どうも、作者です。
早朝
未だ太陽は顔を出さず、辺りには夜の帳が下りたままの時間帯に大神ミオは目を覚ます。
シラカミ神社に住み始めてからこの方、その前からもこれは変わらない。
いつの間にか習慣になっていて、彼女自身何故自分がこんなに早く起きてしまうのか不思議に思っていた。
けれど寝なおせるかと言われるとそうもいかないため、そのまま起き上がる。
窓を開ければ室内に冷えた空気が入り込み、わずかに残っていた眠気が消え頭からかかっていた靄が晴れていく。息を吐けば白く凍り付くような冷気、けれど彼女にとっては心地の良い程度のものであった。
夏であれば熱せられた空気が入れ替えられて、春や秋には花びらや紅葉が稀に入り込む。
いつも通りの朝。
いつも通りの光景。
そして…。
彼女はタロットを取り出して一枚引く。
その絵柄を見て、無意識に彼女は息をついた。
「…これも、いつも通り。」
いつも通りの結果。
それを確認して、大神ミオはささっとタロットを片づける。
身支度を整えてから、彼女はキッチンへと朝食を作りに行く。
これを毎日続けているのだから、ここまでを習慣に含めても良い気がする。
そんなことを思いながら、彼女は部屋を後にした。
「え、しばらく鍛錬出来ないのか?」
目の前の少女に唐突に告げられた言葉を思わずといった形で復唱する。
少女、百鬼あやめは申し訳なさそうに眉尻を下げて、両手を前で合わせる。
「うん、ちょっとキョウノミヤコに行くことになって。」
「そっか…なら、仕方ないな。」
こんなに早朝からと思わなくもないが、彼女なりの事情があるのだろう。
そも百鬼にはどちらかというと付き合ってもらっているようなものな為、ここで引き留める権利は俺には無い。
「余はもう行かなきゃだから。
本当にごめんね!」
「え、あ、おう、気を付けてな!」
それだけ言い残すと百鬼は身体強化をして走っていてしまう。
その背を見送っていれば、すぐに百鬼の姿は見えなくなった。
ポツンと一人シラカミ神社の境内に取り残される。
「…取り合えず、一人でできることだけでもやってみるか。」
胸に感じる寂寥感に蓋をして、素振りとランニングに取り掛かる。
刀をいくつかの型で振るう。
山道を走り込む。
しかし、今まで百鬼との模擬戦などを前提とした内容でしかやってこなかったこともあり、量を増やしてみたものの、それでもいつもより早くに終わる。
それに加えて、今日はいま一つ鍛錬に身が入っていない。
集中できていない状態で刀を振れば怪我につながりかねない。
結果、いつもよりも少し早くに鍛錬を切り上げることになった。
未だ日の昇らない空の下、微かに流れる汗をぬぐいながら水場へと向かった。
さっと汗を流してシラカミ神社へと戻ってくる。
氷こそ張っていなかったが体の芯まで冷えるには十分な冷たさの水に触れて、今は心の底から炬燵が恋しい。
炬燵の置いてある居間へと急ぎ足で向かう。
誰も使っていないだろうからまだ温かくは無いとは思うが、すぐに中の温度は上がる。
ぬくぬくとした天国を想像すれば自然と顏がにやけた。
軽い足取りで居間に入り、炬燵の中へと入り込む。
スイッチをつければ後は待つだ。
うきうきとしながらその時を待ちわびるも、待てども暮らせども温度は上がらない。
「…あれ、スイッチ入れてなかったか?」
疑問に思い確認するも、確かにスイッチはオンになっている。
けれど俺の体を暖めてくれる天使は起動していない。
絶望の足音が聞こえてくる。
…気のせいだ、そんな筈はない。
炬燵様は天下無双、すべての幸せの頂点に立つお方だ。
現実を受け入れられず、何度もスイッチのオンオフを切り替えてみるが起動する様子は無い。
「嘘…だろ…。」
これから至福の時が訪れる、そう期待していただけに絶望への落差は大きかった。
例えるならご馳走を目の前に箸を手に取ったところで下げられていったようなものだ。
壊れてしまったのなら仕方がない。
どうしようもない、満たされない心を抱えてのそのそと炬燵から出る。
中が温まらないのならこれはただの布団を被せたテーブルである。
目的が道半ばで途絶えたところで、少し早いがキッチンへと向かうことにする。
大神がいつから朝食の準備をしているのかは知らないが、いつものペース的に大体今の時間くらいだろう。
名残惜しさを振り切って居間を後にした。
ここまで後ろ髪を引かれることはそうあることではない。
キッチンへと続く廊下を歩く。
早朝ということもあり、まだまだ冷え込んでいる床はまるで氷のようで。
「…室内用の草履でも用意するべきか?」
「そうだね、確かにあった方が快適かも。」
「どわっ…!?」
ぽつりと零した独り言に突如として背後から返答が返ってきて口から心臓が飛び出そうになる。
慌てて後ろへ振り向けば、そこには黒い獣耳を携えた狼の少女、大神ミオが立っていた。
「おはよ、透君。」
「大神…、いるならいるって言ってくれ…。」
朗らかに挨拶をしてくる彼女を前にして喉元まで来ていた心臓を戻しながら安堵の息をもらす。
「あはは、ごめんごめん。
凄い無防備に歩いてたから気づかれないかなって。」
わざわざ足音を殺して後ろに忍んでいたらしい。
いつから彼女は忍者へとジョブ変更をしたのだろう。
「まぁ良いけど、もう勘弁してくれよ?」
割と本気で驚いたが百鬼の悪戯に比べれば可愛いものだ。
既に大神は身支度を終えているようで、普段着の彼女は早朝にも関わらず寝ぐせ一つない。
「はーい。
それにしても、本当に今日は一段と床が冷えてるね。」
「ん?…あぁ、さっきの話な。
草履でなくても、何か履物だけでもあれば違うかなって。」
大神の登場で完全に頭からすっ飛んでいた。
丁度予定も無いことだし、昼辺りに近くの村で人数分調達してくるのも良いかもしれない。
炬燵があれば冷えても温めることができるが、現状それも出来ないわけだし。
「ふっふっふっ。」
思考を巡らせていると不意に大神が不敵な笑みを浮かべて、ワザとらしく笑い声をあげる。
「それならウチに任せてよ。」
自身に満ちた表情でそう言った大神はおもむろに両手を掲げた。
「えーっと、おんびしびし…。」
そして何やら長々と謎の呪文を唱えだす。
いや、違う、謎の呪文ではない。
妙に聞き覚えのあるその呪文は確か大神がワザを使う際に唱えていたものだ。省略することが多いためすぐには思い浮かばなかった。
だが一つ引っかかるのはそれを唱えて使うワザは確か…。
そんなことを考えていれば、掲げられた大神の両手にぼうっと音を立てて炎が点った。
「おい…大神?」
たまらず声を掛けるが彼女は集中するように目を閉じたままで反応は返ってこない。
嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
手のひら大だった炎はやがて大きさを増し、およそ人が入り込めるほどの大きさになった瞬間、大神はその両目をかっと見開く。
「えいやっ!」
彼女のそんな可愛らしい掛け声とは裏腹に、凄まじい熱量を纏ったその両腕は床へと叩きつけられ、纏っていた炎が放射状に床を伝った。
「大神、大神さん!?」
何をとち狂ったのかこれは洒落にならない。
このままではシラカミ神社は火の海だ。何ならもろとも火だるまになる。
逃げようにも焦りと衝撃で動けない。
床を伝播する炎は、すぐに足を包み込んだ。
「…あれ、熱くない。」
万事休すか、そう思われたが、そんな思考は浮かんだ疑念にかき消される。
足元を伺えば確かに炎は足に触れている。
けれど火傷の痛みはない、ただ何とも言えない炎が皮膚をなめるような感覚だけがある。
熱さすらない、というよりその炎から熱を一切感じなかった。大神が掲げた状態では確かに熱を発していたにも関わらずだ。
これは一体。
何が起こったのか理解できずにいれば、ふと冷え切っていた筈の床からの足裏を刺すような冷たさが無くなっていることに気が付く。
「床が、暖かい。」
目の前の事実に驚愕が隠せない。
あんなにも冷えていた床が今や湯たんぽのような暖かさを提供している。
ここで寝ころべばさぞ寝心地が良く、炬燵もかくやと人を駄目にするであろう。
「どう?凄いでしょ。
床を対象に炎の熱を分割して加えてみたんだ。加えただけだから持続性はあまり無いけど、ある程度はこのままだと思うよ。」
どやりと胸を張り、横目で笑みを浮かべる大神。
そんな彼女の姿が俺の目からは天使に見えた。
「大神っ…!」
「わひゃっ!?
と、透君?」
唐突にがしりと両肩を掴まれた大神は表情を崩して驚きの声を上げる。
しかし、それを気にする余裕は今の俺には無かった。
「結婚しよう。」
瞳を見つめて正面からその一言だけを伝えれば、目の前の少女は分かりやすい程に狼狽する。
これは冗談でも、悪ふざけでもない。俺は今、心の底から大神と結婚したいと思っている。
それが伝わったのか大神の顔が見事に赤く染まった。
「え、け、結婚って。
そんないきなり…。」
「俺は真剣だ。」
大神の目が泳ぐ。
いきなりこんなことを言って悪いとは思ってる。けれど、どうしても伝えたいのだ。
「待って透君。
ウチ、まだ心の準備が…。」
「無理だ、もう待てない。」
真っ赤な顔のままの大神と目が合う。
その瞳は少しだけ潤んで見えた。
「大神、俺と結婚して…。
…毎日床暖房をしてくれ。」
「…。」
その変化は劇的であった。
顔を赤くして潤んだ瞳をこちらに向けていた大神はすんと表情をすべて消し、代わりに肉食獣のような瞳孔の開いた瞳が向けられている。
「透君、ちょっと手を離して?」
「大神、俺信じてるよ。大神が頷いてくれることを。」
「すみません、手を離してください。」
何故か敬語で言い直す大神。
距離が空いたようで妙に悲しく感じた。
「…ちなみに手を離すとどうなる?」
「さっきのを透君にぶつけます。」
さっきのとはおそらく先ほどの床暖房の際のあの炎の塊の事だろう。
床に分割したと言っていたから、シラカミ神社の床の面積を考えるとその熱量は想像に難くない。
それをぶつけられるということは、あの熱がすべて襲い掛かってくるということだ。
…なるほど。
「…一時の気の迷いってあるよな。」
「へー、透君は気の迷いで結婚しようなんて言う人だったんだ。」
知らなかったなー、とそう言って大神は横を向いて俺を視界から外す。
マズイ、方向性を間違えた。
大神の中で株が大暴落している予感、というか確信がある。
「あの、大神さん。
反省してますんで…。」
「透君…。」
危険を察知して瞬時に直立の姿勢を取る。
嵐の前の静けさ。
今の状況を表すのならその言葉が最適だろう。
「正座して?」
にこりと朗らかな笑みを浮かべる大神。
けれど、その瞳は一ミリたりとも笑ってはいなかった。
「え…でも、朝飯の準備とか…。」
「良いから、正座して。」
「あの、大神…。」
「正座。」
反論も虚しく、言われるがままに廊下に膝をつける。決して大神の圧に負けたわけでは無い。そう決して。
それから朝食までの時間、大神の許しが出るまで俺は一人廊下で正座をし続けることになった。
余談だが、その間も床はとても暖かかった。
「足が…、足が…。」
「もう、透君が変なこと言うからでしょ。」
呆れたような大神の視線が痛い。
朝食が完成した後、何とか大神の許しをもらって正座から解放された俺だったが代償は未だに色濃く体を蝕んでいる。
現在廊下に転がって足の痺れと大激戦を繰り広げていた。
「そう言えばあやめがいなかったんだけど透君何か知らない?」
「あ、今聞くんすね。良いけど。
百鬼ならキョウノミヤコに用事があるとかで朝から出かけて行ったよ。」
割と情け容赦のない所業に震えながら応える。
先ほどけたたましい音が響いていたから白上を起こしていたのだろう。
出来ればそれより前に許しが欲しかったがそこは完全に自業自得な為文句は言えない。
「それで透君今日は早かったんだ。」
謎が解けたと言わんばかりに大神は手を打つ。
確かにあの時間帯に大神と会ったのは今日が初めてだ。
「まぁ、おかげでこの有様だけどな。」
「それは透君が適当に結婚しようなんて言うから。」
おっしゃる通りで。
どうにも昨日のテンションが残っていたのか、感動と合わせてあのような行動に移ってしまったのだ。
「悪かったな、大神。」
改めて謝罪しておく。
禍根は残さない方が後々の関係的にも良いに決まっている。
「…寝転がったまま言われてもなんだか反応に困るね。」
仕方ないだろう、足が痺れて動けないんだから。
けれど話している内にそれも解消されてきた。
そろそろ動いても大丈夫そうだ。
「よし、まだ配膳してないよな。
手伝う…。」
言いながら体を起こして立ち上がる。
けれど俺はこの時一つ失念していた。
痺れは取れたものの、その直後というものは大抵足の感覚が曖昧になっている。その状態で立ち上がろうとすれば、必然何かしら支障が出る。
「わっと!?」
案の定、足を延ばそうとして体制を崩した。
倒れ込みそうになる体を何とか支えようとするも、その努力も虚しく目の前の大神に向かって体は傾いて行った。
結果的に倒れることは回避した。しかし
「…透君?」
「いや、違う。これは不可抗力だ。」
腕の中から聞こえてくる大神の声に必死に弁明する。目の前の大神へと倒れ込んだ結果、大神を抱きしめる形で体は静止した。
ようやく許しをもらえた所でこれはマズイと、焦りながら頭をフル回転させる。
「分かってるからそんなに焦らなくても大丈夫だよ。
悪気があった訳じゃないんでしょ?」
「ない、悪気、ありません。」
片言になりながら伝えれば、大神の肩が少し震えた。
「ふふっ、なら気にしないで。」
今の彼女の表情は見えないが、菩薩のような笑みが浮かんでいることは確実だ。
この辺り理解してくれて寛容な彼女だから俺は…。
…今、俺は何を考えたのだろう。
「あっ!」
自然と浮かんだ自分の考えに思考を巡らせていると、不意に横合いからそんな声が飛んでくる。
顔を向けて見てみれば、そこには口元を押えて目を輝かせながらこちらを見ている白上の姿があった。
一体何をそんなに驚いて…。
そこまで考えて、今の状況を再確認した。
傍から見れば俺と大神が抱きしめ合っているようにしか見えない。
「ミオと透さんが…、いつの間に。」
「え、フブキ!?」
大神も白上の存在に気付いたようだ。
おそらく同じ結論に至っているようで、大神からも焦りを感じる。
「あ、そうですよね、お邪魔したら悪いですし。
白上はクールに去ります。」
「ちょっと、違うよフブキ!
誤解だから!」
大神が静止の声を上げるも白上はそのまま本当に去って行ってしまう。それを追いかけようと彼女が離れる気配を感じた。
「ちょ、待て待て!
まだ足が…倒れる倒れるから!」
しかし未だに足の感覚は戻っていないため、大神に離れられると再び地面に挨拶をすることになる。
「あ、でも、フブキが…。」
どちらかを選べばどちらかを捨てなければならない。そんな状況で二つの選択に挟まれた大神は迷うように体を震わせる。
「もーっ!!」
そんな彼女の遠吠えはシラカミ神社を木霊した。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。