トレセン学園は午前と午後で授業形態が異なる。
午前は一般教養の座学を行い、午後はレース関連の授業を行う。
といっても、単純にトレーニングだけじゃなくて、ライブの練習はもちろん、レース座学やスポーツ栄養学なんかも含まれるから、意外とやることが多い。
そんな午後の授業形態はわりと特殊だ。
午後の授業は一般の教師じゃなくて、トレーナーが担当することになる。だから、内容はトレーナーの裁量によって多岐にわたるし、個人の適性や能力にあったトレーニングを行うことになる。
ちなみに、担当トレーナーがいないウマ娘は教官が十数人のグループで管理しているらしくて、そっちは基礎能力訓練がほとんどらしい。
つまり、ウマ娘の能力はトレーナーの有無で差が出てくる。当然、1人のトレーナーが面倒を見れるウマ娘は限られてくるから、担当トレーナーがついたウマ娘は幸運だと言える。
もっと言えば、私みたいなマンツーマンの専属トレーナーはかなりレアらしい。だいたいのトレーナーさんは、チームを作って複数人の面倒を見てることが多いらしいからね。
つまり、私は編入前からトレーナーガチャ勝ち組だったってわけだ。
「それで、こっちで何するの?」
各トレーナーに割り当てられてるトレーナ室で、私はパイプ椅子に逆向きで座りながら須川さんに尋ねた。
対する須川さんの返答は、歯切れが悪いものだった。
「そうだな・・・どうしたものか・・・」
「決まってないんかい」
てっきり用意してあるもんだと思ってたよ。
「向こうではバリバリやってたじゃん。あの時とはまた違うの?」
「浦和でやってたのは、主に姿勢の矯正とスタートの練習だったろ。こっちでもやるにはやるが、あくまで感覚を忘れさせない程度のものだ。技術としては、わりと完成している」
「じゃあ、基礎トレとか?」
「あぁ。だが、あまり本格的なのは多くやれない」
「なんで?」
「本格化がまだだからだ」
本格化っていうのは、聞いたことがある。というか、授業で習った。
言ってしまえば、ウマ娘の成長がピークになるときのことで、ほとんどのウマ娘が経験するものだ。時期や度合いは個人差があるけど、その間は飛躍的に実力が伸びやすい。逆に言えば本格化を迎えていないということは体が未熟っていうことでもある。
だから、デビュー戦は基本的に本格化の時期を見据えて決まるものだって授業で・・・
「ちょっと待って。ということは、私って本格化前なのにデビュー戦走らされてたの?」
「・・・それは、まぁ、悪いとは思ってる」
「なのに、大逃げで大差つけたやべー勝ち方しちゃったの?」
「そうなるな」
「・・・やばくない?」
「やばいな。いろいろと」
私の実力はどこまで伸びるんだろう。これがバレた時のクラスメイトの反応はどうなるんだろう。ていうか、すでにバレてたりしないよね?
「とはいえ、過ぎた力は時に自分自身の身体を壊すこともある。本格化前ならなおさらな。だから、当面は座学を中心にやる。基礎トレーニングは軽めのものを除いて本格化を迎えてからだ」
「ちなみに、須川さんの見立てだといつくらい?」
「一概には言えんが・・・夏から秋にかけてのどこか、といったところか」
「びっくりするくらいアバウトだね」
「そんなもんだ」
そんなもんなんだ。
「ひとまずは、当面の課題だな」
「やっぱり、スピードとか?」
「それもある。が、ある意味それよりも問題なのがある」
「問題?なにそれ?」
「レース勘だ」
「・・・あー」
そう言われて、私も思わず納得の声をあげた。
言われてみれば、模擬レースや選抜レースどころか併せすらすっ飛ばしてデビュー戦に出たから、駆け引きとかルート選択の技術なんてほとんど学んでいない。
「正直言って、いらないって言えばいらないんだ。駆け引きもルート選択も関係なく、最初から最後まで自分のペースで走りきる。それが大逃げの強みだ。だが、お前の場合はまだスピードがいまいちだ。そうなると、最終直線で追いつかれる可能性が高い。そうなったときに、最低限抜かせないための駆け引きや他のウマ娘の位置を把握する術、それらを処理する判断力が欲しい。だが、お前以外に一緒に走れるウマ娘がいない以上、併せで培うのも難しい」
「他のチームの娘に頼んだら、私の弱点がもろバレしそうだもんね」
わざわざ自分の勝率を下げるような手段をとってまで他のチームのウマ娘と併せをするメリットって、あまりないもんね。
「須川さんさぁ、別に今すぐとは言わないけど、せめてクラシックまでに1人か2人は勧誘したら?」
「そのうちな」
大人の「そのうち」ほど信用できないものもないんだけどなぁ。
「だから、今回は別のベクトルから勝負勘を鍛えようと思う。本格化が来るまでの間は、軽めの基礎トレと座学以外はそいつをやる」
「ほう、どんな方法かな?」
ちょっとワクワクしながら問いかけると、須川さんは机に置いてあった紙袋の中をガサゴソと物色して、中身を取り出した。
取り出したのは、様々なパッケージのDVDだった。
「それでなにすんの?」
「映画鑑賞」
「映画鑑賞」
思わず復唱しちゃうくらいには予想外だった。
「え、なに?ウマ娘は飯食って映画見て寝れば強くなるってジンクスでもあるの?」
「んなわけあるか。ただ見るだけなわけないだろ」
そう言って、今度は紙袋からバインダーを取り出した。
「ここにあるのはサスペンスにアクション、長編から短編まで様々だが、これらを見ながら画面の中の情報を書き留めろ。そして、見終わったらこっちで用意した問題を解いてもらう」
「つまり、どういうこと?」
「必要な情報とそうでない情報の取捨選択、その判断力を鍛えるトレーニングだ。本当はレースの資料映像とかの方がいいんだが、まずはこれで慣れとけ」
「はぁ・・・」
なんか、拍子抜けというか、コレジャナイ感が半端ない。
中央に来て初めてのトレーニングが映画鑑賞とか、誰が予想できるよ。
「ほら、さっさと始めるぞ。トレーニングや座学も考えたら時間がいくらあっても足りないくらいだからな」
「はいはい・・・」
まぁ、出だしはあれだけど、中央に慣れることに専念しやすいって考えれば悪いことばかりでもない、かな。
* * *
「うぅ・・・思ったより頭使った・・・」
おおよそ3時間、まずは短編映画から始めたんだけど、思ったよりも難しかった。
今はぶっ続けで映画見て問題解いてを繰り返して頭が疲れて来たから、頭の休憩も兼ねて外で体を動かすことになった。
ちなみに映画鑑賞トレーニングは、まったくわからないとかそういうわけじゃないんだけど、メモを取っている間も映画は進んでいくから、そこで見落としたところが問題に出たりしてわからなかったってパターンが多かった。
うん、やってみてわかったけど、たしかにこれは私に必要なスキルだ。
ただの映画で苦戦しているようじゃ、時速60㎞で展開が進むレースでまともな状況判断なんてできるはずがない。
実践となると話は別だろうけど、まずは映画で慣れていくべきだね。
にしても、一見ふざけているように見えて理にかなったトレーニングを立案・実行するあたり、須川さんって実はけっこう優秀?
「にしてもさぁ、こんなんで本当に大丈夫なの?もうちょっと基礎トレ積んでもいいと思うんだけど」
「お前の場合、そのスタミナがある時点でスタート地点は他よりだいぶ前だから、焦る必要はない。それに、スタミナがありすぎるのも考え物でな。スタミナがある分負荷をかけられるが、かけすぎると体を壊しかねない。俺としてもお前ほどのスタミナの持ち主は初めてだから、本格化まではできるだけ慎重にいきたい」
「いろいろ考えてるんだねぇ」
「そりゃあ、俺はお前のトレーナーだからな」
そんなトレーナーの下で指導を受けれて、私は幸せ者だよ。
ひとまず、須川さんの指示に従っていれば失敗はなさそうだ。
それじゃあ、これからランニングで軽く流して・・・
「おらぁ!」
「ぐぼぁ!?」
思い切り後ろ蹴りを放ったのは、ほとんど反射だった。
なんか背後から不埒な気配を感じ取った次の瞬間には、私の足は背後にいた誰かの顔を思い切り蹴りぬいていた。
って、やべぇ!ウマ娘の脚力で思い切り蹴っちゃったら、ヒトなんてただじゃすまない!
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
「ってて。おう、俺は大丈夫だ」
いや、なんで無事なんだよ。けっこうガチで蹴ったはずなのに、蹴ったところがちょっと赤くなってるだけで、これといった外傷は見当たらない。
ギャグ世界線で生きてる生き物なのかな?
ちなみに、私の後ろに立っていた不審者はだいたい30代の男で、左側を刈り上げた癖毛を後ろでまとめているのが印象的に見える。
「てめぇ、相変わらず何やってんだ、沖野」
「須川さん、この変質者、知り合い?」
「あぁ、これでも中央の優秀なトレーナーだ。担当ウマ娘は癖が強いのが多いが、G1を何度も勝たせた実績がある」
マジで?私の目にはただの変質者にしか見えないけど?
「いやぁ、すごいのは俺じゃなくてあいつらだよ」
「それでもだ。まぁ、見ての通り無断でウマ娘の脚を触ろうとするのが難点だが」
「変態じゃん」
「変態とは失礼な。俺のは純粋な好奇心だ!良い足があると確認したくなるのはトレーナーの性だろ!」
「俺に同意を求めるな。百歩譲ってそうだとしても、だからといって背後から無言で近づいて無断で足を触るのは犯罪一歩手前だぞ」
「うわっ、マジもんの変質者じゃん」
「やめろ!俺をそんな目で見ないでくれ!」
いや、ゴミにゴミを見るような眼差しを向けて何が悪い。
「にしても、ハヤテはよく気づいたな。こいつの毒牙にかかったウマ娘はけっこう多いんだが」
「なんかねぇ、直感、かな?そんな感じ」
実は私、お馴染みの転生ギフトなのかは知らないけど、直感がよく働く。
子供の時、山で走っているときはなんか嫌な感じがする方には行かないようにしてた。
でも、ある時嫌な予感を感じながらも興味半分でその方向に向かってみたら、クマと遭遇したことがあった。その時はどうにか無事に帰れたけど、それ以来私は自分の直感を必ず信じるようになった。
今回のも、その直感に身を任せた結果だ。
でも、思わず全力で蹴飛ばしちゃったのはちょっと申し訳ないけど、悪いのは勝手に人の足を触ろうとしたこの変態であって、別に私は悪くないよね?
「とりあえず、私の半径3m以内に近づかないでもらっていいですか?さすがに次からは命の保証はできませんよ?」
「大丈夫大丈夫、頑丈さには自信があるからな」
「二度と近づくなって言ってんの」
蹴らせてくれれば許すってわけじゃないからね?
その後もしつこく私の足を触らせてほしいってせがまれたけど、しばらく須川さんの後ろで威嚇し続けたら諦めて帰ってくれた。
てか、絵面だけ見たらだいぶやべーな、この状況。
「・・・ねぇ、まさか他にもあーいうトレーナーっていたりするの?」
「なわけあるか。たいがいなのはアイツくらいだ」
「そっか」
それを聞いて安心した。いや、油断はできないけど。
あそこまで終わってる人間が他にいないのは助かったけど、あの人には気を付けなければいけないことに変わりはないからね。
「それにしても、よくあんなんでトレーナーやれるね」
「あれでも腕はたしかなんだよ。まぁ、契約が長続きしたことなんて数えるくらいしかないが」
「そう・・・だろうね」
「言っとくが、別にセクハラが原因ってわけじゃないからな?放任主義が高じてそりが合わずに辞めてったってのがほとんどだ」
「ふーん」
須川さん曰く、沖野さんはウマ娘の自主性を重んじて強制的にやらせる回数をとにかく減らしてるんだけど、それが逆に「指導してもらえない」って感じさせちゃって離れていくらしい。
なんというか、それはそれでもったいない話だねぇ。合う合わないが露骨に出るパターンだ。
とりあえず、今後はあの人に関わらないようにしようそうしよう。
どうしてアニメの強者は度々トレーニングに映画鑑賞を勧めてくるんだろう。
まぁ、某OTONAも某最強もどっちも好きなんですけどね。
現実ならハヤテの尻尾に蹴り馬注意の目印がついてそう。
まぁ、蹴り馬じゃなくてもウマの真後ろに立つのはご法度ですけどね。蹴られたらぜってぇ死ねる。