サラブレッドに生まれ変わったので、最速を目指します 作:Budge
執筆に時間かけすぎて最終的には何したかったのかわからなくなったし・・・。
香港スプリントを走り終えて、スタンドの前まで戻ってきた俺は・・・溢れんばかりの大歓声に包まれながら、長い競走生活を終え、正に大団円の中にいた。
屈腱炎が悪化してしまった右前脚こそ引きずっちゃいるが、それ以外は滅茶苦茶疲れただけ。生還するっていう最大のミッションは無事達成できたのだから、まあまあってところか?
「セキト、お疲れ様」
俺の故障に伴い、背中から降りて傍らに寄り添うジュンペーは優しい眼差しでこちらを見ながら絶えず首の根元を叩いて俺の栄光を讃え。
異国の地だと言うのに、スタンドはありがたいことに概ね祝福ムードだ。
『これで、競走馬としての俺は終わり、なのか・・・』
俺は、その祝いを全身に浴びながら・・・ぼーっと考えていた。
引退するということは、文字通り身を削るような全力で走る機会は無くなるということ。
あんな心臓が潰れるような思いはしなくていい、とホッとしている反面・・・これからは魂を燃やし、お互いを闘志の炎で焼き尽くすような激しい戦いの時は訪れないのだろう。
そう思うと退屈になるなと思っている自分も確かにいて。
・・・正直に言ってしまえば、まだまだ引退って実感が沸かないんだよなぁ。
『はぁ・・・』
仕方ないとは言え、気持ちの切り替えが上手く行かなくてため息をつく。
これから日本に戻って、痛む脚を癒やして・・・それが済んだらまた美浦に帰って、次なる栄光へと走り出す。
少なくともどこかでそう考えている自分がいて。
嗚呼、いつの間に俺の頭は走ることに対して「馬鹿」になっていたんだろう、こんなの笑うしかないだろうが。
この後に及んで、まだ次の機会があると思いこんでいる「本能」に呆れつつも、自戒の意味を込めて呟いた。
『バカだなぁ。俺。もう、終わりなんだよ・・・』
「競走馬」としての自分に、別れを告げるために吐いたその一言は、紛れもなく自分の声だし、自分の心。
それなのに。
『あ、あれ・・・?』
急に視界がぼやけて・・・疲れで意識が朦朧としたのかと思ったが、脚元はしっかりと大きな馬体を支えている。
じゃあ、これは一体。
原因がつかめないまま瞬きをして・・・つう、と目から何かが生まれ落ち、頬へと一筋の道を作る感覚と。
急に元に戻った視界で、俺は俺の身に何が起きているのかを、ようやく察する。
『おかしいな・・・俺、泣いてんのか・・・?』
騎手と呼ばれるパートナーを背に、共に心身を鍛え、レースに出て、同じようなライバルたちと命をかけて競い合う・・・。
そんな経済動物の本領とされる日々は、おおよそ20年は生きるとされる馬生のほんの1ページで・・・引退した後の時間の方が遥かに長いんだと。
前世の時から散々、分かっていた筈なのに。
いつの間にかその過酷で華々しい日々が「生き甲斐」となっている自分がいることに、ようやく気がついた。
例えるなら、それは・・・そう、遠い昔。
まだ人間だった俺が、学校に通っていた時代・・・他に何も考えられないほどに部活動に打ち込んでいた時期があった。
今はどれだけ手を伸ばしても届かない、その時の輝きにも似ているような。
『っ!・・・そういうこと、か』
そして、答えを導き出した俺はハッとしながら声を出した。
何者にも変えがたき、尊く、眩く、永遠に輝き続ける光・・・人は、それを青春と呼ぶ。
前世ではついぞなんの役にも立たなかったただの思い出だったが・・・そうか、そんな輝いた日々にも似た日常を手放したくないのだと。
とうとう思いあたる言葉を見つけ出し、何度も頷いたその時。
「セ"キ"タ"ァ"ァ"ァァン!!」
「天馬さん!?」
馬場の出入り口の方からとんでもない声で俺の名を呼びながら朱美ちゃんが駆け寄ってきて・・・そこまでは良かったんだ。
どう見ても愛馬の栄光と無事の帰還に、最大限の喜びを表している馬主そのものだったし・・・しかもそれが女性で、更に若いとなれば「画になる」のは間違いない。今日、この場に居合わせた世界中のマスコミがそのシャッターチャンスを狙ったことだろう。
だけど朱美ちゃんはどこまで行っても朱美ちゃんだった。おい、ちょっと待て何だその顔は。俺の気のせいじゃなければ涙やらなんやらで酷いことになってらっしゃるような・・・!?
『あ、朱美ちゃん!?ゔっ!?』
しかもそのまま優しくハグ・・・どころか、強烈な勢いが乗ったまま抱きついてきたせいで、喉から変な音が出たし、再び流れかけていた俺の涙なんてどこかに吹っ飛んでいってしまった。別にいいんだけどさ!
「セ"キ"タ"ン"っ、お"か"え"りっ!ほん"と"に"、ほん"と"ーに"・・・滅茶苦茶頑張った"ね"ぇ"ぇ"ぇ"!!」
俺の身体に押し付けているせいで、その顔の表情を伺うことは出来ないが、この声色と行動だ。どんなことになっているかなんて簡単に想像がつく。
『朱美ちゃん、そんなに泣くなよ・・・おかげで俺の涙が引っ込んじまったじゃねーか』
気持ちは分かる。めっちゃわかる。けれどお客さんたちの視線が集まってそれと同じくらい恥ずかしいから・・・とにかく早く泣き止んでくれと鼻先で背中を擦って励ましてやる。
なんとかして朱美ちゃんを宥めようとしている内に、馬場の出入り口の方からまた一人。慌てたような様子で馴染みの人物が現れた。
「天馬さんっ・・・はぁっ・・・!やっと追いついた・・・!次のレースもありますから、ここは一旦引き上げましょう・・・!」
「ふぇっ!?は、あ、あぁ!?ごめんなさい!?」
おお。ようやく太島センセイも登場か。どうやら馬主席からここに来るまでに、超満員のスタンドやら色んなところを通ったせいで朱美ちゃんに置いていかれてたっぽいな・・・大丈夫?なんだか最近運動不足なんじゃないか?
朱美ちゃんも朱美ちゃんでいきなり声をかけられたもんだから、思わず顔を上げてよく分からない謝罪を繰り出していた。顔の方は・・・うん、やっぱり見なかったことにしてあげるのが正解ってレベルだわこりゃ。
マスコミの皆さん、大変残念なお知らせがございます。愛馬と馬主の美しい絆をお送りする予定でしたが、急遽プログラムを変更して、馬主のマイペース振りを披露する場とさせていただきます。
だからスクープとか言わずに、酷いことになってしまっているはずの朱美ちゃんの顔のデータが世の中に晒されてしまう前に、何かしらの手段で埋葬してもらうよう、どうかご協力お願いします。いや、ほんと頼んだ。
「おぉーい!」
「あっ、馬口さん!」
そんな中、太島センセイに続くように、俺に関わってくれたメンバーの最後の一人、馬口さんも引き手を持ってこっちに走ってきた。
「はぁはぁ・・・セキト、お疲れ様・・・少し休もうね」
『おうよ』
軽く息が上がるような勢いで駆けつけてきてくれたにも関わらず、極力いつもと変わらない声色で話しかけてくれるとは、見事なプロ根性である。
・・・思えば、この人にも随分と世話になったよな。
負けた時には一緒に悔しがり、勝った時にはお祭り騒ぎ。
馬に寄り添い、共にありながらも・・・滅多に日の当たらない裏方。正に「縁の下の力持ち」ってやつだ。
『馬口さんも、ずっとありがとうな』
馬という種族を代表して、せめて俺だけでも。
礼が言いたくなったから、引き手がハミに通されたのを確認した上で顔を馬口さんに擦り付けた。
「わっ!?何、どうしたの。脚が痛いの?」
ありゃ。俺としては感謝の意を示したつもりが、普段はやらないようなことをやったせいで脚を痛がってると勘違いさせてしまったぜ。
確かに立ち止まってる間は浮かせてないとヤバいレベルで右前脚が痛いけどさ!そうじゃないのよ。
「ジュンペー、セキトの脚は・・・」
しかしそんな俺の様子を見て、センセイが思い出したように俺の脚の事をジュンペーに尋ねていた。
あーあーあー。違う違う違う。話が別の方向に行っちゃってるよ。このままだとジュンペーが・・・。
「・・・やってしまいました、ね・・・」
どこかバツの悪そうな表情で答えたジュンペー、ってほら!やっぱりこうなった!せっかくいい顔になってたんだけどなー。
その深刻さと言ったらどんな罰でも受けてやる、って勢いで、見てるこっちが悲壮感を覚えるくらいだった。
「仕方ないだろう」
しかしセンセイはそんな鬱々としたジュンペーのムードなんてまるでお構い無し。あっけらかんとした様子で知っていたと言わんばかりに一つ頷くと、その肩にぽんと手を置いた。
「は・・・え・・・?」
どうやらジュンペーはてっきり何かお叱りを受けると思っていたらしいな。びくりと身体を震わせたものの、その後に続いたセンセイの言葉に一旦は拍子抜けしたような顔を見せたが・・・すぐまた悲観的な表情になってしまう。
「仕方ないって、そんな・・・」
「ジュンペー、落ち着け」
そんな彼をセンセイは冷静に制してから、ゆっくりと言い聞かせるように一言一言を落ち着いたトーンで話す。
「オレも元は騎手だからな。これでもお前の悔しさは・・・少なくとも、分からないはずがないだろう」
「・・・ッ」
真剣な顔から放たれたその言葉は、何よりも説得力を放っていて。
思わず動きを止めたジュンペーを見て、センセイは更に言葉を続ける。
「それに、だ。セキトをしっかり見てやれ。己の脚で、大地を踏みしめて、自分の力で立っているだろう。少なくともすぐにくたばってしまうなんてことには・・・ないだろうな」
『ああ!』
全くその通りだ、センセイ。その言葉を待ってたんだよ。そして、ジュンペーは俺を心配しすぎだ。
未だ浮かせたままの右前脚は、痛いには痛いが・・・うん、大丈夫。それだけだ。死ぬってレベルじゃない。
『こんなもの、ただ痛ぇだけだ、死にはしねぇよ!』
センセイの言葉に同意するように、俺はわざと鳴いて注目を集めてから首を大きく振る。
「うわっ!?やっぱり脚が痛むのかい!?」
引き手を持った馬口さんは、厩務員としての責務からか、長年の経験からか。その動きを脚の痛みによるものだと思ったみたいだけど。
「セキト・・・」
一番伝わってほしい当事者には、ちゃんと伝わってくれたようだった。
「そうだよな、ごめんな・・・お前は、こうして生きているんだもんな」
鳴き声に驚き、呆然としたものになっていた表情をにこりと優しい微笑みに変えて。ジュンペーはゆっくりと俺に近づくと照れ隠しのつもりか、がしがしとわざと乱雑に首を撫でた。
『おうよ。なんだったら最後に走りたがったのもれっきとした俺の意志だからな。お前は気にするなって話だよ』
その力加減がなんとも気持ちよくて。伝わるかどうかなんてどうでもいいから、ジュンペーに「気にすることはない」って意味を込めて、囁いた。
「ふふっ、セキタン、なんだかジュンペーさんに『ありがとう』って言ってるみたい」
俺の声を聞いた朱美ちゃんが、ジュンペーに向かってそう呟く。
「えっ、まさか、そんな・・・そうなのか、セキト?」
『まあ、大体は合ってる』
朱美ちゃんの予想は当たらずも遠からず。でも俺の気持ちの中には感謝の意を伝えたいっていうのも確かにあったから、伝わってくれたらなと思いつつジュンペーの胸元に顔を擦り付ける。
「セキト・・・そうか、ありがとうな・・・」
お?なんだかいい雰囲気になってきた・・・と思った矢先、耳に入ってきた馬口さんの言葉に、俺は反応せずにはいられなかった。
「それで、表彰式なんですが・・・どうしましょう、セキトのことを考えたら厩舎に戻すべきですが・・・」
『あ"っ!?』
そうだ!すっかり忘れていたけれど、レースに勝ったのだから・・・表彰式があるのは当たり前だ。
馬口さんは俺の脚の状態を鑑みて、このまま表彰式に出ることなく厩舎に帰らせるべきだと判断したみたいだけど。
『や・・・やだやだやだ!帰らねえ!表彰式に出る!というか出させろ!』
ふざけんな!俺の最後の晴れ舞台だぞ!?それをドタキャンなんて格好がつかねーよ!!
引き手を引こうとした馬口さんに反抗して、痛いのを庇って浮かせている右前脚を除いた三本の脚で、ぐっと地面を踏みしめて、立ち往生してやった。
「うっ、ちょ、ちょっと。セキト?」
当然ピンと張った引き手に引っ張られる形になった馬口さんの動きが止まる。
俺が反抗したのなんていままでの馬生の中でも片手で数えられるくらいだったからな。この反応もやむなし。
急に膠着状態となった俺にあたふたする馬口さんは、「脚が痛いんだよね?早く家に帰ろう」とか「家に帰ったらいっぱい美味しいもの食べれるよ?」とか、あの手この手で厩舎へと誘導しようとしてくれるけど、残念ながら今の俺の目的は表彰式なんだよ。
「ごめん、二人とも・・・セキトが急に動かなくなっちゃって・・・」
結局、うんともすんとも動かない俺にお手上げ状態となった馬口さんはセンセイとジュンペーに助けを求めることにしたようだった。
けれど、そこは俺との付き合いの長さと、騎手としての経験がある二人だ。俺の意図を察し、顔を見合わせた後に呆れたようなため息をつき。
「セキト・・・」
「まったく、お前は変わった馬だな」
ジュンペーは困ったような顔で頭を掻き、センセイは苦笑いなのか微笑みなのかいまいち分からない顔でゆっくり近づいてきたかと思えば、俺の鼻面に軽く触れながら。
それぞれが「仕方ないな」と言わんばかりのリアクションを取りつつも、その口を開いた。
「表彰式には主役がいないと、締まらないもんな!」
「そんなに行きたいのなら、行って来い!」
はい!許可一丁・・・いや二丁だな、しっかりと入りました!
『おお・・・!サンキューな、二人共!!』
「セキト・・・うわっ、なになに!?そんなに表彰式に出たかったの!?」
その言葉に喜びの嘶きで答えてから、膠着状態から一転して馬口さんを引きずるようにウィナーズサークルらしき場所に向かおうとした時だ。
「え・・・っと、セキタン、脚を引きずってるのに、このまま表彰式に出しちゃって大丈夫なんですか?」
朱美ちゃんが、不安そうに至極真っ当な疑問を口にする。ちょいちょい、いいところだったのに今度は君ですかい。
「天馬さん、困ったことにセキトは出る気満々ですよ・・・」
「ジュンペーの言うとおりです。セキトの性格ですから・・・ここで出してやらないと、絶対に後が大変になります」
しかしそこはジュンペーとセンセイがすかさず口を挟んで。特にセンセイ、よく分かってるじゃねーか。
その言葉を聞いた朱美ちゃんは、しばらく「うー」、とか「むー」、とか唸りながら色々と考えているみたいだったけど。
センセイの「大丈夫、このくらいなら故障は悪化しませんよ」との一言が決め手となったようで。
「うん、セキタンの気持ちはよく分かったよ。表彰式、一緒に出よう!・・・けれど、無茶はだめだよ」
最後の方は普段の朱美ちゃんからは考えられないくらいに小さく、静かな声。
本気で俺のことを案じてくれているとよく分かるそのトーンに、思わず胸が熱くなり、俺は自制を誓った。
その後の表彰式は、例を見ないほどの大盛り上がりで、あちらこちらで悲鳴のような歓声が上がる中、俺たちは何とか無事に撮影と授賞式を終えたのだった。
朱美ちゃん、今度は安堵で決壊。
次回更新は・・・少なくとも、一週間以内にはこなせるよう、頑張らせていただきます。