サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
ギリギリまで魂を注ぎこんでいたらこんな時間になってしまいました!
史実馬解説も後で追記編集いたします!
『っはぁー・・・これで最後、なのか・・・』
香港スプリント、発走直前。
俺は、ゲートの裏でくるくると輪乗りに参加しながら観客席の方を見てため息を着いた。
見慣れないスタンド、日本のものとも、欧州のものとも言えない中途半端な芝。
しかし、今日この舞台こそが俺が走る場であり・・・最後の戦いの、戦場なのだ。
『バクソウオーさん、どうしたんっスか?やっぱり調子が・・・?』
そんな俺の様子に気づいたのだろう。ショウナンカンプが心配そうに話しかけてきた。
『おっ、ショウナンカンプ。いやなぁ、これが最後だと思うとどうしてもな。調子は悪い訳じゃないから安心してくれ』
わがままを言うなら、最後は見慣れた日本で走りたかったな、なんて。
しかしこれからの時代、ローテーションなどの関係から俺やアドマイヤコジーンのように香港のレースを最後の戦いとする馬は増えていくことだろう。
そして、そこで勝利を収めてこそ、人々に鮮烈な記憶と、記録を残すことを許される・・・。
海外を制するってのは、案外新時代の名馬の条件としてスタンダードになるのかもしれないな。
『気合は十分だ』
『・・・そうっすか。安心しました。でも』
コンディションに全く問題はない。俺の言葉を聞いて安心したようなショウナンカンプはほっと一息ついて。
『ちょっとでも油断したら・・・オレが、王座を奪ってやるっス』
今日、この時の為に、今にも弾けてしまいそうなくらいに仕上げてきた馬体からは気合を滾らせ。
釣り上がった黒い瞳からは闘志の光をギラつかせながら、再びの宣戦布告をかましてきやがった。
その迫力は、高松宮記念の時の彼とは比べ物にならないくらいに凄みを増していて、ショウナンカンプを何倍にも大きく見せてくる。
本当に同じ馬なのだろうか?実はこっそりすり替えられてましたって言われても、俺、納得しちゃうよ?
『っ!?・・・いいな!そのくらいの意気じゃなきゃ、国際G1は勝てねぇ。だがよ』
後輩の思わぬ成長ぶりに一瞬怯みかけるも、あの日・・・放牧地で『もう一度だけ』と朱美ちゃんに嘆願した日のことを思い出す。
充実の日々から一転、気まぐれなどこかの神サマの書いたシナリオによって唐突に告げられた『
思えば馬として生まれ変わって、何事もなく育って、デビューして、G1を獲って。
そうこうしている内に俺ももう、一月経てば6歳。下の世代で言えば3世代がデビューしているのだ。
はっきり言って、いつ俺を超えるような逸材が出てきても、不思議でもおかしくもない、それだけの時間が経ってしまっている。
・・・けれど、俺自身、沢山のレースを戦ってきて・・・その上で、この競走生活には『まだ』満足していない。
屈腱炎さえなければ。この脚さえ、保ってくれたのならば・・・あと一年、いやニ年は走っていたい。そのくらいの気持ちだった。スーのこともあるしな。
だが、現実として・・・脚は悪魔に蝕まれてしまったし、そんな状態で出走できたこの一度さえも奇跡に近い、ということは俺自身がよく分かっている。
あれだけ激しいレースを繰り返したのに軽症で。
にも関わらず早々に発見されて。
神経をすり抜けた為に痛みもなく。
・・・いや。屈腱炎になっている以上、「奇跡」という言葉を使うのは少々憚られるか。
ならば、あえてこう言わせてもらおうか。
『屈腱炎になったのは必然だった。だが、同時に勝利もまた、必然だった』と。
だからこそ、俺は、この一戦で悔いの無い戦いを繰り広げなければならないし、まずは・・・最速の王者の目の前で啖呵を切った生意気な後輩に、知らしめる必要がある。
『・・・そう簡単に「最速」に追いつけると思うなぁっ!!』
「
・・・勢い余って、その宣言がシャティンの空へ高く轟くいななきになってしまったのは、完全に想定外だった。
『はぁー・・・』
・・・いや、入れ込んでたってわけじゃないけどさ。レースの前に随分とハッスルしすぎたか?ショウナンカンプに向けて放った啖呵は想像以上に声高になっていた。
その結果どうなったかって?
『勝つのは私だ・・・!』
『アイツ、何やってんだ・・・!?』
『・・・関わらない、でも、気になる・・・!』
ファルヴェロンやコンティネント含む、世界各国の居並ぶ実力馬たちの注目の的になっております。いやー、これがモテ期ですか?種牡馬となる身としては嬉しい限りです。
・・・いや、分かってるよ?あの視線はそんな温かいものとはかけ離れた、訳の分からん奴を見るときの冷たい、射抜くようなタイプのものだってこと。
引退レースで、なにやってんだろう、俺。年甲斐もなく思わず熱くなりすぎたわ。落ち着け、とにかく落ち着けー。
『・・・っし!』
「セキト、ちょっといい?」
『おう』
何度か深呼吸を繰り返し、ようやくある程度落ち着きを取り戻した所に、耳から入ってきたジュンペーの声がやけに染み渡る。
「・・・今日の作戦はセンセイと相談して決めたんだけど・・・」
『・・・ふむ、ふん、ふん・・・はぁ・・・そりゃあまた、しんどそうだな』
周りの騎手に聞かれぬよう、ちらちらと周りを伺いながらも小声でそっと囁かれた作戦を聞いて、思わずため息が漏れる。
だって、これ以上なくシンプルで、これ以上なくバカとしか言いようのない作戦で。
しかし、絶対の力を持っていると信用のある王者ならば、誰もがそうやって挑戦者たちを迎え撃つであろう、そんな走りを求められたのだから。
「はは、そうだよね・・・君がそうやって走るのが嫌いなのは、僕もよく知ってる、けど」
『あまり気に入らない』とそっぽを向いてやれば、ジュンペーは少し笑いながらも俺に言い聞かせる・・・いや。まるで長年付き合いのある親友に頼み込む様に言ってきた。
「誰もが・・・いや、少なくとも僕が。そうやって君が勝つところを見たいんだ」と。
・・・まったく。どいつもこいつも。
最後だからって、俺に無茶苦茶させようとしやがって。
俺だって楽じゃねぇんだぞ、と大きくため息をつく。
しかし、もし、そんなバカみたいな走りで最後まで駆けることができたのならば。
ひょっとしたら・・・『満足』できるのかもしれないと。
その可能性に至ったとき、俺の中でその作戦は、初めて『王道』へと昇華する。
『・・・しょうがねぇな!それで行こう!』
鼻を鳴らしてジュンペーを見やってから、伝わるかどうかは分からねえが大きく頷いて。一つ鳴いて見せた。
『これが最後だからな・・・特別大サービスだ!やってやろうぜ!ジュンペー!』
「・・・セキト!ああ、絶対に・・・勝とう!」
俺がジュンペーと共に、秘策・・・と言えるかは分からない作戦で勝利への決意を改めて固めたのと。
「
馬場に中国語らしき言葉が飛んで、最後のレースの枠入りの誘導が始まったのはほぼ同時だった。
『さぁ日本の競馬界でも、年末の馴染みになりつつあります香港国際競走、その第二戦香港スプリント!日本からは今年最多の3頭、ショウナンカンプ、スプリンターズステークスの覇者ビリーヴ、そして、短距離王者セキトバクソウオーが日本勢二度目の勝利に挑みます、実況は私、淡島克也がお送りします』
「おっ、またこいつ・・・とはいえ短距離って言ったらアワシマだからなぁ」
「そうですよね、他のアナであの人ほど口が回る人、いるんですかね?」
「いないなぁ・・・」
その頃、日本の「居酒屋 ありま」では発走が間近に迫った影響もあり、店内にいるのは少人数ながらも大いに盛り上がりを見せていた。
「勝つのはバクソウオーに決まってますよね」
「バカヤロー!セキトは復帰戦、しかも国際G1だろうが。それで勝てたら誰もこんなにG1を獲るのに苦労しねぇよ」
「いやいや、ファルヴェロンの仕上がりがいいから案外あっさり勝つかもしれねぇぞ」
セキトバクソウオーが連覇達成し華を飾るか、ショウナンカンプ、或いはビリーヴが勝って新たなスプリントの主役となるか、はたまた他国の競走馬に勝利を阻まれてしまうのか。
当然ながら、客一人一人には、それぞれが思い描くレースの結末がある。それ故あらゆる展開への憶測が飛び交ってはぶつかり合い、時に溶け合い、時にお互いの意見を削り合い。
しかし、それらの声は小さなテレビから発せられた、他でもない淡島アナウンサーの一言によってピタリと止まる。
『さぁ、今・・・最後に大外のセキトバクソウオーが収まって、体制完了!!』
想像の中のレースの結末は、果たして現実と合っているか否か。その答え合わせは今、正にこれから始まるのだから。
『・・・はぁぁぁぁ・・・』
「(すごい気迫だ・・・!これは、この作戦で正解だったかもしれない・・・)」
香港スプリント、発走直前。
ゲートに身を収め、今か今かとスタートの時を待つ愛馬の気迫に、僕・・・こと岡田順平はどこか気圧されるような雰囲気すら感じていた。
屈腱炎が悪化しないよう慎重を期した結果、セキトバクソウオーの身体自体の出来は良くて8割。太島センセイはそう言っていた。
それは背中に跨がる僕自身がよく感じ取ることができたし、寧ろ、よく脚元の状態をキープしたままここまで来れたものだと思う。
普通の馬なら、こんな状態でレースに・・・平場のオープン戦や、条件戦ならば案外どうにかなってしまうのかもしれないけど、今日の舞台は国際G1だ。
ただでさえ海を渡る遠征で、世界中から強い馬が集まって、そして激しく争う大舞台。紛れなど、無いに等しい。
正直、勝負にならない可能性だって十分にあったし、割合的にはそのパーセンテージのほうが大きかった筈だ。
それなのに・・・目の前のセキトは、まるで。そんな身体の仕上がりをカバーするかのように。これが名馬だと言わんばかりのオーラが立ち上っているようで・・・。
思わず見とれてしまう。これが最後なんて、信じたくないくらいに。
「ッ!?」
『ジュンペー?どうした?もうじきスタートだからしっかり集中しろよ?』
その姿に思わず動きを止めてしまった僕を案じるように振り返ったその目は血走ることもなく。
ただひたすらに澄んだままで、また閉ざされたゲートの先へと向いた。
その様は、遥か1000m先のゴール板を見つめているようにも思えて。
「・・・そうだね。集中、しないと」
そんな愛馬の姿に倣うようにして、息を吐き、ひたすら感覚を研ぎ澄ます。
他馬の呼吸も、芝生を何度も足踏みする音も、馬場に吹く風も。全部、全部。
何もかもが消え去ったような沈黙の世界に、僕と、セキトの呼吸だけがしばらく続いて。
「!!」
『おう!』
そこに割り込むように聞こえた金属が軋む音を切っ掛けに、僕らは二人で臨む最後の戦いのゲートを飛び出した。
・・・彼こそが「世界最速」だと証明するために。
『第4回香港スプリント、スタートしました・・・おおっとセキトバクソウオーこれは絶好のスタートだ!』
『っしゃあッ!』
言葉もないまま、ただただ反射的な反応に過ぎないジュンペーからのサインに、今までないほど鋭く反応した俺の身体は、あわやゲートに頭をぶつけるのではないかというすんでのタイミングでスタートを切った。絶好も絶好、1000m戦におけるこのリードは大きいぞ。
・・・さて、問題はここからだ。スタートだけで勝てるなら、俺の陣営はあそこまで頭を悩ませることなんてなかっただろう。
ジュンペーから聞いた限りじゃ、今回の作戦は「王者らしい」なんて銘打っちゃいるが、その内容は俺からしてみれば・・・ただの無茶苦茶だ。
しかし、その無茶を通さねば、到底半年ぶりの復帰レースにして国際G1を制するなんて奇跡は起き得ない訳でして。
『さぁ、どうしようか、相棒?』
さあ、ここからどう動きますかね。伺うようにしてジュンペーからの指示を待っていると。
「行けっ・・・走れっ!」
『・・・了解!』
激しく扱かれた手綱こそ、その答えだ。いいね、それでこそこの作戦・・・ああもう、そう言うのも最早馬鹿らしいから、『力尽きるまでぶっ飛ばす』ってネタバレしとこう。
勿論ぶっ飛ばすって言ってもただのヤケクソじゃなくて、今までの俺のイメージ・・・素直に騎手の言うことを聞く、「折り合いの付く賢い馬」ってイメージが世間様にはあるらしいんだよね。
で、当初は真面目に先行押し切りを狙う予定だったんだけど・・・センセイの予想以上に俺の雰囲気が良くなってきた。
ならば、他馬に抜かせないという俺の長所をより活かすために、マークしてくるであろう他の出走馬の裏を掻いていっそぶっ飛ばしてみましょうかと。
ついでにマークをしようとしてきた連中も振り切れるし、俺は実力を発揮できる。一石二鳥だ。
『そのままセキトバクソウオー、岡田順平が手綱を扱いて、後続に1、2馬身程のリードをとります、2番手にはこちらも日本のショウナンカンプ』
『んな・・・ッ!!バクソウオーさん!?正気ッスか!?そんなペースで飛ばしたら・・・』
『ん?・・・ショウナンカンプか!』
結構離れた位置にいるはずなのに、ショウナンカンプが酷く困惑するような声が耳に入ってくる。それほど驚いたということだろうか。
・・・そういえば、この作戦が成功した場合、一番の被害を被るであろう馬が、ショウナンカンプなんだよな。
あいつも一生懸命走っているだろうにと一瞬だけ哀れみにも似た感情が湧いたが、これは勝負なんだ。
時に生命を賭けて走り、ある者はそれを落とし、またある者は絶望的な状況からそれを拾い上げることもある。
そんな非情な戦いを当たり前の様に繰り返し、それでも俺たちが求め続けなければならない宿命にして、何者にも代えがたい喜び。
それが、『勝利』。
あいつには悪いが、最後だからといってやすやすその宝石の如く輝きを放つ
寧ろ、その道程を阻む最大の壁として彼の前にそびえるべく、更にスピードを乗せていく。
『おおっと!セキトバクソウオーが更に加速する!大丈夫か!これは大丈夫なのか!?2番手、内からスーッとミステジックとファイアボルトが並びながら、外のショウナンカンプと順位が・・・入れ替わりました!』
『えーと、あいつは・・・ウソだろ!?あんな前に!?』
『えぇ!?あんなペース・・・自爆しちゃうに決まってる!』
ほら、あまりの超展開に早速企てていた作戦が崩壊した奴らがわめいている。
・・・しっかしお前ら、ハイペースハイペースって大騒ぎしてるけどよ。
残念ながら日本にはこんな滅茶苦茶な競馬が、己の勝ち筋だって馬が、沢山いるんだ。
「最初から先頭に立って、ゴールまでそこにいればいい」。
そんな、身体能力に任せたアホの子丸出しな戦い方も勝ってしまえば官軍、立派な作戦の一つに数えられてしまうのだから、勝負とは本当に不思議なものである。
『前の方、4番手につけましたのは地元香港の一番人気馬オールスリルズトゥー、ショウナンカンプはその後ろに控える形になりました。その後ろにアグネサ、テキサスグリッター辺りが先行集団。2年前の覇者ファルヴェロンは最内9から10番手といったところから虎視眈々と一着を狙っています!』
「こんなペース、馬が持たないネ!!」
「ほっとけば自爆するでショ」
俺とジュンペーが作り出した超ハイペースに惑わされた人馬たちは、自然と位置取りを下げ、己の脚を温存しようとしている。
・・・それこそが、俺達の狙いだと知らないまま。
「(セキト、ちょっとだけペースを落とすよ)」
『おう』
ちょん、と少しだけ手綱が引かれて、俺はこっそりと速度を落とす。
ハイペースの範疇を保ちつつ、俺の脚もゴールまで保つ、そんな絶妙な速度へ。
すると。当然後方の2番手以下の奴らと距離が詰まってくるけれど・・・ここで摩訶不思議なことが起こる。
「あれっ、ペースが上がってる・・・!?」
「おかしいなぁ、抑えなきゃ」
2番手、3番手の騎手さんが手綱をギュッと絞って、それぞれ騎乗馬に減速を促した。
『え、えぇ!?』
『な、なにやってんの、全然平気なのに・・・!?』
これは俺が最初の200mをぶっ飛ばしたおかげで、お二方の体内時計が一時的にぶっ壊れたからだ。
「え、ミステジック、どうしたの」
「ボルト、頼むから抑えてくれ!」
背中に跨っときながらも、戸惑う愛馬の様相を理解できないといった風の騎手の二人・・・残念ながら致命的な判断ミスだな。これで脱落といってもいいだろう。
そうやって後ろの馬を揺さぶって、誘い込んで・・・着いてくれば自らの脚を無くし、着いてこなくても俺の逃げ切りを許してしまう、そんな地獄のハイペース。
「・・・いいぞ・・・!」
800の標識を過ぎる頃には、誰にも見られないままジュンペーの口角がにやりと持ち上がった気配を感じて。
俺だけが有利に立ったデスマッチの舞台が、着々と整いつつあった。
セキトとジュンペーが順調にレースのペースをかき乱しつつあるその頃。
「・・・どうにもおかしい」
『ジェイルさんもそう思うアルか?』
先団の方からレースを進める、黒いメンコを被った栗毛馬・・・オールスリルズトゥーと、かつて名馬ジムアンドトニックを駆った騎手、ジェイル・モスは、先頭の人馬が作り出した異様なペースに呑まれかけながらも、その展開に違和感を覚えていた。
「最初の200こそ殺人的なペースだったが・・・」
スタート直後こそ、暴走を疑うようなペースでハナを奪ったかと思えばそのまま加速していったセキトバクソウオーに目を疑い・・・しかしそのセキトバクソウオーは、今や何事もなかったかのように騎手と折り合っている。
その様に奇妙さを感じたジェイルは、長年の騎乗で培った体内時計で、セキトバクソウオーが残り600mを過ぎるまでのタイムを寸分の違いなく測ってみせた。
「(11.2・・・!成程、そういうことか!)」
1000m戦における1ハロンのタイムとしては遅いとは言えないが・・・しかし極端に早いという訳でもない。
「日本のジョッキーよ・・・見事なり!危うく騙されるところだったぞ!」
『!行くアルね!』
その瞬間、セキトとジュンペーの作戦を理解したジェイルは笑みを浮かべながら・・・たっぷりと「脚の残っている」愛馬の手綱を扱き出した。
『残り600!先頭はセキトバクソウオーのままだ!まさかこのまま行ってしまうのか!!行ってしまうのか!?爆走神話は勝利で幕を下ろすのか!?しかしそうはさせまいと!!後ろからショウナンカンプの!ミステジックの!ファイアボルトの!それぞれの鞍上の手が動いた!!』
『いざ!勝負っスぅぅぅぅ!!』
『行っけぇぇぇぇ!!』
『逃さねぇぇぇ!!』
「!セキト!!」
『ああ!聞こえてる!!』
残り600を切って、思いっきり惑わした3頭がスピードを上げて迫ってきている足音が聞こえる。
『・・・!』
それに合わせて俺も若干スピードを上げようとした瞬間、耳に届く、大地を踏み鳴らす音に更にもう一頭分のリズムが増えた。
『ここまで来たなら・・・!後は勝つだけデース!!』
ちら、とその声の方に目線をやれば、鹿毛の馬が馬場の真ん中を通って進出して来ようとしていた。
『ここで真ん中通ってアメリカのテキサスグリッター!ぐんぐんと追い上げて、先頭集団へ追いついた!』
『(チッ、もう他のやつも来やがったか!)』
想像よりも早いタイミングで追いつかれそうになり、焦る俺。
・・・だけど。
「大丈夫。セキト、大丈夫だから・・・焦るな」
3頭分の足音に迫られて、思わず仕掛けようとした俺の手綱を、冷静な声色で呟いたジュンペーはぎゅう、と抑えた。
思わぬ意見の不一致に小さく『ぐぇ』と声が出るが、俺の加速を抑え込んだハミから流れこむジュンペーの意思は、「まだだ。まだ、「その時」じゃない」と確かに言っている。
・・・そうか。あの4頭は、それほど気にしなくていいんだな。それよりも、真に相手にするべき馬は・・・他にいる。
『・・・ッ!ああ、悪いな、ジュンペー!』
ジュンペーの冷静な行動なおかげでそう思いだした俺は頭をぶるっと振るい、再び前を向いて走り出した。
そして、ここから遠く離れた最内を・・・馬群の影に隠れる様に突き進む、オーストラリアからのライバルの気配が、段々と強くなって行くのを、ひしと感じる。
「行くヨ!ファル!!」
『・・・はあああぁぁぁぁぁ!!』
『残り400を切って、遂に、遂に最内ファルヴェロンにムチが飛んだ!ファルヴェロンが進出を開始した!!』
そう、奴こそファルヴェロン。
2年前の覇者にして、去年の2着馬。
そして今年は・・・俺にリベンジを果たし、再び王者として返り咲かんと、馬場の最内から力強く突き進みだしていた。
『邪魔だ!どけ!!』
ムチが入り、最高速に到達しようとしているファルヴェロンは、その興奮も頂点に達しているようで。
普段の彼からは考えられないほど荒々しい口調で、迫力のある声を放ちながら他馬を押しのけるように芝の上を突き抜けていく。
『とうとう来やがったな!!』
あいつこそ、俺が相手取るべき最大のライバルだ―
『そこのお二人さん!ちょっと失礼するアルよ!!』
―そう思っていた俺とジュンペーの耳に、思わぬ乱入者の声が突き刺さった。
『残り300!!先頭はまだ日本のセキトバクソウオー!!香港の地で、セキトバクソウオーが14頭を引き連れながら逃げている!!2番手には最内ファルヴェロンが上がってきている!ショウナンカンプは苦しくなったか!?ビリーヴは最後方集団、馬群でもがいている!さぁこの2頭か!今年もこの2頭で決まるのか!?・・いや!?外目から来た!外目からもう一頭来たぞ!!』
『なっ、だ、誰だ!?』
『いきなり失礼アルね!!ワタシの名はオールスリルズトゥー!・・・今年の香港スプリントを制する馬ヨ!!』
外目・・・とは言えど、大外をずっと走っている俺よりは内の方をするすると上がってきた鹿毛の馬は、そう名乗りを上げた。
くそっ、なんてこった!現地の馬で一番人気とは言え・・・完全に格下と見ていた俺たちの判断ミスだ!
「行け、セキトォォォ!!」
『ジュンペー!?』
しかし、ジュンペーはそんなオールスリルズトゥーのことなど、まるで気にしていない。
ただ、ひたすら。
俺の脚の負担を少しでも減らし、勝利を飾るべく・・・手綱を追う。
「セキト、どうした!?まだ行けるだろ!?」
『ああ・・・んぐっ!?』
しかし、何時もならば。ぐんと加速していく筈の世界のスピードが・・・変わらない。
ジュンペーの追い方はいつも通り・・・いや。寧ろ俺の負担を限りなく減らしながらも、持ち得る力を余すところなく発揮できる、素晴らしい技術へと発展を遂げていた。
ならば、ここでまごついている原因は、俺に他ならない。
何故?と首を傾げる前に右前脚に鋭い痛みが走り・・・直感する。
とうとう「その時」が来たのだと。
『残り200m!!先頭セキトバクソウオー!!しかし内からファルヴェロン、中からはオールスリルズトゥーが迫る!!苦しいか!ここまで逃げたセキトバクソウオー!!苦しくなったか!!』
『ぐっ、くうぅぅぅ・・・!!』
ああ。なんつー痛みだよ。
レース前、あれだけ息巻いていたのが馬鹿馬鹿しく思えるくらいの、激痛、激痛激痛激痛。
なるほど、屈腱炎になった馬が時にレースを放棄するのも頷ける。
・・・こんなん耐えられる訳が無ぇ。
生きたいのならばとっとと走るのをやめればいい。
そう囁く本能に呑まれ、意識が遠のきそうになる・・・。
「今だ!!」
『貰ったアルねぇぇぇぇ!!』
「行けぇ!」
『私が・・・勝つ!』
がくりと体勢を崩しかけた俺の右側を、何かが走りながら勝ち鬨の声を上げる気配を感じた。
『残り150!!ここで前に出たかオールスリルズトゥー!!内側ファルヴェロンが二番手に上がるか!?セキトは、セキトバクソウオーは・・・おおっと!?体勢を崩したか!?大丈夫か!大丈夫かセキトバクソウオー!!?』
「・・・セキト!!しっかりしろ!!」
『ッ!!?』
沈みかけた意識が、誰かの声に呼び覚まされる。
それと同時に、右脚が放つ耐え難い苦痛も再び神経を通じて脳へと送られてくる。
『がっ、ぐあ・・・!』
「どうした、セキト!!勝つんだろう!?ここで勝って・・・終わるんだろう!?」
痛みに悶える俺に檄を飛ばすその声は。一瞬鬼か悪魔のように思えたが・・・よくよく聞けば。
『ジュン、ペー・・・?』
それは、共に勝利を誓った相棒のものに
痛みに耐えるため、固く閉ざしていた瞼を開ければ、眩しい光と・・・沸き上がる大歓声が、洪水のように目と耳に雪崩れ込んで来る。
・・・そうだ。
俺は、レースを・・・それも、国際G1、香港スプリントを走っているんだ!
それも、引退レースで!!
「どうした!!いつもの負けず嫌いのお前はどうしたんだ!!」
その言葉と共に、首元に添えられたジュンペーの手がぐっ、ぐっ、と力強く押し込まれる。
『ああ・・・!』
刻まれるリズムを一つ、また一つと感じる度、自然と俺の踏み込みも強くなっていく。
嗚呼。そうだったな。
風が吹こうとも、雨が降ろうとも。
誰が追い込んでこようと。
・・・例え、今。この脚が軋み、砕け散りそうだと危険信号を出しているとしても。
『っ!誰っにも!先頭を、譲らなきゃいいんだよなああぁぁぁぁ!!』
何が何でも走り続けて、誰よりも先に、機関車よりも激しく呼吸し、生命を燃やすこの鼻先がゴールラインに触れたのならば。
それは、もう俺の勝ちなのだ。
『痛っ、ぐ、が・・・じゃ、まだああああああッ!!!』
しかし、生物が長年の進化によって手に入れた結晶が・・・
ああもう。右脚からくるこの痛みが、邪魔だ邪魔だ邪魔だ!!
今にも止まってしまいそうになる程の苦痛を、獣の咆哮にも似た雄叫びで誤魔化しながら、掠れそうな声で俺は叫ぶ。
『おい!!誰かは知らねぇけど、聞こえてるんだろう!!?『力を貸せ』ええぇぇぇッ!!』
最早、俺だけの力ならば、加速することなんて叶わなかっただろう。
しかし。ジュライカップの時。どうしようもなくなった最後の瞬間・・・確かに聞こえた、謎の声。
その存在に向けた俺の必死の叫びは。
『(よう、随分と久しぶりだなァ・・・って、死にそうじゃねーか!?大丈夫なのか!?)』
そいつに、しっかりと届いたようだった。
『いいから行くぞ!!時間がねぇんだ!!』
『(あ、ああ!!)』
開口一番、何故か俺の身を案じたそいつに一方的に話しかけてから、ぐっ、と脚に力を込める。
「セキト!?・・・分かった!!良いんだな!!行くぞ!!?」
急に蘇った手応えに、最早打つ手は無いと言わんばかりに歯を噛み締めていたジュンペーが、俺にそう尋ねてきた。
『・・・ああ!!』
ほんの、ほんの一瞬だけ迷ってから、ジュンペーをしっかりと見やり、いつもと同じように『ブルル』と鼻を鳴らしながら頷く。
「っ!!あ、ぅ、う・・・うああああぁぁぁぁぁあッ!!」
そして、俺の意思が固いことを察したのだろう。ジュンペーは、今にも泣き出しそうな顔と声で、ムチを振り上げ・・・
「い・・・っけええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
俺の右のトモへと、それを振り下ろし。
ぱちん。
たった一音だけ鳴り響いて、シャティン競馬場の熱狂へと溶けていった。
『残り100!!先頭オールスリルズトゥー!!二番手は・・・二番手は・・・セキトバクソウオー!?セキトバクソウオーが再び盛り返す!!』
『があぁぁぁァァァッ!!』
『(うあああああっ・・・!ほ、本当に大丈夫なのかッ!?)』
『うるせえ!とっとと・・・ゴールまで走り切るぞ!!』
痛い、痛い痛い痛い痛い。
黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ!!
謎の声の持ち主と共に走る俺は、生きるための警告を完全に無視して、ひたすらに脚を伸ばす。
『なっ・・・』
『何ぃ!?』
完全に脱落したと思っていた俺が盛り返してきたことで、ファルヴェロンとオールスリルズトゥーが驚愕の声を上げた。
俺にとっての得意走法、最早誰にもお馴染みとなったであろうストライド走法が、じりじりと俺の位置を押し上げていく。
『う、ぐぉあああああっ!!』
だが、これだけじゃ、足りない!あの二頭に・・・届かない!
ならば、と首を沈めて、焼ききれてしまいそうな位に脚の回転を早めて・・・俺の、競走生活の全てを!ここにぶつける!!
『うがああぁぁぁぁァァァ!!』
体中の酸素を使い切ってしまうのでは、という勢いで叫びながら、本当の意味での
・・・もし、この時の声を、人間の耳で聞くことができたならば。
その音色は、さぞ馬とは思えないくらいのものであっただろう。
何故ならば。
『アンタ・・・ホントに馬アルか・・・!?』
抜き去り際に、怯えきったような顔でオールスリルズトゥーがそう尋ねてきたのだから。
『セキトバクソウオー!前に出る!譲らない!抜かせない!!追いすがるオールスリルズトゥーは・・・届かなーい!!』
『やった、やったぞセキトバクソウオー!!引退の花道を飾ると共に・・・史上初!香港スプリント連覇達成!どうだ!世界よ見たか!これが日本の・・・いや・・・』
『世界の最速王!!セキトバクソウオーの走りだァァァァァッ!!』
「セキト・・・本当に、お疲れ様」
『ジュンペ・・・っ、はあ!!はぁっ、はぁっ、はぁ・・・!!』
無我夢中でゴール板を駆け抜けたかと思えば、俺は首に触れたジュンペーの手をきっかけに呼吸を再開した。俺としたことが、いつの間にやら息を吸うのを忘れていたようだな。
胸の奥・・・もう走るために使われることはない筋肉の下で、心臓が破裂するんじゃねーかって勢いで暴れているのを感じる。
それと同時に、右脚からも・・・痛っ、あっ。やべっ、これは・・・とんでもない痛み。
どのくらいかって言われると、あまりに痛すぎてあーあ。やっちまったぜ。と妙に達観できてしまうくらいには、とんでもないな!
けれども、立ってられないほどの痛みって訳でもないのは幸いだった。ゆっくり、ゆっくりと牛のようなスピードで、俺はスタンドの前へと歩みを進めていく。
流石に走れはしないけどさ。それでも、お客さんの前に行くのって、勝者の義務だと思うんだよね。
「セキト・・・セキト・・・!」
『おうよ』
そんな俺の背中に乗ったまま、ジュンペーが年甲斐もなく、静かに涙を流しているのが聞こえてくる。やっぱ泣き虫だなーコイツ。
しかし・・・最後を飾るのに相応しい、凄まじい戦いだったぜ。
詳しいことは獣医のセンセイに見てもらうとしても。
もう二度と走れないとか、脚がひん曲がってしまうと言われたって。
「それで構わない」って心の底から思えるくらいには。
『ジュンペー、泣いてばかりじゃなくて、ほら、見ろよ。空がキレイだぜ』
今日のシャティンとおんなじくらい、俺の心もまた雲一つなく晴れ渡っていたのだった。
史実馬解説
急ピッチ投稿のためひとまず割愛させていただきます!