剣ノ杜学園戦記 作:新居浜一辛
その地下都市の船着場では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
いや、喧騒それ自体はこの裏の『校舎』では日常茶飯事、一秒とて欠くことのないものではあったが、そこの中心は少し毛色の違う動揺であった。
『ユニット・キー』を公然と売買し、それをもって日夜戦闘に興じる荒くれどもが当惑し、声量はいつになく控えめにして囁き合って、中心地から距離を置いている。
ちょうどそのエアポケットに、屈強な男たちが倒れ臥して山を作っていた。
見るからに素体としても鍛え上げられ、こういう場でいかにも自身の腕力を誇張しているのだから、実戦経験も豊富であっただろう。
停泊していた新品同然のクルーザーを強奪すべく強襲したらしいその彼らを打ち倒したのは、その所有者たる一人の、体格的に一回り以上劣る少年だった。
「おう」
その彼……楼灯一は、人垣の向こう側に的場鳴の顔を認め、片手を掲げて見せた。
「ずいぶんと遅かったじゃねーかよ、なんか面子がビミョーに違うし」
歩夢レンリのコンビと入れ替わりに加わった澤城灘は、戦闘によるダメージと、あと記憶の混乱によって多少憔悴しているようだった。
それでもやや気抜けしたような柔和な笑みとともに、面映ゆげに頭を掻いてみせた。
「歩夢たちはあとで拾ってくれ。まぁそっちもそっちで愉快そうな祭りがあったみたいだな」
「てっきり、船は奪われて水着が剥がされ、膝を抱えて尻から血を流してさめざめと泣いているかと思いました」
「その想像は愉快でもなんでもねーよ!? オレが遅れも後ろも取られるわけねーって、お前も知ってるだろ、士羽!」
「冗談ですよ」
言わなくても良い冗談である。
だがあっさりと彼の抗弁を受け入れるあたり、やはり灯一の実力は見た目に反して相当のレベルなのだろう。
(まぁあの『旧北棟』をはじめ、『委員会』が渋るような修羅場に運び屋として飛び込んでいくような男だからな。それなりに腕に覚えがあるんだろう)
そう見直した鳴であった。
「ところで、視界に入れると目が行く云々のアレ、もう良いのか?」
「おわっ! 忘れてたのに言うなよ、意識しちゃっただろ!? アレか、新手のハニトラか!?」
(……ホントに絶妙に気持ち悪いなぁ、コイツ)
そして一瞬後には、株は元の位置の下のあたりまで下落した。
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そんな彼の操船によって裏の南洋を出立した鳴たちは途上の浜で砂遊びをしていた歩夢たちを回収した。そして無事海浜エリアの埠頭までたどり着いた。
神経衰弱気味の灘はそのまま医務室へと送り届け、さらに念のため契約を結んだ大病院にそのまま搬送されていった。
「あっしかがサーン!」
メーンイベントも終わり、女の園、更衣室。
まるでイタリア人のごとき陽気さで後ろから羽交い締めにせんとしてきた汀を、残像を残すほどの見事なスライドで歩夢は回避。空振りしてつんのめった汀だったが、さしてショックを受けた様子もなく、『コサック』のキーを差し出して白い歯を見せた。
「あんがとっ、助かった!」
「別に、あんたを助けたわけじゃない。落ちた拍子に手放しちゃっただけ」
「んじゃ、そーゆーことにしとく! ……本当に、有難う」
最後に神妙に素のトーンで礼を述べた汀に、感情の乗ったようなそうでないような塩梅で歩夢は見返し、その貸したらしい自身の『コサック』を掴み取った。
「ま、これで一夏分のレジャーを一気に片づけたわけだし、これで後腐れなくこのガッコともあんたともオサラバできるってわけよ」
「え」
「え?」
鳴にしても歩夢にしても、深潼汀から視線を外したのはほんの一瞬だった。
だが聞き返された時、彼女は浴衣を完璧に着付けていた。白く、裾に船のイラストがあしらわれたもの。
そして、半開きのロッカーには人数分借り受けたとおぼしき、色とりどりの浴衣と帯が畳まれていた。
「なに言ってんの。花火大会もあるし、何ならナイトプールも開放されるんだよ? まだまだ本番はこれからだよ?」
ずいずいとあらためて歩夢に距離を詰めていく汀の眼は、本気そのものだ。
「……マジかよ」
という鳴の呟きも、絶望に近い深さに在る。
いくら体育会系とは言え、この夏休み強行軍は肉体に堪える。
「どのみち、花見大悟が急な職員会議とやらで迎えが遅れるそうです。適当に時間をつぶすほかないですよ」
士羽が余計なことを言った。
適当に理由をつけられたら、最悪タクシーで帰ることも出来たものを。捕まえらない公算も高いが、この一言で逃げ口が塞がれ、汀は好都合とばかりにますます眼を輝かせ、それぞれに見合った生地の着物を有無を言わせない手際の良さで押し当てていく。
同じく無尽蔵の体力を持つ胡市は「わー、夏祭りです盆踊りですー!」などと無邪気にはしゃいでいた。
「ま、ここまで来たら腹括るしかないわね、先輩も雪山に帰らせるまでに体調を万全にしないとだし……て、胡市……帯締め逆というか左前! あぁもう貸しなさい」
「アネさんお母んみたいですね!」
「姉なのか母なのかはっきりして!?」
などととやかくやっている傍らで、鳴もまた観念して着物に着替える。
祖母に一応は受けていた手ほどきを肉体は憶えていて、一所作ごとにその流れを思い出しつつ、濃紺のモダンチックな生地を身にまとう。
対して歩夢はどうか。
彼女にしてはやや派手にすぎる黄色地の衣を打ち掛け、直立。
他と比べて薄めの生地に浮き彫りとなった後ろ姿はサマにはなるが、察するに、そこから先の段どりがさっぱり掴めず、あるいは着る気も起きずに立ち尽くしているのだろう。
「……仕方ねーな」
鳴はその着替えを手伝ってやるべく動き出す。
だが、それを押しのけるかたちで、さっさと自身は着付けていた士羽が割り込み、歩夢の背に回り込んだ。おや、と鳴が目を瞠る間に、士羽はその着替えを手伝い始めた。
ただ自分自身にする分には知識と慣れはあるのだろうが、他人にすることなどはないのだろう。その手つきはぎこちなく、不器用そのものだった。
「……ヘタクソ」
すかさず歩夢の苦言が飛んだ。
「じゃあ自分でやってください、やれるものなら」
と挑発的に受け流しつつ、士羽はそれでもなんとか形にはしていく。
やや伏し目がちになりつつ、
「――何もしない、できない、しようともしない。あの鳥にも、貴女にも、そう思われるのは心外です」
などと呟き、やや胸紐をきつめに締めたせいで、歩夢は「ぐえ」と低い悲鳴をあげた。
そのことに気づいているのかいないのやら、はしょりの辺りにそっと掌を当てて、
「私だって、考えがあるし、都合があるし、裏で助けているし、心配だってしてるんですよ。別にそのことに忖度だの感謝をしろとは言いませんが……せめて知っていてください」
決して歩夢からは見えない位置で、今までに浮かべたことのない複雑そうな表情を浮かべる。
この突発的な善意は、この引きこもりの中では一応の経緯があって、道理の通った結果の行動なのだろう。
そんな奇妙な距離感の幼馴染たちを横目に見ながら、鳴は苦笑まじりに腰掛けた。
「なぁ、何かあったのか?」
声がその身の下より聞こえて来た。
「うーん、お前流に言えば『エモい』だとか『尊い』だのってことなのかね」
と、曖昧に鳴は答えた。
そうか、と声が返ってきた。
「ところでその光景見たいから、コレ開けてくんない?」
「ダメに決まってるだろ」
鳴が尻に敷いているのは、レンリの入ったクーラーボックスであった。