サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します   作:Budge

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とうとう時系列上、この時がやってきてしまいました・・・。

しかしなるべく史実は壊さないと決めた以上、このイベントは避けて通れないわけで・・・。




摩天楼、ターフを去る

セキトバクソウオーが妹分との併走兼、矯正兼、トレーニングにヒイヒイ声を上げているその頃。

 

日本から遠く離れたフランスの地、パリロンシャン競馬場・・・日本競馬の悲願である凱旋門賞を駆けるマンハッタンカフェの姿があった。

 

『ヘビイサン!』

 

「これならいける・・・!!」

 

勢いよく前へと進もうとする相棒を制し、今はまだだと手綱を引っ張る鞍上、蛇井政史は3年前の悔しさをここで晴らさんと冷静に心を燃え上がらせていた。

 

そして、偽り(フォルス)の直線(ストレート)と呼ばれる長い4コーナーを抜け、残すは直線500m。

 

目指すは世界の頂点。

 

「(あの時は本当に悔しい思いをした・・・!エル!!力を貸してくれ!!)」

 

漆黒の相棒の力を解き放とうとしたその脳裏に過るは、今年の夏に、あまりに早すぎる死を迎えたかつての相棒。

 

その無念が背中を押してくれるのでは。そんな淡い期待もあったのだが。

 

『!?』

 

「マンハッタン!?大丈夫か!?」

 

何回目かの鞭を入れた正にその瞬間。マンハッタンカフェの走行フォームががくんと崩れた。

 

その事実に、先程までは沸騰しそうな程に熱くなっていた蛇井の心の温度が一気に凍てつきそうなほどに冷え込んでいく。

 

「(故障か!?)」

 

『大丈夫!まだやれる!』

 

それも一瞬のことで、マンハッタンカフェは大丈夫、まだ行けると言わんばかりに走り続けている・・・が、蛇井の目と感覚の前には、どこかの脚を痛めたことなどお見通しで。

 

「・・・くっ!」

 

咄嗟に勝利を目指すのではなく、マンハッタンカフェを完走させるに留める決意を固めた蛇井の、手綱を追う手が止まる。

 

『ヘビイサン!?どうしたの!?』

 

レースの興奮故か、己の脚が傷ついているとも知らずマンハッタンカフェは今までになかった出来事に混乱しながらもひたすら先頭を目指して突き抜けようとしている。

 

『ねえ!僕が走ってるのって!みんなが勝ちたい!ってずーっと思ってるレースなんだよね!?ねえ!?』

 

それは、レースに臨む前、耳にタコが出来そうなほどに「日本競馬の悲願」を聞かされていたからかもしれないし。

 

『(なんで、なんで進めないの!?悔しい、悔しい・・・!!)』

 

どれほど普段は温厚な面を見せていたとしても、その身体に流れている、荒ぶるサンデーサイレンスの血に突き動かされていたからかもしれない。

 

しかし、そこにどんな事情があったとしても。

 

「ごめんな・・・マンハッタン・・・」

 

『・・・なんで謝るの?ねえ、ヘビイサン・・・ねえ、なんで・・・』

 

痛めた脚を守るためには。

 

その命を守るためには、前へと進もうとする意志を反故にしてでも、直線でみっともなくずるずると位置を下げたとしても、そうするしかなくて。

 

遠征で新たな栄光を手にした赤き優駿に対して、漆黒の摩天楼を待ち受けていたのは・・・日本中の期待に対して、あまりに無惨な結果だった。

 

 

「どうした、何があった?」

 

力なくゴール板の前まで駆けた愛馬に何か異常が起きた事を察したのか、マンハッタンカフェの馬主が怪訝そうな顔で引き上げてきた人馬に問いかけた。

 

「・・・恐らく故障です。どこかの脚を痛めたみたいですね・・・」

 

蛇井の、力ない言葉に見る見るうちに顔を青ざめさせていく馬主。そして、世界にも通じる強い馬のそんな姿を晒してしまったことに責任を覚えた蛇井は顔を伏せ、ターフから立ち去るまで決して視線を上げることはなく。

 

XX02年。マンハッタンカフェ、凱旋門賞13着。

 

今年も、凱旋門の扉は固く、閉ざされたままだった。

 

 

数多くの敗者と変わらないマンハッタンカフェは、そそくさと馬房へと戻ってくる・・・が、やはりその表情は浮かない。

 

それを見た隣の部屋から見慣れた鹿毛の顔が顔を出し、喋りかけた。

 

『戻ったか。結果は・・・その様子を見る限り、駄目、だったようだな』

 

イーグルカフェだ。マンハッタンカフェと共にフランスへと渡り、前日のG3競走、グレフュール賞で3着とまずまずの成績を収めていた。

 

だが、あくまで自分は前座。そう理解していたからこそ、本命である後輩のレースの吉報を期待していたのだが。

 

陣営の様子から結果を察するイーグルカフェ。

 

『異国の地での競走故、これも仕方あるまい』

 

恐らく惨敗を喫したのであろう、後輩にそう励ましの声をかける。

 

『・・・』

 

ところが、当のマンハッタンカフェは耳と目を動かしただけで、イーグルカフェの言葉に返事をすることはなく。

 

『む、聞いているのだろう?無視とはいい覚悟をしているな?』

 

そのことに気を悪くしたか、イーグルカフェは声を荒げるような事こそしないが、少々ムッとしたような様子で再びマンハッタンカフェに話しかける。

 

『おい、聞いて・・・!成程、そういうことか、これは失礼した』

 

その勢いのまま、馬房を遮る壁の格子から様子を伺ったイーグルカフェは一目でその事情を理解し、ハッとしたように謝罪した。

 

 

・・・イーグルカフェの視線の先で。マンハッタンカフェが、痛々しく、左前脚を上げている。

 

『はは・・・見られちゃいました、ね・・・そうなんです』

 

無理矢理に口元を引き上げながら、か細い声でそう答えるマンハッタンカフェ・・・ここまで脚を痛めていては、その身には相応の痛みが走っている筈で。

 

返事をしなかったのではなく。出来なかったのだ。

 

そして、彼はその痛みか、はたまた別の何かからか。身体を震わせながら、どこまでも澄んだ瞳から一粒だけ涙を流すと、つっかえていたものを吐き出すように。

 

『先輩・・・多分、もう、ボク。走れないです。脚が・・・脚が、とても。痛いんです・・・』

 

そう呟いた声色は、全てを悟ったようでいて、足掻くことを諦めたようでも、まだ諦めきれていないようでもあって。

 

少なくともイーグルカフェには・・・それの本質は、ただひたすらに穏やかなものに思えた。

 

彼の中で、一つの「区切り」がついたことを察したイーグルカフェは、『そうか』とだけ漏らし、それ以上は追求しない。

 

その気遣いの有り難さに、マンハッタンカフェは小さく頭を下げ、感謝の意を示す。

 

そして。

 

とても競走には耐えられなくなってしまったであろう自らの足を見つめながら、ああ、『終わった』のだと。

 

幕切れを受け入れ始めたその横顔にあるのは、納得と、悔しさと。

 

せめてあの「先輩」に一言挨拶くらいはさせてほしい。

 

そんなたったひとつのワガママだった。

 

 

凱旋門賞から数日後。

 

マンハッタンカフェがレース中に屈腱炎を発症したこと。

 

そして、そのまま引退しアグネスタキオンの待つ馬飼スタリオンステーションにて種牡馬入りすることが決定したと、日本中のメディアに向けて発表されたのだった。

 

 

 

 

『マンハッタンカフェが・・・引退!?』

 

『はい、間違いないですよ』

 

よう、今日も今日とて、かわいい妹分に振り回されまくって激しめのトレーニングに励んだセキトバクソウオーだ。

 

スーの悪癖に関しては相変わらずだが、少しは背中に跨った人の言うことを聞こうとする意志も見えてきて改善の余地あり、といった状況。これなら少々キツめに絞った甲斐があるってもんだ。

 

というか、あの子。段々身体が出来てきたとのことで、俺の方を鍛え直すついでに坂路で併走する機会があったんだけど・・・坂なんて関係ないって感じでガンガン駆け上がってたんだよなぁ・・・流石淀の坂を2度超える春の盾を制した血統なだけはある。

 

それでもまだまだ体力不足で最後は流石にバテてたみたいだけどな。どんだけパワフルなんだよ。

 

俺の方も少しずつだが体力と筋力が戻ってきていて、それがタイムにも現れ始めているとか。このまま行ければ香港に経つまでになんとか形にはなりそうである。

 

・・・っと。それよりも、マンハッタンカフェのことだよな。あいつが引退するっていう衝撃のニュースを運んできたのは向かいの馬房に移動してきた2歳の栗毛牝馬、カフェピノコちゃんだ。近々新馬戦に出るんだとか。

 

カフェ、ってついているからきっとマンハッタンカフェと同じ馬主さんなんだろう。だからこそまだそこまで出回っていない情報を知ることができたのか。

 

『オーナーさん、すごく寂しそうでした。だから・・・マンハッタンさんの分も、私が頑張らないと・・・!』

 

そう張り切るカフェピノコちゃん。純度100%、あどけなさも感じるその表情と仕草はなんとも微笑ましいが・・・そうか。マンハッタンカフェも引退か。

 

 

思えば、あいつとは妙な縁があった。

 

セレクトセールでは仔馬だった彼と目が合ったし、そこから時が流れるとなんの巡り合いか同じ厩舎に所属することになって。

 

G1に関しては勝利こそ俺のほうが先だったが、充実の秋を迎えたマンハッタンカフェの力は凄まじく、勝数はあっという間に抜き去られ。

 

かと思えば今年に入ってからは俺だって意地を見せて高松宮記念、ジュライカップとG1を2勝。マンハッタンカフェの方も万全ではないながら春の天皇賞を勝っていて。

 

今現在、俺たちは2頭共にG13勝、仲良く肩を並べている訳だが。

 

マンハッタンカフェの戦績に勝ちが加わることは・・・もう、ない。

 

しかし、凱旋門賞の後に引退するってのは、悲しいかな史実通りだったはずで、カフェピノコちゃんの情報によると種牡馬入りの話が上がっていると聞いたとか。

 

そんな話が出るぐらいだ。どうやら命の危機は無いと分かって一安心。五体満足・・・かどうかは史実を考えると分からんけど、今はとにかく次のステージに行けたことを喜ぶべきで、来年からは沢山の花嫁を相手にする生活が始まることだろう。

 

人見知りならぬ馬見知りな面があるマンハッタンカフェにとって、種牡馬のお仕事は中々ハードになるかもしれない。

 

無事にこなせるかどうか・・・は、先輩として、ちょっと心配なところはあるけれど。

 

その俺だって引退レースを控えているんだ。後輩の身を案じるばかりでもいられない。

 

マンハッタンカフェのことは優秀なスタッフさんがどうにかしてくれるだろうと信じて・・・。俺はあと僅かとなった現役生活で、先輩としての意地を見せてやろう。

 

最後のレースで華々しく勝利を飾って、後輩のG1勝ち数を追い抜く・・・なんて。よくできたドラマだろう?

 

目標のように見えて、その実はただの意地なんだけどな。そんな思いを胸に秘めながら俺はひたすらに調教に励み。

 

 

そして。

 

 

「その日」はあっという間にやってきた。

 

 

 

 

『お、お兄様〜!!』

 

『ほら、泣くなって、一生の別れじゃねーんだから・・・いい子にしてるんだぞ』

 

『ぐす・・・』

 

「スー、大丈夫!セキトはちゃんと帰ってくるから」

 

俺だけが馬房から出され、スーが前掻きをしながら泣き喚き。それを担当のスタッフさんが宥める。

 

周りの連中にとってはここ数ヶ月ですっかり見慣れた光景を繰り広げ、スーの声に見送られながら、俺は厩舎の外へと向かう。

 

ラストレース・・・遂に今年から国際G1として昇格した香港スプリント、その覇者となるべく、また海を渡るためだ。

 

『よっ、モテ男』

 

『よしてくれよ』

 

結局、毎回のようにあれだけ派手に騒がれちゃあ「オスマンサスが俺に惚れている」という噂の流出は止めることができず。

 

しかもスーの方が先に腹を括ったのか調教コースやら厩舎やら、事ある毎にいちゃついてくれるもんだから最近の俺は同年代や年上の馬から「お熱い」とからかわれるのが日常の一端となっていた。

 

でも・・・おかしいんだよな。別段好きって訳でもない筈なのに悪い気はしなくて、それを他のやつからいじられる度にニヤけてしまう。うーん?

 

 

『・・・また、ここからしばらく離れることになるな』

 

けれど、厩舎の外に出て、乗り込み口を大きく開いたまま待機している馬運車を見た瞬間に、表情が引き締まる。

 

これに乗ればそんな風景ともしばしの別れとなるから。

 

寂しい一方で、それが馬体も気持ちも緩んだ今の俺にとっては退路を断つという意味で丁度いいのかもしれないなんて思いつつ。

 

「それじゃあ、行こう」

 

『ああ』

 

馬運車の前で一旦止まってから、俺は馬口さんに引かれて一気にその中へと乗り込んだ。

 

「乗り込みました!」

 

そのまま引き綱を固定されると、馬運車から降りた馬口さんのその声を合図に、ゆっくりと馬運車の扉が閉まりだす。

 

『(これが、俺の・・・競走馬として最後の旅になるんだな)』

 

引退レース、香港スプリント。

 

開設当初から賞金額の高さと開催時期の都合の良さから強豪が集まっていたが・・・G1に昇格した今年は尚の事、世界各地からスピード自慢が集うことだろう。

 

現役最後のレースとして、これ以上なく相応しい舞台は無い。

 

しかし、正直、今の力でどれほどやれるか・・・いや。

 

走る前からこんなんじゃ、負けてしまうに決まっているな。

 

俺が求めるのは、あくまでも一着だと、ジュライカップの時より幾分萎んでしまった身体から声を絞り出す。

 

そうして、『勝つんだ』と。

 

決意を呟いたのと、重い鉄の扉が閉じられたのは、ほぼ同じタイミングだった。

 




マンハッタンカフェ、一足先にリタイア。

セキトバクソウオーはオスマンサスに見送られ、いよいよ香港の地へと向かいます。

次回更新は金曜日の予定です。
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