朝
窓から差し込んでくる日差しに意識が覚醒した。そして同時にその事実に自らの失敗を理解した。
いつもなら日が昇る頃には日課の鍛錬を終えている。
しかし、朝の日差しで目が覚めるという事はつまり寝坊したという事だ。
思わず右手で顔を覆う。
どうにも気が緩んでいたようだ。
この先必要かどうかは関係なく鍛錬とは毎日続けてこそ意味がある。なのにも関わらず、この有様。
仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが、やはり、気を引き締め直す必要はあるだろう。
ふと、昨晩の出来事に思いを馳せる。
恐らく、この寝坊の原因にもなった深夜までのゲームプレイ。
結局、あの後も襲いくる霊により悲鳴を上げながら引っ付いてくる白上に、精神力をゴリゴリと削られながらもなんとかクリアまで辿り着く事ができた。
内容としてはホラー中心でありながらもしっかりとエンディングもあり、満足に足るものであった。
それを見届けて、その達成感に浸りながら。
ながら…。
…どうしたのだったか。
上手く思い出せない。
どうやらまだ完全に頭が起きていないようだ。
取り敢えず明日の鍛錬はいつもの倍だな、と軽く考えながら起き上がろうと腕を動かす。
だが、おかしい。
右腕は動く、先程顔に当てたのだ、それは当然分かる。
問題は左腕。
動かそうと力を入れようとも感覚が無い。
まさか鍛錬をサボった為に持っていかれでもしたか?
突拍子もない予想に、そんな筈は無いと否定する。
十中八九、腕が圧迫されて血の巡りが悪くなっているだけだ。
とにかく解放すればすぐに元に戻る。
原因を解消しようと首を動かして左側を向く。
「すー…」
すると、左腕を抱き枕にして寝ている可愛らしい白い狐の少女の寝顔が目に入る。
すやすやと安らかな寝息を立てながら彼女は眠っていた。
なるほど、原因は白上だったか。
それを理解してゆっくりと傾けていた首を元に戻し、天井を見上げる。
「…なんで?」
純粋な疑問が口からこぼれ落ちた。
あまりに衝撃的な光景に脳の処理が追い付かない。
左腕の感覚が無いからか、それとも単に慣れてきたのか昨日よりは冷静にいられるが、それとこれは話が別である。
これは夢か。
実はまだ目が覚めていないだけかもしれない。
一度自分の頬を思い切りつねってみる。
痛い。
そして、もう一度左側へと視線を向ける。
「むにゃ…。」
やはり白上だ。
楽しい夢でも見ているのか、その顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
可愛い。
…。
そうじゃない。
問題は何故白上が隣で寝ているのかだ。
そう、まず考えるべきはそこだ。
確かに昨日は一緒にゲームをしていた。
それでクリアした。
ここからの記憶がないということは、考えられる可能性は一つ。
「寝落ちしたのか…。」
周りに目を向けて見ればゲームの画面はクリア時のまま変わっておらず、寝ている場所も昨日座っていた場所と同じ。
ならここは白上の部屋か。
現状を把握したところで一つ息をつく。
ようやく頭が回りだした。
こんな朝から心臓の悪い光景を目にするとは思わなかった。
改めて横の白上へと顔を向ける。
相変わらずにやけ顔で寝息を立てる彼女。
以前までならこの程度、この後腕が痛くなるんだろうな、などと軽く考えていたのだろうが、たった二日。正確にはまだ丸二日と経っていないのにここまで考え方が変わってくるのか。
心音が聞こえてしまうのではないかと心配に思う程近くにいる白上はあまりにも無防備にその顔をさらしている。
「…普通、もう少し警戒位するだろ。」
そんな彼女についため息をつきたくなる。
いや、まぁ警戒はされたらされたで悲しいのだが、ここまで無防備にいられるとそれはそれで腹が立ってくる。
そんな白上に開いている右手をそっと伸ばす。
「幸せそうに寝てるな…。」
その顔に手を当て、軽く頬を摘まむ。
マシュマロかと思う程柔らかなその頬を、横に伸ばすようにそのまま軽く力を入れて引っ張ってみれば、白上の顔がやや寝苦しそうなものへと変わる。
気が晴れるというわけでもないが、少しだけこの状況が可笑しなものに思えて小さく笑いが出た。
「…ん?」
そこで、不意に目に入ったそれに思わず声が漏れる。
視線の先には白上の頬を掴んでいる右手。
そんな右手の甲には宝石が埋め込まれている。
未だに正体のつかめないその宝石は記憶にある限り、濁った不透明な色をしていたはずだった。
「白色…。」
しかし、目の前にある宝石は奇しくも同じく目の前にいる白上の髪の色と同じように、白く染まっていた。
いつの間に変化したのか、少なくとも気が付いたのは今だ。
…まさかとは思うが、俺が白上に惚れたから白色に色づいたとかではないだろうな。
そんなことであったら、いくら気持ちを隠そうとしても一目でばれかねない。
いっそのこと抉り取ってくれようか。
手の甲を解放しようか割と本気で葛藤していると、突然、音を立てて襖が開いた。
「フブキー、朝だ…よ…??」
聞こえてきたその声は尻すぼみに小さくなっていき、やがて消える。
それと同時に自分の体が白上頬に手を添えたまま硬直するのを感じた。
早くも本日二度目の危機である。
ゆっくりとその声の出所へと顔を向ければ、そこには目を点にしてこちらを見つめる大神の姿があった。
その両手には定番のフライパンとお玉が装備されており、先ほどの言葉からも白上を起こしに来たことが伺える。
「…おはようございます。」
「…」
気まずさを感じながら、何とか声を掛けることに成功した。
しかし、その努力もむなしく。
大神は点となった眼でこちらを見たまま、無言のまますっと部屋に入っていた足を引いて、襖を閉めようとする。
「待ってくれ、誤解だ!
頼むから出て行かないでくれ!」
声を荒げて必死に懇願する。
ここで誤解を解いておかないと後々まずいことになるのは確実。それだけは回避しなければ。
何とか思いとどまってくれたのか、大神は閉めかけていた襖を止めて顔をこちらに覗かせる。
心なしか、その瞳は気まずそうに逸らされている。
「えっと、ごめんね。二人の仲が良いのは知ってたけど、まさかそこまで関係が進んでるとは思わなくて…。」
恐らく大神も戸惑っているのだろう。
いや、まぁ状況だけを見たら誰だってそう思う。
以前にも白上の部屋で寝落ちしたことはあったが、ここまで引っ付いて眠ってはいなかった。
「だから違うんだって。
昨日ホラゲーやって寝落ちしただけなんだ。誓ってそれだけだ。」
我ながら苦しい言い訳だが、ここでそのまま帰られるよりは何倍も良い。
「じゃあ、どうして透君はフブキの頬っぺたを触ってたの?」
「あー…それは…。」
やはりあまり良くなかったかもしれない。
鋭い大神の指摘に思わず声が詰まる。
痛いところを突かれた、当然白上が無防備すぎてやったなどと言えるはずもない。
「気持ち良さそうに寝てるもんだから、少し悪戯でもしようかと…。」
嘘ではない。
実際には憂さ晴らしも含まれているが、大目に見ればそんなものだ。
しかし大神は納得がいかないらしく、懐疑的な視線を向けたままである。
「んー、やっぱり付き合ってたりするんじゃないの?」
「いや、まだそんな関係じゃないって。」
ぶち込まれる爆弾に動揺しそうになる心を押さえつけて呆れた風に返す。
ここまでやれば納得してくれるだろう。
「ふーん。」
だが、予想とは裏腹に大神はこちらをニヤニヤと笑いながら生暖かい視線を送ってくる。
何か言いたいことでもあるのだろうか。
「まだ、ということは少なくとも透君はフブキに気があるんだね。」
「え?…あっ…。」
しくじった。
そう気が付いてサッと顔から血の気が引くのを感じる。
一旦隣の白上へと目を向ける。
大丈夫、まだ眠っている。
その反応を見て、大神の笑みがさらに深まる。
「へー、そうなんだ。透君も男の子だね。」
「…あの、このことは白上には…。」
動揺が抜けきっていなかったようだ。ここまで来ては誤魔化しようもない。
何とか内密にしてもらえないか交渉してみる。
こんな間抜けなミスで関係を終わらせたくはない。
「ふふっ、心配しないで。うちからフブキに言ったりしないから。
…それにしても、透君がフブキを…。何時から好きになったの?」
やはり逃げ道はないらしい。
完全に部屋に入ってくると大神は目を輝かせて質問してくる。
口止め料だと思えば仕方ないとは思うが。ただ、隣に本人が寝ている中でする話でもないと思うのは俺だけなのだろうか。
「…って、聞きたい所なんだけど、時間が無いから無理なんだよね。」
もうここまで来たら洗いざらい話してしまおうと覚悟を決めていると、そう言って大神は発言を撤回する。
肩透かしを食らったようで、つい呆然としてしまう。
「時間?何か用事でもあるのか?」
「うん、ちょっと出かけないといけなくて。
一か月くらいはここに帰ってこないから、フブキにも伝えておこうと思ったんだけど。」
そう言って大神は隣の白上へと視線を向ける。
騒がしくしたはずなのだが相変わらず白上は静かに眠っている。
それにしても一か月か。
急に聞いた話にしては期間が長い。
「時間が無いってことは、今から?。」
「そうだよ、透君はまだランニング中だと思ってたからびっくりしたよ。」
驚いたのはこちらも同じだ。
今日はどうにも寝坊に続いてハプニングが多い。
「それじゃあ透君には伝えれたし。うちはそろそろ行くね。」
「…そっか。分かった、白上には伝えておく。
気をつけてな。」
俺に言われるようなことでもないとは思うが、それでも伝えおく。
見送りに出たい所ではあるが、どうにも左腕が解放されそうにない。いつまで寝ているのだろうかこの狐は。
「うん、ありがと。」
そう言うと大神は部屋の外へと出て、襖を閉めようとする。
だが、閉じ切る前にもう一度大神はその顔を覗かせて口を開く。
「透君も頑張ってね、うち応援してるから。」
その顔には先ほどまでのような揶揄うような笑みはない。ただ純粋な応援したいという思いが表れていた。
「…あぁ、頑張るよ。」
答えれば今度こそ襖は閉じられる。
それを確認して上げていた顔を下げ、ゆっくりと息を吐いた。
まさかこんな形でばれることになるとは思わなかったが、悪い方向に進まなかったことにはただ安堵しかない。
これが大神だったから良かったものの、本人だったらその時点で詰んでいた。
爆睡していることに感謝するべきなのかはまた話が違ってくるが、取り合えずはいい加減左腕を開放してもらわないといけない。
「白上、そろそろ起きてくれ。」
やはり左腕には力が入らない為、腕を回して白上を揺さぶってみる。
しかし、いくら揺すってみても目を覚ます気配が全くない。
嘘だろ、どんだけ眠りが深いんだよ。
こんなことなら大神にフライパンとお玉を借りておけばよかった。
何故いつも大神がそれらを使って起こしているのか分かった気がした。
起きないのなら仕方ないと、今度は左腕を引きぬこうとしてみる。
これなら白上が寝ていても問題ない。
「…抜けないな。」
そう思ったのだが、いくら引っ張ってもびくともしない。
カミの無駄に高い基礎スペックの前に、身体強化もないアヤカシの力では対抗できないとでもいうのか。
かと言って身体強化を使おうにも、それはそれで怪我をさせてしまいそうで躊躇われる。
万事休すか。
そう思われたその時だった。
「んっ…。」
白上が小さく声をあげる。
やがて、ゆっくりとその瞳は開かれ、左腕をホールドしていた腕が解かれる。
無駄だと思っていたが、きちんと効果はあったようだ。
「やっと起きてくれたか。」
血が通い始めてじんわりと左腕が熱を帯びていくのを感じながら開放感に浸る。
白上も目を覚ましたことだし、一旦外の空気でも吸ってこよう。
そう考え、立ち上がりかけたところで不意に服の裾が引っ張られる。
「白上?どうかし…。」
疑問の声はそこで途切れる。
何事かと白上のいる方向へと振り返れば、首に回される細い腕。
それと同時に感じる体温。
耳元で聞こえる微かな息遣い。
「んんっ、透…しゃん…。」
正面から抱きしめてくる白上のそんな言葉に、思わず体が硬直する。
「あー、くそっ…さては寝ぼけてるな?
…おい、白上。」
停止しそうになる思考を何とか繋ぎ止めて白上に呼びかけるが特に返事はない。
抱き着き癖でもあるのか、固く結ばれたその腕は後ろ手に解けるほど甘いものでもなさそうだ。
何とか引きはがそうとするが、どう触れれば良いかも分からずお手上げ状態となる。
「すー…。」
そう時間もかからずに耳元から規則的な呼吸音が聞こえだす。
「マジか…。」
この状況で寝やがったこの狐。
状況を振り返ってみよう。
先ほどまでは左腕に抱き着いていた白上は、現在体の正面から抱き着いてきている。
密着度も当然跳ね上がっており、何なら耳元で息遣いが聞こえるほど近くに白上の顔がある。
つまり、この短時間で状況は悪化の一途をたどっていた。
「もういいや。」
すべてを投げ出して、もとい諦めてゆっくりと後ろへと倒れこむ。
後どれだけで白上が起きるのかは分からないが、その時まで耐えるしかなさそうだ。
昨日のようにゲームでもできれば気がまぎれるのだが、この状況で手を前に回すわけにもいかない。
「…ん?」
天井見上げていると、小さな足音が近づいてくるのが聞こえる。
その足音が部屋の前まで近づくと、再び襖が開かれる。
「フブキちゃん、起きてるー?
…あれ、透君もいる。」
「おはよ、百鬼。」
現れたのは鬼の少女、百鬼あやめ。
百鬼は俺と白上の姿を見つけると目をぱちくりと瞬かせる。
「その遊びミヤコの子たちもしてたけど、楽しいの?」
「あー、そうだな。
同じ遊びかは知らないけど、少なくとも俺は楽しくないな。」
何となく答えたが、ミヤコの子供たちはどんな遊びをしているのかが気になる。
少なくとも今の状況は成り行きでなっただけなのだが、これをどうすれば遊びに発展させれるのだろう。
「へー、そうなんだ。
…余もやってみて良い?」
何故か興味が湧いたようで百鬼はそんな提案をしてくるが、冗談ではない。
「それはマジで勘弁してくれ。」
ただでさえ混沌としているのに、更に百鬼まで加わっては確実に収集が付かなくなる。
唯一の救いと言えば、話し相手が出来てようやく気を紛らわせることが出来ることか。
「それで、百鬼はどうしてここに?」
このまま同じ話題を引きずられても困るため、自然に話題を逸らす。
「あ、そうだった。
ちょっとしばらくキョウノミヤコで生活しようと思って、それで。」
「連絡しに来たと。」
大神と言い妙なタイミングで遠出をする。
何か手伝えることでもあるかとも思うが、言ってこない辺り手助けは特に必要ではないのだろう。
「というわけで、余はもう行くから。
またね!」
「え、あ、おう、またな。」
そう言うと百鬼は呼び止める間もなく足早に部屋を去って行ってしまう。
遠ざかる足音を聞きながら、胸の上で眠っている白上に視線を落とす。
大神も百鬼もしばらくこのシラカミ神社には帰ってこない。
つまり、その間白上と二人でここに暮らすこととなる。
ただでさえ意識するのを耐えているのにも関わらず、追い打ちをかけるように試練が降りかかってくる。
…。
何はともあれ、今の関係を維持するのが先決だ。
この想いが露見すれば、半分に一つでこの関係が破綻してしまうだろう。
それだけは嫌だ。
先への不安を覚悟で埋め尽くす。
「…って、あ…。」
ふと、見落としていた事実に気が付く。
「百鬼に引きはがしてもらえばよかった。」
だが既に後の祭り。
結局、彼女の目が覚めるまで、俺は抱き枕としての機能を果たす他なかった。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。