どうも、作者です。
暗闇の水の中から意識がゆっくりと浮上する。
目を開ければ、そこはよく見慣れた天井。
「ふあ…。」
一つあくびを入れればようやくぼんやりとした意識が覚醒し始める。
零れた涙を軽く手で拭いながらいつも通りの日課をこなし、気分を切り替える様に窓を開け、外の冷気を取り込む。
寒い。
やはりこの辺りの空気は冷え込んでいる。
だからだろうか、寒さには強くなった自信がある。
刺すようなその冷気に意識が研ぎ澄まされていく感覚を楽しんでいれば、後ろからもぞもぞと音が聞こえてくる。
そうだった、この部屋には彼もいるのだった。
よく見慣れた部屋、よく見慣れた外の風景。
いつも通りの朝。
けれど、そこだけはいつも通りではない。
その事実に、ほんの少しだけ心が弾んだ。
急激に下がった部屋の温度に思わず目が覚めた。
シラカミ神社周辺とは比べ物にならない冷気、体感的には水浴びをしている時と同じようにすら感じる。
寒さから逃げる様に布団を寄せる。
だが、一度目覚めてしまったためか寝なおすことは出来なかった。
手放しがたい布団の暖かさに後ろ髪を引かれながらも、体を起こす。
「あ、ごめん。
寒かったよね。」
寝起きで固まった体を伸ばしていると、そんな声が横合いから聞こえてくる。
それと同時に窓の閉まる音。
「…あれ、大神。」
顔を向ければそこには黒い獣耳を携えた少女が窓の傍に立っていた。
一瞬何故大神が部屋に居るのか疑問に思うが、すぐに昨日はイヅモ神社に泊まることになったことを思い出す。
「おはよ、透君。
ごめんね、起こしちゃって。」
「あぁ、おはよう。
むしろ少し寝すぎてたから丁度良かった。」
申し訳なさそうに言う大神に軽く手を振って返す。
恐らくいつも起きている時間はとうに通り過ぎている。
イワレの流れが改善されたからか、それとも単に温泉自体の効果か眠りが深くなっていたようだ。
「にしても本当にこの辺りは寒いな。
大神は平気なのか?」
見たところ寒さを感じるそぶりを見せない大神に問いかける。
「うん、平気。
これがウチにとっての日常だったから。」
この気温の低さに慣れてしまえばシラカミ神社周辺の気温で寒さを感じることは無さそうだ。
それほどまでにイヅモ神社周辺の気温は低い。
「これが寒くないって少し羨ましいな。
それで付き合ってほしいことって?」
昨日、鍛錬の代わりにと大神に提案されたが内容は朝まで秘密と言われていた。
おかげで何をするのか気になって仕方がない。
「その事なんだけど、下の方が広いからそこで説明するね。
透君は準備ができたら降りてきて。」
そう言って大神は部屋を出ていった。
ささっと着替えなどを済ませて下の広間へと向う。
一階に下りれば大神が一人、ベンチに腰かけていた。
「透君、こっちこっち。」
彼女はこちらに気がつくと、そう言って手招きをする。
他に座る場所も無いためそのまま彼女の隣へと腰掛ければ、不意に昨日の出来事を思い出す。
少し意識して緊張からか動作がぎこちなくなる。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。」
それを見た大神に不思議そうに問いかけられ、咄嗟に取り繕う。
彼女は特に意識しているようには見えない、なら気にしすぎ無い方が良いだろう。
「そう、なら良いんだけど。
では今日付き合ってもらうことの発表をしようと思います。」
妙に大げさなそぶりで口上を述べる大神、そのノリに乗っかる形で拍手を送る。
「じゃあ早速なんだけど透君、手、出してみて。」
「手?ほい。」
言われるがままに右手を大神へと差し出す。
これから何が始まるのか、偶にぶっ飛んだことをするだけに期待と不安が織り交ざる。
大神は差し出された手を取ると、集中するように目を閉じた。
「大神、何を…。」
と、そこまで言いかけた所で変化は起きた。
手の触れている部分から引っ張られるような感覚。
実際に手を引かれているわけでは無い、内部的な不思議な力が働いている。
「イワレの流れを意識して、引っ張り返そうとして見て。」
「引っ張り返すって…、分かった。」
つい聞き返そうとするが、恐らくこれは感覚的な問題だ。
意図は見えないが、とにかく大神を信じて挑戦してみることにする。
同じように目を閉じて自らのイワレを意識する。
血液のように全身を駆け巡るそれ、右手へと意識を向けて見れば触れた手の部分へと確かに引っ張られている。
その部分に集中して、こちら側へと引き戻すように力を加える。
「透君、手に力が入ってるよ。」
「あ、悪い。」
しかしそんな簡単に上手くいくはずもなく、力んで大神の手を強く握ってしまったようだ。
「そうだね、自分のイワレを水だってイメージしてみて。
そこに流れを加えてあげて、自分の方に寄せるの。」
「流れ…。」
大神の助言を聞き、イメージを変えてみる。
先ほどまでは空を掴むような感覚だったが、水だと認識することで先ほどよりも扱いが易くなる。
オールで漕ぐように、少しずつこちら側へと流れを作る。
「そうそう、その調子。」
すると徐々にその流れは大きくなっていく。
やがて引っ張られる感覚は無くなり、完全に流れが拮抗したことが分かった。
「はい、よくできました。」
それを認識したと同時に触れていた手が離される。
流れを作る必要も無くなり意識を戻してみれば、どっと急激に疲労感に襲われる。
「はぁ…結構疲れるな、これ。」
「初めてだから仕方ないよ。
けど、呑み込みも早かったから直ぐに慣れると思う。」
ぐったりと後ろ手に体重を乗せて宙を仰げば、その様子を見て小さく大神が笑う。
何というか、普段使わない筋肉を無理に動かしたときに近い。
疲労感もそうだが、妙に感覚が狂ってしまったかのような気分になる。
「それで、これは何だったんだ?」
今のが大神がやろうとしていたことなのだろうか。
疑問に思い、横の大神へと聞いてみる。
「これはイワレ相撲って言ってね。
一定時間引っ張り続けた方が勝ちっていうゲームだよ。簡単に言うと指相撲のイワレ版だね。」
指相撲、聞き馴染みのある単語だ。
イワレの存在するカクリヨならではのゲームだな。
「かなりイワレの制御能力が必要だったでしょ?
これならイワレを消費するわけでもないし、透君が自力でイワレの流れを整える練習になると思って。」
なるほど、あくまで流れを制御するだけでイワレ自体は使用しない。
ワザなどとの違いはそこか。
「あぁ、確かに今まで感じたことの無い感覚だった。
これがカクリヨの人達が持ってるイワレの制御能力なんだな。」
とはいえ、俺の体にその制御能力が備わっているわけでもないのだろう。
今回のこれは無意識下で行われる作業を意識的に、かつ疑似的に再現した形か。
だが、疑似的とはいえ作用は同じだ。
「本来はワザの精度を上げるための訓練みたいなものなんだけど、透君の場合制御能力自体が必要だったからね。」
「なるほどな、それで教えてくれたのか。」
正直、これは助かる。
ウツシヨ出身でイワレの循環が出来ない現状、万が一の際に自分で対処できるのと出来ないのとでは、やはり前者の方が良いに決まっている。
「けど、勝ち負けがあるってことは俺もさっきの大神みたいに引っ張れないといけないよな。」
今やったのは大神が引っ張って、俺がそれに対抗するという形。
これでは負けないことはあっても勝つことは不可能である。
「そうだね、でも相手のイワレに干渉するのはまだ難しいと思うからこれから頑張っていこ。」
「あぁ、よろしく頼む。」
それにしてもイワレ相撲か、恐らくカクリヨではイワレを持っていれば子供でも出来ることなのだろう。
こちとら手加減して貰っても防御だけで精一杯だというのに、これに加えて相手にも影響を与えないといけない。
この辺り、世界間ギャップのようなものを感じる。
「ちなみに実戦だとさっきみたいにただ引っ張るだけじゃなくて、渦を巻いたり、何個もフェイントを仕込んだりするから、目指すはそれを防げるレベルだね。」
「待って、想像以上に壁が高い。」
取り合えず防御だけなら何とかなりそうだと思ったところで数段跳ね上がったハードルに思わず待ったをかける。
「大丈夫、ゆっくりやって行けばいいから。」
そう言って静かに笑う大神。
しかし、そうだ、今まで出来なかったことへの挑戦なのだ。
それくらい壁は高くて然るべきだ。
「…そういえば大神はこれをいつからやってるんだ?
やっぱりイワレを扱えるようになってからとか。」
「ウチ?そうだね…。」
ふと気になったことを聞いてみる。
大神はイワレの扱いが恐らく誰よりも上手い。
そんな彼女がどれだけ昔から訓練しているのか、知っておきたかった。
考え込むように顎に手を当てる大神。
「あれ…いつからなんだろ。」
しかし、答えが見つからなかったようで大神はそう言って首を傾げてしまう。
「そんなに昔からやってたのか?」
「うーん、昔なのは確かなんだけど…。」
何か引っかかる事でもあるのか、ぽつりとつぶやいて眉を顰める。
「なんだか…。」
「ほう、イワレ相撲か。
懐かしいのう。」
大神が何かを言いかけた所で、唐突にそんな声が割り込んでくる。
ぱっと前を向けば、そこにはいつの間にか神狐が立っていた。
「あ、せっちゃん。
ウチがイワレ相撲を初めてした時の事覚えてる?」
「うむ、覚えているも何もそれを教えたのは妾じゃ。
あの頃はミオも小さかったからの、覚えていないのも無理は無いのじゃ。」
どやりと胸を張る神狐。
なるほど、確かに神狐なら大神に教えることもできるか。
しかし、それよりも気になる事が一つ。
「小さい頃ってことは大神って子供のころから神狐と一緒にいるのか。」
そう言えば、大神と神狐は何故か揃って目を見合わせる。
「なんじゃ、まだ聞いておらぬのか。」
「聞いてないって、何をだ?」
こちらに目を向ける神狐の言葉に首を傾げる。
そんな俺に、同じくこちらへ視線を向ける大神が口を開いた。
「ウチね、子供の時にせっちゃんに拾われて、それからイヅモ神社で一緒に暮らしてたの。」
「ミオの母代わりみたいなものじゃな。」
それを聞いて思わず口が開いて呆然とする。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
一緒に暮らしていたことまでは知っていた。
だが、そんなに前からとは想像もしていなかった。
「世話になったとは聞いてたけど…。」
「文字通り世話をしておったのう。」
何ともなしに答えて見せる神狐、大神も肯定するように頷いている。
イヅモ神社にいる大神が妙に自然体に見えたのは何も馴染みのある場所に帰ってきたからだけではなく、その辺りの事情も含まれていたのか。
「はー、イヅモ神社に来てから一番驚いた。」
命石の件や自身の中の恋心など多くの事に気づいたこの二日間だが、その中でもダントツの驚きだった。
「ふふっ、ウチも透君があんなに驚いたところ初めて見た。」
「中々良い表情じゃったぞ。」
心から楽しそうに笑う二人に苦笑いが浮かぶ。
先ほど聞いたことが影響してか、妙にその仕草が似て見えた。
「おっと、忘れるところであった。」
話がひと段落したところで、不意に神狐は思い出したかのように手を打つ。
「ミオよ、キョウノミヤコの事はもう占ったかの?」
「キョウノミヤコ…、あ、まだだった。」
大神はそう言うと呪文を唱えて、占星術に使用する水晶玉を手の上に出現させて目を閉じる。
「ミヤコで何かあったのか?」
「うむ、前に行ったときに、シキガミ越しではあるが兆候を見つけての。
直に分かるのじゃ。」
占いを行う大神を見守っていれば、結果が得たのか大神は閉じていた目を開く。
「いくつかケガレが発生してるみたい。
せっちゃん、フブキに通話を繋げて貰っても良い?」
「任せるのじゃ。」
神狐は大神の呼びかけに答えると、パッと宙に薄い円盤を出現させる。
これが例のシキガミ越しの通話なのだろう。
少しして、その円盤に見覚えのある光景が映し出される。
「あ、透君は見ちゃダメ。」
「え?」
そんな声と共に大神に両目をふさがれる。
視界をふさがれる直前に見えたのは白上の部屋の光景だった。
今更な気がするのだが、何故見てはならないのだろう。
「フブキー、起きて!」
『わひゃあ、ミオ!?
じゃなくてシキガミさん!?』
大神の呼びかけに本気で慌てるような声が聞こえてくる。
そういえばこの通話最初は爆音だったな、恐らく大神の声が何倍にも増幅されて部屋に響き渡ったのだろう。
「それ。」
『あ、ミオとセツカさん。
それに…透さんはどうして目を塞がれているんですか?』
「俺も分からない。」
神狐が指を鳴らすと共に白上のそんな声が聞こえてくる。
俺の状態が分かるということは、白上にもこちらの映像が送られているようだ。ついでに音量の調整もしたのだろう、こちらの声に白上が驚くような声は聞こえない。
「フブキ、今日オツトメがあるからその報告。
今回は八人がケガレに取りつかれてるみたい。」
『八人ですか…、あの、四人の間違いだったりしませんか?』
「ちゃんと八人だよー。」
縋るような白上に大神が現実を突きつければ、白上のうめき声と大神の笑い声が聞こえてくる。
今の白上の表情は見えないが、どんな顔をしているのか容易に想像ができた。
少なくとも笑顔ではない。
『うぅ…、あ、そうだ、透さんって確かイワレを封印できましたよね。』
「あぁ、けど今はイワレが安定しないからワザは使えないんだ。」
『そうでした…。』
昨日のうちに大神が白上に伝言を飛ばしていたが、その中に俺の状態の事も書いていたのだろう。説明すれば素直に白上は引き下がった。
何となく話は理解できた。
ケガレを祓うのなら俺も手伝いたいが、ワザが使えない以上諦める他ない。
「そういう訳だから頑張ってフブキ。
今日中にそっちに帰れるし、狐うどんいっぱい作ってあげるから。」
『わかりました…約束ですからね!』
大神に宥められて、白上も覚悟を決めたようだ。
それを最後に、白上の声は聞こえなくなった。
「…大神、終わったのか?」
「あ、うん、もう映ってないよ。」
確認するように問いかければ、そんな声と共に視界が解放される。
「それで、何が映ってたんだ?
見た感じただの白上の部屋だったけど。」
チラリと見えたのは山積みのゲームソフトと、後は寝ている白上だけであった。
それ以外に一体何があったというのだろう。
「えっと…その、ちょっと言えない…かも。」
「…そっか、悪い、深堀した。」
良い淀む大神を前に、それ以上聞き出そうとは出来なかった。
踏み込んではいけない領域もあるだろう。
「ほほう…。」
そんな俺と大神を、神狐は顔をニヤつかせて見ていた。
「ん、どうした?」
「おっと、何でもないのじゃ。気にするでない。」
流石にそんな目で見られれば誰だって気にはなる、つい声を掛けるが上手く躱されてしまった。
神狐は気を取り直すようにぱちりと柏手を打つ。
「そうじゃ、あの娘にうどんを作るのじゃろう。
材料は持って帰ると良い。」
「良いの?ありがとう。
今シラカミ神社にほとんど食材が残ってないから助かるよ。」
白上はうどんであればそれこそ無限に食べかねない。
それに伴う食糧の消費量も尋常では無いのは必然で、神狐もそれは前回の訪問で把握しているようだ。
「というか、食料もう無かったのか。」
「そうなんだよね、セイヤ祭の準備で補充もできてなかったし、奉納品もこの時期は無いから。
近いうちに色々調達に行かないと。」
なら、明日か明後日辺りにキョウノミヤコへと赴くことにはなりそうだ。
「…ミオ、透。」
不意に話を聞いていた神狐に呼びかけられて揃って顔を向ける。
そうすれば神狐は改まった様子で口を開いた。
「これからについて、少し話があるのじゃ。」
気に入ってくれた人は、シーユーネクストタイム。