サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
当然のことのようにロールバック処置となりましたが、配布の瞬間サイゲのオフィスにはブルボンでもいたんでしょうか?
しっかし総ファン数3兆人とは・・・これ、現代の地球で言ったら何個必要になるんでしょう(笑)
7月某日、ニューマーケット ジュライカップ最終追いきり―。
「いいぞ、セキト・・・!」
『ブルルルルッ!!』
僕・・・岡田順平は静養期間を終えた赤い相棒の背に跨がり、ニューマーケットの馬場を力強く駆け抜けていた。
「(やっぱりこいつはすごい馬だ・・・この短期間で、走るのが上手くなってる!)」
その走りの感想としては、感嘆。その二文字に尽きる。
どこか機嫌良さげに走るセキトの蹄はデコボコとしているはずの地盤をしっかりと捉え、日本にいるときのようなガツンとスピードに乗る走りを取り戻しつつあった。
それどころか・・・元々力強く駆け抜ける印象の強い馬ではあったけど、その足取りはひと月前と比べても更にパワーアップしていて。
共に走れば走るほど、今なら欧州の馬たちにもひけを取らないと胸を張って言えるくらいには自信しかない。
「調子はどうだい?」
『ヒヒンッ』
伺うようにそう尋ねれば、セキトはいつものように短い鳴き声で応えてくれた。これは、好調の証。
「・・・貰ったかな」
海を渡った先での大舞台。にもかかわらず更に一皮剥けたらしきこいつの活躍を欧州の人々に見せられるかと思うと、今から顔がニヤけてしまって。
万が一マスコミにでも撮られていたらマズイから、すぐにポーカーフェイスを意識する。
それにしても、静養している間に何かきっかけでも掴んだのだろうか。そのくらい別の馬かと思うくらいには欧州の馬場に適応できていた。
その証拠に、今日の調教ではせいぜい手綱をしごいて「強め」くらいで追っているんだけれど。たまたま居合わせた他の馬たちを軽く追い抜いていくくらいには勢いのある走り。
「(これが全力じゃないなんて・・・!本番では、どれほどの走りができるんだろう)」
ふとよぎるのはアグネスワールドに続く偉業・・・即ちジュライカップの制覇。
かつては絵空事と言われていた、日本馬による欧州のG1制覇。
そして。セキトは今までそれを成し遂げた馬たちとは、決定的に違う点がある。
シーキングザパール、タイキシャトル、アグネスワールド、そしてエルコンドルパサー・・・。
彼ら、彼女らは皆海外で生まれ、日本人の馬主に買われて日本の地を踏み、走ったマル外の馬だった。
だが、セキトは。
父サクラバクシンオーの名を聞いて海外血統だと言う人はいないだろうし、ましてやその母系に流れるは、名牝スターロッチの血脈。
これを『日本の血統』と言わずして何というのだろう。
・・・もしも。もしもの話だけれども。
このレースを・・・ジュライカップを勝てたのなら。
日本馬のレベルは、世界に手をかけるところまで来ている、もっと世界へ飛び出していいのだという動かぬ証拠になるのでは?
前走の有り様にも関わらず、そう意識してしまうほどには、今日のセキトは絶好の動きで。
「・・・もう少し飛ばすかい?」
『ひひーんっ!』
僕はその威勢のいい返事に免じて、調教の強さをゴール前一杯に切り替えた。
その日、ニューマーケットの直線に火の玉が駆け抜け、そのタイムは欧州遠征中に記録したものとしてはベストになったのであった。
「
レースが近いということもあって、調教から上がってきた僕達を出迎えてくれた現地の調教師、ウィリアム先生がひと目見てそう漏らしたくらいには、セキトの心身は抜群のコンディションへと仕上がっていた。
触れば弾けてしまいそうなほどの弾力のある筋肉、ギラギラと闘争心にあふれる瞳。なによりそのすべてを支える脚も、全然へっちゃらといった感じで。
「
あまりのデキに、先生が直々にセキトの馬体を触って確かめ、その後に納得したように頷いて。
「
「
長年の経験から培われてきた確かな腕に太鼓判を押され、それに応えるよう僕もまた自信を持って首を縦に大きく振ったのだった。
『いやー、走った走った!』
ジュライカップに向けた調教の後、俺は洗い場で水をかけてもらいながら心地のいい疲れに身を任せている。
ジュライってことは・・・7月か。そりゃ道理で段々と暑くなってきてるわけで。
「
『おう』
物思いに耽っているとスタッフさんから声をかけられたから、適当に返事をした。
英語はほとんどわからないんじゃないかって?一ヶ月もいりゃ嫌でもニュアンスくらいは分かるようになるわい!
最近は俺の存在もここに浸透してきたみたいで、名前を呼んでくれるスタッフさんが増えてきて。それが何だかうれしい。
俺が返事をするのを見て、大体同じ言葉・・・多分「賢い馬だ」って感じで褒めてくれるし、寧ろ「こいつ返事するぜ!」って話もセットになって恐ろしい勢いで広まってるんだろうな。
それにしても・・・今日の調教。何だか非常に上手く走れた気がする。昨日の今日までどうやって欧州の馬場に適応しようかどうかなんて考えてたなんて信じらんねぇくらいに脚が上手く動いてくれた。
何が起きたかなんて自分でも分からないし、寧ろ怖いくらいだが、これなら本番でも良いところは見せられるかな・・・なんて。
『(前走が完全にアレだったからなぁ・・・)』
今思い返してもあのレースは酷かった。スタートは出遅れるし、道中は馬体をぶつけられるし、挙句の果てにモグラ穴。
度重なる欧州の洗礼にもうお手上げと言う他なかったが・・・勿論俺も、ジュンペーも、ウィリアム先生だって。それを対策しないまま出走するようなバカじゃあない。
まあ、その対策の大半はこうして俺が欧州の馬場に適応したことによって杞憂に終わった訳だけれども。ウィリアム先生、素晴らしいそのアイデアは次の馬たちにでも生かしておくれ。
さて。その日の夕方、俺が出走する次のレース、ジュライカップの作戦会議の時間がやってきた。
ジュンペーとウィリアム先生、そして馬口さんも交えてどんな作戦をとればより俺のパフォーマンスを引き立てられるだろうかと協議が重ねられ。
出された課題としては馬体をぶつけられたくないし、それによって走りのリズムを妨害されたくない。
それさえクリアできれば俺の走りとスピードならばチャンスは大きく広がると。
ならばその答えは。皆がうんうんと唸った末にジュンペーがいとも簡単にその解を引き出してみせる。
「
三十六計逃げるに如かず。ハイペースで逃げてそのままゴールに飛び込む作戦だ・・・いや、作戦っていうのかこれ?
「
先行とかにしたほうが、という俺の思いとは裏腹に、ウィリアム先生も「それでいい」みたいなニュアンスで話してるし。
『疲れ果てるまでひたすら逃げる・・・かぁ』
とにかく調教での動きの良さから俺は、ジュライカップで馬生初めてとなる逃げ戦法に挑むことになったのだった。
確かに逃げるならば脚を余らせたり、実力を発揮できなかったとあれやこれや言ってくる外野の口を塞ぐことにも繋がるだろう。
しかしジュライカップは、1876年創設・・・イギリスのレースの中でも歴史と権威のあるレースだ。欧州のG1戦線を張っている強豪が出走することもあり、そうなればハナを叩くのは容易ではない。
そこで初めての戦法を取る。思い切りの良さが良策と取られるか愚策と取られるかは、俺の勝ち負け次第だ。
勝てば官軍負ければ賊軍。それは昔っから変わらない、勝負事における基本ルールの一つ。
『(まあ、それでもやれって言われたら・・・ねえ)』
だが俺だって、ハイレベルな日本のスプリント戦線と香港で戦い抜き、G1馬の栄光を得ているのだ。ライバルたちの顔とその看板にかけてただ負けに行くのも許されないのが辛いところ。
だけど。
『やるっきゃねえだろうがよ』
それが、逆に俺の中に巡る「誰よりも速くあれ」というスプリンターの血を沸き立たせる。
やるからには勝たねば。いや・・・やってやる、なんとしても。
俺の身体と心には、早くも次の戦いに向けての気合がみなぎっていた。
セキト、次走に向けて視界良好!
金曜の更新では激闘のジュライカップをお送りする予定です。