どうも、作者です。
温泉。
それは人類の源。
万人はそこより生まれ出でて、そこで育つ。
温泉。
それは心の洗濯。
不浄な心も、すべてを洗い流してくれる。
温泉。
それは、
「これ、いつまでやっておるつもりじゃ。」
全身がほぐされていくような心地よい感覚に一人浸っていれば、不意に後ろから呆れたような声がかかる。
先に言っておくが現在俺がいるのは温泉、それも男湯である、断じて女湯ではない。
そんな中イヅモ神社にて、声がかけられるなどということは普通あり得ない筈だ。そう普通であれば。
振り返れば金色の狐の少女、神狐セツカがそこに立っていた。
「相変わらず躊躇なく入ってくるな。一応男湯なんだけど。」
「そう言うでない、妾と主の仲ではないか。」
体感出会ってから約三、四日程度の仲なのだがそれで温泉にまで入ってくるのはどうなのだろう。
しかし、それでも既にこの事態に慌てることも無くなった自分がいる。
「それよりどうじゃ、背中でも流してやろうかの。」
だがそう言ってぐいと腕まくりをする彼女の姿には、流石に焦りを覚える。
「やめろ、その見た目だと絵面がとんでもないことになる。」
見た目幼女に背中を流させるなど、そんな趣味は俺には無い。
というか何かの間違いでそれが大神に伝わりでもしたら確実に終わる。色々な意味で。
「…はぁ。」
心臓に悪い冗談を言う彼女に、ついため息が出る。
そう言えば、前にも似たやり取りがあった。
確かその時は…。
「また力を失ってまで治すっていうなら、今回は遠慮したいんだが。」
早々に釘を刺しておけば、神狐が息を呑む音が聞こえてくる。
やはりか。
「主も変な所で鋭いのう。」
「同じ轍は踏まないだけだ。
これ、自然に治るもんなんだろ?ならわざわざ力を失う必要も無い。」
治そうとしてくれることは素直にありがたい。
けれど、そのせいで神狐がデメリットを負うとなると話は違ってくる。
前回こそ後から知ることになったが、それを知っている今止めない理由は無い。
「むぅ、それはそうじゃが…。」
しかし、神狐は諦めも悪く食い下がろうとしている。
その様子はまるで神狐自身が力を失うことを望んでいるような印象すら受けた。
「…なんでそこまでしようとする。
神狐には俺を治す義理も、理由もないだろう。」
前回は詫びと礼だと言っていた。
けれど、今回はそんなものは無い。
その上で何が神狐をこうも突き動かすのか。
「…確かにのう、主を治す義理何も妾には無い。」
「なら、どうして。」
「…失えば。」
そうぽつりと零す神狐の顔を見る。
そこには見覚えのある、大神が時折見せる自嘲を含んだ笑顔と酷似した表情が浮かんでいた。
「力を失えば…覚悟が決まると思っただけじゃ。」
「覚悟って、何の。」
思わずといった形で問いかけるが神狐はそれ以上応えようとはせず、「ゆっくり浸かるのじゃぞー」と、先の表情を隠し、いつも通りの彼女の顔でそれだけ言い残して足早に出て行ってしまう。
再び一人になり、雲に覆われた空を見上げる。
取り合えず、神狐が何かを抱えていることは分かった。
そして、ここ数日で大神も同様に何やら抱えていることも分かっている。
「その内容が分からないんじゃな…。」
呟いた独り言は誰に届くでもなく、空をさまよい消えていった。
神狐が用意してくれていたであろう浴衣を着てのれんをくぐり宿の一階、その広間へと出る。
考え込んでいて、つい長湯をしてしまった。
しかしその分入ってから分かったが、イワレも安定しているような感覚はある。これが錯覚でないことを祈るばかりだ。
ベンチに座り、きょろきょろと辺りを見回す。
大神も同じタイミングで温泉に入ったはず、まだ上がっていないのか。
特に何をするでもなく、そのままの体制でぼーっとする。
「…ん?」
そうしていれば、不意に神狐のシキガミが盆をもって現れて近づいてくる。
その上には蓋のあいた牛乳瓶、よく冷えているのか瓶の表面には水滴が浮かんでいる。
「これ、くれるのか。」
差し出されるそれに、確認を取るように問いかければこくりとシキガミは頷いて見せる。
「ありがとう、貰うよ。」
礼を言って瓶を受け取る。それを確認するとシキガミは一礼して去っていった。
その背を見送りつつ、瓶を傾ける。
まろやかな味わいが風呂上がりで水分を求めていた体の隅々まで染み渡る。
コーヒー、フルーツと牛乳にも種類はあるが、やはり普通の牛乳単体に最終的には帰ってきてしまう。
しばらく牛乳瓶片手にちゅん助を呼び出して戯れていれば、大神がのれんを潜って出てくる。
大神は俺の姿に気が付くと、こちらに向かい手を振ってから歩いてきた。
「お待たせ、透君。
あ、牛乳。ウチも頼もうかな。」
「大神。
シキガミならさっきあっちの方に…。」
と言いかけた時には既に盆に牛乳を乗せたシキガミがこちらへと来ていた。
「ありがとー。」
大神が受け取ったのを確認すると、再びシキガミはどこかへと歩いて行ってしまう。
今何を欲しているのかを察知するセンサーでも付いているのかと思う程に迅速な対応だ。
手慣れた様子で大神は牛乳の栓を開けるとぐいと一気に中身を呷る。
「ぷはー、やっぱり温泉の後は牛乳だよね。」
「だな、炬燵とみかんくらい相性が良い。」
世の中そうあるべきと定められているかのような組み合わせが不思議な程に溢れている。
「相性と言えばだけど…。
透君、覚えてる?セイヤ祭の時の。」
「ん?」
不意に投げかけられた問いに過去を振り返る。
セイヤ祭、相性に関係するようなことは…。
「…あぁ、占いか。」
「そうそう、ウチと透君の相性占い。」
妙に野次馬に囲まれ、流れに逆らえないままに結果見世物となったあの出来事。
「透君はあの占い、どのくらい信じてる?」
どのくらいか。
個人的に占いはあくまでも占いだ。けれど大神の占いということもあるし…。
「そうだな、半々くらいだ。
まぁ、どちらにせよ相性が良いと言われて悪い気はしないよ。」
「ふふっ、そうだよね。
ウチも嬉しい。」
そう言って小さく笑う大神。
何となしにそんな彼女へと視線を向け
「ぶっ…。」
そして、次の瞬間目に飛び込んできた光景に思わず噴き出した。
「わ、どうしたの急に。」
「…あ、いや…大神、口元。」
急に笑い出した俺に驚いた様子の大神だが、その顔の唇の上辺りには先ほど飲んだ牛乳により見事な白ひげがつけられていた。
笑い交じりでしてきしてやれば大神不思議そうに近くに掛けられている鏡に目を移し、そしてその頬が急速に赤く染まる。
「…も、もう、気づいてたなら早くもっと教えてよ!」
口元を拭いながら大神は羞恥を誤魔化すように
よほど恥ずかしいのか、その瞳には若干潤んでいた。
「俺も今気づいたんだって、結構似合ってたぞ。」
「なら透君もやってみればどう?」
むっとした顔で拗ねるように言ってくる大神。
そんな彼女の仕草に、思わずどくんと心臓が跳ねる。
意識しないようにとは思っているのだが、中々上手くいかないものだ。
「あ、あー…遠慮しとく。」
「ほら、やっぱり変だと思ってる。」
恨みがまし気な彼女の視線から目をそらしつつ、暴れ始めた心臓を宥める。
些細なことで意識してしまうのも、俺が大神に対して恋心を抱いてしまったが故なのか。
「透君。目、逸らさないでよ。」
「逸らしてないです。」
ぐいと近づいてくる大神を前に謎に敬語になる。
正直、今はあまり距離を縮めて欲しくはない。せっかく高鳴る心臓が落ち着いてきたのに大神の顔が目の前に来るたびに再度強く脈打ち始めてしまう。
予想していた以上に厄介だ。
「…こうなったらウチの秘密兵器で。」
そしてどこからか取り出される文字の書かれたお札。
「待て、不穏なことをぼそりと呟くな。
それとその謎のお札は仕舞っておけ。」
何をしてくるか本当に予測できないところが恐怖を助長させる。
「大丈夫、ちょっと体が動かなくなるだけだから。」
「大丈夫じゃないな、それを使って何をするつもりだ。」
笑顔でぴらぴらと札を振る大神に今度は別の意味で心臓がドキリと鳴る。
体の自由を札一枚で封じるとか割と大事に思えるのは気のせいだろうか。
「なんてね、冗談冗談。
流石にこれ一枚じゃそんなことできないよ。」
その大神の言葉にほっとしたような、けれど他の条件を満たせば出来ることは出来るということに不安を覚えるような。
「ところでなんだけど、透君。
調子はどう?温泉に入って何か変わった?」
改まった様子で聞いてくる大神。
一瞬何のことか考えるがすぐに思い至る。
「ん、イワレの話か。
そうだな、今は安定してるみたいだ。」
イワレの調子を温泉で整えてから初めて、今までイワレが過剰に流れていたことを理解した。
例えるなら暴れ馬に乗っているような状態か。
確かにそんな状態でワザでも使えば暴走の一つもするだろう。
大神はそれを聞くと安心したように息を吐く。
「良かった、本当びっくりしたね。
せっちゃんもその宝石についても教えてくれればいいのに。」
「知る必要がないってことなんだろうけどな。」
とは言っているが、俺自身やはり当事者としては気になる。
悪影響が出るとは神狐が言っていたが、それ自体もどういうものか曖昧で。
この宝石については本質を知るどころか謎ばかりが増えていく。
(ただまぁ、分かったこともあるけど。)
意中の相手を色で示す。
なんだその謎性能はと突っ込みたくもなるが、とりあえず俺の感情、というか深層心理あたりと何かしらの形で繋がっていることは確かだ。
こちらとしてはそのせいで神狐に大神への恋心がバレるはで堪ったものではない。
「秘密主義は良いんだけど、もう少しくらい話してくれたらいいのに。」
大神は不満げにそうぼやく。
その様はまるで母親に対する娘のように見えた。
そんな彼女の姿を見るのは初めてで、少し新鮮にすら思える。
「…そう言えば、大神と神狐ってどんな関係なんだ?」
「ウチとせっちゃん?」
一応前に聞いた時は世話になった人とは言っていたが、それ以上の事は聞いたことは無かった。
イヅモ神社に一緒に住んでいたようだが、白上との関係性と似たようなものなのだろうか。
大神は一瞬思考するように宙を見上げる。
「んー、なんだろう。
ウチもあんまり気にしたことないから…。」
そういう彼女の頭の上には疑問符が浮かんでいる。
「けど、大切な人なのは間違いないよ。」
柔らかな表情。
それが彼女の言葉が本心からのものであることを表している。
「…そっか。
悪いな急にこんな事聞いて。」
「ううん、気にしないで。
…それより透君。」
「なんだ?」
真っ直ぐとこちらを見つめてくる大神。
改まった様子だが、一体どうしたのだろう。
落ち着くように一呼吸おいて、大神は口を開いた。
「もしかして透君って、せっちゃんの事気になってる?」
「…は?」
予想の斜め上を行く質問に、思わず呆けた声が出る。
俺が?神狐を?
何がどうしてそのような結論に至った。
「だって透君、せっちゃんと仲良さそうだし、今もせっちゃんについて聞いてたし。
だからせっちゃんの事が恋愛的な意味で好きなのかなって。」
「…。」
絶句である。
そうか、大神からはそう見えるのか。
大神本人に俺の恋心がバレたということでは無い、その点については安心したが、これはこれで精神へのダメージがあるな。
「…あー、大神、それは違う。
さっきのはただの好奇心だ。俺が神狐の事を好きなわけじゃない。」
それに、口に出しはしないが神狐の容姿的に好きになるとそれはそれで問題が発生しそうだ。
瞬間、背筋に悪寒が走る。
慌てて辺りを見渡すがどこにもその姿は無い。
だが何故だろう、次は無いと警告されたような気がする。
「そうなの?」
「そうだ。変な勘違いはしないでくれよ?」
いや、割と本気で。
精神的な負担が大きすぎる。
大神も信じてくれたようで、そうだったんだ、と少し残念そうに呟く。
「でも、そういうことなら気にしないでもいいかな。」
「ん、何をだ?」
疑問に思い問いかけるが大神は答えようとはしない。
「透君、ちょっと両手を横に広げてみて。」
代わりにそんな指示が返ってくる。
疑問に思いながらも、とりあえずはそれに従って両手を広げる。
「…っ。」
すると、何を思ったのか大神は至近距離まで近づいてくると、空いた俺の胴体へと手を回した。
当然そんなことをすれば体は密着する。いわゆるハグをされた。
「ちょ、おい、大神!?」
唐突な彼女の行動に戸惑いつつ、慌てて離れようとするがこの状態では引きはがしでもしない限り離れることは出来ない。
「いいから、透君。イワレの流れに集中して?」
「イワレの流れって。
…あれ。」
密着したままの大神からそんなことを言われて、意識が向いた自らのイワレ。
一瞬何を言っているのか分からなかったが、イワレの流れが抑制されていくような感覚を覚えた。
今まで素通りしていたイワレが、所々制限されている。
「大神、これって。」
「うん、透君のイワレにウチが干渉して流れを制御してるの。前にも言ったけど透君にはイワレの制御機能が無いから、ウチがその代わりに。」
そのおかげで一時期は無理な使用でイワレが淀んでしまっていた。
ウツシヨ出身ということもあり、個人差はあるのだろうが俺はイワレに関して異常が起きた際には外部から干渉するしか治す手段がないようだ。
これもその一環。
それは分かっているのだが、何せ急な出来事で驚きが勝ってしまった。
「透君緊張してるね。
心臓の音、凄いよ?」
「仕方ないだろ、いきなりだったんだから。」
自覚はしている。
何の前置きも無しに想い人にここまで密着されて驚くなという方が無理な話だ。
「…ん?」
確かに俺の心臓は早鐘を打っている。
だがそれと同時にもう一つ、別の鼓動を感じる。
それもまた同様に、こちらまで伝わる程に強く鳴っていた。
「なんだ、大神も緊張してるんだな。」
「あ。」
そう声を掛ければ、しまったという風に大神は声を上げる。
よくよく見てみれば彼女の頬は微かに赤い。
それを理解して、少しほっとした。
大神だって平気なわけじゃない、少しは意識している。
その事実が、妙に嬉しく感じた。
「…透君、いつもはそうでも無いのに変な所で鋭いよね。」
「それ、さっき神狐にも言われたよ。」
意外と似ているところがある二人だ。
それにしてもこの言い草。まるで普段の俺は鈍いと思われているかのようだ。
少し不満に思うが、さして重要なことでもないためそこまで気にすることは無い。
しばらく互いが互いの鼓動を感じつつ、時が流れる。
「…うん、こんなところ。」
イワレの流れが安定しだしたのか、大神はそう言うと回していた腕を解いてゆっくりと離れる。
「どう?透君。少しはマシになったかな。」
問われて、改めて自分のイワレに集中してみる。
大神のおかげで温泉に入った後よりもさらにイワレの流れが安定していることが分かった。
「あぁ、かなり。これならワザを使っても大丈夫そうだ。
ありがとな、大神。」
イワレが落ち着いたからか、どこか安心感がある。
これで気兼ねなく明日からも鍛錬ができるな。
「どういたしまして。
けど、まだ使ったら駄目だからね。勿論鍛錬もしばらく禁止。」
「何だと…。」
明日の鍛錬の内容を考え始めたところに釘を刺される。
鍛錬が出来ない。それだけでかなりの衝撃を感じた。
「そんなに驚かなくても。
ほんと透君、鍛錬が好きだよね。」
そう言って大神は苦笑いを浮かべる。
「自分でもなんでこんなに固執するのか良く分からないんだけどな。」
思えば百鬼に頼み込んでから鍛錬、鍛錬と、妙にやる気が出てきて鍛錬が出来る日は欠かすことなく続けている。
何が自分をここまで突き動かすのだろう。
考え込んでいれば、不意に大神は何か思いついたように手を打った。
「そうだ、なら明日の朝はウチに付き合ってくれない?」
「大神に?それは勿論。」
鍛錬が出来ないのなら時間は有り余るため、願ってもないことだ。
「けど、何をするんだ。
料理とか?」
「ふふっ、それは明日になってからのお楽しみ。」
悪戯に笑う大神。
そんな彼女は妙に楽しそうに見えた。
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。