サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
この時代の本来の制度とは差異が発生する場合がありますが、その場合はご教授いただければ幸いです。
「いやあ、日本に赤兎馬のような馬がいる、とは聞いていましたが・・・まさか本当にそのような馬がいて、しかもG1を勝つとは!」
俺の目の前で目を輝かせながらそう語るのは、HKJC・・・香港ジョッキークラブから招待馬を探すために日本に遣わされた陳さん。
おおー、とか本当に赤い!とか、興奮を隠しきれない様子からは、この人は仕事だからとかそういう事じゃなくてマジの馬好きなんだと言うことが伝わってくる。
「あの・・・家のセキトを褒めてくれるのは嬉しいのですが、レースの後でもありますし、その、用件を・・・」
そんな陳さんを見かねたのか、センセイが控えめに用件を促した。
正直言ってナイスだ。いつもならこういった熱烈なファンにはそれなりにサービスしたりするんだが、生憎今日はG1の激走が堪えていて、身体が怠いんだよ。
「あっ!ああ、これは大変失礼いたしました!」
そう言われた陳さんは恥ずかしそうに軽く頭を下げ、ネクタイと表情を引き締めてから本題に取り掛かる。
「手短に話しますと・・・セキトバクソウオー号を、我が国で行われる香港国際競走に招待したいのです」
香港国際競走。
距離が短い順から、香港スプリント、香港マイル、香港カップ、そして香港ヴァーズと4つのG1が一日で行われる、香港競馬のお祭りだ。
距離が近い、環境が近い、近い時期に似たような距離のG1がない・・・と日本からしてみればいろいろと都合が良く、4つのレース全てに日本から遠征した勝ち馬がいるのも特徴的だな。
とはいえ香港勢も負けておらず、毎年アメリカやヨーロッパからの刺客も迎えて激しいレースが展開されている。
そこに招待されるとは、競走馬として大変栄誉のあることだ。
「それってセキタンが強いから、ですよね!うれしいなぁ・・・ってあれ、太島さん?馬口さん?」
「嬉しい、には嬉しいのですが・・・」
「うーん・・・」
しかし、喜びを顕にする朱美ちゃんとは対象的に、馬口さんとセンセイの2人は渋い顔だ。
やがて、センセイの方が口を開いて、陳さんへと説明する。
「すみません、レースの疲れもありますから、出走の可否は今すぐに、という訳にはいかないですね」
その言葉を聞いた朱美ちゃんもあ、そっかと納得した様子を見せていて。
陳さんもまた、それはそうですよねと大きく頷いてから言葉を紡ぐ。
「ええ、大丈夫ですよ。それにもし出走するとなったら指定の期日までに連絡を頂ければ・・・輸送費と、滞在費の一部はこちらが負担しますので」
「なんと!」
噂に聞いたことはあったが、と太島センセイ。
そうなんだよな、香港に海外馬がよくやってくるのはこの好待遇もあると思うんだ。
結局その後、是非前向きにご検討下さいと陳さんは資料一式を太島センセイに渡して帰ってしまったが、俺個人(?)としては出走したいところだな。
だってせっかくの海外だよ?ヒトの時には全く縁の無かった海外旅行だよ?
脚元のダメージ次第ではあるが・・・うん、今回は痛みが若干あるものの骨折とかのやばい痛みじゃない。時間が解決してくれるだろう。
問題は、その時間がどのくらいかかるかってこと。一、二週間で復帰できるなら全然問題じゃないのだが。
「さて、問題は・・・セキトの脚ですね」
ほら、センセイもこう言ってるし。
「資料によると、検疫も含めて8日前には香港に着いておくのを勧める、検疫厩舎次第では早めの入厩も可能、と書いてありますね。そう考えると・・・調整なども含めて遅くとも12月の頭には着いておきたいところです」
もし香港に行くならですが。と付け足してセンセイは朱美ちゃんを見やる。
「そっか、私が馬主だもんね・・・。セキタンが外国のレースに呼ばれたのはすごいけど、無理はしてほしくないなぁ」
腕を組んで頭を悩ませる朱美ちゃんの、心配そうな目線が俺の脚元を見ていた。
「・・・幸いなことに獣医が言うには今の所特に大きな問題はなく、多少痛みがあるくらいだとのことです。油断は禁物ですが、間隔を開けてしっかり休ませれば大丈夫でしょう」
「そうなんですか!よく・・・は無いけど、治るなら良かったよー」
どこか自身も安堵したようなセンセイの言葉に、朱美ちゃんも大きく息を吐いてから俺の首やら頭やらを撫で回してきた。
「間隔を開けるってことは・・・次は、あっ」
そのまま次のローテーションを思考する中で、あることに気がついたのか声を上げる。
「そうなんです。次に出たい時期と、香港のレースが見事に被るんです」
うむ。そういうことになるな。
「セキトの傷が癒えたらですが、国内よりもハイレベルな国際競走で、セキトがどこまで通じるか・・・試してみたいですね」
「・・・もし、出るとして。仕上がりますか?」
センセイの言葉に不安そうに尋ねる朱美ちゃん。
そのセンセイは、にこりと微笑んでからいい知り合いがいるんですよ。と自信ありげに胸を張る。
「仕上げてみせます・・・とは言っても私が付きっ切りになる訳にも行きませんから、現地の調教師に頼む形にはなりますが、大丈夫です」
『彼』の腕は確かですから。と。そう言い切ってみせたのだった。
さて、そんなこんだで約2ヶ月。療養・・・とはいっても厩舎でゴロゴロさせては貰えず、寧ろ太りすぎないようにとプールで泳がされまくった。
ここだけの話。前世の俺、カナヅチだったんだよね。
今世では馬になったお陰か、泳ぎはできないって訳じゃないが・・・何回溺れかかったことやら。
センセイや通り掛かった人たちには「とてもG1馬とは思えない」って言われたって言っとく。
それでもきちんと脚元を保護しながら体重を落とすって役割は果たしてくれていたらしい。脚元も完治したし、コースだって軽く走っても平気だった。モーマンタイ。
え、この腹?これは輸送減りを考慮してだな・・・とにかく、ヘッタクソなりにひたすら泳がされたお陰で俺は無事ここにいる訳であって。
・・・周りを見渡せば広大なアスファルトの敷地に、無数の飛行機。時折轟音を轟かせながら空へと飛び立っていく機体もあった。
そう、天下の羽田空港だ。祝香港遠征決定である。
見上げた空は真っ黒で、管制塔の明かりが星の代わりに瞬いている。競走馬へのストレスと一般人への影響を考慮して、基本日本から経つときは深夜か、早朝だからな。
・・・なんだけど、やっぱりというかなんというか、馬運車から飛行機に向かう短い道中にもマスコミ連中はしっかり湧いてる。こいつらちゃんと寝てるのか?
「セキト、行くよ」
『おう』
俺の心配を他所に、馬口さんがそっと引き手を引っ張ってきた。
『(おっ、あれは・・・アグネスデジタルに、ダイタクヤマトか)』
ふと顔を飛行機に向ければ、見知った奴らも続々と乗り込んでいて、ついに俺の順番がやって来たようだった。
今回、向こうさんの事情で俺たち日本馬は一つの飛行機で香港に向かうことになっている。
特に問題もなくタラップを登って飛行機の中に乗り込むと、そこには何頭も相乗りの相手がいるってこと以外は馬運車によく似た空間が広がっていた。
『ほぉー、俺たち用の飛行機ってこうなってんのか』
吹っ飛んだり転んだりしない様、ストールと呼ばれる狭いエリアに固定されながら思わず感嘆の声を漏らすと、奥の方から聞き慣れない声が聞こえてくる。
『あ?なんだお前。この箱は初めてか?』
『おうよ・・・って・・・』
その声の主は、黒鹿毛で、少しちっちゃくて、よーく目を凝らせば、額に小さな星があった。
しかも、この、なんだかガラの悪い感じ・・・まさか。
『す、すすす・・・ステイゴールド、さん!?』
『おー、オレのことを知ってんのか!なかなかやるじゃねーか!他の奴らは全然ヒマつぶしにもならなくてよ』
なんてこったい。豪快な笑顔を浮かべながら退屈そうに言い放った言葉で気がついてしまえば、隣のダイタクヤマトなんて凍ったように動かないし、一つ後ろのエイシンプレストンは必死に気配を消している。
さらにその隣、こいつだってかなりのクセ者のはずのゼンノエルシドも必死に目を合わせないようにしているし、俺の隣になったアグネスデジタルなんか失神寸前だ。あ、もちろん恐怖の方で。
因みに本来の歴史で香港スプリントに出ていたメジロダーリングは俺が席を奪い取ってしまったらしい、影も形もなかった。
それはともかく、あの黒鹿毛は。調教師に「肉を食うんじゃないか」とさえ言わしめる程の気性の持ち主にして、
目の前にいるのは競馬の一時代を荒し回り、キリが無いほど数多くの伝説を残した“黄金旅程”に間違いなかった。
いざ香港へ。
次回、セキトとステイゴールド(+その他大勢)の優雅?な空の旅!