サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
生き物である以上、どうしてもこういった事故は避けられませんが、悲しいニュースの度に管理の難しさと言うのを痛感します。
オークス三冠を制した豪脚の名牝に、哀悼の意を表します。
セントウルステークスから数日。滞在厩舎である程度疲労を癒やした俺は、阪神競馬場から再びの長旅を終え、懐かしい・・・ってほどでもないが、久しぶりに美浦トレセンの地を踏んでいた。
いやあ、負かした二頭に『なんであんな速いのよ!完全に想定外じゃない!』とか、『是非作戦を教えてほしいな?』とか言い寄られて大変だった。お陰であんまり疲れが取れなかったし。
『ふぃー・・・疲れた疲れたっと・・・』
「お疲れ様ー」
『お、馬口さん』
馬運車から降りる時に引き手を握っていたのが馬口さんで、ようやくいつもの通りに戻ったと安堵する。
疲れ気味の身体で少しの距離を歩いて厩舎に入れば、何ヶ月ぶりかの自分の馬房が待っていた。
『おー、ここだよここ、うん』
心なしか厚めに敷かれた寝藁をガサガサと掻き分けて、脚を折ってくつろぐ。さっきも言ったけど、レースの疲れが抜けてねぇんだよ。
「あー・・・やっぱ疲れちゃってるか、間に合うかなぁ・・・」
頭上から、困ったような馬口さんの声がした。
間に合うか、というのは十中八九スプリンターズステークスの事だろう。
恐らく太島センセイはセントウルステークスを叩きに大舞台に向かうつもりだった。
ところがその叩き台でジュンペーが現れて、張り切った俺が想定以上に全力を出してしまったからな。
まあ、今みたいな感じで全力でリラックスさせて頂ければ、数日でほぼ元通りになりますけどね!
「お、帰ってきてたか」
「センセイ」
そこに太島センセイ登場。珍しくスーツを着込んでいて、どこかに出かけていたようだ。
『その格好は何なんだ?』
それが気になったもんだから、寝藁のベッドから起き上がってセンセイに顔を寄せる。あーあ、ゴロゴロしたのは俺だけど、身体が藁まみれだ。
そんな俺の顔を優しく撫でながら、センセイは言った。
「来年の2歳を一頭・・・お前の妹分を預かることになったから見に行ってたんだ」
妹分・・・?
はて、と首を傾げかけたところで思い出した。
あのマックイーンの仔の仔馬ちゃんか!
それにしてもあの子も、もう一歳の9月か。一年間も会っていないし、その間に随分大きくなったろうなぁ。
なんて考えていたら、センセイがふと呟いた。
「虚弱体質とは聞いてたが、いや、まさかああ来るとは・・・マックイーン産駒らしいというか」
ん?センセイ、なんか言ってません?マックイーン産駒らしい?どういうこっちゃ。
ぶもぶもと鼻を鳴らして話の続きを要求したが、軽くあしらわれる。あぁん。
「お前は気にしなくて大丈夫だ・・・それと天馬さんから聞いたが、あいつとは放牧中に仲良くなったんだって?良かったな、来年はまた一緒だ」
あっ、この人俺の知らないところで朱美ちゃんと会っていただと!?俺なんか奇跡的に朱美ちゃんの都合や予定と被りまくりでここ数か月会えていないのになんかずるい。前掻きで、あんたばっかりずるいぞと抗議する。
「なんだなんだ、腹が減ったのか?」
するとセンセイはどこからかカットされたニンジンを取り出して、俺の口元に差し出してきた。
いや、違うそうじゃない・・・けどニンジンおいしいです。
・・・ともかく。有耶無耶にされた気もするけど、来年は仔馬ちゃんもここにやってくるとは。
ニンジンをぼりぼりと齧りながらまた随分と賑やかになりそうだなと思っていると。
『あれ、先輩だ!おかえりなさーい』
『おっ』
右隣の馬房からマンハッタンカフェが顔を出した。帰厩のタイミングが合ってたのか。相変わらず真っ黒で、不意を突かれると少々驚いてしまう。
っと、馬体は・・・うんうん、しっかり戻ったみたいだ。というか寧ろ前より筋肉付いてないか?重戦車のような迫力がある。
『そうだ!先輩!ボク、おーぷんくらす?ってのになったんです!』
『おお、やるじゃねえか!おめでとう』
『えへへ』
史実でもそうだったとはいえ、古馬相手の2連勝は立派なものだ。その実績を素直に称える。
しかし俺を先輩と慕うその懐っこさも、どこか気弱そうな雰囲気も、最後に顔を合わせた半年前とあまり変わっていな・・・ん?
あれ、どこか、何となく。
『んー・・・?マンハッタンカフェ?お前、ちょっと何かあったか?』
『え?・・・何かって、特に何もありませんでしたよ?』
眼差しや声色、ふとした仕草なんかにほんの少しだけ大人びたような雰囲気を感じたのは、気のせいだろうか?
『・・・話は済んだか』
『よう、イーグルカフェ、お前もいたんだな』
今度は左隣から、なんの模様もない見慣れた鹿毛の頭が出てきた。こっちもタイミングが合っていたみたいだ。
『どうだ、勝てたか?』
『生憎、もう少しのところではあるのだが』
念願の勝利は得られたのかと尋ねれば、この間走ったレースが惜しい3着であったと教えてくれた。
・・・俺は知ってるぞ。史実通りならお前の言う惜しい3着が、勝ち馬から4馬身離されていた、ということを。
一見すましたような顔をしているが、よくよく見れば奥歯をぎりりと噛んで悔しがっている辺り、隠しきれていないし。
これは、あれだ。男のプライドという奴。例え知っていたとしても指摘しちゃいけない暗黙のルールがある。
ここは俺もそれに則って、イーグルカフェを立ててやるとしよう。
『そっか。ま、頑張れよ』
『・・・うむ』
その返事には微妙に間が空いていたが、それも気にしないことにした。
しかし、こうして3頭揃うなんて一体いつぶりだろうか。
マンハッタンカフェが昨年の夏に入厩して来て、その後一ヶ月くらいですぐに俺がセントウルステークスに出走して骨折。
それが開けて直接中山に入厩した春先は、たまたまマンハッタンカフェと一緒になったが、今度はあっちがそのまま滞在からの放牧になっちまったからな。
その後、ようやくと言った感じでイーグルカフェと会えたが・・・うん、だいぶ心配をかけてしまっていた。
その時間ももほんの僅かで、あっという間にイーグルカフェが競馬場に行ってしまったし、それと同時期に俺も吉里ステーブルへ預けられたんだったな。
こうして考えると・・・昨年の夏以来だと!?
大本の原因の一つは俺の故障だろうが、やはり競走馬というのは日本全国津々浦々、常にどこかを駆け巡っているものなんだなぁ。
『それにしても、こうして我々が揃うのは随分と久しいな』
イーグルカフェもそう思ってくれていたようだ。
『ああ、色々あったな・・・』
『ぬ、集えなかったのは貴様の故障のせいもあろうが』
『むぐ』
『そうそう、先輩が脚を折ったって聞いたときはもうダメだと思ったんですからね!』
『うぐぅ』
遠い目をしながらそれっぽく話せば、骨折だって過去のことになるかと思ったのに、二頭がジト目で見てきて許してくれなかったです、はい。
その空気に耐えられなくなって、堪らず俺は話題の方向転換を図る。
『そ、そういえばお前ら、次のレースは決まってるのか?』
『む・・・何やら話題を逸らされたような気もするが・・・まあいい。世話係らの話通りならば吾輩は栄光の地にて、毎日王冠とやらの競走に出るそうだ』
俺の狙いに気が付きながらも、イーグルカフェは提案した話題に乗ってきてくれた。なるほど、こいつは毎日王冠か。
『あ、えっと・・・ボクは確か、セントライト記念、からのきっかしょーってセンセイが言ってました』
それに追従するようにマンハッタンカフェもそう話す。こちらは出走権を確保して最後の一冠を取りに行くローテだな。
そうか、と返事をすれば、『先輩はどうなんです?』とマンハッタンカフェが尋ねてくる。
『俺は・・・スプリンターズステークスに出るだろうな。んで、勝ってくる』
『スプリンターズステークス・・・か、何やら最速の者が集う競走と聞いた。それを勝つとは、なかなか大きく出たな』
俺の発言を聞いたイーグルカフェが、どこからか得た知識で、簡単には行かないぞと言いたげに声を上げる。
『ああ、なんたって、本当なら去年も出てたはずのレースだからな』
右回りでスプリントの芝、それが俺にとってのベストの舞台。しかし日本のレースでその条件のG1は、スプリンターズステークスしか存在しないのだ。
去年は骨折でせっかくのチャンスを棒に振ってしまったし、春の高松宮記念で惜しい競馬をしたことで今度こそは!と、センセイも、スタッフさんも、獅童さんも。みんながみんな燃えている。
そして、なによりも。
俺自身、右隣で目を輝かせているかわいい後輩よりも先に、G1馬になるのだ、と気持ちを燃やしていた。
が。
『ふぁ・・・眠・・・』
不意に口からあくびが零れ落ちる。
しかもおまけに眠気まで。
『・・・貴様の場合、まずはそれをどうにかせねばな』
その様子に苦笑するイーグルカフェ。
何よりまずは身体の疲れを癒やさないと始まらない、か。
『おう、ちょっと疲れてんだよ。今から休むからちょいとほっといてくれないか』
再び寝藁に座りながら、両隣に聞こえるよう話せばそれぞれから『承知した』『はーい』と返事が帰ってきて。
一眠りした後、すっきりした俺は好きな飼い葉から牝馬のタイプといった話まで、時間が許す限りイーグルカフェやマンハッタンカフェとの雑談を楽しんだのだった。
金曜の更新は、スプリンターズステークス前編をお送りする予定です。