サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
今回は一休み回、短めな上いつも以上にフリーダムです。
札幌競馬場に本当に枠場があるかどうかは知りません。
『あ"ぁぁぁぁ痛い痛い痛い先生やめてくれぇぇぇぇ』
レースから数日。俺は情けない声を上げながら馬房で獣医のマッサージを受けていた。
「どうでしょうか?」
悲痛な鳴き声を聞き、少し心配そうな俺担当のベテラン厩務員、
「ひどいコズミですね、まあ3歳馬があれだけ激しいレースをしたんですから当然といえば当然ですが・・・」
その言葉に馬口さんは胸を撫で下ろしつつ、苦笑いしながら言った。
「出遅れた上に引っ掛かって、そこから突然急に折り合って加速ですからね・・・そりゃコズミぐらいなりますよ、どうにもなってなかったらバケモノです」
コズミとは馬の筋肉痛を指す言葉だ。大した症状ではないが油断すれば痛みを引きずってトレーニングにならないし、下手をすれば故障の原因ともなり得る。
そう、新馬勝ちを収めた俺だったが、その次の日から身体中の痛みに襲われ、調教や調整どころではなくなってしまったのだ。
それにしても勝ったには勝ったが、反省点の多いレースだった・・・。
まだ札幌開催は続くので競馬場の厩舎に滞在しているが、まだちょっと身体を動かそうとするとピリッと痛みが走る。これは本当に酷い。このままだと、この年代だし「アレ」をやられるかも?
「やはりこれは放牧しかないですかね」
「そうですね。それと・・・これもやっておきましょうか」
馬口さんと獣医が二人で頷き合っている。どうやら俺は放牧に出されるらしいが・・・獣医が念のため、とカバンからゴソゴソと取り出したのは彫刻刀のような、小刀のような刃物。それを見て俺は思わず身体が強張った。
うわ、出やがった。
俺がさっき「アレ」と表現したやつ。ホントの名前は笹針。
笹の葉に形状が似てることからその名が付いたらしいが、俺のように疲れまくった馬なんかの身体にブスっと刺すという恐ろしい使い道のためだけにある道具だ。それのどの辺りが「針」なんだよ。
うっ血した悪い血や溜まったガスを体の外に出すことで疲労回復を促進するらしいが西洋医学的にはなんで効果があるのかわからないし日本以外では行われない治療なんだそう・・・治療?
「センセイに連絡を取ったら、馬主の許可も降りたそうです」
まあ、心優しい朱美ちゃんは笹針なんて許可、してる!?
「それじゃあ枠場に行きましょうか」
冗談じゃねぇ!コズんだ身体にムチを打って、後ろ足で立ち上がって抵抗する。
『笹針だけはやめろ!いでっ、やめてくれー!』
「おっと!?どうしたどうした」
どうしたじゃないよ、馬口さん。それから朱美ちゃん!?なにさらっと許可しちゃってんの!?さてはセンセイだな!上手く言いくるめやがって!
というか枠場って、注射の時なんかに使うすごく左右の幅が狭くて前と後ろにしか動けなくなる場所だ!予防接種ならともかく笹針をやられるって分かっててあんな狭いところに入る馬はいないって!
「はいはい早く行くよー」
『あーーれーーー』
しかしコズミでいつもより力が入らないせいなのか、馬口さんの手綱さばきが上手いのか。俺はずるずると引きずられる様に外へと連れて行かれるのだった。
『ウソでしょ・・・』
それから数日後、育成牧場に放牧に出された俺の身体は笹針の傷跡こそあるものの、ある朝目覚めたらあのコズミが嘘のように綺麗サッパリ消えていた。本当に効きやがった。
その時開口一番に出たのが、さっきの言葉だ。笹針ってすげぇ。痛い痛いって嫌がってすみません。でも実際傷がまだちょっと痛いです。
太島センセイは朱美ちゃんに俺が一段落ついて元気な姿になってから事後報告しやがった。傷には驚いてたけど目を輝かせて「笹針の効果ってすごいんだ」って言ってたし、痛がる姿を見させないとは策士め・・・。
その後軽い運動なんかで調整してもらいながら傷が塞がるのを待ち、俺が再び美浦の地を踏んだのは、9月も中旬に入ってからの事だった。
『ようやく帰ってきたか。先月に札幌に行ったと聞いていたが随分と遅い帰厩だったな』
馬房に入った俺に話しかけてきたのは、左隣の馬房にいる黒っぽい馬、イーグルカフェ。ネタバレしてしまえば、正史では将来のG1馬である。
正史、と言ったのはこの間俺が新馬戦に勝ったように本来の勝ち馬から勝利を奪ったり着順が変わったりしてその後に影響を及ぼさないとは言えなくなって来たからだ。
『よぅ、帰ってきたぜ』
『うむ、世話係たちの話を聞いてみれば新馬戦を勝ったそうだな。それは見事であるが筋肉痛とは。赤兎の名が廃るぞ』
『うっせぇ、お前デビュー前のくせに』
『吾輩は貴様の失態を指摘しただけだ。それと吾輩の初陣となんの関係があるのかとんと分からぬ』
イーグルカフェはこんな風に挑発を掛けてもどこ吹く風、といった感じの奴で、この場にコーヒーか紅茶でもあったら優雅に嗜んでいそうですらある。
それとどこぞの文豪みたいな雰囲気で話すが、これでも俺と同年代の3歳馬らしい。ついでにアメリカ生まれ。一体その口調はどこで覚えたんだ?
『そのデビュー戦ってのは決まったのか?』
『・・・なんとも言えぬが、吾輩の鍛錬の結果次第で
『11月か』
正直、人の俺が生きていた頃には遅い、と言われる時期だがこの時なら未勝利戦もわりと長めの期間が用意されていたんだっけか。
『がんばれよ』
せっかく隣同士なんだ。歴史の捻れに巻き込まれることなく勝ち上がれるといいなと思って、エールを送った。
『貴様如きに言われずとも、必ずや勝利をこの手に収めて見せよう・・・手とはなんぞや?』
前半はかっこいいのに、自分でそのかっこよさを台無しにしてらぁ。そうだよな、俺たち馬の足先は固い蹄だもんな。ちょっとおかしくて吹き出したけど、お礼にその手ってものを教えてやるか。
『手ってのは俺たちを世話してくれる人間の前足のことだよ』
『む・・・!そうであったか、あの色々なものを吾輩の元に運んでくる世話係の珍妙な前足が、手か。また一つ造詣が深まった、感謝しよう』
『おぉ、お前が礼を言うとは』
『何を言うのだ。他の馬に感謝するのは基本中の基本だと母上も言っておった、同時に馬鹿にしてもいけないと』
イーグルカフェのお母さんは結構厳しかったのかな。すごく礼儀正しいことを言っている。
・・・んん?
今、こいつ他の馬を馬鹿にしてはいけないと言ったよな?
とするとさっきの『赤兎の名がうんたらかんたら』は、本人にバカにする意志は全く無かったということか?
『イーグルカフェ』
『何だ』
俺の呼びかけにイーグルカフェはぶっきらぼうに答えた。
『お前、これから喋るときに言い方とか口調とか気をつけないと、誤解されるぞ』
『何の話をしている』
『さっき俺に言った赤兎の名がなんとかってやつ。あれ、気をつけないとバカにしてるって思われる』
『ああ、あの発言か。大丈夫だ、貴様以外に赤兎を引用する気はない』
いや、違うそうじゃない。こいつ案外天然なのか?
これからが心配だが、俺にはどうしようもないことだと思って会話を切り上げ、水桶に口を突っ込んだ。
一口二口水を含んでから入口の方を見ると、電話で話しながらセンセイが歩いているのが見える。
相手は・・・朱美ちゃんか!馬耳にかかれば通話相手の声をキャッチするくらい造作もないのである。何を話しているかまではわからないけどな!
それでセンセイが何を話しているかと言うと。これは・・・。
「・・・ええ、それでセキトバクソウオーの疲労も抜けて、仕上がりも思ったよりは落ちてなかったので10月か11月の東京で一回使おうかと。」
おお、次のレースの話だ。そうか、俺新馬勝ちをしたからやろうと思えば重賞なんかにも出られるんだよな。
「それで・・・候補になるのが10月末のいちょうステークスか、11月に入ってからの京王杯3歳ステークスなんですが・・・個人的にはいちょうステークスの方に出したい気持ちが強いです」
いちょうステークスって確か、2X年ではサウジアラビアロイヤルカップって名前で開催されてるG3だったよな?今の時代は・・・そうか、OPか。ちょっと残念。
「京王杯は出走馬が・・・出られないことはないんですが3戦連続連対、あ、連対は2着までにゴールすることですね、はい。その戦績をもったエンドアピールや、芝ダート両方走って勝利しているノボジャックなど、レース経験豊富な馬が多いんです」
エンドアピールって馬はともかくノボジャックって確かダートのG1馬じゃねえか!芝も走ってたのか。
「はい・・・負担的な意味では少頭数になりそうないちょうステークスのほうがよろしいかと・・・ええ、ええ、ではそちらの方向で進めさせていただきます」
さあ、強敵もいそうな京王杯3歳ステークスに挑むのか、後々を考えていちょうステークスを走るのか、どっちになったのかな。センセイが電話を切った。
ってあっ、あー!そのままどこかへ!
マジかよ、出るレースが分からないんじゃ対策のしようもないぞ!
と、その時は次のレースが分からなくて焦ったんだけど、後日、馬口さんが俺に話しかけてくれた、
「セキト、次のレースはいちょうステークスだよ。がんばろうねー」
という言葉のおかげで俺の次走はいちょうステークスであると無事に判明したのであった。
ちなみに現代でも笹針治療が行われることもあるそうですが、患部などにショックウェーブ(衝撃波)を当てるショックウェーブ治療の方が疲労や故障等のケアとして一般的になりつつあります。
セキトは回復に繋がりましたが、笹針自体に効果があるかどうかは未だ議論されており、結論は出ていません。
次回更新予定は木曜22:00になります。