくづく大神はフブキの味方なのだと実感させられる。

 今度百鬼あたりにでも相談してみようかと、現実逃避気味に考えつつ、どう対応したものかと頭を悩ませる。

「…一先ず、ツッコミどころは満載だが、この際は置いておくとして。別に、黒上の姿とかは関係ない。俺はただ、撫でようとした手を乱暴に払われたりとか、普段のフブキにはされない事をフブキにされたのが新鮮だっただけだ」

 あくまで、前提条件にフブキがいてこそ成り立つものである。仮に、これで外見通りの黒上が相手であったなら、あんなに引っ付いたりする筈が無い。ましてやキスなど、是が非でも避けるに決まっている。

 そういった内容を赤裸々に伝えて見れば、二人からは若干引き気味の反応を頂けた。

「透さん、やっぱり変な趣味に目覚めてたり…。白上も恋人として応えたいとは思うんですけど、その、限界はありますから、程々でお願いします」

「おい、元はと言えば急にフブキが黒上の姿に成ったりしたのが原因だろう。俺は、それを、受け入れた。なのに、どうして俺が加害者の立場になっている?」

 愛しい恋人から向けられる、諭すような憐れむようなその視線に、つい先ほど自分で放った言葉も忘れて徹底抗戦の姿勢を取る。抗議するように視線を送れば、フブキは一層警戒心をあらわにし、自らの身体を抱きしめすらした。しかし、その行動とは裏腹に、彼女の瞳の奥には確かな悪戯心が煌めいていた。

 揶揄う気満々といったフブキと、その意志を感じ取って頬をひきつらせた俺とで、交差した視線が火花を散らす。正に一触即発の緊張感が漂う中、間に割って入ったのは、心底呆れたような大神のため息だった。

「つまり、プレイの一環だったてこと?あー、はいはい、心配して損した。結局いつも通りなんだから…」

 肩を落とした大神はどこか哀愁を滲ませる背を向けて、そのまま部屋を後にしようとする。徒労感を前面に押し出すその様子に毒気を抜かれて、ついフブキと目を瞬かせ合っていると、部屋を出る直前で不意に足を止めた大神がフブキへと振り返った。

「あ、フブキ、お菓子も作り終えたし、この後からお団子作るんだけど、フブキも参加するんでしょ?いちゃつくのも程々にして、用意してきてね」

「そうでした、すぐに行きます!あと、いつもああいった事をしてる訳ではないですからね」

「気にする所そこなんだ…。キッチンに来る前に、いつもの恰好に戻っておいてよ?そのままフブキの口調で話したら、あやめもびっくりするだろうし」

 返事ついでに釈明をするフブキを如何にも不可解そうに眺めながら、今度こそ大神は部屋を出て、静かに襖が閉まった。

「…さてと、では白上も行ってきますね。透さん、少し目を閉じていてください」

 立ち上がりながら言うフブキに従って素直に目を閉じれば、不意に発生した風に髪が揺れる感触を覚える。次に目を開けた時には、目の前に、白い長髪に揺れる獣耳と、いつも通りの白上フブキの姿があった。

「黒上らしく振舞うフブキも新鮮で良いが、やっぱりそっちの方がしっくりくるな。落ち着く」

「うーん、実を言うと白上もそうなんですよね。こう、途中で自分を客観視すると、この泥棒猫!って叫びたくなると言いますか」

「そこまで思うなら最初からやるなよ…」

 まさかの自分で自分に嫉妬をしていた、などという事実に呆れて思わず項垂れる。

 当初、困惑したのはこちらの方である。いつものように部屋に入ってみれば、そこにいたのは黒上、の姿をしたフブキで、更に黒上らしく振る舞ってくるのだ。それを目にした時は、知らずのうちに機嫌でも損ねたかと、必死に記憶を辿ったものだ。

「結局、理由についてはだんまりか?」

 確認するように見上げて問いかけると、フブキは形上澄まし顔を取って見せるが、僅かに耳と尻尾を動揺したように揺らした。

 思いつきであるなら、思いつきだと言えば済む話を、そうでないと言うのなら、何かしらの影響があったと考えるのが普通だ。とはいえ、話したがらない内容を無理矢理暴く程の事態とも思えない。

「ま、なんでも良いけどな。俺個人としては、塩対応なフブキを堪能できただけの役得なイベントだ」

「えー…、透さん、やっぱり…」

「そこまで言うなら自重辞めるぞコラ」

 どうしても変人に仕立て上げたいらしい恋人に、その耳と尻尾を思う存分堪能してやろうと手をわきわきと動かして見せたところ、それを目にしたフブキは可愛らしく悲鳴を上げて、逃げるように走って行ってしまった。流れ的に、大神と百鬼がいると言うキッチンの方に向かったのだろう。

 部屋の中にぽつんと一人残されると、ゲームオーバーの文字を映したままの画面から流れる音楽がやけに響いて聞こえた。

「団子…、そうか、今日は満月か。どうせ作るなら混ぜてくれれば…、邪魔になるか」

 かなりの歳月を経て尚、お手伝いが精々という崖っぷちな自らの腕前に、胸に渦巻いた諦観の念をため息と共に吐き出す。大抵の物事は取り組んでいれば、極めるとまでは行かなくとも、ある程度は上達するのが常だ。だと言うのに、ここまで腕前の推移が底辺を這うのだから、これは一種の呪いとも呼べる。

 再度息を零してから立ち上がって、生まれた余暇をどう潰そうかと思案を巡らせる。

 そう言えば、前にフブキと一緒にプレイしたとあるゲームがあった。大筋のストーリーは読んだが、まだ細部までは網羅できていない筈だ。この際ストーリーを見返すついでに、コンプリートと行こう。

 山と積まれたゲームディスクの中から、件の物を探し当てて機器の方へとセットして、画面を切り替える。

「どんな話だったか。確か…」

『なんだ、覚えていないのか?遂にボケが始まったみたいだな、透』

 今や当たり前になっていた腕の中の温もりが無い事に、やや肌寒さを感じながらコントローラーを手に持ったところで、不意に掛けられたそんな声に振り返る。とはいえ、見るまでも無く、その声の主には察しはついていた。

「黒上、人を老人みたいに言ってくれるなよ。見ろ、この肌つやを。正に年若い青年のそれと遜色ないだろう」

 ハリのある自らの頬を叩きながら振り返った先、宙に浮くようにしてこちらを見つめる小さな狐のシキガミに言って返す。シキガミの中にいるのは、今度こそ正真正銘の黒上フブキだ。黒上の姿をしたフブキとの逢瀬が終わったことで、彼女も出てきたのだろう。

 そして、不条理への些細な反抗を試みた俺に対して、黒上はその小さなシキガミの身体で、器用に鼻を鳴らして見せた。

『若者はわざわざ若者らしさをアピールしない。それをした時点で、お前は若者の括りから除外されている。…随分と丁寧に墓穴を掘ったもんだな、頭でも撫でてやろうか』

「結構だ、後でフブキに泣きつくから」

 愉快そうに笑う黒上に、口をへの字に曲げて視線を逸らす。幾ら早々に年老いないとはいえ、思いのほか先ほどの黒上の言葉は心に突き刺さった。この傷は白い獣耳と尻尾に癒してもらおうと心に決めつつ、コントローラーを操作して画面を先に進める。

 そんな俺の釣れない態度に、黒上は笑いをかみ殺しながら揶揄い混じりに言葉を続けた。

『さっきは私に対してあんなにデレデレしていたくせに、今は随分と素っ気ないな。どうせフブキがいなくて寂しいんだろう、代わりに私が相手をしてやっても良いんだぞ?』

 どうやら、黒上本人もしっかりあの場面を見ていたらしい。自分の姿を使われているのだ、言われてみれば確かにそうだと納得のいく事実だが、それでも動揺してボタンを操作する手が止まった。

「…人の逢瀬を覗き見るとか、趣味悪いぞ。再三言うが、あれは相手が黒上の姿をしたフブキだったからだ。黒上自体には恋愛のれの字も抱いていない。…と言うか、そんな浮ついた心持だったら、とっくに寝首を搔きに来てるだろ、お前」

『当たり前だ』

 伸びをする黒上から、世間話でもするかのようにごく自然に伝えられたその肯定の言葉に、つい寒気を覚えた首元に手を当てる。万が一、いや、億が一にも有り得ないが、胸に抱くこの恋情が僅かでも軽くなれば、実際にこの首は胴を離れるのだろう。

 想いの重みは増すことしか許されない。常であれば理想だと吐き捨てられるそれを、さも常識だとばかりに要求してくる辺り、黒上が持つフブキへの情の深さが伺える。それは、自分の姿を恋人同士の逢瀬に使わせた事からも同様に。

「俺もそうだが、黒上も黒上で大概だよな…。その様子だと、事前にフブキから聞いてたと見て、間違いはなさそうだ」

 確認を取るように視線を向けると、思っていたよりも呆気なく黒上は白状した。

『まぁ、そうでもないと、誰があんな正気を疑うような暴走を許すか。あいつがどうしてもと言うから、渋々許可をやっただけだ。それに、お前がどんな反応をするのかも見てみたかった』

「分かり易すぎる、絶対に後半が主な目的だろ」

 胡乱気な視線を送れば、やはりと言うべきか、先の出来事を黒上自身楽しんでいたようで、否定もせず、答え代わりにか機嫌良さげに尻尾を揺らしていた。

 なんら後ろめたさは無かったものの、知らぬ間に探りを入れられていたと思うと、今になってどっと気疲れが押し寄せてきて、脱力するように肩が落ちて大きく息が漏れ出た。

「そんな試すような真似しなくても、今更の話だろうに。なぁ、共犯者」

 未だフブキも知らない、黒上にだけ伝わる呼び名で抗議の意を示す。けれど、黒上は意に介した様子も無く、寧ろしてやったりといった様子で得意げに鼻を鳴らし、その小さな双眸を細めた。

『知らなかったか?共犯者というのは、裏切るところまでがセットなんだ』

「なら、俺はまんまと代わりに差し出された憐れな羊か。狐らしい狡猾さだ、尊敬に値する。後は煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

『そう拗ねるな、別に疑ってた訳じゃない。ただ、確認したいことがあったと言うか、あいつなりに思う所があっての行動だ。恋人なら笑って受け止めろ』

 後方に倒れ込んで五体投地する俺に、追い打ちをかけるように乗っかった黒上がそんな事を言ってくる。

 思う所があった、その言葉は嫌に耳に残った。疑われるような事をした覚えはない。かと言って愛情表現を怠った訳でもない、寧ろ呆れられる程度にはしてきたつもりだ。なら、何が起因となったのか。

「…黒上は知ってるんだろう?その、思う所とやらを」

『知らない、と言えば嘘になる。が、お前に話すつもりは無い、あいつから直接聞け。まぁ、聞いたところで、私と同じように呆れるだけだろがな』 

「呆れるって、黒上が静観してる時点で、大事ではないんだろうが…」

 言い切れぬ感情に、余計な言葉を吐かないよう口を噤む。けれど、燻るそれは着地点を見失ったまま、ただモヤモヤと胸中に煙を吐き出し続ける。息苦しいようで、やりきれない。あぁ、嫌だ。長らくと抱いていた無かったそれの治め方を、久しくして忘れてしまっている。

 そんな俺の胸中を察してか、黒上はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、わざとらしく穏やかな声で続けた。

『それにしても、心苦しいな。最愛である恋人がいるにもかかわらず、私が、相談先として選ばれてしまった。あー、何処かの誰かさんは何も知らされぬままで、こうして一人悶々としているのになぁ?』 

「おま…、この、今悶々としてるのはお前の所為だろうが…!」

 刺激された、所謂嫉妬心に突き動かされるように、身体の上に乗った小さな獣を捕まえようと手を伸ばす。しかし、伸ばした手が掴んだのは空気のみで、黒上はひゅるりと両手の間をすり抜けてしまった。

『あぁ、怖い怖い。フブキの奴も大変だな、こんなに重いもんを常日頃から相手取ってんだから。いや、似た者同士だから、大して苦にもならないのか?…どちらにせよ、私は御免だ』

 そう言ってのける黒上は、一応は潰されかけたにもかかわらず、飄々とした態度を一貫している。逆撫でされた激情に唆されては彼女の思う壺だ。自分に言い聞かせながら、けれど、せめて少しくらいは意趣返ししてやろうと、表情だけは感情の湧き出るまま憎らしく笑みを浮かべて口を開く。

「そう言うお前はさっきの光景をどんな気持ちで見てたんだよ。傍目から見れば、俺と黒上が恋人同士だったんだ。もしかすると、実際に恋人になってる未来があったのかもしれないぞ?」

 つい先ほど、彼女自身の口から御免だと紡がれた事柄を突いてやる。

 これでついぞ優位に立つ黒上の顔を明かしてやった筈だ。さて、狐顔ながらにどんな渋面を浮かべているのやらと、僅かな期待に胸を膨らませながら彼女を見やるも、そこに在ったのは想像したどれとも異なる、神妙な顔つきで佇むシキガミの姿だった。

「…おい、黒上?」

『確かに、お前の言う通りだ』

 想定外の事態に動揺しながら呼びかければ、返って来たのはそんな肯定の言葉。 

『もしかすると、私とお前が恋人になっている。そんな世界線が存在したのかもしれないな』

 それだけ言い残して、黒上はぴょいと飛び上がり、虚空に消え去るようにその場を後にした。

 再び、部屋に静寂が舞い戻る。画面の中では映し出されたゲームのタイトルが静止して、その仄かな明かりに照らされる中、俺はただ呆然としたまま、シキガミの消え去った虚空を眺め続けた。

 

 

 

「透さーん、いい子にして待ってましたかー?」

 外から差し込む光がお山の向こうに沈んだ頃、三角形の山と積まれた団子を乗せた盆を手に、フブキが間延びした声を響かせながら部屋へと戻ってくる。

 やはり、普段通りの彼女だ。そんな感想を胸の内に隠して、返事代わりに手を上げて応えると、フブキはこてりと不思議そうに首を傾げた。

「ん、何かあったんですか?なにやら元気が無さそうに見えますけど…」

 目敏く変化に気付いた恋人に鼓動が嫌に高鳴るも、自分が分かり易いだけだと思いなおす。相変わらずな隠し事の下手さに、思わず苦笑が浮かんだ。

「…いや、お前の同居人にこれでもかと煽られただけだ。それより、今夜は月見をするんだろう。もう百鬼と大神は上に行ってるのか?」

 適当に誤魔化しつつ、チラリとフブキの後方を確認して問いかける。フブキと共に団子を作っていた筈の二人の姿が無い事に、先に屋根に上がったのかと思ったが、フブキは首を横に振ってそれを否定した。

「ミオとあやめちゃんでしたら、キョウノミヤコの方へ行きましたよ。なんでも、街の子供たちと一緒にお月見をする約束をしていたみたいです」

「あぁ、百鬼はちょくちょく街に出かけてるしな。大神はその付き添いか」

「そうですね。『あやめがお姉ちゃんをしてる所は貴重だから!』と、とても楽しそうについて行きました」

 くすくすと可笑しそうにフブキが笑う。さも、百鬼至上主義な大神が言いそうな台詞に、ぐっと握り拳を作って目を輝かせる様が脳裏に浮かぶようだった。今頃、大神はほくほく顔で百鬼と共に街へ向かっているのだろう。

 ともすると、今日の月見はフブキと二人きりという事になる。最近、そういった機会はあまりなかった。それもあってか、喜ばしい機会に心が躍る反面、ややずっしりとした緊張感が顔を覗かせていた。原因は、考えるまでも無く先ほどの黒上との一幕だ。

「嫉妬、か…」

「?今、何か言いましたか?」 

 口の中で噛み締めるような呟きにフブキが反応する。とはいえ、この場で赤裸々に話すことなど、自分が、どうにも小さく見えるように思えて、到底できそうになかった。

「気にするな…今日は天気も良いし、月がよく見えそうで楽しみだ。早く行こう、フブキ」

「わ、透さん、ちょっと待ってくださいよ!」

 盆を持つ手とは反対の空いているフブキの手を取って、繋ぎ慣れた細く柔らかい手を独占するように、固く繋ぎとめる。その手を引いて玄関へと向かう傍ら、先の自分の言葉が脳裏をよぎった。自覚してみれば、得心の行くものだ。想いは重さを増すばかりだというのに、今の今まで気が付いていなかった。

 最愛の恋人へと向けられるこの感情は、いつの間にやらこんなにも大きく、制御に難儀するものへと育ってしまっていたらしい。

 

 

 

 小高い山の頂にあるシラカミ神社からは、その標高の分だけ空に近いこともあり、遮るものの無い満天の星々がよく見渡せる。そして月に一度、一片の影も無く姿を現す満月は、そんな散りばめられた星々を引き立て役に、夜空の主役として空に鎮座する。

 シラカミ神社本殿の屋根の上で寄り居る俺とフブキは、微かに頬をくすぐる風を感じながら、柔らかな光を降り注ぐ満月を見上げていた。

「今回は天気に恵まれて良かったですね、雲一つなくて、これぞお月見といった絶好の月見日和です」

「あぁ、前回は酷かったからな。あれじゃ、夜空どころか雲しか見えない。その分を、空が気を利かせてくれたみたいだ」

 月に叢雲とよく言うが、流石に限度がある。前回は、それこそ屋根に上がった頃には空一面が雲に覆われていて、月を一目拝む事すら叶わなかったのだ。曇り空の下、ただむしゃむしゃと団子をむさぼるだけの月見とは名ばかりの夕餉は、中々に虚しいものであった。

 苦々しい記憶の一幕を、団子の程よい甘さで誤魔化して、目の前の絶景へと意識を切り替える。

 月に一度、屋根上で満月を眺める事は、いつの間にやら習慣と化していた。それは、イヅモ神社での出来事を思い出せるからなのか、それともこの光景が単に神秘的であるからなのか。どれを考えてもしっくりと来ない。

 多分、理屈では無い。直感的に気に入ってしまった、ただそれだけの事だ。

「団子のお味はどうですか?今回はミオとあやめちゃんが子供たちように甘めのものを作るらしくて、白上が主に味付けして作ったんですけど…、お口に合いましたか?」

「あぁ、美味い。作るごとに腕上げてるよ、フブキは。比べて、俺はどうして一向に上達しないんだろうな。そろそろまともに料理が出来るようになっても良いものなんだが」 

 尻尾を横に一振りして不安げに聞いてくるフブキに、もう一つ団子に手を伸ばしつつ、前に自分で作った悲惨な料理と見比べて答える。フブキも当時を思い出したのか、口元を手で抑えて可笑しそうに笑っていた。

「そうですね、白上も透さんの美味しい手料理を食べられるのを、結構楽しみにしてるんですけど」

「期待しないで待っていてくれ。数百年単位で時間が掛かりそうだ、気長なんてレベルじゃない」 

 この呪いは、きっと今ある幸せの代償か何かなのだろう。そうでも考えなければ説明がつかないし、そもそも納得がいかない。これでも、自分の料理の下手さ加減には辟易としているのだ。

「…では、透さんがちょっと不機嫌なのは、白上の料理が上手すぎる事が原因では無いみたいですね」 

 口に運びかけた団子が動きを止める。固まる身体、横に視線だけを動かせば、柔らかく微笑んたフブキがこちらを見つめていた。その、全てを見透かすような瞳に、やはり隠し事は出来ないと察する。

「…そういえば呪いは、料理の腕前だけじゃなかったな」

「いえ、料理の方は否定しませんけど、どちらかと言うとそれは透さんの人となりだと思います」

 あけすけに放たれたフブキの言葉に、二重の意味でがくりと肩を落としていると、フブキはそっと瞳を伏せて、呟くように静かに言葉を続けた。

「もしかして、黒ちゃんから何か聞きましたか?」

 眉を顰めるフブキの表情は何処か申し訳なさそうに見える。思い当たる節と言えば、先の黒上との一幕、そして、フブキが黒上に扮した理由。それでも、無理に聞き出すつもりは無かったのに、そんな顔をさせるくらいならと、俺は観念して白状する。

「違う、逆だ。何も聞けなかったから…まぁ、主に黒上の所為なんだが、少し機嫌が悪くなったと言うか…なんだ、詰まるところ嫉妬してたんだよ。俺が知らないフブキの事を、黒上が知ってる事に」

 今思い返してもはらわたが煮えくり返りそうになる煽り文句の数々と、自らの嫉妬心を暴露する羞恥に顔を顰めていると、フブキはそんな俺を見て驚いたように目を瞬かせていた。

「…何だよ、そんなに意外だったのか?」

「はい…、透さんからの好意は常々受け取っていましたけど、こうした形で受け取ったのは初めてでしたので」

「俺だって、こんな伝え方をすることになるとは思わなかった」

 いよいよ耐え切れなくなって、フブキの視線から逃れるように目元を覆って顔を俯かせる。フブキがどんな顔をしているのか、正直あまり見たくない。居たたまれない。これも、全て黒上の所為だ。後で思う存分文句を言ってやる。

 心の内で、随分と楽しそうに煽ってくれた黒狐への不平不満の言葉を募らせていると、不意にフブキが小さく息を吸った音が聞こえた。

「…少し、考えごとをしていたんです」

 続けられたそれが、聞きたかった先の理由についてなのだと察して顔を上げる。そうして、視界に映った月を見上げるフブキの横顔は何処か寂し気で、悲しんでいるように見えて、思わず息を呑んだ。

「白上達が出会ってから、楽しい事や辛い事も乗り越えて、一緒に紡いできたこの世界。でも、本当は他に、真実の意味で辿るべきだった悲しい未来があって。ここは、そこから派生して生まれた、泡沫の夢のようなもしもの世界。ifのお話だから、白上達に都合の良い、思い通りに幸せな未来なんじゃないかって」

「それは…、そんな夢を見たって事か?それとも、大神みたく予知とか、そう言った類の…」

 前例がいる以上、十分あり得る話だった。カミとは何か、イワレとは何たるか、この世界には未だ不明瞭な概念が多くある。中でも、とりわけそれらと密接な関係にある彼女だ、感覚的に何かを察知したとしてもおかしくはない。

 そういった意味も込めて掛けた問いに、フブキは分からないとばかりに首を横に振った。

「根拠も何も無くて、白上も何となく、そう感じただけですから。それに、この話自体は特に問題では無いんです。けど、もしもの可能性を考えた時に、ふと思ったんです。もしかしたら、透さんがミオやあやめちゃんと恋人になる、そんな世界もあったんじゃないかって」 

「…」

 想像の斜め上を行った話の流れに、思考が追いつかずに一瞬フリーズする。てっきり、未知の能力に目覚めてそれに思い悩んでいるだったり、そう言った類の話だと考えていたが、どうやらそれは違うらしい。

「まぁ、もしもだしな。そういう話なら、確かにあり得るか」

 些か考えづらい内容ではあるが、間違いではないかと納得しておく。そして、もしもの世界、そんな話に何処か既視感を覚えた。

(…そう言えば、この前やったゲームの設定に似たのがあったな)

 話していく内に、段々と記憶が掘り起こされてきた。それは、丁度先ほどやろうとしていたゲームだ。同時に、黒上が去り際に言い残した言葉にも、ようやく合点がいく。

「今の白上は、どの世界の白上よりも幸せな自信があります。けど、透さんはどうですか?白上はちゃんと、透さんの事を幸せにできてますか?最近は、そんな事ばかり考えてしまうんです」

「あぁ…だから、黒上の姿を借りたのか」

 胸に渦巻いていた多くの疑問が、一挙に解消した。どっと身体中の力が抜けそうになるが、それよりも目の前に居る彼女の方が重要だと気を引き締め直す。

「透さんは、他の人と結ばれていた方が良かったって、そう思いますか?」

 話すフブキは、尻尾を身体に巻き付け、不安に瞳を揺らしている。ここまで来ると、自分自身に問題があったように思えるのだから不思議なものだ。それはさておきと、ジッと見つめて来る彼女の視線に、どう答えたものか、困惑混じりの思考を働かせる。

「そんなこと言われてもな…、どれを考えても、結局は可能性の話だろう。どれだけその世界の俺が幸せだろうと、この世界の俺にとっては憶測でしか語れない。けど、確かなのは、この世界に居る俺は、フブキと恋人になった俺は、この世の誰よりも幸せだってことだ」

 迷った末、それだけは譲れない、誰が何と言おうと、例え他の世界の自分自身から言われようと揺るぎのない事実を口にする。だが、やはり慣れないことはするものでは無い。遅ればせながらに顔に集中してきた熱から逃れようと、顔を上に向けて夜空を仰ぎ見る。

 これで、変に絡まっていた誤解も解けた事だろう。しかし、胸を撫で下ろす中、ふと悪寒を感じて視線を戻すと、フブキはあからさまにむすりとして、疑わし気に目を細めてこちらを睨みつけていた。

「でも、透さん、さっき黒ちゃんの姿で迫ったらデレデレしてましたよね。キスまでしようとして」

「まだその話引っ張るのか!?…だから、何度も言ってるだろ、あれは中身がフブキだからだ。逆にフブキの姿でも、中身が他の奴だったとしたらこっちから願い下げだ。勿論、中身が黒上だとかは以ての外だ」

 繰り返されるやり取りに頭痛すら感じながら、名指しを含めてハッキリと宣言する。途中、頭上の空気が揺らいだ気がしたが、空気を読んでか思い留まったらしい。

「そう…ですか、白上だから…。あの、すみませんでした、疑うような真似を…」

「分かってくれたなら良かった。まさか、あの一幕にここまで苦しめられるとは思わなかった」

 ようやく誤解の解けたフブキの様子に、安堵から溜まっていた息を大きく吐き出す。しかし、こうも尾を引きずる結果になろうとは。今後は、幾ら相手がフブキだからと、姿の変化を安易に受け入れるのは控えようと心に誓う。

「それにしても、珍しいよな。フブキがああも頑なに疑ってくるなんて。やっぱり、他の奴が恋人ってのが引っかかってたのか?」

 若干の意趣返しに、大方予想は付いているものの、その口から言わせようと促して見せる。先の事もあってか、フブキは頬を染めて口をまごつかせるも、すぐに観念して重たい口を開いた。

「う、その、正直に言うと、少し…というより、かなり嫉妬してました。特に距離が近い分、ミオとあやめちゃんへの嫉妬が大きくて、キッチンでも少し様子が変だったかもしれません」

「それは…後でフォロー入れとかないとな。俺にも責任はありそうだ」

 とはいえ、あの二人の事だ。フブキが何やら威嚇してくる程度の認識だろう。経緯を話せば、黒上と同様に呆れられるのかもしれないが、これも仕方のないことと受け入れる他ない。

「しかし、不思議なもんだな。最初は友人感覚の恋人だったのに、いつの間にかこうもお互いに嫉妬し合うようになるとは」

「自分でもびっくりですよね。…でも、これって普通はもっと早い段階で踏むべきステップなのでは?」

「…まぁ、俺達はカミだしな。普通ではなくて当然だ」

 人の寿命以上の長い時を経てようやく一歩前進。遅すぎると、指摘されれば痛い所も、これが俺達の関係性なのだと考えると、悪い気はしなかった。

「とはいえ、これからは一層気を付けるか。今回の件で分かったが、お互い嫉妬が重そうだ。変にこじれて喧嘩なんてしたくないしな」

 起こり得る未来の光景に、想像だけで辟易とする。嫉妬なんてのは、もうこれで懲り懲りだ。そう同意を求めるようにフブキに視線を向けて、思わず息を呑んだ。想いが重みを増すとは、嫉妬を生むばかりではないらしい。満月を背景の空に、こちらを見て微笑むフブキは、あまりにも幻想的に見えた。

「そうですよ、透さんと同じで、白上は嫉妬深い狐なんです。…だからちゃんと、私だけを見ていてくださいね」

 言い終わらぬうちに、距離を詰めたフブキに月光が遮られた。言葉を発する間も無く、唇に触れた柔らかい感触に、何が起こったのかを遅れて理解する。

「…これは、さっきの続きか?」

 不意を突かれた驚きを隠せぬままに問いかければ、フブキは悪戯に瞳を輝かせて答えた。

「はい、こればっかりは姿だけと言えども誰にも譲れない、白上だけの特権ですから」

 月明かりに照らされる白い狐の少女はそう言って、この世の誰よりも幸せだと知らしめんとばかりに、頬に朱を差して柔らかな笑みを浮かべた。




書きたかった内容を大方書ききりましたので、
以上で、本編と後日談の両方を含めて完結とさせていただきます。

改めまして、長きに渡ってお付き合いいただいた読者の皆様、誠にありがとうございました。
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