サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
ついでに言うと、キングズスタンドステークスのG2時代の斤量設定が見つからず、各馬の斤量は某ゲームの斤量を参考に決定しました。
欧州の馬場に適応してやると決めてから早くも3週間
の時が過ぎた。
「じゃあ、行くよ・・・セキト」
俺の頭には紅白の頭絡、そして口にはハミ。引き手を持つ馬口さんの顔も真剣そのもの・・・そう、ロイヤルミーティングのその日が、とうとうやってきたのだ。
あれからも俺はニューマーケットの芝やら坂やらを走り抜け、最終的には難しい顔をしながらだがウィリアムセンセイも頷いてはいたし、なんとか様にはなったんじゃないか?
来たばかりの頃と比べれば荒れた地盤での踏ん張り方も分かってきたし、少なくともお客さんの前でコケるなんていう無様な姿は披露しないで済みそうだ。
レース一週間くらい前にはニューマーケットからアスコットへと移ってきたが、古びた施設が積み重なった歴史の重さを感じさせ、俺はこれに挑むのかと少したじろいでしまった。
しかし住めば都、アスコットの貴重な財産も暮らしてしまえばただの厩舎だった。周りの馬たちもこれが普通と言わんばかりに暮らしていたし、あんなに感じていたプレッシャーはどこへやら。
すっかり落ち着いた俺はまた馬房で寝そべって寝るようになったし、その姿を見て馬口さんもジュンペーも安心したように笑っていたしで、なかなかリラックスした雰囲気のままレース本番を迎えることが出来るのは、海外遠征として上出来だろう。
そうそう、そのジュンペーだがウィリアムセンセイのところから何鞍か回してくれたみたいで、下級条件での騎乗がいくつか入っているそうだ。
馬口さんの翻訳いわく「せっかくこっちに来たんだから経験を積まないと損だろう」とのこと。馬主さんとの信頼問題もあるだろうに、ウィリアムセンセイ・・・漢だわ。
・・・さて、そんなこんだで厩舎から装鞍所、そしてジュンペーを乗せてパドックへと歩みを進めた俺だが、いや、なんだあの近さ。
手を伸ばせば馬に触れそうなくらいの位置にフェンスが置かれ、そのギリギリまで人がいる。油断すれば誰かにたてがみくらいは触られてしまうかと思ったくらいだ。
それでもお触りされる気配がないのはやはりイギリスのマナーの良さのお陰だろうか?なんにせよこちらは集中力を高めたいから余計な手が入らないのはすごく助かるけども。
「セキト、どうしたんだ?」
『あ、いや、なんというか・・・』
・・・しかし、復帰後初勝利がG1という大偉業で肝が据わったのか、良くも悪くもいつもどおりなジュンペーとは違って、アスコットのターフに出た俺はソワソワと落ち着きを無くしていた。
返し馬をしながら耳を澄ませれば、聞こえてくるのは他の馬の鼻息、芝を叩く俺の蹄の音、それから吹き抜ける風の音色。
・・・やっぱり。俺が感じていた違和感の正体が分かった。
静かすぎるんだ。
いや、静かって言っても沈黙って訳じゃなくてな?スタンドとかなんかはざわめいてはいるが、なんというか、お上品?な感じで、無駄な歓声なんかが上がらない。
レースが近づくたびにスタンドが湧き、時にはヤジが飛ぶ日本の競馬に慣れている身としてはどうしても違和感を覚えてしまうんだよなあ。
馬のことを考えたら、
けれど、お客さんが一体となった生み出すあの音の渦も、慣れてしまえば味の一つなのかもしれない。
今はそれをちょっと懐かしく思いつつ。
「いけるか?」
『・・・ああ』
俺を心配するジュンペーに、いつも通りに鼻を鳴らして応えて。
「すぅ、はー・・・よし、いくぞ!」
『ああ!』
一つ深呼吸してから、静かなターフに放たれた気合の一声を捉えてから、俺はスタート地点へと駆け出した。
第138回キングズスタンドステークス(G2)
XX02年 6月18日
芝1006m アスコット 天候 晴 馬場状態 Good
| 枠番 | 番号 | 馬 名 | 性齢 | 鞍 上 | 斤量 |
1 12[外]
2 3[外]
3 5[外]
4 13[外]
5 2[外]
6 16[外]
7 15[外]
8 8(父)セキトバクソウオー 牡5 岡 田 59
9 4[外]
10 10[外]
11 14[外]
12 1[外]
13 11[外]
14 6[外]
15 9[外]
16 7[外]
『さぁやってまいりました、日本の、世界中の競馬ファンの皆様、お待たせしました。日本が誇る俊足スプリンター、セキトバクソウオーがここイギリスはロイヤルアスコット競馬場、ロイヤルミーティングの大舞台で欧州初お目見えです。イギリス、キングズスタンドステークス。実況は私淡島克也がお送り致します』
一方で、ここは北海道、マキバファームの事務所。
嵐のような出産と種付けのシーズンをようやく終えて、一段落しようとしたところで生産馬が海外の大レースに出走するとあっては、如何に疲労が残っていようと、例え発走時刻が日付を跨いであまり経たないとしてもスタッフ総出で応援するしか選択肢はなかった。
「セキト、やれるっすかねぇ」
「アホ、アイツは環境が近いって言われとる香港で大仕事をやった馬や、信じるしかあらへんやろ」
欠伸をしながら疑問を口に出したスタッフを、薪場がたしなめた。
とは言えど、薪場自身今日のセキトはどこか落ち着きを無くしているようにも映り、不安が全く無いわけではない。
「(どうしたんや、いつものお前らしくあらへんやんか)」
しばらくキョロキョロそわそわとしていたセキトだったが、鞍上に何か声をかけられるといつもの調子を取り戻し、軽やかに駆け出した姿を見て薪場はそっと胸を撫で下ろす。
「(せやで、そう、それでええんや・・・)」
セキトは、牧場始まって以来の大物だ。仔馬の頃から大切に育て、そして、競馬場でも遺憾なく発揮されたその賢さとスピードは彼の将来を約束した。
「(どうせ、お前が現役でいられんのも後少しや、思い切りやってやれ!)」
薪場はセキトが無事に次のステージに上がるのは勿論、その前に再び大仕事を成就させる事を願わずにはいられなかった。
『・・・えーっと、今日はどこに入るんだ?』
「セキト・・・?あ、今日は8番だよ」
『うげ、ほぼ真ん中かよ・・・』
キングズスタンドステークス、発送間近。
ゲートの前で迷う素振りを見せていたら、ジュンペーがそう教えてくれた・・・馬口さんに続いてお前も俺の意思を受信できるようになってきてねーか?
ブルルと鼻を鳴らして了解の意を示す。え?なんでちょっと嫌がったんだって?俺がスタートする位置が真ん中だったからだよ。
日本ならともかく、欧州のレースでは多少の荒事を見逃される傾向にある。しかも俺は日本から来た赤い毛色の馬・・・いい意味でも悪い意味でも目立つからな、狙うなら格好の的って訳。
・・・まあそれもこれも、相手より上手くスタートを切ってしまえばいい話だ。その自信はたっぷりある。
『さて、やってやりますか!』
「お、セキト、やる気だね」
俺は意気揚々とゲートにその身を収めた。
ジュンペーに、太島センセイに、馬口さんに・・・それに、ウィリアムセンセイにも。
皆に応えたい。その思いで心臓の鼓動が早くなって、それが自分の身体の内側から聞こえてくる。
『慌てるな・・・慌てるな・・・!』
落ち着け、俺。慌てるな、俺。
欧州にファンファーレは無いからそれも気をつけないとな。間違っても出遅れだけはしちゃいけねぇ。したら間違いなくおしま「セキトっ!スタート!」
『ぬなぁっ!!?』
しまった!集中しすぎて周りをちっとも見ていなかったせいで、ジュンペーに声をかけてもらうまでスタートに気付けないなんて!
しかも反射的に反応できたのに、丁度後ろ脚で踏み込んだところの地面が柔らかくなっていたらしく、ぐにゃっと沈んでまるでダッシュがつかなかった。なんてアンラッキーなんだ!
「くっ・・・!セキト!諦めるな!」
『ああ!!』
スタート早々不運に見舞われた俺だが、それがこのレースを諦める理由にはなりはしない。
めげずに前のポジションを目指し加速する。が。
『行かせないよ!』
『悪いけどこれも勝ち方のひとつなんだ!』
前の二頭が、騎手の指示に従ってぎゅう、と加速した俺を挟み込む。
「うぐっ、大丈夫かセキト!」
『ああ!平気だ!お前ら何しやがる!?』
いきなりスピードを落とさざるを得ない危険な状況、ジュンペーの無事を確認した後俺が怒りに任せてそう怒鳴りつけても、左右の二頭は飄々とした態度を崩さない。
『このくらいなら怒られないからね!』
『そうそう、勝負のまぎれさ!』
ああもう。早速出やがった。これが、危惧していたことの一つ。馬体を挟み込んで体力をロスさせるサンドイッチ攻撃。これ、酷くやらなければ欧州の競馬だと反則にならないんだよな!
だが、このくらいなら想定済みなんだよ。俺だって、このくらいのぶつけ合いなら経験がある・・・入厩前の育成牧場でだけどな!
『邪魔するのはいいけどよ・・・お前ら全然パワーが足りねぇんだよ!』
『わ!』
『うぎゃ!』
ここはいかにも純スプリンターな俺の身体が役に立った。一か八か邪魔な二頭を逆にふっ飛ばして前目へと進出していく。
「ほぼ想定通りの位置だけど・・・!」
レース前、事前に貰った太島センセイの意見も交えたウィリアムセンセイとの作戦会議で決まった戦法は、好スタートからの先行。
なんやかんやほぼその想定通りの位置につけられたのではあるが。
『(くそっ・・・!結構体力を持ってかれたな)』
先程の押し合いのせいで、体力を結構使わされてしまった。
しかし、欧州の競馬では、こうやってゴリゴリとやり合って尚、先行有利となる展開が多く、後ろから行く馬が届くことは殆どないのだ。勝ちたければ、逃げるか先行しかない。
「・・・このまま行くぞ!」
『おう!』
ジュンペーが腹を括って「そのまま行こう」と手綱を少し緩める。
俺の力を信じてくれているからこその作戦・・・うれしいじゃないか。よし、それに乗ろう。そう決めたところでハロン棒が彼方に過ぎ去っていった。
「もう600か・・・流石、速いな」
『ジュンペー、どうする?』
残り600、ここから先はいつレースが動いてもおかしくないし、何なら後ろの連中が既に動き始めている気配がする。
「よし、ここはもう少し前目に・・・」
『ああ・・・』
ジュンペーの指示で更に前目へと出て、粘り込みを図ろうとしたときだった。
『!?』
急に、ぐにゃりと右前脚の力が抜けた。
「セキト!?大丈夫か!?」
『んなんっ、だってんだ、よ!』
転びそうになる身体を無理やり起こして、力づくで立て直してそのまま競走を続ける。背中のジュンペーも体勢を崩しかけたが、一緒に持ち直してくれたようだ。
まさか故障!?と頭に嫌な考えがよぎった。よもや脚の骨が折れたのかとも思ったが、もしそうだとして、だったらこんな走れるほど踏ん張りが効くわけがない!
半ばパニックになりながら、俺は外へヨレる。その時後ろに流れ、視界に入ったのが、右前脚の着地点。
俺が脚をついたと思わしきその部分だけが、狙い澄ました落とし穴の如く窪んでいて。それがすべてを物語っていた。
日本でこんなことが起きれば陰謀論だの馬場の整備不良だのいろいろと香ばしい議論が巻き起こること間違いなしだが、自然を重んじる欧州競馬のことだ。俺はその正体に察しがついていた。
『も、モグラの穴、だと・・・!?』
・・・そう、自然を重んじるあまり、コースの中にモグラが住み着くことだってある。それが欧州。
俺は運悪くそれを踏み抜いてしまったのだ。
そして、この間にも他の連中は俺を全く意に介することもなく、勝利に向かってひた走っている。
『ク・・・クソッタレェェぇぇぇ!!』
・・・後から振り返ってみれば、なんと散々なレースだったことだろう。スタートこそ自分の責任だが、その後のサンドイッチも、モグラの穴も、俺は何もしていないっていうのに。
これが、世界のレース。
これが、世界有数の競馬場。
俺はまだヒトの理性を持っているから驚かずにいられるけど、これが普通の馬なら。
走ること自体が嫌になったとしても納得するしかないほどには何もかもが違って、たった一ヶ月という時間では何もできなくて。
・・・その不条理に、ふつふつと怒りが湧いてくる。
「ちょっと危なかったな、このまま流すぞ・・・セキト?」
ジュンペーは俺を気遣って、このまま追わずにゴールしようとしている・・・このまま?なにもしないまま?
ここまで来て、何もできないまま終わるのか?
『・・・ッざけんな、よ・・・!』
俺の答えは、否。遂に怒りが湧き出して、噴水のように止まらなくなって。それで頭の中がまったく隙間なく一杯になった瞬間。
『・・・アレ―?』
世界が真っ白になった。
・・・その時、目の前で起こった出来事を、僕は未だに信じられない。
一年、二年、十年・・・いや、一生忘れることはないだろう。それほどの衝撃だった。
人懐っこくて、賢くて、無駄なことは一切しない。
そんな彼が突然見せたその一部始終は競走馬としての本能・・・生き物としては、狂気とも言うべき一面だったように思う。
『ッヒン!?』
「っ!?」
レース中、残り500mほどの所で、なにかに脚を取られたセキトは大きくバランスを崩してしまったのが、切っ掛けだった。
幸いなことに、僕もセキトもそのまま体勢を立て直すことができ、転倒という最悪の事態は免れた・・・けれど、随分派手に躓いたから故障が心配になって。
この瞬間、僕の頭の中は勝つことからそのまま流して、とにかくセキトを無事に日本に返さなくてはという考え一択だったし、それが最善手だったと今も思っている。
ところが。
『ア、ガアアアアアアッ!!』
次の瞬間、聞いたこともないような鳴き声・・・いや、最早咆哮とでも言うべき声を上げながら、セキトが再び強く地面を踏み込んだのだ。
「セキト!?無茶するな!セキト!!」
嗚呼、なんという馬だろうか。まるで僕が一早くレースから降りようとしているのを察して、それを許さないと言うかのように強く、前へと進む。
「セキト!頼む!言うことを聞いてくれ!」
しかしそれは、本来の走りを知っている僕から見れば、理想からはかけ離れた命そのものを削り、砕きながら進む行為に他ならない。
このままでは本当に脚が折れてしまう、なんとしてでも止めなければ。祈るような思いで君を待っている人は大勢いるんだと声を掛けても。
『ブルッ!ブルルッ!!ブルルッ!!』
返ってくるのは、狂ったように駆ける荒々しい獣の呼吸だけ。その迫力たるやこれが300年の時を掛け、人々が
少なくとも僕の知るセキトバクソウオーは、この時世界から消え失せていた。
そんなことが起きているとは知らない観客たちの大歓声によってレースはいよいよ佳境を迎える。
先頭をひた走っていたスモーキンビューにザトレイダー、オリヴィアグレース、ドミニカ・・・そして、セキトもそれに追いつかんと必死に痛めた筈の脚を回転させ、伸ばす。
『グルッ!グルッ!!グルルッ!!』
「セキトッ!止まれッ!」
思わず手綱を引っ張ると、流石に苦しいのか肉食獣が唸るような声を上げだしたセキト。
しかし、それでも。彼は頑なにその脚を止めようとはしない。
「もういいんだ!!」
僕にはそれがまるで車かなにかのエンジンが、取り返しがつかないくらいに壊れる寸前に上げる悲鳴にも思えて来て。気づけば血が出そうなくらいに手綱を懸命に引っ張りながら、怒鳴りつけるように言い放っていた。
『ブフォルルッ!ブフルルッ!』
それでも、
「・・・もう、いいんだよ・・・!」
『ブルルルル・・・ッ!』
「よし・・・よしっ・・・!」
残り200mとちょっと。躓いてから1ハロン以上を駆け抜けてようやく立ち止まってくれたセキトバクソウオー。
興奮が収まらず、激しく上下に振り乱す彼の首に抱きつくようにしながら、よく止まってくれたと宥めるように両腕で撫でる。
いつもの君に戻ってくれと、祈るような思いでそれを続けた。ひょっとしたら年甲斐もなく涙だって流していたかもしれない。
けれども、そのくらい。君を失うのが怖かったんだと立ち上がった耳に囁いて。
頼む・・・帰ってきてくれ。
どうか。あの、僕の相棒たる、セキトバクソウオーに戻ってくれ。
『・・・フヒィン』
「セキ、ト?」
それを続けていると、不意に優しい、どこか頼りなさもある嘶きが聞こえて。
顔にごわっとした感触のものが擦り付けられた後、顔をあげるとセキトが真っ黒な真珠のような瞳で僕を見つめていた。
そこに先程までの狂気はなく、穏やかな眼差しはすっかり普段のセキトそのもの。その眼と視線を合わせて、ようやく僕は騎手として勝つ以前の務めを果たせたのだと安堵する。
しかし、どれほど美しく語ろうとしても。こうして途中で脚を止めるということは、競走中止・・・つまりは、途中棄権にほかならない。
そこまでにどれほど素晴らしい走りをしていたとしても、成績には一文字も残らないのが、現実。
「・・・!」
セキトはきっと、そのことを分かっていたんだろう。周りを見渡したかと思えば、立ち止まったその場に立ち尽くしたままわなわなと震えだし。両の目から雫が幾つもこぼれ落ちていった。
しかし、睨みつけるようなその視線だけは遥か向こうへ走り去った出走馬たちへとしっかり向けられていて。
「・・・ああ。次は、勝とう・・・!」
その悔しさを共に背負うことを決意しながら、僕は鞍のあぶみから足先を抜いた。
・・・というわけで、セキトの欧州一戦目の結果は散々無礼るなされた上での競走中止でした。
セキト自身を含め、誰一人として納得の行かない結果。陣営の次なる選択は!?
金曜更新は、掲示板で諸々の反応を投稿する予定です。