剣ノ杜学園戦記 作:新居浜一辛
その日、中華飯店『天仁房』では奇妙な取り合わせが食卓を挟んで向かい合っていた。
立場やキャラクターも違えば年も実のところ一回り以上異なる。ゆえに共通の嗜好などまずあるべくもない、犬猿の仲ともいうべき女たち。プライベートで街中華を囲うなどまずありえない間柄。
維ノ里士羽は、運ばれてきた麻婆丼を挟んで対する賀来久詠を冷ややかに睨みつけた。
「それで、下校時にわざわざ顔見せで呼び出しとは……いったい何の用ですか?」
万年神経質なこの副会長が、イニシアチブをとれない相手に対し不機嫌なのはいつものことだが、様子は明らかに常と違っている。それが、この相手の招きに応じた理由の一端でもあった。
自ら誘っておきながらなお、話を切り出すことを躊躇っていたようだったが、やがて自棄酒を呷るように一息でお冷を干して、
「征地絵草が、消息を絶った」
と言った。
は? と思わず士羽は切り出した。
絵草がらみのことではないかという推測は立てていた。彼女と自分たちとが、正面衝突したことへの警告ないし制裁措置かとも。
だが彼女の口から出たのは、信じがたい報せだった。
「ここに来たことへのウラ取りは出来てる。その後、貴女らと埠頭で事を構え……そして、信じがたくも敗北したこともね」
自身の料理に手をつけることも忘れて絶句する士羽だったが、それが冗談や虚報のたぐいではないことは、なお苦々しげに前髪の生え際を抑えて口端を引きつらせた久詠の表情からも明らかだった。
そして、相手の表情から情報を引き出さんと試みていたのは、久詠の方も同様だったらしい。
ちらりと士羽の表情を盗み見つつ、
「たった今知った、みたいな顔するじゃない」
と探るように言った。
「……初耳ですから。私たちを疑っていたのなら、心得違いも甚だしい。戦い破ったのは事実として、手にかけまでする動機がない」
「そのようね」
らしくもない聞き分けの良さで、久詠は首肯した。
「カマかけただけよ。居合わせた数人からの証言も取ったわ。それぞれの言い分に矛盾も食い違いもないし、残念ながら、信頼して良いでしょうよ」
殊更にニュアンスを強めて吐き捨てた『残念ながら』に引っかかることはあるものの、士羽の中では動揺が軽く尾を引いていた。
(――あの絵草が、消えた?)
確かにあの時、『ホールダーの暴発』によって、彼女のデバイスならびに『キー』は破損した。
誰かしらがその弱みにつけ込んで奇襲を仕掛けたとして、さして不自然でもない。恨みは山の数ほど買っている。
だが、むざとやられるあの女だろうか、とも思う。
「……『消えた』のなら、死体は、見つかってないというのですね」
「夥しい血痕は見つかったけどね。母親から捜索願が出たことですし目下捜索中でね……そして、同じ日に消えたのがもう一人いる」
「……それは?」
「東棟二年、楼灯一」
覚えのあり過ぎる名だ。
軽薄で重要ごとには到底無縁そうなあの面立ちを思い浮かべながら、
「この学園の独裁者とその陰で彷徨き回っていた運び屋が、同じ日に」
とあらためて確かめた。
いつものように、一般生徒が
「もっとも、こっちは元々父親との関係が良くなくて、しょっちゅう家出と外泊をくり返してたみたいだから、そこまで重く受け止められてはいないようだけどね」
「……彼が、失踪に関わってると考えていると」
言いさした士羽を、突き出された久詠の掌が制する。
その彼女の前に、ラーメンが運ばれてきた。
専門店よろしく洗練されていない、実に野暮ったい感じの『ショウユラーメン』。それをすすり込む様は、妙に堂に入ったものだった。
「ここから先は捜査機密。地元の有力者の娘が消息を絶った。これが本当に『ユニット・キー』に関連することなのかも不明。かつ学園外のこととなれば、貴女が首を突っ込む余地はない。
「……では何故このことをわざわざ話したいことのですか」
「これからお願いすることのために、事情ぐらいは把握させてあげた方が良いと判断したからよ」
「お願い?」
人に頼み事をする態度とは到底思えないが、という言葉を呑み込み、士羽は久詠の言葉を待つ。
「知ってるとは思うけど、今年の学園祭は日程を調整し、復活の『翔夜祭』と兼ねて開催される」
「生徒会長不在の、この状況でですか」
「だから、その不在を埋めて欲しいのよ。一時的に元鞘に戻って、少なくとも、この祭典の間には何事もないように。私は県警への捜査協力で手が離せなくなるから」
「すでに、起こっているでしょう」
「世間的には二年前の事故以降、今回の絵草さん不在を含めて何も起こっていないことになっている。理由は色々あるけれど、主には対外的な復興アピールと目眩しのため、今更中止にはできないというのが、上やその周囲の判断なの」
「……ずいぶんと図々しいお願いですね。今日に至るまで、人を散々コケにしておいて」
「嫌なら良いのよ」
久詠は薄っぺらい笑いを貼りつかせた。
「でもその場合、我々の側の人間が管理に乗り出すことになる」
「願ったりではないですか。絵草派の勢力を排除できる口実ができて」
「世間知らずね。事情もよく知らないのに口だけ挟んでくる上司や余所者が現場に乗り込んでくるなんて、私たちにしてみても鬱陶しいだけよ……別に主導権を奪いたかっただけで、彼女自身を排除したかったわけじゃない」
椅子の肘掛けに半身をもたれさせながら、久詠は嘆息した。
その表情同様に、置かれた立場も複雑なようだった。
「……そして私たちには、『余計な手出しや詮索をせず敷地内でオモチャ遊びに徹してろ』と」
その久詠の依願を、士羽はそう解釈した。
彼女の言う通り、学園祭の開催には多くの理由が伴うのだろうが、そういう釘刺しも、そのうちの一つには含まれているのだろう。
仕事柄か、それとも好きこのんで共に長居したい相手ではないためか。彼女の食べるスピードは著しく早い。あっという間にラーメンを平らげた彼女は、
「さすがはストロングホールダーの開発者様。聡明でいらっしゃるわぁ」
いつものカサにかかった調子を取り戻して言った。
「そんなことを口にして突っかかってくるところが子どもだって言うのよ」
それじゃあ後はよろしくと、こちらが承諾する前提で言い添えて、『女子生徒風の女』は足早に、伝票はきっかり二人分そのままに退店していった。
終始、相手のペースに乗せられっぱなしだった。あの久詠に。
いつも余裕がなく、野鼠のように忙しなく蠢動と陰謀をくり返してきたあの女に。それがにわかに余裕のある腰を据えた物言いで、士羽を押し切らんとした。
……いや、違う。
いつも以上に余裕はないのだ。いつもの、大仰な身振り手振りの小悪党的キャラクターをかなぐり捨てるほどに。
言うまでもなく、公にされていないだけで、圧政者征地絵草の消失は、彼女に留まらず学園にとっての痛恨事なのだろう。
……居た時は、そうは思わなかったが。
そしてこのことに思い巡らせる時点でおそらく、士羽自身の中で、答えは決まっていた。
以前と同じように、良い様に大人たちに利用されていると、知った上で。
「……そっちは大人だって言うなら、食事代ぐらい奢るなり経費で落とすなりしたらどうです」
毒づきながら、レンゲを手に取った士羽だったが、その手元に、蒸篭が置かれた。ふと視線を持ち位あげれば、学生服の上から料理着をまとった看板娘、劉藍蘭が愛嬌たっぷりに笑いかけて、
「オ姉サン、久々に来たカラ、サービスヨー」
と、あからさまで雑な片言とともにいわくありげに目配せする。
……そもそも、前に来た時は流暢な標準語を操っていたはずだが。
会話の内容は聴き取らせなかったまでも、その重苦しい雰囲気から気を遣われでもしたのだろうか。
蓋を開ければ小籠包が三つばかり、湯気を上らせていた。
レンゲを持った手が止まった。しきりに角度を変えつつ、じっと包を見つめる。
やがて明晰な頭脳と判断力を以て最適な角度、タイミングを見出した。
その内の一つを、敷かれた薄紙から丁寧に掬い上げると、中のスープをこぼさないよう、慎重かつ一息に、口へと運び入れた。
「……あちゅい!!」