サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
頬を撫でる冷たい風。
一面の銀世界。
放牧地にぽつんと佇む俺、セキトバクソウオー。
サラブレッド牡3歳・・・なのもあと少し。朝日杯の後に倒れたけれど、別に死んでないよ?
ここは笹針の時もお世話になった関東の育成牧場だ。
あの朝日杯の後。馬運車に運び込まれた俺は意識のないまま獣医の診断を受けたらしい。
それで、肝心の診断結果は。
「先生、セキトは助かるんですか!?」
「うーん・・・これは・・・」
「これは!?」
「ただ眠ってるだけですね」
極度の疲労による睡眠。その結果を聞いた瞬間センセイは思い切りずっこけたらしい。
正に泥のように眠った俺はそのまま眠り続け、翌日の昼くらいに目を覚ますとあとはもういつも通り。カイバだって完食。強いていえば新馬戦以来のコズミがピキピキと辛かったくらいだな!
その後なんやかんやまた倒れられては困ると放牧になった俺は、春に備えてゆっくりさせてもらってる。今回は馬体の成長を促す目的もあるらしい。
そうそう。ジュンペーのことなんだけど、アイツもその日の夜には目を覚ましたそうだ。
本当によかった、また一緒にレースに出るのが楽しみだ。
『はぁー・・・ジュンペーが無事で良かったよ』
ジュンペーの無事が確認できたのにほっとし過ぎて、俺は銀世界だという事も忘れて地面に座ろうとした。
『ん・・・ちべたぁいっ!!?』
そして、雪が冷たくて飛び上がった。
その頃、とある病院では。
病室のベッドで上半身を起こした岡田と、その側で椅子に座った太島が向かい合って話をしていた。
「センセイ、セキトは・・・」
「大丈夫だ、今は放牧に出ている」
岡田はほっと胸を撫で下ろした後、暗い顔で言う。
「落馬の後遺症としか言えないそうです。検査しても特に異常はないって・・・」
「ああ」
岡田の言葉に頷く太島。
「医者は完治するかどうかは分からないけれど、投薬治療がある・・・けど、治療に時間が必要だって・・・!」
一時的にしろ引退するにしろ、騎手の仕事を辞めて治療に専念しなさいという医者からの通告。それを受けた岡田は、非常に揺れていた。
「ジュンペー、お前はどうしたいんだ」
渋る岡田に、太島はそう尋ねる。
「・・・セキトとG1、取りたいです。けれど今の僕じゃ、ただの足手まといだ!」
岡田はそう吐き捨てるように言った。すると。
「そうか、じゃあ乗り代わりだな」
太島はそう言って代わりは誰がいいかと思案し始めた。
「!?」
「何を驚いてるんだ。自分から足手まといと言い出す騎手より、結果が出る騎手に変えるのは調教師として当然だ、事情を話せば天馬さんも分かってくれるだろう」
「僕は」
太島の発言に衝撃を受け、しかし大舞台であんな醜態を晒しただけでなく、頭痛に振り回されて跨っていた馬の能力を引き出すことすらできなかったのは紛れもない自分であるという事実は動かせない。
抱えた思いが胸につかえ、岡田自身の言葉を奪う。
「その気持ちが本心なんだろう?かまわん、どうせ誰も聞いてないんだ」
岡田のその様を見た太島は、そっとほほえみながら言った。
「・・・! 僕は、僕は・・・!」
拳を握りしめ、思いの丈を懸命に絞り出す岡田。
太島は急かすことなく、じっと、ずっと、岡田自身の言葉が紡がれるのを待った。
「セキトから、降りたくない・・・」
やがて、岡田の口からぽつりと一つ紡がれた言葉はそのまま糸となって思いを引きずり出したのだった。
「今更なんですけど・・・本当にセキトの背にいるのは僕で良かったんですか?太島センセイなら丘本さんとか、もっとすごい方とも繋がりがあるのに」
思いの果て、最後に紡がれたのはネガティブな言葉であり、それを聞いた太島は大きく息を吐く。
「そういうことじゃないんだがな・・・」
「へ?」
「まあ聞いてくれ、ある冴えないホースマンの昔話だ」
そんな岡田を見かねて、太島は話を始めた。
「オレには親父が二人いる。生みの親父と、もうひとりは、馬主の親父さんだ」
プライベートな場で気を使う必要もないせいか、太島の一人称は普段の粗野なものになっている。
「・・・はい」
太島の言葉に頷く岡田。
「生みの親父にはまあ随分と迷惑をかけたよ。チビの時から馬に触れ合ってたもんだからいつの間にか自然と騎手を目指しててな。それで身長を伸ばしたくなくて、タンスの中で眠ったり、足が大きくならないよう包帯で縛ったり、色々とやった」
「め、滅茶苦茶ですね・・・」
岡田はちょっと引いたように答えたが、太島は飄々とした態度で返した。
「ああ。滅茶苦茶だ。今でこそそう思うが、それだけ昔のオレは必死だったんだろう」
「必死・・・」
岡田は考えていた。果たして落馬後の自分の騎乗は、かつて一つ一つの勝利に飢え、燃えていた頃のように「必死」であったのだろうか。
「それで、馬主の親父さんにはもっと迷惑をかけた」
「えっ!?」
「馬主の親父さんはオレがまだ騎手、それもアンちゃんだった時代、面倒を見てくれたセンセイの所で出会ったんだ」
「センセイのセンセイ、ですか」
「ああ。そこにその時一頭だけ馬を預けていたのが馬主の親父だ」
「サクラ」の冠で知られるそのオーナーは、外国人であった。しかし日本に少しでも馴染めるようにと日本人に馴染み深い桜の名を会社に付け、そこから馬の冠名としたと言う。生前重用していた太島に迷惑がかかるなら日本に帰化すると言い切ったことも有名であった。
「親父は自分の馬をほとんどオレに託してくれたんだ。イワイ、ショウリ、ユタカオー・・・みんないい馬だった。乗ってたのがオレじゃなかったらもっと勝っていたかもしれないくらいにな」
「そんなのタラレバですよ」
「そうかもしれん、ただ、その頃のオレは調子に乗って、取り返しのつかないバカをやった」
岡田のセリフに軽く笑った後、太島は真面目な顔になって言った。
「今でも後悔している・・・オレは、親父を裏切って別の馬主さんに付いたんだ。そして、その時乗っていた親父の馬の主戦を降りたんだが・・・その馬が、サクラスターオーだ」
「サクラスターオーってあの二冠馬の!?」
「そうだ。それからしばらくして親父と復縁できたが、その時にはスターオーはいなくなっていた。せめて子供には乗りたかったが・・・仕方ないな」
懐かしむような、惜しむような、そんな表情を太島は見せる。
「そんな・・・」
「タラレバっていったのはお前だぞ。それからも親父はチヨノオーやホクトオー、チトセオーと沢山のサクラ軍団の手綱を任せてくれた」
岡田の発言を揶揄りつつも、太島は更に続けた。
「それから数年が経って・・・親父が亡くなった。その時、スプリンターズステークスで乗ることになった馬が、バクシンオーだったんだ」
「セキトの父親ですね」
「ああ。あの時はもう必死も必死だった。何としても勝つんだ、親父に勝利を届けるんだってな。結果は勿論並み居る強豪を抑えて1着だ」
「それから騎手を引退して、調教師になって、バクシンオーとスターオーの妹の仔がウチにやってくるって聞いたときはどんな運命の巡り合わせだと思ったよ」
「それが、セキトバクソウオー・・・」
セキトは父のサクラバクシンオーのみならず、父父ユタカオー、父母ハゴロモ、母ロッチヒメ、母父ショウリ、そして母母スマイルと6頭もサクラと名のついた馬の血を引いている。
太島にとっては何が何でもG1を取らせたい馬であると言っても過言ではないだろう。
「そうだ。それがもしかしたら重賞を、下手をすればG1を取れるかもしれない力を見せてくれたんだ。こっちとしても自然に力が入る」
「そんな大事な馬を、僕は走らせることができなかったんですよ・・・!」
「岡田、そんなに気負うな。セキトが死んだわけでも無いし、人は誰かに迷惑をかけなきゃ成長できな・・・聞いてないな」
昔話を終えた太島は、今度は後悔で俯く岡田を見ながら語り始める。
「確か調教師になったばかりの頃だったな。西に遠征した時に、馬に乗れない騎手がいるって聞いたのは」
太島の言葉に岡田がピクリと反応した。
「しかもそれがアンちゃんだとかじゃなく、G1を取ったこともある奴だって聞いて驚いたもんだよ、一体どうしたんだって。落馬だと知って納得したが」
「・・・僕のことですよね?」
わざと「誰か」に聞かせるようにセリフを選んだ太島を、岡田は軽く睨む。
「さあな?でだ。その時オレは思い出したんだ。誰の言葉だったか『調教師ってのは馬だけじゃなく、人も育てなきゃならない』って言葉を」
「人、も?」
岡田が意外そうな顔をしたのが面白かったのか、太島は「くく」と少し笑ってから続けた。
「ああ。馬ばかりに集中するのも悪くないが、騎手だって、助手だって・・・厩務員だってそうだ。極論ではあるが皆が皆、一人の優秀な人材に集中して、他の奴に同じことができないからって何も教えなかったらどうなるか分かるか、ジュンペー」
「・・・!その人が引退した時に・・・!」
その事態を想像した岡田の表情に、太島は力強く頷いた。
「そうだ。そうならないためにも、常に人も馬も育てるのが調教師という仕事なんだとオレは思っている」
太島の信念は理解したが、同時に岡田は一つの疑問を投げかけた。それは今までずっと疑問に思いながら、答えが恐ろしくて聞けていなかったこと。
「そ、そうだとして・・・なんで僕だったんですか?僕みたいな手綱もろくに握れなかった、騎手として終わる寸前だった僕を、その、拾って、くれたんですか?他に新人だっていたのに」
これから先、いくらでも伸びる可能性を秘めた新人では無く
何故落馬の後遺症でボロボロになった自分だったのか。
「・・・恩返し、のつもりかもしれんな」
「恩、返し?」
ぽかんとした表情になる岡田。太島は空を見る。
そして目を閉じれば、あの日。関西の競馬場で大差のシンガリに敗れた岡田に話しかけた時を思い出す。
検量室の片隅で捨てられた人形のようになっていた一人の男を見て、なぜだか声をかけられずにはいなかった。
『おい、そこの年食った元アンちゃん。家に来い』
『え、へっ、僕・・・ですか!?』
『アンタ以外に誰がいるんだ。オレは太島昇。美浦で調教師をやってる、開業したばかりで人が足りないんだ』
『太島さん・・・調教師!?』
『ああ。家に来たら、攻め馬はやらせてやるし、朝昼晩、3食塩むすびぐらいは出してやれる。で、どうする』
『え、えっと。僕、馬に乗ると体が震えて頭痛が起きるんですけど・・・』
『なんだ、優柔不断だな。オレが聞いてるのは来るのか、来ないのかだ。今ここで、すぐに。ハッキリさせるんだ』
『あ・・・い、行きます!行かせてもらいます!僕は岡田順平です!よろしくお願いします!』
もうだいぶ前になるんだよな。と思い起こしながらも目を開けて、岡田を見やった。その時と比べたら、今の顔は随分と生き生きしている。
まさか、西の騎手であったことを知らずに誘ったために所属変更させることになっていたと知ったときは流石に悪いことをしたと思ったものだが、やはり間違いではなかったと太島は頷いた。
「大変なものを抱えた手の掛かる奴を立派にして、世話を焼かせた親父たちに報いたいのかもしれない。と今思ったんだ」
「今ですか!?」
岡田はその発言に、柄にもなく思わずツッコミを入れてしまう。
「今だな。というか今までなんでお前を拾ったかなんて考えたこともなかった」
「考えたことも!?」
「あの時ピンと来たんだよ。拾うなら、こいつだって」
「そんな、犬か猫みたいな」
ああ。なんてことだ。数年間ずっと悩んでいた自分が情けなくなってきた、と呆れたように肩を落とす岡田に、太島は額を掻く。
「しょうがないだろ、本当にピンと来たんだ。何が起きてもお前は手放さない。それに」
そのまま椅子から立ち上がり、窓を開けながら言い放つ。
「一度終わったって思われた奴が復活した方が、面白いだろう?」
「復活・・・復活か」
その言葉を聞いて岡田は何かハッとしたようだった。太島もそんな岡田を見て頷く。闇を吹き消す様に心と頬に冷たい、すっきりした風が吹き抜けていった。
「待ってるぞ、ジュンペー。オレ以上に、セキトだって待ってる」
「セキトが・・・」
「一緒にG1、取りたいんだろう?」
「はい」
太島の問に、岡田はまっすぐに答えた。
「だったら尚更だ。今からなら、4歳は無理でも古馬になってからなら間に合うかもしれん」
「センセイ!それは・・・」
「大丈夫だ。いない間に除名したり、急かすなんてことはしない。ただ、ひたすらに待つ。もしお前が戻ってこなくても、引退のその時までな」
太島の眼差しはまっすぐに岡田を見据えていた。
嘘はつかない。そう宣言するような強さのそれを見た岡田は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「その間、セキトは乗り替わりだな。もしかしたらお前が戻ってくる前に引退するかもしれんが」
「間に合わせるように・・・いや、間に合わせてみせます!!」
「よし!よく言った!」
力強い言葉を聞いた太島は、右手で岡田の背中をばしんと叩いた。
「行って来い、ジュンペー。そして、必ずセキトのところに帰ってこい」
「はい!」
岡田の瞳は、太島が病室を訪れた時の影は跡形もなく消え去り、新たな目標を見つけたことで輝いていた。
自らを蝕む病を打ち払って、100%の力で赤き駿馬と直線を駆け抜ける。そんな目標が。
迷いは、もう無い。
そして、約2ヶ月後。
『ジュンペー、あれ?ジュンペー!どこだー?』
「ああ、ジュンペーを探してるのか。残念だが・・・彼は少なくとも半年は帰ってこないぞ」
『ふぁ!?』
4歳になり帰厩し、調教に赴こうとしたセキトに告げられたのは、突然の宣告だった。
ジュンペー、しばしの別れ。果たして乗り代わりは誰になるのか。
次回更新は月曜日22:00予定です。