『一を以て、之を貫く』
(孔子)
凰鈴音はこの日、何度目かも分からないため息をついた。IS学園の校庭から見上げる僅かに雲のかかる晴れの空は、その建物に阻まれ屋上から見える景色よりも少し窮屈に見える。気持ちまで窮屈になりそうだ。かと言って、今から屋上に行き、織斑一夏と共に昼食にするという気持ちは湧いてこない。既に彼の周りに集まっていた厄介な専用機持ち達が主な原因なのだが。勿論、鈴音もまた専用機を持ち、国家代表候補でもある。そこに引け目を感じている訳ではない。
ツーマンセルトーナメントが終わってしばらく経ち、鈴音は一人で考え込む事が増えていた。普段、直感的に行動する彼女にとってそれは珍しい事だったが、一夏に「何か悪いものでも食べたのか?」と問われた時はその唐変木っぷりにカチンと来てローキックを数発ぶちかましてやった。彼女の悩みのタネは確かに単純なものかも知れない。しかし、それの解決の為に何をするべきなのか、と問われればその答えは至極複雑なものになる。
篠ノ之箒はまだ専用機持ちでこそないが、一夏とは自分よりも昔から付き合いがあるし何よりISの生みの親である篠ノ之束の妹だ。セシリア・オルコットは英国の名門貴族の出である。シャルロット・デュノアは大手のIS企業デュノア社の令嬢で、ラウラ・ボーデヴィッヒはあの織斑千冬と以前から教官と教え子という形で交流がある上にドイツの特殊部隊の隊長を務めている。そんな彼女らに対し、自分はどんな背景があるだろうか。鈴音の悩みの根底にあるのはそれだった。つまるところ、自分が中途半端な存在に思えて仕方なかった。
凰鈴音は織斑一夏を好いている。彼女が中国の国家代表候補になってまでIS学園に来たのも、ただ彼に会いたいが為だ。古い約束を果たす為だ。史上初の男性IS起動者のニュースを聞いた時は心臓が飛び出る程に驚いた。同時に、彼に再開するまたとないチャンスだと思った。このチャンスを活かす為に、自分の出来る事をした。果たしてそのチャンスは現実のものとなったが、いつの間にか彼の周りには自分と同じように彼に好意を抱く者が集まっていた。そして、自分には彼女達のような背景は無い。どこにでもありえる成り立ちで、どこにでもある結末をたどった家族だ。その上、自分は自他ともにも認める程に激情家である。ローキックを仕掛けた時もそうだったが情けなくなるぐらいに行動が先に出てしまうし、それが原因となってやる事なす事うまく行かなかった事は山程ある。後には後悔ばかりが残るが、それは悪い事に「いつもの事」となってしまいつつあった。
誰でも二つ以上の物事が並べばどちらかに優劣をつける。そして、それが似たようなものであればあるほど、差というのは目立つ。では、この差を埋める為に、この性分をどうにかする為に、自分は何を成すべきなのか。鈴音自身の中では明確な答えが見いだせず、いつの間にかのしかかっていた劣等感をどうにか拭い去ろうと慣れぬ思考は完全に袋小路に入ってしまっていた。
右手首につけている、黒とマゼンタのツートンカラーのブレスレットを指でなぞる。自身の専用機、甲龍。龍とは古来から中国では神獣として、唯一無二の強さの象徴として伝えられてきた。龍が天に昇る様は物事の成就を示すとも言われている。では、龍の名を冠したこのISは自分にとっての昇り龍足り得るのだろうか。自分が他の誰よりも、何事にも強くなれば、織斑一夏の隣に相応しい人であると言えるのだろうか。彼は、自分をちゃんと見てくれるのだろうか。
彼女の疑問に応える者など現れる筈もない中、幾つもの足音が耳に入ってきた。音のした方を見ると、何人もの教師が校門に向かっているのが見えた。その中には織斑千冬や山田真耶の姿もあった。皆、額に汗を浮かべている。随分と慌てているようだ。何となく気になり、鬱屈した気分を変えようと鈴音は彼女達の後を追う事にした。
※ ※ ※
IS学園に向かう手段はそう多い訳ではない。大抵、直通のモノレールが利用される。昼のこの時間も定期便としてIS学園へモノレールは向かっていた。目的地が故に、普段このモノレールを利用する人間は限られる。それはつまり、混雑するという事はまずありえないと言えた。
しかし、この時のモノレールではある一両だけ人が押し詰められていた。そこにいたのはレポーターや記者など、要するに報道関係者だ。皆、自分達の持ち込んだ機材をぶつけ合わないように注意を払いながらも、その視線の先は同じ方向に向いていた。同じ車両の中の、ある座席に深々と座る金髪の女性の方へ、と。透き通るように整った肌。そして、僅かに目元が垂れ下がった切れ長の目で鼻筋の通った顔つき。白いブラウスに下はベージュのスラックス、赤いヒールを履き引き締まったボディラインを魅せている。これだけならば間違いなく美人に分類されるだろう。
だが、その体躯はいささか異様であった。まず、その女性は左目を失っていた。もう少し具体的に言うならば、左の頬から上、額の半分ほどまでに左目ごとえぐるような大きな傷があった。さらに、彼女が今身につけている白いブラウスは左肩の部分からだらりとぶら下がってゆらゆら揺れている。彼女の左腕にあたる部分は、肩から下にかけて全く存在していないのだ。隻眼隻腕、それが彼女の姿だった。だが、彼女の周りに集まった人々はそれを全く気にかける様子もなく、我先にと手にしているマイクを彼女に向けて何やら大声で訪ねている。しかし、そのどれも騒音になって言葉の形を成していない。
「いやいやいや。更識の御当主様だけじゃなくて、今年のIS学園の一年ってのはこう活きが良いってヤツなのかね。有名人がこれだけ集まるってのも凄いよ。この織斑一夏ってのはあのブリュンヒルデの弟なんだろ? それに篠ノ之束の妹もいる。オルコット家のお嬢様も。ああこれはすごい! 最近になってデュノア社の御令嬢にシュヴァルツェ・ハーゼの隊長さんときた。よりどりみどりじゃないか」
女性は手にしていた端末を眺めながら、隣に座るショートカットの赤髪の少女にこれまた興奮気味に話しかけていた。その少女は退屈そうに、首元に赤いシャツを覗かせ上下に身につけた真っ黒のスーツの皺を指先で伸ばしている。そして、隣からの話題に全く興味もないように少しの反応も見せず、無表情のままでその両の目の、黄金の瞳を窓の外の風景に向けていた。
少女の視線の先には広大な海と空が広がっている。その中に、ぽつんと海上施設が一基見えた。使われなくなって久しい、廃棄されたプラットフォームだった。本来誰も寄り付くはずのないその周りに、クレーンを伸ばした作業船が何隻もあった。ひっきりなしにクレーンを上下させて、資材をプラットフォームへと移動させている。その柱には、まとわりつくような作業員の姿も見える。どうやら改修工事を行っているようだ。
「突然IS学園に行くなんて聞かされた時はびっくりしたけど、これなら退屈しないで済みそうだ。日本の飯は旨いしな。ケツ持ちはしっかり頼むよ」
少女の視線の先にある「それ」に興味を移す事なく、女性はにこやかに笑う。その瞬間、目もくらむようなフラッシュが彼女らのいる車両を包み込んだ。シャッター音が途切れずに鳴り続ける。IS学園に到着する旨を伝える車内アナウンスが、どこか遠いところでひっそりと流れていた。
そして、時間は三日前に遡る。この隻眼隻腕の女―イツァム・ナー―が日本へ、IS学園へと向かう事になった、その時まで。
まえがきは活動報告にて