ついに・・・ついにこの時がやってきた。
私の中央移籍がかかったデビュー戦が!
「今回走るデビュー戦は、2000mの中距離。スピードとスタミナ、総合力が必要になってくる距離だ」
控室で、須川さんがホワイトボードにレース場のマップを書いて要点を説明している。
「東京レース場は起伏が多いのが特徴だが、中でも鬼門なのがゴール前480m地点から始まる高低差2mの坂だ。勾配はまだマシな方だが、その分高く長い上に、レース終盤のスタミナを消耗した状態で走ることになる」
須川さんはマジックペンを走らせながら、マグネットも使って戦略を話し始めた。
「今回のレースだけに限った話ではないが、ハヤテはとにかく前に出ろ。要するに逃げだ。お前のスタミナなら、本番の緊張による消耗も含めて2000mは全速力で走り続けられる距離だ。だがその分、スピードとパワーは少し見劣りする。特に今回は内側からスタートだから、囲まれたら抜け出すのは難しいだろう。だから、スタート直後から最終直線まで、できるだけ後続から4~6バ身をキープしろ。その距離を保ち続けることができれば勝てる」
本番ということで気合が入っている須川さんの説明を、
「ここまではわかったか?」
「くっそゲロい」
私は半分も聞けてなかった。
私は控室に用意されたパイプ椅子を並べて、その上で横になりながら説明を聞いてたんだけど、ほとんど頭に入らなかった。
「とりあえず、何も考えずに突っ走ればいいってことでおーけー?」
「間違いではないがもう少し中身を入れろ、中身を」
え~、最後あたりはだいたいそんな感じだったじゃあん。
「ったく、まさかここまで本番に弱かったとはなぁ・・・」
須川さんがため息を吐きながらぼやいた。
いや、私だって驚いてるよ?
昨夜は遠足を控えた小学生のごとく緊張と興奮で寝れなかったけど、十分と言えるくらいには睡眠はとれた。
ただ、須川さんの車に乗って東京レース場に着いたあたりで、なんか一気に気持ち悪くなった。
ギリギリ歩けるレベルではあったものの、立ち続けるのもままらなかったこともあってさっさと控室に入って、今に至る、というわけだ。
不幸中の幸いなのは、この状況をある程度想定して早めに現地入りしたこと。結果的に想定以上になっちゃったけどね。
「うぅ~・・・ゲロい、とにかくゲロい、スーパーゲロい・・・」
「仮にも女子がゲロを連呼すんな。もうちょい上品に言え、上品に」
「激しくおゲロいですわ~・・・」
「そういう問題じゃねぇよ」
だってゲロいものは仕方ないじゃん。むしろ『吐きそう』って言う方がストレートすぎると思うけどなー私はなー。
「はぁ・・・とにかく、お前が意識すべきは『常に先頭を走り続けること』、『後続とは4~6バ身離れること』。この2つだ」
「・・・んぇ?コースについてもなんかいろいろ言ってなかった?」
「坂の走り方に関しては、すでに叩き込んであるだろ」
それもそうだったね。
トレセン学園に行ってからは、最初の駆け出しを速くするための筋力トレーニングを主にやりながら、坂の走り方を教わった。
とはいえ、もともと山育ちだったこともあってすぐに習得できたけど。体感的にも「前より走りやすくなったかなー」くらいだったし。
いやそんなことよりも、今はこの形容しがたい吐き気をどうするかが先だ。
「須川さ~ん、なんか飲み物ちょーだ~い」
「本当はレース前に飲ませるのはあまりよくないんだが・・・仕方ないか。こいつでも飲んどけ。本当はレースが終わった後に渡すつもりだったが」
そう言って須川さんが渡したのはスポーツドリンクだ。
たしかにレース前に飲むようなものじゃないけど、今はそんなこと言ってらんない。蓋を開けて少しずつ飲んでいく。
ペットボトルの中身が半分くらいになったころには、ようやく気分が落ち着いてきた。気休め程度でしかないけど、今はこれだけでもありがたい。
「・・・なんか、勝てるか不安になってきた」
「おいおい、ここに来て弱音か?」
「いやぁ、自分でも思ってた以上だったからさぁ。さすがにこんなコンディションになると弱音も吐きたくなるよぉ」
「そりゃあそうかもしれんがなぁ・・・」
こればっかりは当事者にしかわからないでしょうねぇ!
「・・・んぇ?」
そんなことを言い合っていると、携帯が鳴りだした。
何だろうと思って画面を見ると、イッカクからの電話だった。
なんだろう。レース前の応援とかかな?
「もしもしー?」
『ハヤテちゃん?今大丈夫?』
「電話は大丈夫だけど、私は大丈夫じゃないかな~。めっちゃ気持ち悪い」
ちなみに、イッカクもレース場で観戦するって言ってたから、もしかしたら観客席にいるかもしれないけど、それにしては電話先は静かだな。
『えっ、そうなの?本当に大丈夫?』
「飲み物飲んで、ちょっと楽になったかな~。まだマシって程度だけど」
『そっか・・・』
「そういうわけだから、ちょっと応援の言葉をプリーズ。それがあれば頑張れそうな気がする」
『・・・』
ぐでーっとだらしなく横になりながら応援の言葉を所望すると、電話先のイッカクが黙ってしまった。
あれ?そんなに難しい注文だったかな?
ちょっと不安になったけど、イッカクが沈黙したのは少しだけだった。
『・・・ハヤテちゃんは、無理に頑張らなくてもいいと思うかな』
「え?どゆこと?」
そんな堂々とサボタージュを肯定されても困るんだけど。
え、なに?頑張らなくてもいいってどういうこと?そのまま地方で走ってればいいじゃないってこと?いやでもそれだと今までの応援とかお手伝いはなんだったの?
そんな私の疑問が伝わったのか、ちょっと慌てながら話し始めた。
『あっ、レースに本気にならなくてもいいとか、そういうのじゃなくて、ハヤテちゃんっていつも楽しそうに走ってるから、レースでも結果とか気にしないで、走るのを楽しんでくれればいいなって思って』
「・・・走るのを楽しむ、か」
言われてみれば、普段のトレーニングとか朝のジョギング(舗装路で長時間の本気走りはやめろって須川さんに止められたから軽めのやつ)とか、私にとって特訓っていうよりは子供の頃に遊びで走り回っていた感覚の延長線上でやってた・・・気がする。ぶっちゃけ、その辺りの記憶はあんまりないっていうか、余計なことは考えてなかったから、あくまで感覚として残ってるってだけだけど。
でも、言われてみれば、ここに来てから私は「レースで勝てば中央に移籍」ってことしか考えてなくて、走ることについて何も考えてなかった。
『えっと、ごめんね?応援とかじゃなくて・・・』
「ありがとう、イッカク。おかげで元気が出てきたよ」
『本当?』
「うん。だから、見てて。私も思い切り楽しんでくるから」
そう言って、私は通話を切った。
ふと視線を感じて首を動かすと、須川さんが笑みを浮かべながら私の方を見ていた。
ただ、いつもみたいなニヤニヤ顔じゃなくて、初めて見るような優し気な笑みだった。
「・・・何その顔」
「ひどくねぇか?」
いやだって、今まで一度も見たことが無いような顔だったし。
「なに、いい友人に出会えてよかったなってだけだ」
「それはそうだけど。まぁ、私もようやく気持ちが固まったよ」
たぶん、イッカクの言葉がなかったら、いつまで経っても調子は戻らなかっただろうね。
今は、完全に元通りどころか、いつもよりも体が軽く、それでいてエネルギーがみなぎってくるように感じる。
「ファンとか須川さんとか、応援してくれたりお世話になった人がどうでもいいとか、そういうわけじゃないけどね。それでも私は、私自身のために、自由に走ってくるよ」
私の名前はクラマハヤテ。誰にも縛られない風として、自由に生きていこう。
誰のためでもない、自分のために。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「おう、楽しんで来い」
今回は短めです。
レースバトルを書くのは初めてなので、手探り状態で進めています。
っつーか名前とかどうしよう9人どころか1人すら怪しいかもしれん・・・なぜ未来オリジナル軸で始めてしまったのか・・・というか、すでにキャラがサイレンススズカと被り気味になってきてるし・・・本当にどうすればいいんだ・・・誰か教えてくれ・・・。
ナーバスタマちゃんも、こんな感じだったのだろうか。
ちなみに、「ゲロい」のフレーズはラノベの“そうだ、売国しよう”の書籍で見かけたのがツボにハマったので使ってみました。なんでデフォルメ化したナーバス女子ってあんなにも可愛いと面白いのバランスを両立できてるんでしょうね。
最後に、前述の通り執筆が手さぐりになるのと、別作品の大幅な改修作業があるので、次回更新は遅くなります。