サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
夢を、夢を見ているのか私は?
この伸びは土日ブーストだと思いますが、せっかくのこのタイミングに、作者はあえてシリアスめな話をかち合わせてしまうというお茶目機能が作動してしまいました。
でもまあ競馬である以上、こういう話は早め早めにやっておかないと、ね?
そしてついにタイトルにウマをかけられなくなった・・・(ネタ切れ)
「まさか調教師の方だったなんて・・・大変失礼しました!」
「まあまあ、自分の厩舎の周りを掃除している調教師なんて私くらいのものですから、そんなに気になさらないで下さい。それと天馬さん、お父様からいろいろと話は聞いてますよ」
美浦トレセンに来て早々に、俺を預かってくれる
太島
公の場にいる関係上普段のギャル口調は鳴りを潜め、今は年の割になかなか行儀の出来てる女性といった感じだ。やるじゃないか。それにしてはこっそりため息をついたりなんだか元気がない気もするけど。
「それと、ここで話すのも何ですから。セキトバクソウオーも長旅で疲れているでしょうし」
センセイはそう言って厩舎の中へどうぞと俺たちを促し、すぐに一つの馬房の馬栓棒を外してこの中にお願いします、とスタッフさんに指示を出した。
「はい・・・うわっとと」
スタッフさんの合図を待つまでもなく、俺は自ら馬房へ足を踏み入れる。今日は起きてから馬運車でずっと立ちっぱなしな上、何度も緊張したから疲れてるんだ。早く休ませろ。
「夜明け前から馬運車に乗ってましたからね、疲れてしまったんでしょう」
馬栓棒を閉めながらスタッフさんが言う。引き綱と頭絡を外してもらったらリラックスモードだ。
馬房の中を2、3周して位置を調節、それから腰を下ろして横になった。
「馬房に入ってすぐこれとは・・・余程疲れていたんでしょうか、それにしても噂通り見事な赤毛ですね」
「ええ、普段はちょっとした物事なんかにも全然動じないんですが、流石に渋滞とクラクションが堪えたみたいです。赤毛なのは生まれつきだそうですよ」
「なるほど、音に驚くと。これはメンコがいるかもしれないな。それにしても生まれつき、か。もし種牡馬入りしたら産駒に遺伝するのだろうか・・・」
俺の様子を見て、スタッフさんと太島センセイが話し合っている・・・おいちょっと待て俺の馬主はどうした。そう思って朱美ちゃんの方を向いたら、あら?何やら固まっている?どうしたんだ。
「えっと、メンコがどうとかって、馬がどうやってメンコで遊ぶんですか?」
「へ?」
「え?」
・・・いや、まさか朱美ちゃん。馬具ってものをご存知でない?
「というわけで、これがメンコです」
「へぇ・・・あっ、これをつけたまま走ってるお馬さんもいますよね」
「ええ。メンコは顔と耳を覆う道具ですから、音や顔に砂をかぶる・・・当たるのが苦手な馬に使うと効果がある場合があるんです」
太島センセイ、わざわざ本物のメンコを持ってきて朱美ちゃんにレクチャーしてる。しかもわざわざ初心者が分かるように言い直してくれてるし。どうもすみません。俺の馬主がご迷惑をおかけしてます。
「他にもブリンカーとかシャドーロールとか、馬具はいろいろありますけどそれは必要だと判断した時にまたお話ししますので」
「ありがとうございます!そっかこれメンコって言うのかぁ」
朱美ちゃん、メンコをいじりつつ思い切りお礼を言ってるけど、今日は厩舎見学に来た訳じゃないんだからな。疲れも少しはマシになってきたので立ち上がって肩をつついてやる。
「セキタン?どうしたの?」
「ところで天馬さん、セキトバクソウオーの今後についてなんですが・・・」
「あ、そうだ・・・まず、太島センセイから見て、セキタンはどんな馬ですか?」
どうやら太島センセイの一言で今日の本当の目的を思い出したらしい。今日朱美ちゃんが俺の入厩に付き添ってくれているのは、面談みたいなものだ。馬主さんによっては早くデビューさせたい、とか馬の成長を待って、とかいろんなスタンスがあるからな。それで朱美ちゃんはまず、太島センセイからプロの意見を聞こうというわけか。悪くないんじゃないか?
「パッと見ですが、父親似ですね。胴の詰まり具合とか、育成牧場での動きなんかを見せてもらいましたが、走りが前向きですし短いところのほうが良さそうです」
「セキタンのパパも得意だった距離ですね」
あら。プロのお墨付きで俺はスプリンターか。場合によってはマイルや他の距離もこなせる可能性もあるけど、そればかりは「走ってみるまでわからない」って奴だろう。
「ええ、それから脚元には問題ありませんし、育成牧場も本当によくやってくれたと思いますが、レースに出られるように仕上がるまでにはまだかかるかと。早くても夏の終わり頃のデビューになると思います」
そこまで告げてから、太島センセイは視線で朱美ちゃんの指示を仰ぐ。調教師がどれほどのベテランであっても、最終的な選択権を持つのは馬主だからだ。朱美ちゃんは困ったように言った。
「センセイ。私、正直なところレースとか、こういう時どういう指示を出せばいいのかよく分かっていないんです」
「・・・それでも、この馬の馬主はあなたです。あなたの方針がなければ、我々は動けません」
馬主によって、馬に対する姿勢は様々だ。家族のように大切に扱う馬主。金稼ぎの道具としか見ていない馬主。自らの権威の為に馬を走らせる馬主。それこそ十人十色ってやつだ。
その一つ一つに合わせて馬を使わなきゃいけない調教師ってのは実は一番大変な競馬関係者なのかもしれない。
しばらく困ったように悩んでいた朱美ちゃんだったが、やがて言葉を絞り出した。
「だったら、お願いがあります」
「なんでしょうか」
「セキタンに、無理をさせないでください」
おや、これはまた無難なお願い。いつもなら「ガンガンいこうね!」ぐらい言いそうなものを、今日の朱美ちゃんはやっぱりなんか変だと思っていたら、センセイもその発言の真意が気になったらしい。
「無理をさせるな、ですか?それはまたどうしてか理由を聞いても?」
「・・・この間、たまたまなんですけど中継を見ていたら、故障してしまったお馬さんがいるんです。それからなんとなく気になって調べたら、その子、予後不良って・・・」
「ほう、それで」
「・・・セキタンに、同じ目に合ってほしくないんです」
ああ、元気がないのはこの問題に直面したからか。競馬に関わる者である以上、いつかは乗り越えなければならない壁だもんな。
ただ、朱美ちゃん。そいつは走る(走らされる?)為に生まれてきたサラブレッドに走るなって言ってるようなもんだよ。
「それはその馬の馬主の方も同じだったでしょう。馬というのは生き物ですからね。レースの中で故障しながらも生きられる馬もいれば、昨日まで元気に飼い葉を食ってたのに心臓マヒで亡くなる馬もいる」
競馬に絶対はないっていうのは昔からある格言だが、それは馬の生き死にだって俺は同じだと思っている。あと1m横を走っていれば、とかもっと前や後ろに行っていれば、とかな。しかしそれらは競馬において禁忌とされるタラレバに他ならない。
「残念ながら、激しくレースをしなければならない以上不慮のアクシデントというものはどう頑張っても、予防しても、0にはならないのです。それ故無理をさせないならともかく予後不良を必ず避けるなんて事は約束できません」
「そう、ですよね・・・」
センセイの言葉にしゅんとする朱美ちゃん。
・・・でも。
「ですが、『事故』なら限りなく0に近づけることはできる・・・。それが、私達調教師と、スタッフの仕事ですから」
俺には、競走馬たちには
「調教師の、仕事」
朱美ちゃんが言葉をオウムのように繰り返すと、センセイは静かに頷く。
「毎日、ボロをしてるか、下痢をしてないか。飼い葉を食べているか。調教に行っても大丈夫か。ケガをしていないか・・・そんな当たり前のことが疎かになった時に、事故は起きるんです」
「それでも、セキタンが、あ、安楽死になんて、なったら、私は・・・!」
「ひひんっ!」
予後不良になってしまったという馬が脳裏から離れないのか、とうとう光るものが溢れ出した朱美ちゃんの目元をそっと舐めた。
「セキタン・・・?」
「ぶふぅむん」
つい『大丈夫』って人語を話そうとして、馬語ですらない音を出してしまった。人である朱美ちゃんに分かる筈ないのにな。
・・・育成牧場にいた時、坂路で元気に走っていたと思ったら突然転がるように倒れて、そのままお陀仏してしまった同期がいた。そいつは派手な栗毛で、人にも馬にも懐っこくて、みんなから人気者の奴だった。
目の前でそいつの亡骸をスタッフさんたちが泣きながら仕方ない、仕方ないって言って重機で運んでいくんだ。
死ぬのが恐ろしくないって言ったら嘘になる、けれどそれを見てから、俺もああなるかもしれないんだって、覚悟ならとっくに出来てるんだよ。だから大丈夫。
例え「そうなった」としても朱美ちゃんのせいじゃないんだよって伝えたくて、俺は朱美ちゃんの頬に頭を擦る。
それから俺は俺・・・セキトバクソウオーであって亡くなってしまった馬じゃない。俺を見ろ、ここにいる俺はちゃんと生きてるんだぞ、と頭を離してから鼻を鳴らした。
「セキタン・・・あなたは走りたいんだね」
俺の頭を抱きしめるように両手で寄せる朱美ちゃん。
その通りと怪我しないように軽く頭を振って鳴けば、彼女は腕で涙を拭って。
「ありがとう」
すぐに笑って見せてくれた。ちょっと目元は腫れてるけどいつもの笑顔だ。そうだ、そっちの顔のほうがずっと似合ってるよ。
サラブレッドの宿命なんてのは一朝一夕で受け入れられるもんじゃない。時間をかけて、少しずつ受け入れていけばいいんだ。
「セキタン」
今のやり取りで吹っ切れたのか、朱美ちゃんは俺の瞳を見据えながら、呼びかけてきた。そして、真剣な顔をしながら艶々の唇を震わせてその言葉の続きを紡いだ。
「どうせ走るなら世界で一番速くて、強いお馬さんになろう!」
おうよ。俺は前掻きで朱美ちゃんに答える。
そして、その発言を聞いたセンセイが少し考えてから言葉を発した。
「なるほど、目指すは世界一の最速王ですか」
「あ、まだ一回もレースに出てないのに・・・ちょっと夢が大きすぎますよね」
自分の発言に顔を赤くする朱美ちゃん。でもセンセイは。
「いいじゃないですか。私も大きな勝負は好きなんです。まずは晩夏の新馬勝ちを目指しましょうか」
自信に満ちた、勝負師の目で確かにそう言った。
それから俺はある日はダート、ある日は坂路、そしてウッド、芝と美浦トレセンのコースをみっちり走り込み、ちょっとだけコズミになったり、練習がハードすぎて下痢したりしながらも順調に筋肉を纏っていった。そして、それはセンセイの想定を少しだけ上回るペースだったらしい。
「出走確定だ。セキト、札幌に行くぞ」
俺は当初の予定よりもほんの少しだけ早く、札幌の地でデビュー戦を迎えることになったのだった。
朱美ちゃん、メンコを知る。←New
彼女が馬主として覚悟が決まり切るのは先の話ですが、これで心構えはできました。
皆さんを安心させるために言っておきますがセキトは予後不良にはなりませんよ!
次回更新はいよいよ新馬戦、発送予定時刻は火曜の22:00です。