サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
XX02年、2月。
「よし・・・!」
騎手免許試験の日。新人、外国人に混じって一人の男が、実に14年の時を経て競馬学校の地を踏んだ。
「やっと・・・やっと、ここまで来た」
その男の顔を見た者は、口々に「おっ」とか「あっ」とか、短く声を上げて驚きを顕にする。
「もう少しの辛抱だ、待ってろ、セキト・・・!」
冬の牧場で英気を養う愛馬の姿を想いながら、男・・・岡田順平は、騎手としての再起に燃えていた。
「・・・はい、以上です」
「ありがとうございました」
教室の一つにて行われた口頭による学力試験、順平は周りの風景に懐かしさを覚えながらも、結果に確かな手応えを感じ、意識は次なる項目へと向けられる。
「(多分だけどクリアしたな、けど、問題はこの後だ)」
後遺症の治療のため一度免許を返納した順平は、また1からのスタートとなり。それでも学力と馬を扱う最低限の技術が求められる前年秋の一次試験は余裕で突破、そして3ヶ月の間隔を経て迎えた今日の二次試験。
今度は「本格的」に騎手としての裁量が求められるのだが・・・順平の懸念は、その実技の方にあった。
「(仕方ないけれど、ゲート試験だけは練習出来なかったんだよな・・・)」
再び舞台に舞い戻ることを決意した後、乗馬クラブに通って馬に跨がる感覚を完全とは言えないながらも思い出し、ありがたいことに太島の口利きで人手不足に喘ぐ育成牧場でボランティア騎乗をしたり、家では木馬を駆って出来る限り技術を取り戻そうと努力した。
しかし、その状況では、時にそれだけで勝負の明暗を分ける重要な要素である「ゲート」の感覚を取り戻すまでには至らなかったのだ。
「(馬次第・・・かな)」
馬をどうゲートに導けばいいか、ゲートから走り出すにはどうすればいいかは覚えている。発走自体も多少は育成牧場でやらせてもらえたが、それだけではどうしようもない。
自分の実力だけではなく、馬が走る気になってくれるか、寧ろ走る気が無くともその馬を走る気にさせるのが騎手の仕事。
ところがこの世には何をしようがうんともすんとも動かなくなる、という癖や、ゲートで大人しくすることができないという所謂癖馬といった輩が存在する。
当然試験でそんな癖や、なにかの気まぐれを起こされてしまっては大変である。JRA側も試験用として用意する馬は、経験豊富で比較的穏やかな、研修馬と呼ばれる練習用に飼育されているサラブレッドだ。
だが、それでも。
何かを感じ取るのか駐立したまま動かなくなる馬は時々現れるし、気に入らないことがあれば暴れることだってある。
この人間より大きな生き物相手に、100%安全な扱い方なんて便利なものは、存在しないのである。
「(この馬が当たっちゃったかあ・・・)」
そして迎えた発走試験。順平に割り当てられたのは「翔陽」と名前は改められたものの、特徴的な流星から見る人が見ればある往年の活躍馬だとすぐ言い当てられる栗毛の馬。
しかし、くじ引きによって騎乗するのがこの馬に決まった瞬間から、順平の心は平静とは真逆の位置にあった。
なぜなら。
彼の馬は、今でも代名詞として持ち上げられることがある程の『出遅れ魔』だったのだ。
競走に出ていたときより歳を取り、去勢も施された為か穏やかで言うことを聞いてくれやすくはなっている、と説明を受けたがそれでも現役の姿を知る者としては気が気でない。
「頼むぞ、僕の進退が掛かってるんだ」
背中に乗る順平の胸中を知ってか知らずか、その声を聞いた「翔陽」は任せろと言わんばかりにブルルと鼻を鳴らした。
「はは、任せろって?じゃあ頼もうかな」
首の根元をぽんと叩きながらそう呟く様を見た他の受験者たちは「馬に話しかけてるよ」とざわめく。
彼らは馬に言葉を掛けるのは落ち着かせたり注意をひくためであって、コミュニケーションが図れるわけがない、と変わり者を見る目で順平を見た。
「(ああ、やっぱりそうなるよな)」
しかし、最早順平にとってそんなことは関係ない。今は騎手という立場に再び蘇るための試練の最中。出来ることは何でもやってやるさと外野を切り捨て、目の前の事に集中する。
「(馬に言葉が通じない?)」
そんなことはない。脳裏に赤い影がよぎる。
少なくとも、あいつだけは違う。そのことを順平は誰よりも知っていた。
「次!」
「・・・さあ、出番だ、良いところを見せてくれるんだろう?」
順平の前の人物の発走試験が終わったようだ。
「翔陽」の気合もばっちり、こちらが下手を打たなければ大方は大丈夫だろう。
「(こいつの出遅れの原因は・・・)」
いつだったか、昔の担当厩務員から、出遅れの理由の一つかもしれないと何か聞いたことがあったような。
『やあジュンペー、ちょっと聞いてくれるかい?『あいつ』のことなんだけど・・・』
「・・・あっ」
ようやくのことでそれを思い出した順平は「ちょっと待って下さい」と試験官に声を掛けてから「翔陽」の手綱を引っ張って立ち止まらせた。
「『ショウ』、一旦落ち着こう」
そうだそうだ、危なかったと馬共々自分の跳ねる心臓を宥める。思い出した話の続きは、確かこうだった。
『あいつも重賞でやれる力はあるんだけどね・・・どうも一生懸命過ぎて、空回りしてるっぽいんだよね』
かつての厩務員が言っていたこと。それは、『翔陽』には力みすぎるきらいがあるということだった。なんだかあの赤い相棒と似てるなぁ、と順平は微笑む。
「大丈夫、本番じゃあないよ、力ませてごめんね」
だから敢えて、「今の名前」を呼んで、これはレースではないんだよと。ただの発走練習なんだと言い聞かせる。
どうどう、よしよし、首を撫でたり、軽く叩いたり。
そうすれば、競走馬としての闘争心が蘇りかけていた両の目の炎が、穏やかになって。
「(よし、これなら大丈夫)」
今の状態ならば行けると判断して、再び試験官に声を掛ける。
乗馬クラブで馬が暴れそうになった時や、気合が入りすぎた時に立て直す方法を改めて学んでおいて助かったと、順平はため息をついた。
「・・・大丈夫です、すみません」
「分かりました、次の方、行きます!」
その言葉を了承した試験官がどこかになにかサインを送ってから、ゲートへ入るよう促した。
「じゃ、行こうか」
順平が拍車で軽く触れれば、「翔陽」は酷くあっさりとゲートへ身を収め、あちこちから感嘆の声が上がったのだった。
「(落ち着かなきゃいけないのは、僕もだな)」
開放を待つ間、順平は再び踊りだした心臓に、今までのどんなレースの時より酷いやと苦笑しながら己の未熟さを感じていた。
ふと思い出したのは、まだ美浦にやってきてあまり経たない頃のセキトバクソウオーの姿。
あんなに幼く、頼りなかったのに、この間のセントウルステークス、そして、スプリンターズステークス、香港スプリントと三連勝、己の手を離れている間に随分と立派になったものだ。
しかし、その背中で栄光へのアシストをしたのは自分ではなく、間違いなく獅童宏明という男である・・・約束通りなら、自分がそのバトンを受け継ぐことになるが。
順平は、それは獅童という騎手からようやく出会えた名馬を奪い取る泥棒も同然なのでは、とほんの少しだけ迷い。
しかしそれもこれも、ここを超えてから。そこから再び始まるんだ。と気持ちを入れ直して。
その瞬間、僅かにゲートが軋む音がした。
「!」
そして、岡田順平という男はやはり、根っからの騎手であったらしい。
あれほどのブランクがあった筈なのに。
今だ、と言葉にする前に、踵が「翔陽」の腹を蹴飛ばして。
「おお、見事」
試験官が思わずそう声を漏らすほど抜群のタイミングで、栗毛の馬体が勢いよくコースへと駆け出していった。
「・・・ふう」
発走試験さえ乗り越えてしまえば、後は消化試合のようなもの。
余裕を持って馬を扱い、いつの間にやら順平の正体に気がついた試験官がこれがG1を勝つ騎手の動きだ、よく見ておけと産声を上げようとしている騎手の卵たちに言い。
試験が終わる頃には順平の真似で馬に喋りかける者さえ現れてちょっとしたカオス状態になったが。
とにかく人事は尽くした。後は天命を待つのみである。
それにしても疲れたなぁ、と順平は汗をかいた額を拭った。
体力もそうだが、精神の方をゴリゴリと削られたのだ。しかし以前ならば頭痛を起こしていたであろう局面も難なく乗り越えられた分、治療を乗り越えた甲斐はあったと言えるだろう。
いずれ、いや、あいつに乗るのなら今すぐにでも体力を戻していかないとな、と早くも次なる目標を見据えて。
「あ・・・セキトみたいだ」
順平は赤く染まった空に愛馬を重ねながら、家路についたのだった。
後日、トレーニングに勤しんでいた順平の家のチャイムが鳴る。
「はい、お疲れさまです・・・遂に来たか、というか制度上、もう合否は分かってるんだけどね・・・」
郵便配達員と一言二言挨拶を交わして、受け取った封筒には、差出人が日本中央競馬会と書かれていた。
中身に関しては恐らく騎手免許試験に関しての書類。そしてその制度上、この便りが届いたということは。
中身の無事を確認しながら慎重に開封し、取り出した紙に書かれた「合格通知」の文字に、順平は心の底から安堵し、力が抜けたようにふらふらと椅子に座った。
そして。
「よかっ・・・たぁああああ!!」
芯から湧き上がるような歓喜の声を家中に轟かせ、無事、ここに一人のジョッキーが再誕したのであった。
ジュンペー復活!これでセキトに乗れるね!
水曜更新分は、セキトの帰厩の予定です。