サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
そしてイギリスに向かったセキトに次々と海外遠征の受難が!?
『いやあー・・・長かったわぁ・・・』
「セキト・・・大丈夫・・・?」
『これが大丈夫に見えるかよ、馬口さん・・・』
本番・・・ロイヤルミーティングまで後一ヶ月。イギリスの国際空港から長い時間をかけて、ようやくニューマーケット競馬場へと辿り着いた俺は馬口さんに促されてよろよろと馬運車を降りた。
首を下げ、弱々しく歩みを進める・・・誰がどう見ても、これ以上なくグロッキーな状態。
馬生2回目の遠征、初めての欧州に向けてのフライトは実に最悪だった・・・。
高松宮記念の後、関東の育成牧場で短期放牧に出され、リフレッシュした俺は満を持して羽田から欧州に飛び立つ・・・前に機体トラブル。
中継地でも再びの機体トラブルに見舞われ、想定よりも一日遅れての現地入り。つまり予定より一日も長くあの無機質空間に突っ込まれてたって訳だ。
しかも他に遠征するやつもいないから、一人っきりでだだっ広い空間にぽつんと拘束されているんだからたまったもんじゃねぇ。これだけで体重どんだけ落ちたんだろう。
欧州遠征で調子を狂わせ、その後の競走成績にまで影響を及ぼしてしまう馬がいるってのも、今なら首を振りまくって肯定できるわ。
もらえる飼い葉も最低限だからな・・・そんな状態で馬体重が減らない馬がいたらソイツはもう馬じゃなくてUMAだよ。それかよっぽどの変わり者に違いない。
『・・・はぁ』
俺は馬口さんに導かれるまま割り当てられた馬房に入ると、寝藁を掻き分けて横になる。
やっぱり日本のやつとは寝心地なんかとかが若干違うような気もするが、最早そんなことを気にしてる余裕はない。
『おやすみ・・・』
俺は体力の回復を図るため、全身の疲労に身を任せて目を閉じた・・・。
「
『・・・誰だ?』
その瞬間、頭上から聞き慣れない声の英語が。慌てて身体を起こして外に目を向けると、梅干しみたいな顔の見慣れない外人がいた。
いや、誰よこのイカツイ顔のジジイ。油断してたら撃ち殺されそう。
「
けれど口から出てくるのは仕方ないけれども英語ばかりで、何言ってるかまでは分からんわ。ごめんなさい。
そう思っていたら、その感情が顔に出ていたのか慌てたように馬口さんが日本語で説明してくれた。
「セキト、この人はウィリアムさん。ここでお世話になる先生だよ」
『・・・は?』
そう聞いて驚いた。だってさ、こんなにお歳を召した調教師さんなんて、年齢制限のある日本だとまずお目にかかれないもの。
しかもよくよく見ればその眼差しはギラギラと蒼く輝き、その辺の若い連中なんかよりはよっぽど闘争心を秘めていそうな雰囲気だ。おお怖い。
とは言えこれからお世話になるセンセイならば、挨拶しないわけにもいかないだろう。
『・・・よい、しょっ!どもども、セキトバクソウオーです、世話になります』
疲れた身体を起こして、馬房の入り口まで歩みを進めたあとにウィリアムセンセイに顔を近づける。
「
だが、そのウィリアムセンセイは険しい表情を浮かべ、しかも手で鼻先を押し返されて挨拶を拒否されてしまった。
俺だってこのくらいの英語なら分かるぞ!要は「服が汚れるから顔を擦り付けるな」ってことだろう!?
・・・うん、ちょっとばかしショックだわ。だけど俺、これから少なくとも一ヶ月くらいここで暮らすんだけどなあ。この人と上手くやってけんのか早くも不安になってきた。
「
「
しかもまた何やら馬口さんに英語で話しかけて、馬口さんの方も納得したように頷いてから二人揃って厩舎の外に向かってっちゃったし。
『どうしよ・・・ふぁあ・・・』
人気が無くなったことで一気にしんと静まり返った厩舎。周りにいるのは見知らぬ奴ばかり、交わされる鳴き声も日本とはちょっと違うし、改めてここは異国の地なのだと認識させられる。
そんな時に、突然出た眠気を訴えるあくび。ちょっとまて、まだ真っ昼間だぞ・・・って、あ。そうだ、時差。
東京との時差、マイナス9時間。更に今はサマータイムっていう期間らしいから、正確にはマイナス8時間。
こっちが朝ならあっちは真っ昼間、こっちが夜ならあっちは次の日の朝を迎えている。
なるほど、だから俺はお日様が傾き始めた時間なのにも関わらず睡魔に襲われているわけだ。
『・・・仮眠すっかな』
馬の身体になっても時差ボケするもんなんだなと若干感心しつつ、とりあえず夜まで眠らないのも身体に悪いかな。なんて思ってしばらく馬房の中で動き回ってから落ち着けそうなところで脚を折って座る。
ウィリアムセンセイも、馬口さんもしばらく帰ってこないだろうし、休ませてもらうとしましょうか。
『・・・ふう』
ここに来て、ようやく訪れた休息の時間。
馬房の窓は閉じられているけれども、隙間から入ってきた空気は・・・草花だろうか?様々ないい匂いを含んでいて、花畑を連想させる。これは数日後から始まる運動が楽しみだな。
そうやって、日本よりも遥かにゆっくりと流れていくような時間に身を任せている内に、俺はゆっくりと船を漕ぎ出して。
『zzz...』
いつの間にやら、寝藁に鼻を突っ込んで眠りこけていたのであった。
「
『はっ!?』
それからどれ位経ったんだろう。馬口さんとも、ウィリアムさんとも違う声をかけられて俺は目を覚ました。
っていつの間にやらヘソ天になってやがる。いやん、恥ずかしい。
「
天地がひっくり返ったまま首を曲げて声の主を確認すると、そこには可愛らしい女性のスタッフさんが。
おお、かわいい・・・あ、でも浮気はしないぞ。俺は朱美ちゃん一本なんだから。
こういうところはやっぱなんというか、欧州のほうが進んでんだよなー。難しいのは分かるけども、女性に世話されたほうが喜ぶ馬ってのは絶対いると思う。
どうやらスタッフさんは水を持ってきてくれたみたいだな。新人さんなのか慣れない手付きで、よいしょ、よいしょと声が聞こえて来そうな感じで馬房の隅にある鎖を通すと、「
さて、と。目も覚めたことだし。
『せっかく用意してくれたんだからなぁ』
こんなかわいい子が用意してくれたんだ、口をつけないってのも失礼だよなと立ち上がって水桶に口を近づける・・・
『ん?』
その動きが止まったのは、その肝心の水に違和感を覚えたからだ。
水って、こんな臭いだっけ?なんか薬品臭いというか、欧州の水ってこんなんなの?期待してたのと違うんだけど?
しかし百歩譲って薬品臭くなってしまっているとしても、なんというか、うーん・・・端的に言うならなんか様子がヘンですって感じ。
『・・・うん!やめとこう!』
そうして俺は水桶からそっぽを向いて再び横になる。あんなもん飲むだけで身体に悪そうだからな。馬口さんに改めて水をねだるとしよう。
「
『ひょええ・・・』
あれから数十分。俺は今、馬房の角に身を寄せながら目の前で激昂するウィリアムセンセイを、ただただ見守っていた。
事の発端は、ウィリアムセンセイとの諸々が終わったらしい馬口さんが俺の様子を見に、馬房に戻ってきてくれた時のこと。
馬口さんが、水がたっぷり入った桶を抱えていた。
この時点で『んん?』とは思ったけどさ。
「あれ、もう水桶がある」と異変に気がついた馬口さんは、俺に水を飲まないでと指示を出してから、慌てたようにウィリアムセンセイを呼んできた。
やっぱりあの怪しすぎるウォーターは飲まなくて正解だったっぽい。
そしてそれを見るなり、センセイがいきなり大噴火。
どういうこっちゃと思っていたら、大急ぎで水桶を取り外して、馬房の外まで運び出してから憎々しげに蹴り飛ばした。
あまりの迫力にいやいや、馬用だよ?何リットル入ってると思ってるの、というか何してんのとと突っ込むこともできず。
鈍い音と共にやっぱりその重さに逆襲されたと思わしきウィリアムセンセイは、痛みに悶える声を上げたあと「
・・・え、ドーピング?マジで?
海外ではこういうこともあるって聞いたことはあったけど、マジで俺危なかったの?バイバイってそういう?
色々と混乱した果てに、辿り着いた結論は。
『・・・あのかわいいねーちゃん、スパイだったのか』
そんな、ドーピング被害に合いかけたということよりもある意味ショックな事実だった。
「
傷心の俺に声を掛けてくれたのは、なんとウィリアムセンセイだった。その真剣な声色からは、言語を超越して心から心配してくれているのだという感情が伝わってくる。
しっかしウィリアムセンセイ、俺に対して冷たいかと思ったらこうやって気を遣ってくれるし、よくわからないジイさんだな。
『ブルル』と鼻息とともに頷いて返事をすると、驚いたような表情の後に、「<ruby><rb>But the rules are the rules.</rb><rp>(</rp><rt>だが、決まりは決まりだ。</rt><rp>)</rp></ruby>You have to go through a doping test</rb><rp>(</rp><rt>お前にはドーピング検査を受けてもらわないとな</rt><rp>)」とのお返事が。
ドーピングテスト?・・・まあ、そうなっちまうよなあ。それは仕方ないとして。
『いい加減に、水飲ませて・・・ひからびちゃう・・・』
空港からここまで輸送されてくるまでの間・・・一体何時間水を飲んでないと思ってるんだ。馬口さんが持ってきてくれた方の水桶目指して首を伸ばすと、ウィリアムセンセイもハッとしたような顔をして。
「
「あっ、しまった、セキトごめん!!」
大慌てで馬口が持ってきた方の水桶が馬房の鎖に通される・・・やーっと、水分補給ができるよ・・・。
『うおっ!そうそう、これだよこれ!!』
早速口を突っ込んで、念願の水を味わう・・・その瞬間、舌から伝わってきたのは随分とまろやかな感覚。これは多分軟水ってやつだな。やっぱ思ってた通り普通に美味いわ。
待ちわびた欧州本来の水に舌鼓を打ち、がぶがぶと飲み込んでいく俺の姿に、これならばドーピング水の方は口にしていないだろうと二人はほっと胸を撫で下ろしていた。
まあそれはそれとしてドーピング検査は受けなきゃいけないけど・・・俺は真っ白だからな。堂々としてりゃあいいんだ。
『しっかしいきなりドーピング水とはなぁ・・・向こうさんも焦ってるのか?』
まだ適正があるかどうかもわからない段階なんだけどな、と心のなかで苦笑いして。
兎にも角にも、こうして俺の欧州遠征は大波乱から始まったのだった。
・・・というわけで、危ないオクスリを寸での所で回避したセキトでした。これ、よく聞く話ですのであるあるネタ的に取り入れましたが、某調教師が警戒していたくらいですし、あるっちゃああるんでしょうね・・・。
次回、セキトのローテを発表いたします。