サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します   作:Budge

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零細血統を救済しまくったらセキトの種牡馬成績がえらいこっちゃに・・・。

この大百科記事風の執筆にあたり、素晴らしい素材の数々を提供してくださった製作者様に感謝!

素材提供元
https://syosetu.org/novel/273050/

後、実在する冠名を使ってしまいましたが大丈夫ですかね?


【おまけ】セキトバクソウオー 某大百科風

スマSmiイルle大百科PEDIA()
セキトバクソウオー      

スマイル大百科()

セキトバクソウオー _単語_

れいさいけっとうのきゅうせいしゅ

 

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・・・

その他

XX02年、ジュライカップ。

 

重い、あまりに重いその扉を、その馬は半馬身差こじ開けた。

 

炎のようなその身体に宿すは、燃えたぎる思いか、最速の血か。

 

史上初、内国産血統による欧州G1制覇。

 

欧州の直線に吹き抜けた赤い烈風。

 

その馬の名は セキトバクソウオー

 

JR○CM THE LEGEND特別編より

 

セキトバクソウオー(XX97 3月22日-XX22 3月22日 25歳没)とは、日本の競走馬、種牡馬、顕彰馬。そして、おそらく世界初である、赤毛のサラブレッドである。

 

概要               

サクラバクシンオー、母サクラロッチヒメ、母父サクラショウリという血統。

 

父サクラバクシンオーに関しては個別記事があるのでそちらを参照されたし。最早説明不要の名スプリンターである。

 

母のサクラロッチヒメは悲劇の二冠馬サクラスターオーの全妹・・・ではあるものの、通算成績は12戦1勝、更には後述する悪癖もあって評価は低かった。

 

馬主はこの界隈では珍しい女性の天馬朱美氏、調教師はかつて父の手綱を取った太島 昇氏である。

 

主戦はジュンペーこと、岡田順平。しかし、後述するがとある事情により一時獅童宏明が手綱を取っていたこともある。

 

誕生               

セキトバクソウオーはXX97年、新冠町のとある一角にある零細牧場のマキバファームにて産声を上げた・・・ん?零細牧場?

 

そう、何を隠そうこのマキバファーム。現在では国内屈指の規模を誇る総合牧場として知られているが、セキトバクソウオー誕生当時は繋養している牝馬が10頭前後の零細も零細の牧場だったのだ。

 

そんなマキバファームで生を受けたセキトバクソウオーであったが、生後間もなく試練の時が訪れる。

 

なんと母馬であるサクラロッチヒメから、セキトバクソウオーは育児放棄されてしまったのだ。

 

そう、上記したサクラロッチヒメの悪癖とはこの育児放棄の事であり、彼女は生涯で10頭の仔を産み落としたのだが、遂に一度も子育てをすることはなかったそうである。

 

・・・しかし、セキトバクソウオーはそんな親ガチャ失敗不運にもめげず、人の手でミルクを貰いながらすくすくと成長。マキバファームの場長曰く人の言うことをよく聞き、きれいな走りをする馬だったという。

 

 

セリ               

 

母親に育児放棄され、人工保育となってしまったセキトバクソウオーであったが、秋ごろには無事他の同世代たちとも合流、最初は初めて自分以外の馬と触れ合ったせいか逃げてばかりであったが、次第に慣れ、やがて群れにも馴染んでいった。

 

そうして迎えた二歳(当時は数え年で馬の年齢を表記していた、この記事では制度が改正された01年まではこの表記を使用する)の夏、セキトバクソウオーは記念すべき第一回目のセレクトセールへと上場されることになる。

 

いざウエスタンファームへと乗り込んだ彼であったが、当時サクラバクシンオーが種牡馬として未知数だったこと、上場番号が後半だったこと、割り当てられた馬房が端の方であった事などいくつかの要素が重なって事前評価はあまり高くなく、さらにはスターロッチの牝系の馬は91年生まれのウイニングチケットを最後に幾つかの重賞勝利はあれどG1の栄光からは遠のいており「良血」という括りに入るかどうかは微妙な存在であった。

 

そんなセキトバクソウオーに注目した人物、それこそが本馬の馬主である例の馬主天馬朱美氏。

 

大きないななきに惹かれ厩舎に入ると、そこにいた赤い毛並みを持つ牡馬に一目惚れしてしまったそうである。歩様などのチェックを経て彼女の愛馬候補として選ばれると、迎えたセリの当日。

 

当時は登録上ただの鹿毛でしかなかった為、セキトバクソウオーが姿を現した瞬間会場が一時騒然としたものの、結局天馬氏により2500万で購入された。最高価格には及ばなかったものの、これは当時のセレクトセールの二歳、当歳通じてのサクラバクシンオー産駒の最高価格であった。

 

 

課題だらけのデビュー戦      

セレクトセールにて無事天馬氏に購入されたセキトバクソウオーは、育成牧場へと移動しての本格的な訓練が始まった。マキバファームのトラックコース?坂路?ないない。

 

特に大きな問題を起こすことなく2歳の春を迎えたセキトバクソウオーは、美浦の太島昇厩舎へと入厩。

 

馬体の特徴などから短距離向きと判断され、秋口のデビューを目指していたが、想像以上に真面目な気性と馬体の仕上がり方から予定を前倒して、デビュー戦は夏の札幌、芝1200m戦に決定する。

 

鞍上として迎えたのは、後に最高の相棒と称されることになる、ジュンペーこと岡田順平。

 

しかし今でこそセキトバクソウオーと共に栄光を勝ち取った名手の一人として数えられるようになった岡田も、当時は93年の年明けに起きた落馬事故の影響に苦しまされており、引退まで秒読み状態であるとさえ言われている、ドン底の状態であった。

 

そんな彼がどうしてセキトバクソウオーの背に跨がれたのかといえば、岡田が他の馬の調教をつけるために馬具を用意していたとき、親しくない男性にはそっけない態度を取っていたはずのセキトバクソウオーの方から岡田に顔を擦り付け、甘えるような鳴き声を発したからだと言う。

 

これなら手綱を任せてもいいのではと思った太島師であったが、とはいえ抱えている爆弾の大きさは計り知れない。それを承知の上でジュンペーを乗せてやってくれないか、と頼み込む太島師に、天馬氏は。

 

「大丈夫!セキタンは強いですから!」

 

の一言で、快諾したそうである。流石愛馬に脳を焼かれた馬主である。

 

そうして迎えることになったデビュー戦当日。競馬場で行われた追い切りの結果が芳しくなく、11頭中の3番人気に甘んじたセキトバクソウオーは、スタートで足を滑らせ、出遅れてしまう。

 

馬群に追いつこうと多少追われると、今度はそのまま口を割って前へ前へと進もうとしたが、残り600付近で突如ぴたりと鞍上と折り合うと驚異的な末脚を発揮。

 

岡田のムチに応える形で、4コーナーから直線にかけて加速すると、そのまま先頭で押し切り体制に入っていた一番人気、アジヤタイリンを差し切って見事勝利を飾った。

 

この勝利は岡田にとって落馬前の92年以来、実に7年ぶりの勝利であり、ウィナーズサークルでは新馬戦であるにも関わらず、思わず涙を流す姿が目撃されている。

 

しかし、新馬がこれほど激しいレースをやって無傷でいられる訳もなくレース後間もなくして激しいコズミを発症したセキトバクソウオーは、笹針治療の後千葉の育成牧場へと放牧に出された。

 

また、レース自体も短距離では致命的となる出遅れ、追われてからのかかりと課題の多く残るレースとなった。

 

 

いちょうS、そして朝日杯       

 

笹針治療を終え、調子を取り戻したセキトバクソウオーは関係者による協議を経て10月の東京、いちょうSへと駒を進めた。

 

このレースは9頭立てと少頭数だったものの、

 

・後のマイルチャンピオンシップ勝ち馬、ゼンノエルシド

 

・後に朝日杯3着、ニュージーランドT2着など重賞戦線を沸かせたマチカネホクシン

 

・後に日経新春杯を制するトッププロテクター

 

・後に中山大障害を制するブランディス

 

 

と、なかなかに層の厚いメンバーが集っていた。

 

ここでも2番人気に甘んじたセキトバクソウオーだが、スタートを迎えるとまずますのスタートから同じサクラバクシンオー産駒のブランディスを内に見ながら進み、直線に入ると先団から粘りこみを図るトッププロテクター、そして後方から追い込んできたマチカネホクシンと三頭で激しい叩き合いになり、何とか2着のマチカネホクシンをハナ差抑え込む形でゴール版へとなだれ込み、2勝目を手にする。

 

この時点でマイルが長いのでは?という話もあったが思いの外ダメージが少なかったセキトバクソウオーの様子を見て、陣営は3歳馬の頂点を決する大一番、朝日杯3歳ステークスへの出走を表明。

 

生憎の曇天となった朝日杯では、1番人気レジェンドハンター、2番人気ラガーレグルスに次ぐ形で3番人気に支持される。

 

レース本番では過去三戦で最もいいスタートを切ったセキトバクソウオーであったが、ハナを切ったダンツキャストが大逃げをかまし、二番手を追走する形となる。

 

更には終始外側から一番人気のレジェンドハンターにピッタリとマークされる形となり、思うようにレースを運ぶことが出来ない。

 

そして、迎えた直線だったが過去2戦のような伸びも粘りもなく、更にはジュンペーがムチを落とすアクシデント。

 

結局最後はよく伸びたものの、先団との差は巻き返せず4着まで。

 

不甲斐ない結果に肩を落とした関係者たちであったが、しかし、このレースの直後に恐ろしい事実が判明することになる。

 

 

ジュンペーとの離別、空回りの春      

 

朝日杯のレース直後、ゴール板を通過したにも関わらずセキトバクソウオーが減速する様子がなかったことから異常を察した太島師がコースへと出ると、セキトバクソウオーは何かを伝えるかのように彼の前へと駆け寄り、しきりに前掻きを繰り返した。

 

尋常ならざる様子にセキトバクソウオーを落ち着かせようとしたその時、太島師はその背中にいる岡田が意識を失っていることに気が付き、次第にその異常事態に気づいた観客によって場内は騒然となった。

 

岡田はそのまま救急車で運ばれ、その直後にセキトバクソウオーも馬場で倒れてしまったことから馬運車で厩舎へと運ばれ、一時は人馬ともに最悪の事態も考えられたが翌日には無事回復。

 

岡田もレースの翌日未明には意識を取り戻したものの、こんな状態では「自分がセキトバクソウオーの足を引っ張ってしまう」と判断し、自らその背を降り、治療に専念することになる。

 

一方セキトバクソウオーはといえば、短期放牧を挟んで4歳シーズンは今は無き重賞、クリスタルカップから始動することが決定。

 

主戦無きその背中に跨ったのは、七冠馬シンボリルドルフの鞍上としても知られる丘本雪緒。その手腕が買われたのかテン乗りであるにも関わらずこの重賞の舞台で、馬生初の一番人気に推される。

 

ここでは後に条件を問わずG1を6勝した変態名馬アグネスデジタルと当たったものの、レースでは好スタートから朝日杯と同じように大逃げするダンツキャストと、それと競り合うようにして前へと進出するバーニングウッドを見ながら、4番手辺りから進出、後方から追い込んできたスイートオーキッドに併せる形でスパートすると、ロスなくコーナーを回り、直線では力強く抜け出し1馬身差の快勝を収めた。

 

この時の勝利ジョッキーインタビューで、丘本は「ルドルフ並みに賢い」、「本格化はまだ先」と宣言しており、視聴者には「何言ってるんだこいつ」的なムードが漂ったのだが、その言葉が真実であったことは、古馬になってからのセキトバクソウオーの活躍によって証明されることになる。

 

 

このレースの後にソエを発症したセキトバクソウオーは焼烙治療(焼いたコテを患部に当てる治療、自然治癒力による良化が望めるらしい)を受け、体勢を立て直してNHKマイルカップへと向かう。

 

しかし丘本はセキトバクソウオーではなく、僚馬イーグルカフェに乗ることを選択、再び空席となったセキトバクソウオーの鞍に収まったのはかつて太島師と覇を競ったジョッキー、獅童宏明であった。

 

昨年の2歳チャンプエイシンプレストンが骨折で長期戦線離脱する中で迎えたNHKマイルカップの本番、マチカネホクシンに次ぐ2番人気に支持されたセキトバクソウオーであったが、レースでは後方待機策を選択。

 

勝負所では一時馬群に包まれ、不完全燃焼に終わるかと思われたが内に開いた僅かな隙間を縫って進出を開始、しかしいつもの伸びが無く、残り300の時点で一杯一杯、そのまま続々と他馬に抜き去られ8着に終わる。

 

この結果を受け、陣営はセキトバクソウオーにマイルは長いと判断し、以降はスプリントのレースに照準を絞って出走している。

 

さて、レース後には放牧に出される予定であったのだが、セキトバクソウオー自身がレースに負けたことを理解しているかのように怒りだし、それが収まらなかったことからガス抜きの意味も兼ねて中日スポーツ賞4歳ステークス(現:ファルコンステークス)へと出走した。

 

・・・が。レース当日。パドックに姿を現したセキトバクソウオーはガリガリにやせ細っていて、誰がどう見ても明らかな調整失敗であった。

 

当然人気も急落し、それでも重賞馬である事が評価されたか6番人気に踏みとどまる。

 

その本番では好スタートからユーワファルコンと並ぶ形で逃げの戦法を取り、そのまま後方を寄せ付けぬままゴール板を駆け抜けた。おい、誰だよ調整失敗とか言った奴

 

 

重賞2勝目を飾ったセキトバクソウオーは今度こそ放牧へと出されしっかりと休養。

 

一度原因不明で倒れるという事があったものの検査で健康体が確認され、8月に美浦へと戻ってきた。

 

次走として選択されたのはセキトバクソウオーにとって初となる古馬との対決、セントウルステークスだった。

 

昨年のスプリンターズステークス勝ち馬ブラックホークを始め、重賞4勝馬スギノハヤカゼ、G1馬マイネルラヴ、芝ダート問わず活躍するワシントンカラーなどなど有力馬が揃ったこの一戦でセキトバクソウオーは後方で待機し、直線ではクリスタルカップの時の様に鋭い脚を繰り出し、並み居る古馬を蹴散らして価値ある勝利を挙げた。

 

この勢いのままスプリンターズステークスへ・・・と勇んだのも束の間、レース後に右前脚のトウ骨剥離骨折が判明。予定を白紙に戻して年内一杯の休養に入らざるを得なくなり、陣営は賢いセキトバクソウオーに険悪な雰囲気を気取らせない様、彼が放牧に向かった後で悔しがったという。

 

 

復活の春、そして初G1制覇へ 

 

放牧先で無事に手術を終え、療養生活に入ったセキトバクソウオーは、年が明ける頃には骨折も完治し、トラックコースでの乗り込みを再開。

 

復帰レースには中山のオーシャンステークスを選択、休養がいい影響を与えたのか一回り程大きくなった馬体を踊らせたセキトバクソウオーは、「お前ら程度では相手にならん」と言わんばかりに中団待機からの横綱相撲で、ムチを振るうことなく快勝。

 

そして、本番である高松宮記念でも中団待機策を取ったセキトバクソウオーであったが、ゴチャついた馬群の中で多少の接触があり、時折バランスを崩しかける。更には第4コーナーでキーゴールドが外にヨレるというアクシデントがあり、それをなんとか交わしたセキトバクソウオーは、同じく中団に待機していたブラックホークと並んでの叩き合いに臨む。

 

そして、二頭馬体を併せたままゴール板へ・・・と思われたその時、大外から追い込んでくる鹿毛の馬体が一つ。

 

一番人気のトロットスターだった。

 

そこから必死に粘り込んだものの強襲に屈してしまい、しかし競り合っていたブラックホークはしっかりとアタマ差下していただけに関係者の悔しさは相当なもの。ほんの数センチの差ですり抜けた栄光に、陣営ほ秋のリベンジを誓う。

 

 

さて、セキトバクソウオーの次走には京王杯スプリングカップが選ばれたのだが、ここに臨むに当たって一つ問題点があった。

 

 

スタミナが圧倒的に足りないのである。

 

 

その弱点を克服するべくウッドチップで入念に乗り込まれたセキトバクソウオーであったが、イマイチ効果は得られず、スタミナ面に一抹の不安を抱えたまま本番に臨むことになる。

 

この年の京王杯には2歳女王スティンガー、前走でも激しく競り合ったブラックホーク、現地でG1を6勝しているオーストラリアのTesta Rossa、復調気配を漂わせるエイシンプレストン、そしてセキトバクソウオーが休養している間にマイルチャンピオンシップでG1馬となったアグネスデジタルとG1級のメンバーが集っており、ハイレベルな一戦となっていた。

 

迎えたスタート、セキトバクソウオーは好スタートから徐々に位置を下げ、後方に位置取ったスティンガーの後ろにつけてマーク戦法を取る。

 

陣営が睨んだ通りレースはハイペースで進み、迎えた直線。スティンガーと並びながら前の馬を続々と交わし、一度は更に加速したスティンガーに置いていかれかけるも、負けじと再び加速したセキトバクソウオーがゴール寸前でハナ差差し切って勝利を収めた。

 

この勝利によってマスコミからは「安田記念にも参戦するんじゃね?」との声が囁かれたものの、太島師が自ら「1400を不安視しなければならない馬が1600を走れるとは思えない」とバッサリ切り捨て、吉里ステーブルへ入厩しての強化合宿にはいる。

 

その効果は覿面だったようで、次走のセントウルステークスでは馬体重は+10kgであるにも関わらず良好な仕上がりを見せていた。

 

・・・そして、この時。阪神競馬場のパドックには思わぬ人物が待ち構えていたのである。

 

 

00年セントウルステークス ジュンペーとセキト感動の再会

 

 

 

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・・・そう、療養中だった主戦騎手の岡田順平氏が、その治療を終え、愛馬を一目見ようと阪神競馬場へと姿を現したのだ。

 

この動画ではざわめきにかき消され岡田本人の声は確認できないが、当時この場面に立ち会った人によると「騎手に復帰するから待っててくれ」と言っていたそうである。どうやら既にこの頃から脳を焼かれていたようだ

 

レースではそんな相棒に今の実力を見せつけるかのように3、4番手から進めると直線では恐ろしいほどに切れる脚を発揮し、2馬身差の快勝。G1に向けて大きな弾みを付けた。

 

 

そんなセキトバクソウオーの次走は、勿論前年は出走も叶わなかったスプリンターズステークス。

 

追い切りの動きが悪く、やや評価を落としたもののパドックに姿を見せたセキトバクソウオーの様子は好調そのもの。

 

迎えたレースでは好スタートを切ったものの行き足が付かず、中団の内側を進むことに。

 

そして、迎えた第4コーナーにて、セキトバクソウオーは後の時代も右回り巧者と言われる様になった所以の、曲芸じみたコーナリングを披露してみせた。

 

なんと、中山のきついコーナーで最内に突っ込んでおきながら、全く外に振れることなく他馬が振られた分の隙間を縫って、スパートを開始したのである。

 

そして、残り100m地点で後ろから追い込んできたトロットスターと競り合う形となり、そのまま半馬身差抜け出したところがゴール板。タイムは1:06:9。父のサクラバクシンオーの記録したレコードを0秒1上回る超速レコードだった。

 

00年 スプリンターズステークス

 

 

 

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香港ジャック事件       

 

スプリンターズステークスをレコード決着で制したセキトバクソウオー。次なる戦いはスワンステークスかCBC賞かと見られていたが、香港ジョッキークラブ(以下:HKJ)からの招待を受けたことで、次走は12月の香港スプリントへと定められる。

 

同じく香港国際競走への招待を受諾したダイタクヤマト、アグネスデジタル、ステイゴールド、ゼンノエルシド、エイシンプレストンらと共に香港国際空港、そして沙田競馬場へと到着したセキトバクソウオーは特に大きな障害に当たることもなく順調に調整を重ね本番を迎えた。

 

このレースから頭絡を紅白のものに新調して迎えた本番。この年の香港スプリントはG2の格付けながら豪州G1馬ファルヴェロン、アメリカの強豪ニュークリアディベイト等決して低くないレベルの一戦。

 

その本番で、セキトバクソウオーは絶好のスタートを切るも、モーラックとキングオブデインズに先頭を譲り3番手からレースを進め、残り500を切って一瞬他馬の仕掛けに遅れる形でスパートを開始。

 

最後は先行したモーラックと、後ろから差してきたファルヴェロンとの三頭での叩き合いになり、一旦は遅れを取ったものの最後の最後で差し返してゴールイン。

 

香港ヴァーズのステイゴールド、香港マイルのエイシンプレストン、そして香港カップのアグネスデジタルとこの年の香港国際競走は全て日本馬が制した形となり、その模様が中継されていた中山競馬場には大歓声が轟き、その最寄り駅である船橋法典駅では号外も配られた。

 

[画像]当時の号外新聞

 

この記事が書かれた時点で、この香港ジャック事件と呼ばれた日本馬による同一年香港国際競走全制覇から20年以上が経つが、未だその大記録を成し得た年は無い。というか、二度と起こらないレベルの大偉業である。

 

かくして、セキトバクソウオーは01年シーズンを最高の形で終えることになったのだった。

 

 

飛躍の年、そして引退  

 

明けてXX02年、5歳となったセキトバクソウオーは遂に騎手として復活を果たしたジュンペーと再会。この際、岡田と獅童のどちらがよりセキトバクソウオーの主戦に相応しいかという勝負があったそうだが、岡田はこれに勝利。約2年ぶりの相棒の背に跨り高松宮記念へと向かう権利を得た。

 

その本番、返し馬の最中で突如としてセキトバクソウオーが動きを止めるそれなんてゴールドシップ

 

その様を見て「馬を御しきれていない」と映ったのか心無いヤジが飛ぶ。その瞬間、ヤジが相棒を馬鹿にしていると理解したのかセキトバクソウオーが大きく嘶き、スタンドの観客が沈黙した後、一転して拍手と声援が沸くという一幕もあったもののプログラムの進行に支障は無く、予定通りに高松宮記念のスタートは切られた。

 

このレースではセキトバクソウオーは先頭のショウナンカンプを終始マーク。直線に入ると先行していたアドマイヤコジーンも交えての叩き合いに突入。

 

そのアドマイヤコジーンが加速する二頭についていけず脱落していく中、セキトバクソウオーとショウナンカンプは全くお互いに譲らないままゴールイン。

 

写真判定の末、わずかにセキトバクソウオーの鼻先が先にゴールラインを割っており、軍配が上がったのだった。

 

 

このレースの後、今度はロイヤルミーティングの招待を受けたセキトバクソウオーはジュンペーと共にイギリスの地へと飛ぶ。

 

現地では薬物騒動に巻き込まれかけたり、環境の違いに戸惑ったりと流石に香港の時の様には行かなかったようだが、それでも概ね順調に調整を重ねられ、現地G2、キングズスタンドステークスへ出走。

 

しかしこのレース、慣れない環境に戸惑ったか新馬戦以来の出遅れをかましてしまい、更に道中でモグラの穴に脚を取られたセキトバクソウオーは大きくバランスを崩してしまった。

 

その瞬間、まるで別の馬かの様に怒りの声を上げたセキトバクソウオーは暴走。後にジュンペーが「あの瞬間のセキトは、まるでグレンみたいでしたよ」と苦笑いしながら語るほどには彼に印象づける出来事であったが、幸いにして残り200付近で停止、そのまま競走を中止した。

 

 

獣医の診察により軽い捻挫と診断されたセキトバクソウオー、陣営はそのまま欧州遠征を続行する判断を下す。

 

その欧州第二戦目は伝統あるニューマーケットのG1、ジュライカップ。

 

数年前にアグネスワールドも制したこのレースであるが、あちらは欧州にも適正のあるダンジグ産駒であるのに対し、こちらは日本国内で血を繋いできた国産血統。キングズスタンドステークスの結果を受けて果たして適正があるのかと不安視されたものの、セキトバクソウオーは調教で次第に欧州の馬場に適応。これならは行けるかもしれない、とジュンペーは手応えを掴んだという。

 

その本番では、大外発走から今度は絶好のスタート切り、父親であるサクラバクシンオーの様に力強くハナを切って粘り切る作戦を選択。

 

残り100mのところでコンティネントに差され大勢決したと思われたその時、セキトバクソウオーは今まで見せたことのない爆発的な末脚を発揮。

 

コンティネントを力づくで差し切り、G13勝目を海外で飾ったのだった。

 

このレースは、セキトバクソウオーの生涯においてもベストパフォーマンスであるとの呼び声もある。

 

02年 ジュライカップ

 

 

 

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こうして国産血統の身でありながら、大きな価値のある勝ち激寒を手にしたセキトバクソウオーであったが、次走はスプリンターズステークスであろうと予測していた多くのファンの期待を裏切り、次走はなんと約半年後、G1へと格上げされた12月の香港スプリントであった。同時にこれが引退レースであることも発表され、これが現代であったのなら炎上事件へと発展していただろう。

 

実を言うとこの時、セキトバクソウオーは右前足に屈腱炎を発症しており、引退の瀬戸際にあったという。

 

しかし陣営は一か八か現役続行を選択、必死に屈腱炎を治療し、なんとか競馬に使える状態へと持っていった。

 

そんな状態で満足に仕上がるわけもなく、香港スプリントでの仕上がりはジュライカップの時の8割ほど。

 

勝ちに行くのでは無く、無事に走り切れればいい。太島師ですらそうと考えてしまうほどのデキの悪さ。

 

それでも、実際に出走する身である人馬は、勝利を諦めてなどいなかった。

 

好スタートから思い切って後続に差をつける逃げを打ったセキトバクソウオーは、終盤までテンポよく走っていたものの残り150付近でよろけるような仕草を見せ、オールスリルズトゥーとファルヴェロンに抜かれてしまう。

 

しかし、ジュンペーの激しく、力強い扱きに応える様に、力尽きたはずの脚が、再び伸びる。

 

一歩、また一歩と先行する2頭へと着実に忍び寄り。

 

・・・そして。

 

02年 香港スプリント

 

 

 

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その赤い鼻先は、誰より先にゴール板へと届き。

 

 

実況が叫ぶとおりに、世界の最速王が誕生した瞬間であった。

 

 

レース後、屈腱炎の悪化が確認されたセキトバクソウオーは、発表通りにこのレースを最後に引退。

 

翌年、中山競馬場で僚馬マンハッタンカフェとの合同で行われた引退式では号泣するジュンペーを励ましたり、嘶いたりとやりたい放題だったが、それでも夕闇の中山競馬場に響き渡る二頭分の嘶きは、今の時代でも語られる名シーンの一つである。

 

03年 セキトバクソウオー、マンハッタンカフェ 引退式

 

 

 

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変態種牡馬として  

 

競走馬としての戦いを終えたセキトバクソウオーは、故郷マキバファームで種牡馬入りすることになった・・・マキバファーム!?

 

・・・そう、馬飼でも、エックスでもなく、セキトバクソウオーは今時珍しい完全な個人所有種牡馬として故郷へと凱旋したのだ。

 

そんな種牡馬、セキトバクソウオーの産駒はというと。

 

それはもう走った。ついでに赤毛も遺伝した。そして新しい毛色として認められた。詳細は別サイトにて。→「赤毛」をサラブレッド十番目の毛色と認定

 

アーニングインデックス(産駒の勝ち上がり率を表わす数字)が、平均より遥かに高いことが指し示す通りに優秀な種牡馬であり、初年度産駒からNHKマイルカップを勝ったレッドモンスター等を送り出している・・・のだが。

 

問題はその産駒たちの母父。前述のレッドモンスターの母はオグリキャップ産駒であるし、他に初年度の活躍馬であるルビーネイチャの母父はなんとナイスネイチャである。オールドファン大歓喜

 

他にもシリウスシンボリの牝馬からオークス馬シンボリナオスを送り出したり、ニ年目産駒には阪神ジュベナイルフィリーズ等を制したメジロデイジー(母父メジロパーマー)など、今まで人間が築き上げてきた配合理論とは一体何だったのかというレベルで、妙な血統から活躍馬を送り出し続けてみせる。

 

その一方でサンデーサイレンス牝馬との相性が悪く、種牡馬としての優秀さに気がついた馬飼が幾度となくサンデーサイレンスの直仔牝馬を配合したものの、オープン2勝のバーニングキッスや、スティンガーの仔である重賞馬アンペリアルが目立つ程度に終わった。馬飼ざまぁ

 

レッドモンスター以降長らくの間G1を制するような産駒は牝馬に偏っていたが、14年セキトキングオーが皐月賞、NHKマイルカップ、日本ダービーと3つのG1を制しついに後継種牡馬となる。まあ、種牡馬入りしてあまり経たない内にあぼんしちゃったけれど・・・

 

その後は再び牝馬に活躍馬が偏り、種付け料も最大で600万という正に中小牧場の救世主として大活躍。あれ、これどこのお助けボーイ?24年にはミホシンザンの牝馬との間に生まれたバクシンザンが12歳という高齢ながら天皇賞(春)を勝利し、平地G1勝利最高齢記録を塗り替えた。

 

しかしながら20歳を過ぎる頃から体調が安定しなくなり、セキトバクソウオーの体調を優先した結果産駒数は激減。それでも細々と産駒を送り出していたが21年末、牧場に現れたヒグマに追い回されたことが決定打となり一気に衰弱、種牡馬からも引退することが決まった。

 

その翌年の3月22日、25年前にこの世に生を授かったのと同じ日に、セキトバクソウオーは天へと旅立った。

 

早朝、スタッフがセキトバクソウオーの様子を伺おうとしたところ、まるで眠っているかのような穏やかな顔で事切れていたという。二十五歳没。

 

死後も遺された産駒たちの中からスプリンターズステークス、香港スプリント、高松宮記念を制したゴールデンフレイムや、前人未踏のスプリンターズステークス三連覇を含むG17勝を挙げたグレンバクフウオーなど子どもたちが大活躍。日本競馬の血統史に名を刻んだ。

 

その死から一年後のXX23年、関係者による選考により顕彰馬に選出される。

 

 零細血統の救世主  

 

さて、競走馬としても種牡馬としても優秀だったセキトバクソウオーであるが、彼が現代の競馬ファンにまでその名を轟かせているのは、なにもそればかりが理由ではない。

 

というか、妙な血統ばかりから活躍馬を送り出していたのがフラグだったと言わんばかりにセキトバクソウオーの血統は、母の父としてこれでもかと言わんばかりに大爆発した。

 

というか、みんなここが読みたくてこの記事を開いたと思うんだ。ここまで長々と待たせてしまってすまない(‘・ω・`)

 

以下に上げる馬は全て母父セキトバクソウオーの競走馬である。

 

08年産

 

ウェイブキャノン (父ダイタクヤマト)

> 香港スプリント

 

デウスエクスマキナ (父ミホノブルボン)

> ジャパンカップ  天皇賞(春)連覇など

 

カイセイスカイ (父セイウンスカイ)

> ドバイSC QEⅡ世Sなど

 

グランドベンケイ (父スーパークリーク)

> JBCクラシック 東京大賞典 川崎記念 フェブラリーステークス

 

09年産

 

タマモショウグン (父ウインジェネラーレ)

> 有馬記念連覇など

 

オグリサン (父オグリキャップ)

> NHKマイルカップ マイルCS連覇など

 

ヒシラーヴァ (父ヒシアケボノ)

> フェブラリーステークス かしわ記念 JBCスプリントなど

 

10年産

 

ローレルクラウン (父サクラローレル)

> 朝日杯FS 菊花賞など

 

ヤマニンボルケーノ (父ヤマニンゼファー)

> チャンピオンズマイル 安田記念 天皇賞(秋)など

 

ヤエノムソウ (父ヤエノムテキ)

> 天皇賞(秋)など

 

11年産

 

マチカネハツヒノデ (父マチカネフクキタル)

> 全日本2歳優駿 ジャパンダートダービー 帝王賞など

 

ファイヤーダンス (タップダンスシチー)

> 天皇賞(春) 有馬記念など

 

12年産

 

テイエムアカフジ (父テイエムオペラオー)

> 有馬記念 ドバイターフ QEⅡ世S 香港ヴァーズ ドバイSC連覇など

 

メイショウフブキ (父メイショウドトウ)

> ホープフルステークスなど

 

13年生

 

マヤノマーベリック (父マヤノトップガン)

> 中山大障害 中山グランドジャンプなど

 

14年生

 

シロガネテイオー (父トウカイテイオー)

> 皐月賞 ダービー

 

15年生

 

タニノラムレット (父タニノギムレット)

> クラシック三冠

 

ムーンオブデザート (父シルバーチャーム)

> JBCクラシック 川崎記念 フェブラリーステークス ドバイGS かしわ記念

 

21年生

 

ロケットブースター (父カルストンライトオ)

> 高松宮記念 安田記念 スプリンターズステークス マイルCS ドバイターフ

 

デジタライズ (父アグネスデジタル)

> 東京大賞典 大阪杯 かしわ記念 宝塚記念 チャンピオンズマイル

 

 

・・・なんやこの変態種牡馬ァ!!?

 

 

・・・というのもセキトバクソウオー、死後に明かされた関係者の話によれば父としても母父としても、その血を引く馬にはよく「純粋なスピード能力」と「根性」が遺伝していたとのことで、「どんな血統でも一線級が生まれる可能性のある、一発逆転が狙えるタイプ」だったそうである。

 

とはいえ相性の良い相手、悪い相手というのも存在しており、相性が良い相手は「瞬発力で差し切るのが得意なタイプ」、相性が悪い相手は「根性で粘りこみを図るタイプ」だとのこと。

 

特にサンデーサイレンスとの相性の悪さはよく知られており、馬飼の関係者によればセキト×サンデー牝馬の馬はサンデー産駒特有の「気性の荒さ」、「負けん気の強さ」が増幅された結果、期待されながらも故障してしまう馬が多かったという。馬飼ドンマイ

 

しかし1代クッションを挟むとその相性は改善され、母父マンハッタンカフェのグレンバクフウオーや、スペシャルウィークを母父に持つホワットユーウィルなどサンデー系の牝馬からも活躍馬を輩出した。

 

競走成績  

 

通算成績:17戦 12勝(海外:4戦3勝) 2着1回

 

G1 4勝 獲得賞金:4億6,300万+2,280万香港$+51万UK£

 

主な勝鞍

01 スプリンターズステークス(G1

02  高松宮記念(G1

02 ジュライカップ(G1

01 02 香港スプリント(G1

01 京王杯スプリングカップ(G2

01 02 セントウルステークス(G3

01 クリスタルカップ(G3

01 中日スポーツ杯4歳ステークス(G3

 

関連動画  

 

01年 スプリンターズステークス

 

 

 

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02年 高松宮記念

 

 

 

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引退後のセキトバクソウオー

 

 

 

  この動画は現在ご利用できません  

 

 

 

 

血統表  

 

4代血統表の中ではアンジェリカの3×3という圧倒的な存在感を放つクロスが目を引くが、もう1代前まで遡ると、5代前の数カ所でNasrullahがクロスしており、正にスピードの塊といった血統。

 

その配合が父の持っていたスピードを余すことなく引き継いだとも言われるが、マイルですら長いと言わしめたスタミナの無さはその代償といったところだろうか。

 

サクラバクシンオー

サクラユタカオー
テスコボーイPrincely Gift

Suncourt

アンジェリカネヴァービート

スターハイネス

サクラハゴロモノーザンテーストNorthen Dancer

Lady Victoria

クリアアンバー

Ambiopoise

One Clear Call

サクラロッチヒメ

サクラショウリ
パーソロンMilesian

Paleo

シリネラフォルティノ

Shirini

サクラスマイルインターメゾHornbeam

Plaza

アンジェリカ

ネヴァービート

スターハイネス

 

4代内のクロス:アンジェリカ3×3

 

主な産駒  

 

04年生

 

レッドモンスター (母父オグリキャップ)

> NHKマイルカップ スワンステークス

 

ルビーネイチャ (母父ナイスネイチャ)

> オークス三着 愛知杯 阪神牝馬ステークスなど

 

シンボリナオス (母父シリウスシンボリ)

> オークス

 

トクジョウイナリ (母父イナリワン)

> TCKディスタフ 関東オークス

 

シンゲキセイコー (母父ハイセイコー)

> 帝王賞

 

05年生

 

メジロデイジー (母父メジロパーマー)

> 阪神JF 函館2歳ステークス 富士ステークス

 

クィーンズクロス (母父タマモクロス)

> 桜花賞 香港マイル 関屋記念

 

07年生

 

アンペリアル (母父サンデーサイレンス)

> エプソムカップ

 

スパークパッション (母父ジャッジアンジェルーチ)

> ローズステークス

 

ゴールドレース (母父メジロマックイーン)

> 桜花賞 阪神JF マイルCS

 

08年生

 

ナイトオブファイア (母父メジロマックイーン)

> アーリントンカップ 阪神カップ

 

チロリアンランプ (母父Gone west)

> ファルコンステークス NHKマイルカップ

 

09年生

 

ラムバッカス (母父ラムタラ)

>京成杯

 

10年生

 

トムボーイガール (母父エアシャカール)

> シンザン記念 チューリップ賞 桜花賞 エリザベス女王杯

 

セキトクイーン (母父メジロマックイーン)

> フェアリーステークス フィリーズレビュー

 

11年生

 

シャクフウ (母父アイネスフウジン)

> 共同通信杯 スプリングステークス

 

レッドサンダー (母父ミスターシービー)

> ヴィクトリアマイル オークス 秋華賞

 

セキトキングオー (母父メジロマックイーン)

> 皐月賞 NHKマイルカップ ダービー

 

12年生

 

ヒデノチヨヒメ (母父ビワハヤヒデ)

> オークス エリザベス女王杯

 

バクシンザン (母父ミホシンザン)

> 天皇賞(春)

 

16年生

 

スタープロミネンス (母父ディープインパクト)

> フィリーズレビュー NHKマイルカップなど

 

フレアインパクト (母父ディープインパクト)

> きさらぎ賞 札幌記念 中山記念 京都大賞典

 

フォルスホリー (母父メジロマックイーン)

> JBCレディスクラシック

 

17年生

 

ゴールデンフレイム (母父メジロマックイーン)

> スプリンターズステークス 香港スプリント 高松宮記念

 

19年生

 

ミラクルフルーツ (母父メジロマックイーン)

> 桜花賞 秋華賞 エリザベス女王杯

 

20年生

 

ワルツプリンセス (母父マチカネタンホイザ)

> NHKマイルカップ マイルCS

 

ケラススソムニウム (母父メジロマックイーン)

> 牝馬三冠 エリザベス女王杯

 

22年生

 

グレンバクフウオー (母父マンハッタンカフェ)

> スプリンターズステークス三連覇 香港スプリント連覇 アルクォズスプリント 高松宮記念




途中でぶつ切りのようになってしまっていますが、仕様です。作者が力尽きました。

そろそろウマ娘編の準備もせねば・・・。

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