サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
ジュンペーブーストの効果をご覧あれ。
阪神競馬場、第15回セントウルステークス(G3)。
俺が出走するこのレース、正直ダイタクヤマト以外に強敵の存在もなく、油断さえしなければ悪い結果にはならないだろうと感じていた。
人間から見れば安牌、俺から見れば少し本気を出せばほぼ連対は固いつまらないレース。
そう思っていた俺にとって、ジュンペーとの思わぬ再会は正に点火剤。闘志の炎を機関車の様に燃やして鼻をふんすふんすと鳴らしながら、もう誰も俺を止められねぇぞと地下馬道を突き進む。
その道すがら。
『若いねぇ。あの人は君の大切な人なのかい?』
いつの間にやら隣を歩いていた、なんの変哲もない鹿毛の誘導馬がそう話しかけてきた。声色からして人間で言うなら40から50くらいの話好きのおじちゃんって感じか?
ゆったりと歩みを進めながらも、その様からは俺を気遣うような素振りも伺える・・・気遣う?
っと、ジュンペーに会えたからか少々興奮しすぎていたな。いけないいけない。
ふと背中を見やれば、俺が冷静さを取り戻したのがわかったのか獅童さんが誘導馬に乗ったスタッフさんに「すみません」とお礼を言っていた。
これも、誘導馬の仕事の一つ。冷静さを欠いた競走馬の側で落ち着いた振る舞いをすることで、群れで行動する生き物である馬の本能によって落ち着きを取り戻すのだという。
・・・ん?つまり俺は冷静さを欠いている、と判断された訳か?古馬にもなってこれは流石に恥ずかしいな・・・。
そうは思いつつも、赤くなった顔を誤魔化すように首を振ってから誘導馬に答えた。
『ああ、俺の相棒なんだ』
『良いねぇ。おじちゃんにもそういう時期があったんだけどねぇ』
彼・・・いや、こういう馬って去勢されることが殆どだから彼と言うには怪しいかもしれないが・・・とにかく誘導馬のおっさんは歩みを進めながらも、懐かしそうに遠くを見る。
『そんなに大切な人なんだねぇ、どうせならいいとこ見せちゃいなよ。ねえ・・・セキトバクソウオー君?』
『言われなくても!』
ゼッケンにチラリと目をやってから俺の名前を呼ぶ誘導馬・・・って今カンニングしただろ、絶対に。
だが、そんなことがあっても励まされたこと自体は事実だ。俄然気合が入るが、あくまでも冷静に行こう。
俺はこのレースを終えた後・・・またG1に挑むんだ、気合が空回りして負けました、なんて冗談にもならないからな。
やがて、光が射している地下馬道の出口が見えてきた。
その向こうにあるのは、これから走り抜けるコースと、今日この場に駆けつけたお客さんたち。きっとその中に、ジュンペーの姿もあることだろう。
レースレベルが低かろうがなんだろうが、もうなんだっていい。お前が離れていた2年間、こう成長したんだぞとジュンペーに見せつける為に、俺は芝コースへと飛び出した。
『本日の天候は晴れ、馬場は良馬場と絶好のコンディションが発表されています』
「ものすごい気合いだ・・・」
今日の阪神競馬場が絶好の競馬日和であることを告げるアナウンスを聞きながら、獅童は自らが跨がる馬・・・セキトバクソウオーの手綱から伝わる手応えに畏怖さえ覚えていた。
最初、パドックで騎乗した時に感じたのはだらけた様な雰囲気。前回から3ヶ月以上も開けばこうなってしまうのも仕方ないとは納得しつつ、馬体は仕上がっている分勿体無いなとは思っていた程で。
それが突如として何かを探すように落ち着きを無くし、鳴きだした時は何か異常が発生したのかとすら思えたが、歩様自体はしっかりしているし、どうも身体の不調ではない。
一体どうしたのかとセキトを落ち着かせようとした瞬間、彼は地下馬道へ進ませようとする自分と厩務員の指示を振り切ってフェンスの際まで駆け寄ってから再び嘶いた。
その声に応えるようにして現れた、一人の人物を見て「まさか」と口からそうこぼれたのも無理はない。
その男は、岡田順平。
セキトバクソウオーの『主戦』ジョッキーである。
「・・・年内一杯、か」
返し馬でセキトを走らせながら、獅童はそう呟く。
最初から、そういう話だった。
太島との話の中、この馬に乗るに当たって幾つかの注意点を述べられたが、その中の一つに、『乗って欲しいのはジュンペーが復帰するまでの期間』という条件が付けられていた。
当時は有力馬に乗れれば何でもいいと思っていた筈の自分が、いざパドックに現れたジュンペーによって自身があくまで代理の存在であるとの認識を思い出すまでそれを忘れていたことに気づき。
一体いつからセキトバクソウオーの主戦になったつもりだったんだと苦笑する。
先程のパドック、彼は確かに「来年の2月に復帰する」と、そう宣言した。
恐らく彼は、騎手免許試験を受けるのだろう。全てのジョッキーが、ジョッキーであるために年に一度受けなければならない試験を。
筆記試験、健康診断、そして実技と3つの科目で騎手としての知識を、身体を、そして実力を求められるそれは、生半可なものではない。
しかし、もしも。もしもジュンペーがそれに合格したならば、自分はお役御免。
それが交わした時から決まっていた、約束だから。
「・・・せめて、爪痕を残そうかな」
『あん?どうしたんだよ獅童さん』
「なんでもないよ。バクソウオー・・・ここも、その次も、絶対に勝とう」
『おうよ!』
こちらを振り返り、心配するような仕草を見せたセキトに語りかけながら、獅童は彼の初G1制覇を飾るジョッキーとなるのは自分だと改めて決意し、愛馬をスタート地点へと走らせた。
『最後に大外14番ノボリユキオー、今収まりまして体制完了』
バックストレッチの真ん中程に集まった出走馬14頭。俺も含めてその全員が何事もなくゲートへと収まって、今まさにスタートを迎えようとしている。
今日は出たなりでレースを進めるそうだが、前に行く強い馬が多いから、そいつらの動きを見れる場所に行きたいな。
その為にも、集中だ。
『・・・スタートしましたッ!絶好のスタート、ポーンと飛び出していきましたのは8番テネシーガール、それに並ぶようにしてカルストンライトオ、ダイタクヤマト、それとセキトバクソウオーがついていきました、有力馬が前に固まる形』
ゲートが開いた瞬間、華やかな栗毛の馬体が一歩前を進むのが見えた。テネシーガールちゃんだ。テンの良さを生かし、他の奴らを引っ張るようにしてぐんぐんと前に出ていく。
『逃がしません!』
『おっと!させないよ!』
『やっぱりお前らも来たか!』
しかし彼女の逃げ切りを許しはしないぞとカルストンライトオとダイタクヤマト、そして俺もそれについていく形に。
『その後フレンチパッション、オーソリティー、ノボリユキオー、ロードキーロフと固まって、その外オルカインパルス、並ぶようにしてクルーピアスター、更にその外ジョーディシラオキ』
『・・・存外ペースが上がらねぇな』
最初の200mをすぎた。下り坂を意識したのか、キツくはないが、楽でもない・・・スプリント戦においては前残りの流れがぷんぷんする。これは後ろに控えた連中はあまり気にしなくていいかな。
・・・と、前を行くテネシーガールちゃんが少しスピードを上げた。置いて行かれないようにせねば、とこちらも足の回転を少し早める。
『少し離されましてサンライズアトラス、シュウタイセイ、2馬身ほど離れた殿にヴィエントシチーです』
もうじき3コーナーのカーブ・・・もう最後方辺りを走っている連中は馬券圏内も難しいだろう。
俺は勿論ピッチ走法で、全く膨らむことなくカーブを曲がっていく。さあ、勝負所だ。
もう、いつ、誰が、どんな仕掛けをしてもおかしくないエリア。
『っ!ここ!』
4コーナーに差し掛かるあたり、真っ先に動いたのは真っ向勝負を選んだダイタクヤマトだった。
流石G1馬。その走りには迫力があり、テネシーガールちゃんとの差をグイグイと詰めていく。
『あ!クソっ!』
それに一歩遅れる形でカルストンライトオも加速し、先頭争いに加わっていった。
『獅童さん!?』
だが、俺の鞍上は、山のように動かない。
「バクソウオー、もうちょっと、我慢だよ。嫌な予感がする」
そう言いながらも先頭のテネシーガールちゃんの様子を伺っているのが、気配で分かった。
『テネシーガールちゃん?あんだけぶっ飛ばしてたら・・・』
直線でバテるだろう、と続く筈の言葉は、先を走る彼女の様子が視界に入った瞬間喉の奥に引っ込んだ。
だって、テネシーガールちゃんは早めのスパートをかけ、必死に迫る牡馬二頭を見ながらしてやったりと言わんばかりに口角を三日月状に釣り上げていたから。
『第4コーナーのカーブ、先頭変わらずテネシーガール、2番手にはカルストンライトオ、並ぶようにしてダイタクヤマトも上がっていく!セキトバクソウオーは置いて行かれたか!?』
『はああああ!』
『うりゃああああ!』
ダイタクヤマトも、カルストンライトオも、この時まではきっと『行ける』と確信していたことだろう。
確かに最初の1ハロンこそ12秒台で流れ、スローの流れを意識させられた。きっと2頭と、その鞍上もそうだったのだろう。
しかし、その後。テネシーガールちゃんが作り出した直線に至るまでの3ハロンは。
全て10秒から11秒台のハイペースに収まっていた。
直線に入り、ダイタクヤマトとカルストンライトオに先頭を奪われるか奪われないか、そこまで詰め寄られたところで。
『かかったわね!』
テネシーガールちゃんは悪役のようなセリフを放ちながら、想定外・・・いや、彼女にとっては作戦通りのもう一伸びをみせた。
死んだフリ作戦、とでも言うべきその策略は見事という他ない。
『んなっ!?』『やられた!』と驚いてももう遅い。
捉えきれると踏んで早仕掛けをした彼らにテネシーガールちゃんを捉えられるだけの脚はもう無いだろう。
だが、俺は違うぞ?
『いつでも行けるぜ、獅童さん!』
ここまで溜めに溜めた脚は、余裕たっぷり。とは言え獅童さんがテネシーガールちゃんの狙いに気づかなかったら危ないところだった。
そんな頼りになる彼が、手綱をしごき出し、鞭を構えた。
「・・・いくよっ!」
『ああ!』
パンッ!と乾いた一音が、ターフに響く。
それは俺のトモに打たれた鞭から発せられたもの。だが、他馬にとってそれは阪神競馬場の直線350mに赤い弾丸を放つ撃鉄の音にも思えただろう。
『よ・・・っと!!』
俺は既にコーナーで走り方をピッチ走法に切り替えていた。そのまま最高速まで加速し、今度は上体を沈め、四肢を伸びるところまで伸ばして。
その瞬間、観客席から見守っているであろうジュンペーの顔が浮かんだ。
そういえば、今や俺の代名詞的になっているこの走りも、ジュンペーが乗っている時には使えなかったんだよな、と思い出す。
俺はスタンドに目を向けてから、心の中で叫ぶ。
『(ジュンペー、よく見てろ。これが・・・俺が、勝つ為に生み出した走法だ!!)』
残り250位、先頭まではおよそ3馬身。
普通なら、どれほど凄い足を発揮し、差し切れたとしてもハナ差かアタマ差くらいだろうか?
ならば。
『後は・・・ぶっこ抜くだけだああああ!!』
俺は、1馬身差つけてやる。
『セキトバクソウオー4番手!セキトバクソウオーは4番手!これは少し苦しいか!先頭を行くのはテネシーガール!テネシーガールが粘り込む!』
『はぁ、はぁ・・・どう?私はもう伸びないけど、あなたたちもそうでしょう?』
『ぐうぅ・・・やられた・・・』
『どうにか・・・あと一伸び・・・!』
残り250、テネシーガール陣営の仕掛けた作戦によって先頭を行く3頭は皆余力を無くし、後は気持ちの切れた者から脱落する構図が出来上がっていた。
しかし、ゴールまで後250mという事実は、3頭にとって何より強い励ましであった。その時他の2頭より一歩でも、クビだけでも・・・1cmだけでも。
とにかくほんの僅かだけでも、他の2頭より前にいられれば自分の勝ちなのたから、と。決して己の脚を緩めない。
三者ともに全く譲らず、しかし、残り200を過ぎて。
『・・・かはっ!』
『カルストンライトオ少々遅れたか!』
真っ先に音を上げたのは、3歳のカルストンライトオだった。その明暗を分けた差は、経験か、はたまた仕上がりか。
『カルストンライトオはここまでか!先頭テネシーガール、ダイタクヤマトが競り合って激しい争いになった!』
ここまでよくやったよと言わんばかりの年上に2頭の目線に見送られ、カルストンライトオは競り合いから一歩、二歩と下がっていく。
『次は・・・!次こそは、負けない・・・!』
しかし、涙ぐみながらも、睨みつけるように前を見るその眼差しには、後に大仕事をするだけの輝きが確かに秘められていた。
残り150。
最早優勝争いは先頭のテネシーガールと、ダイタクヤマトのどちらかに絞られたと誰しもが感じていたその時だった。
『このままいけば・・・ッ!?』
優勝を確信していたテネシーガールの耳が、ダイタクヤマトの更に外から、何者かが駆け上がってくる足音を捉える。
『先頭変わらない!譲らない!テネシーガール!二番手に追いすがるのはダイタクヤマト・・・っとぉ!?外から!更に外から一頭上がって来たぞ!?』
『は・・・あははっ!やっぱり来たか!そうでなくっちゃね!』
ダイタクヤマトも、その第三者の到来に気が付き、自分が期待していたとおりだと笑う。
その正体とは、勿論。
『一番人気、セキトバクソウオーだああああ!!』
『待たせたなあぁぁァァッ!!』
我らがセキトバクソウオーである。
『セキトバクソウオー!しゅっ・・・凄い脚!届くか!とど、届くか!』
思わぬ追い上げに実況者も興奮し、我を失いながらもその仕事を全うしようと必死に舌を回す。
『負けないわよ!』
『さあ、勝負だ!』
テネシーガールも、ダイタクヤマトも。それぞれがセキトバクソウオーを迎え撃とうと、最後の粘りを見せようとした瞬間。
『・・・悪いな、脚色が全然違う』
その一言だけを残して、一瞬の内に風が吹き抜けていった。
『えっ・・・』
『消えた・・・!?』
競り合おうとしていた筈のセキトバクソウオーが消えた。
『一体どこに・・・なっ・・・!?』
『あ・・・!?は・・・!?』
二頭はそのことに戸惑い、あちこちを探し、ようやくその視界に標的を見つけた時、声にならない程酷く驚嘆する。
『届いた!届いた!届いてしまった!何ということだ!何という脚だ!セキトバクソウオー先頭だ!』
何故ならばそのセキトバクソウオーは、とっくに二頭の前を走っていたのだから。
そして、懸命に追うもその差は縮まることはなく。
『セキトバクソウオー!圧勝!完勝!2馬身差ゴールイーン!!』
そのまま力の差を見せつけるように、赤い馬体が悠々とアルファベットのHを象ったゴール板を駆け抜けていったのだった。
・今回の被害馬
・テネシーガール 牝 栗毛
父 Pine Bluff
母 Java Magic
母父 Java Gold
・被害ポイント
セントウルステークス優勝→2着
・史実戦績
23戦4勝
主な勝ち鞍
ファンタジーステークス(G3)
セントウルステークス(G3)
・史実解説
アメリカ生まれの牝馬で、快速の逃げ足を武器に活躍した。
デビュー戦は1999年7月11日の函館芝1200mだったが、4着に敗れている。
その後連闘で2回目の新馬戦、芝1000mに挑み初勝利を収めた。
函館3歳ステークス2着、ききょうステークス5着、もみじステークス2着と堅実な成績を残し、挑んだ6戦目のG3、ファンタジーステークスで初重賞勝利。
年内ラストレースとして阪神3歳牝馬ステークスにも出走、ヤマカツスズランの5着とまずまずの戦績で3歳を終えた。
翌年はマル外である為当時の規則で桜花賞、オークスに出走できないことと、蹄に問題を抱えていたことから春は休養に当てられる。
復帰戦は6月のG3中日スポーツ杯4歳ステークスだったが、久々が祟ったか12着と二桁着順に惨敗してしまった。
次のオープン戦、札幌日刊スポーツ杯では2着のシンボリスウォードに2馬身差をつけて快勝。
しかしG3セントウルステークスでは12着、G2スワンステークスも15着と古馬相手の重賞ではイマイチ足らない。
オープン、アンドロメダステークスも2着に破れ、早熟ではないことを証明はしたがG2、CBC賞は9着。
年が明け、再びオープンに戻っての淀短距離ステークスは2着とし、G3シルクロードステークスは9着。
ところが次のレースとして選ばれた大舞台、高松宮記念。
ここで最低の16番人気でありながら3着と好走。
オープンのUHB杯、G3函館スプリントステークスはそれぞれ5着、4着。
その次のレース、G3セントウルステークスではスタートから先手を取ると、G1馬ダイタクヤマトや、後の快速王カルストンライトオを相手にそのまま逃げ勝ってしまった。
これが最後の勝利となり、以降スプリンターズステークス、福島民友カップ、CBC賞、高松宮記念と大舞台に挑戦し続けたがいずれも二桁着順に終わり、その高松宮記念を最後に引退、繁殖入りとなった。
引退後はアメリカに渡り、現地の種牡馬と配合されていたが、2008年に帰国、以降は北海道で繁殖生活を過ごしていた。
しかしその2008年にメダグリアドーロの牝馬(エーシンメンフィス)を出産後に蹄葉炎を発症。
アグネスタキオンとの仔を授かっていたが死産に終わり、療養生活に入ったが、治療の甲斐なく2010年7月23日、13歳の若さで死亡した。
母としては4頭の仔を残したがすべて牝馬であり、末娘のエーシンメンフィスが2012年の愛知杯を制し重賞ウイナーとなった。
母系はステイゴールドやコントレイルと同じ系統に属しており、再びの大物輩出も期待できるだろう。
・代表産駒
エーシンメンフィス 牝 (父 Medaglia d'Oro)
17戦5勝 主な勝ち鞍 愛知杯(G3)