控室から出た私は、案内板に従って通路を進んでいく。
先ほどまで吐きそうなくらいまで膨れがっていた不安や緊張は跡形もなく、ともすれば武者震いのように体が震えてくる。
奥底からこみあげてくる興奮を抑えながらコンクリートの無骨な通路を抜けて、私は外に出た。
最初に目に飛び込んできたのは、一面に広がる芝の緑。その上には、今回のデビュー戦に出走する他のウマ娘の姿もある。
後ろを振り返れば、デビュー戦であるにも関わらず多くの観客が集まっていた。
さらに言えば、地方から来たということで注目されているのか、数多の視線を感じる。
そして、空気が違う。
実は一度だけ、休日に浦和レース場に足を運んだことがあった。本番のレースがどんなものなのか、参考にしてみたかったから。やっぱり地方ということもあって、人出は少なかったけど。
だけど、ここは浦和レース場とはまるで比較にならない。
熱気、芝の香り、突き刺さる視線、そして、ただ1人としてただ者ではないと感じるウマ娘たち。
・・・あぁ、ついに、ここまで来たんだ。
自然と口角が吊り上がる。胸の高鳴りが抑えきれない。
早く、早く走りたくて仕方がない。
すでに私の耳には、実況のアナウンサーの声も入ってきていない。
あぁ・・・ここは本当に、私を楽しませてくれそうだ。
* * *
所変わって観客席では、イッカクがビクトメイカーと共にクラマハヤテのレースを観に来ていた。
「いよいよだねっ」
「うん、そうだね・・・はぁ、なんで来たんだろ」
実は、ビクトメイカーは観戦に来る予定はなかった。
テレビで見るだけでも十分だったのだが、半ば強引にイッカクに引きずられてやってきた。
ちなみに、イッカクがビクトメイカーを引きずってでも連れてきたのは「1人で観るのは寂しいから・・・」らしい。
それは言葉通りの意味ではなく、誰かとハヤテの活躍を分かち合いたかったのだろうと、ビクトメイカーも今ではわかるようになった。内心では非常に面倒だったが、表に出さぬが吉だろう。
「おう、ここにいたのか」
そこに、2人の後ろから声をかけられた。
振り向くとそこには須川が立っていた。
「須川トレーナー。こんにちは」
「えっと、この人が?」
「そっちのは初めましてだな。俺は須川甚一。まだ仮だが、あいつのトレーナーをやらせてもらっている。お前さんだろ?あいつにダンスとか教えたの。素人目で見てもなかなかいい出来だったぞ」
「え、えぇ、まぁ、ありがとうございます?」
「仮にも中央のトレーナーさんが素人って・・・」
今までの振舞いに似合わない謙虚な言い回しで呆れるイッカクの横では、中央トレーナーからの思いもよらなかった褒め言葉にビクトメイカーは少し挙動不審になりながらも礼を言った。
一応、ビクトメイカーがやったのはハヤテのダンスの悪癖を修正しただけで、それも少なかったのでビクトメイカーから教えたことは多くない。
それでも一流のトレーナーから褒められるとは思わなかったため、少し満更でもなさそうだ。
そして、照れ隠しのように話題を変えた。
「それで、須川トレーナーは今回のレースをどう見ますか?」
「序盤にハナを取って差を付ければ勝てる」
そう断言する須川に、ビクトメイカーは目が点になった。
「・・・すごい自信ですね。一応、今回のレースでハヤテは6番人気ですけど」
今回のデビュー戦の出走人数は9人で、その中で6番人気であれば低い方だ。
なんだったら、ビクトメイカーの中ではもっと低くなるだろうと思っていた。
中央のファンから見た地方のウマ娘の評価なんて、そんなものだろうと。
「そりゃあ、あいつは今まで模擬レースにすら出たことがなかったからな。評価が低くなるのは当然だ。それでも8,9番人気じゃないのは、中央トレーナーが直々にスカウトしたってことで話題になっているんだろうな。中央の関係者が直々にスカウトなんて、そうそうないし」
そして、今回のレースでの勝利を条件とした中央移籍ともなれば、話題性は十分だ。
つまり、勝つかどうかは別にしろ、少なからず注目はされているということだ。
「あいつはスピードとパワーこそ飛び抜けているわけではないが、スタミナは間違いなくG1級だし、それだけのスタミナのおかげで走っている最中でも頭がよく回る。使うかどうかは別だが」
ハヤテはどちらかと言えば、あれこれ指示を出すよりも好きなように走らせるのが最も実力を発揮するタイプだ。
だから、須川も指示は『差をつけて逃げろ』程度しか言っていない。
「そういうことだから、出遅れてバ群にのまれない限りはいける」
「・・・出遅れたら?」
「そういうのは考えないようにしろ。それに、出遅れたら出遅れたで外からロングスパートをかければワンチャンある」
とはいえ、仮にそうなったら須川としてもその展開は未知数だ。
基本的に、逃げウマ娘が出遅れたら、その後は何もできずに負けることなんて珍しくない。
ハヤテならば、すぐに外側からロングスパートをかければ可能性もなくはないが、これまでに集団の中で走らせたことは一度もない。
さらに、今回は2枠2番の内側だ。場合によっては外側に出ることすら困難を極める。
つまり、今回のレースの勝利条件は出遅れないことが大前提だ。
もちろん、そうならないためにトレーニングを積んできたが・・・
「・・・あいつ、妙に興奮してんな?」
双眼鏡越しで見るハヤテは、やけに体を震わせていた。さらに、よくよく顔を見てみれば、口元が弧を描いて吊り上がっている。
見るからに、今のハヤテは興奮状態だった。
「そうなんですか?」
「あぁ。いやまぁ、緊張でガチガチになるよりはだいぶマシなんだが、あいつ、さっきまで『ゲロい』って連呼しまくってたくらいにはナーバスだったぞ?どういう心境の変化だ?」
「走るのが楽しみなんじゃないですか?」
「あいつ、そこまで単純だったか?」
たしかに、今まででもハヤテのチョロい部分は何度か見てきたが、一度ドツボにハマるとなかなか抜け出せない類でもある。
先ほどまでの状態は、まさにそのドツボにハマった状態だった。ともすれば、今まででもトップクラスで。だから、須川も立ち直らせるのは相当苦労すると踏んでいた。
それなのに、イッカクからの電話1つであぁも立ち直った挙句、あそこまで戦意をみなぎらせているのだから、不思議なこともあったものである。
「まぁ、それもまた必要な素質だからいいか」
「素質、ですか?」
「あぁ。勝ちたいという渇望。それを持っていることが、勝てるウマ娘の最低条件だと俺は考えている。当然、気持ち一つで勝てるほど甘い世界じゃないが、気持ちが無けりゃ勝てるはずもないしな。そして、その渇望を手懐けるか、あるいは本能のまま剥き出しにするか、そいつはウマ娘とトレーナー次第だ」
むしろ、それこそがトレーナーの本分とも言える。
如何にしてウマ娘のやる気を引き出すか。それもまた、優れたトレーナーとそうでないトレーナーを分ける1つの指標なのだから。
これに関しても、ハヤテはどちらかと言えば「勝ちたい」よりも「走りたい」欲求が強かったため、実はやる気の引き出し方には苦労していた。
「さぁて。ハヤテはいったいどんなレースをしてくれるかな?」
そんな須川もまた、ハヤテと似たような笑みを浮かべながら、レースが始まる時を待ちわびた。
* * *
「・・・あれ?もしかして、須川さんとイッカクかな?」
レース開始までの待ち時間の間、なんとなくゲート近くから観客席を眺めていたら、須川さんとイッカクっぽい人影が見えた気がした。
ていうか、さすが白毛。見つけたのは偶然だけど、遠くの観客席でも意外と目立つもんだね。
ていうか、イッカクの隣にいるのって、もしかしてビクトメイカー?聞いてなかったけど、わざわざ来てくれたんだ?あるいは、イッカクに連れてこられたのかな?
なんにせよ、嬉しいことに変わりはないね。
「・・・イッカク、へこんでたからねぇ」
前から話してた、イッカクもサポーターとしてトレセン学園に来るって話、お流れになっちゃったんだよね。手続き云々の問題じゃなくて、単純に実力不足で。
まぁ、さすがに0から1ヵ月そこらで中央に行けるレベルまで上げるのは無理があったからね。仕方ないと言えば仕方ない。
私?私は別・・・かな?それに、まだ通用するとは限らないし。
ただ、イッカクに関してはさらにやる気になっていて、「いつか、私もハヤテちゃんのところに行くから!」って豪語されてしまった。
いや、自信がないわけじゃないとはいえ、私だってまだ中央に移籍するかどうかなんてわからないのに、さも確定事項のように言われてもね。
まぁ、あれかな。負けられない理由が増えたって解釈でいいかな。うん。
それにしても・・・
(いや~、モテモテだね、私)
観客からじゃなくて、ウマ娘から。さっきからチラチラと私の方を見てくる。
向けられる感情は、猜疑だったり嘲りだったり値踏みだったり、まぁいろいろだ。
・・・落ち着かねぇ~。
私って、そんなに同業者から注目されてるの?下手したら観客よりも意識されてない?
マジで落ち着かないわぁ~。
「時間になりましたので、ゲートに入ってください」
ようやく、係員さんから指示が入った。
一度ゲートに入ってしまえば、他のウマ娘からの視線は遮られる。
あ"~、なんかすっごい落ち着くわ~。いっそもうしばらくゲートの中に引きこもってたい。
いや、そんなことしたら負けるからやらないけど。
スタートに出遅れないためにも、集中力を研ぎ澄ませてスタートのタイミングを待つ。
瞬間、周囲の音が掻き消えた、気がした。
だけど、それも一瞬。
ガコン!という音と共にゲートが開いたと同時に、前に出るべく思い切り駆け出した。
* * *
『一斉にスタートしました!先頭に立ったのは2番、クラマハヤテです!4バ身、5バ身とリードを広げていきます!』
「よしっ」
ひとまずは、作戦通りの走りができたところで、須川は小さくガッツポーズをした。
が、それは最初の方だけだった。
異変が起こったのは、第3コーナーに差し掛かったあたりだった。
『先頭のクラマハヤテ、リードをキープしたまま悠々と・・・って、あ、あれ?クラマハヤテ、さらに加速し始めた!?リードをさらに広げていきます!また、後続のウマ娘たちも負けじと速度を上げていきます!』
「ん?え?あ、えっ?」
急な展開に、須川は思わず戸惑いをあらわにした。
「ちょちょちょっ、えっ、はぁ!?」
「す、須川トレーナー?」
いや、もはや軽く錯乱していると言っても過言ではなかった。
それほど、ハヤテの走りは常軌を逸していた。
そもそも、大抵のウマ娘がスパートをかけるのは最終直線がほとんどだ。例外なのは、レース後半からロングスパートをかける追い込みくらいだろう。逃げ、先行、差しであれば、スパートをかけるのは早くても第4コーナーを抜ける前といったところだ。
そして須川の見立てでは、その最終直線でのスパートが勝負所だと考えていた。
スピードにいまいち欠けるハヤテが勝つには、ラストスパートまでにどれだけ差を離せているかがカギになる。その勝てる目安が4~6バ身だった。
だと言うのに、ハヤテは早い段階でスパートを始め、リードをさらに伸ばした。
だが、それだけだ。ハヤテは第4コーナーを抜ける前に最高速に達し、後続に追いつかれ始める。
そうなるはずだった。
『クラマハヤテ、第4コーナーを抜け最終直線へと入る!後続も続くが差が縮まらない!』
「お、おぉ?・・・あぁ、なるほどな。狙ったのか?いや、それはないか?」
「須川トレーナー、何が起こったんですか?」
ひとしきり混乱した後に急に納得顔になった須川を見て、イッカクは未だに目の前の現象に理解が追い付かなくて解説を求めた。
「いやなに、言ってしまえば簡単な話だ。第3コーナー前では、基本的にどのウマ娘もスパートに入らない。スタミナがもたないからな。だが、ハヤテはあえて早いうちにロングスパートをかけたことで、他のウマ娘も
もしハヤテの規格外のスタミナと伸びないトップスピードを知っていれば、イチかバチかでも最終直線でスパートをかければ勝機はあっただろう。
だが、模擬レースにすら出てなかったが故に、その情報は知られていなかった。
自身の情報が出回っていないことを有効活用した、良い作戦だと言えるだろう。
とはいえ、須川はハヤテがそこまで考えているとは思っていない。大方、スパートをかけ始めたあたりで気持ちよくなった結果、さらにスピードを上げて偶然こうなっただけだろう、と。
だがそれでも、ハヤテの規格外さを知るには十分すぎた。
「大逃げで活躍したサイレンススズカは、逃げた上で第4コーナーから最終直線にかけて加速して相手を引き離す走りから『逃げて差す』なんて言われたが、あいつはまた別だな。逃げた上でさらにロングスパートをかけて引き離すなんざ、まるで『逃げて追い込む』ようなもんだ」
一口に追い込みと言っても、主に2つのパターンがある。最終直線で一気に追い抜くか、後半からロングスパートをかけて徐々に追い抜いていくか。代表的なのは、前者はタマモクロス、後者はゴールドシップだろう。
ハヤテの走りは、逃げと後者の追い込みを組み合わせたようなものだ。
まさに、過去のステイヤーと比べてもなお規格外のスタミナを誇るハヤテだからこその走りと言えるだろう。
「今はまだ、本格化を十分に迎えていない、スピードもまだまだ伸びていない粗削りだが・・・これからが楽しみだな」
まず間違いなく、これはハヤテにとって強力な武器になる。
『今、大差をつけてゴール!1着は2番クラマハヤテ!地方からやって来た挑戦者が、さっそくデビュー戦を蹴散らしたぁ!』
おそらくはオグリキャップ以来になるだろう、地方から生まれた怪物を目の当たりにしてイッカクとビクトメイカーが呆然としている中、須川は新たに吹き始めた風を感じて、獰猛な笑みを浮かべながら体を震わせた。
これが、後に“疾風”と呼ばれることになるクラマハヤテの、快進撃の序章だった。
なんか、書いてて『劣化版セクレタリアトみたいになってんなぁ』って感じましたね。
まぁ、あれは他の一般名馬たちと同列に扱ってはいけないというか、ウマの皮を被ったナニかなので、下手に比較するのもおこがましいレベルですが。
とりあえず、ハヤテが大逃げで勝利したように、自分もモブウマ娘の名前から大逃げちゃいました(汗)。
いやだって、下手に思い浮かばないままあーだこーだ悩むよりは、出さないような言い回しでごり押しちゃう方が早めに投稿できていいでしょうし。(言い訳)
まぁ、さすがに中央編入するまでには考えておきます。
ていうか、今までキャラの名前ってその場その場のノリで考えて決めてるんで、今回は名前帳みたいなのを作っておこうかな・・・。