「・・・あー、すまん、もう一度言ってもらってもいいか?」
トレーナーさんが、理解できないという感じの納得がいかない表情で再び尋ねてきた。
私もそこで自分がなんて言ったのか遅れて理解したけど、それでも返答は変わらない。
「だから、いやです」
もう一度そう言うと、いつの間に集まってきていたのか、周囲がザワザワ!とどよめきだした。
たぶん、「どうしてあの人がスカウトされて?」と「あの人、どうして断っているの?」の半分半分なんだろうけど、私にそれを気にするだけの余裕はない。
トレーナーさんは、ガシガシと頭を掻きながら困惑気味に口を開いた。
「あのなぁ、自分で言うのもなんだが、俺はこれでも中央のトレーナーだぞ?むしろ喜んで受けてくれる方が普通だと思うんだが」
「でもそれって、私が中央に行くってことになりますよね?え、何でですか?私のタイム聞いてましたよね?というか、がっつり見てましたよね?私が他の娘に置いていかれるところ。なのになんで私なんですっていうか名乗らずにスカウトするとか新手のナンパなんですかさっきも私の身体をじっくり舐め回すように見てましたしもしかしてスカウトって名目で私を知らないところに連れて行ってあんなことやこんなことをあばばばばばばば」
「あー、うん。とりあえず落ち着いてくれ。お前さんがパニックになってるのはわかった。ほら、深呼吸しろ」
「すー、はー、すぅー、はぁー・・・あ、はい。落ち着きました」
「いきなり落ち着くな」
ひどい。落ち着けって言ったから落ち着いたのに。それとも、言ってみたかっただけかな?
まあ、いったん深呼吸したおかげで冷静になれた。
「とりあえず、名前を聞いても?」
「あぁ、俺の名前は
「それで、なんで私をスカウトするんですか?足の速さで言ったら、イッカクの方がダントツだと思うんですけど」
「そりゃあ、お前が遅いのは走り方がド下手だからだ」
「ひどっ!」
「事実だ。だが、幸いトレーニングで矯正できる範疇だ。だから、俺が徹底的にしごいてやるって言ってんだ」
あー、うん、なるほどねー。言いたいことはわかった。
たぶん、私の足が遅いのは山の中で走ってきた弊害で変な癖がついちゃったから。で、この須川トレーナーはそれを治してくれる、ってわけだ。
中央のトレーナーさんが言ってることだから、あながち間違いではないんだろうけど・・・ただ、本当にそれで中央でやっていけるのか、っていう自信とか諸々はまた別問題なわけで。
「う~ん・・・あ~・・・あのぉ、1ヵ月くらい時間を貰っても?」
「なんだ?悩むにしては長すぎないか?」
「いや、そうじゃなくて。仮契約というか、お試しみたいな感じで、トレーニングを見てもらうってのはダメですか?私自身、どれだけ速くなるかわからないので」
「つまり、1ヵ月でお前さんを中央でも勝てるように仕上げてくれ、ってことか?」
「ありていに言えば。まぁ、浦和レース場でそれを判断するのは難しいでしょうけど」
せめて、近場で芝で走れる地方レース場があればよかったんだけどね~。関東の地方レース場ってダートしかないし、だからといって地方所属のままで中央のレースに出るわけにもいかないし。
そう思ってたんだけど、どうやら須川トレーナーの考えは違ったようで。
「いや、デビュー戦を期限の後に中央でやればいいだろ?もし俺のスカウトを受け入れる気になったら、華々しく中央デビューだ」
「マジで!?」
まさかの途中で移籍とかじゃなくて中央スタート!?
いやまぁ、自信がついた後ならたしかにそれでいいんだろうけど、本当に中央の猛者と並んでデビューするの!?
さすがにそれは・・・とも思ったけど、最初に譲歩してもらったのは私だから、さすがに言い出せない・・・。
・・・これは、腹を括るしかないかな。
「・・・はぁ、わかりました。それでいいです」
「よし、これで契約は成立だな」
「あ、そうだ。須川さんってどれくらいこっちにいられるんですか?さすがに他の担当ウマ娘をほったらかしにするわけにはいきませんよね?」
「それについては問題ない。俺には優秀な助手がいるからな。さすがに毎日ってわけにはいかないが、数日おきに様子を見に来るくらいはできる」
すげー、いくら同じ関東とはいえ、ホイホイ県をまたいで移動できるとか、さすが中央トレーナー。地方トレーナーとは資金力が違う。
「明日の午後には帰らにゃいかんから、さっそく悪いところを指摘してやる」
「いや、今授業中なんですけど」
「・・・あぁ、そうだったな。そんじゃ、また午後に」
そう言って、須川さんは去っていった。
う、う~ん、いまいち実感が湧かないな・・・まさか、中央トレーナーにスカウトされるなんて。
大丈夫?私、刺されたりしない?あるいは、不慮の事故に遭ったりしない?
わりとガチで心配になるレベルの幸運なんですけど・・・。
「ちょ、ちょっと!ハヤテちゃん!」
ボーっとしていると、イッカクが私のところに駆け寄ってきて、いきなりガッ!と肩を掴んだ。
「ねぇ、本当にあの人にスカウトされたの!?」
「えっと、そうみたい?」
「ていうか、なんで最初断っちゃったの!?これからどうするの!?」
「ちょっ、待って待って揺らさないで。出ちゃいけないものが出ちゃいそうだから・・・」
グワングワン揺らしてくるもんだから、ちょっと気分が悪くなってきた・・・。
「あ、ご、ごめん」
「別にいいけど・・・私もいきなりのことでちょっと混乱してるから、向こうで話そう」
ただでさえ注目されてるから、ちょっと落ち着きたい。
とりあえず、この場はそそくさと退散して人目のつかないところに移動して、それからさっきまでのあれこれを話し始めた。
自分が思っていたよりも遅くて軽くパニックになってたこと、そこに須川さんからスカウトを受けたけど中央に行っても失敗する未来しか見えなかったから最初は断ったこと、そして、思っていたよりも須川さんがしつこかったから体験期間を設けさせてもらったこと。
私が話している間、イッカクは驚愕の他にも同情や呆れとせわしなく表情が変わり、最終的には盛大にため息を吐いた。
「はぁ~~~~・・・なんかもう、お腹いっぱいなんだけど」
「それを言ったら私は胃もたれ気味だよ」
当事者のパニックを舐めるなよ。
「それで・・・ハヤテちゃんはどうするの?」
「ん~・・・体験期間の内容にもよるけど、受けるつもりはあるよ」
癪ではあるけど、須川さんの話も悪いところばかりじゃないし、中央でやれるだけの実力がついたなら断る理由もないんだよね。
問題なのは、本当に1ヵ月で目に見える成果が現れるのかどうかってことだけど・・・中央のトレーナーだし、そのあたりは信用してもよさそう。
うん、だんだんと頭が冷えてきて、冷静に物事を考えることができるようになってきた。
とりあえず、その辺りの諸々の話は昼ご飯を食べてから須川さんを交えてしよう。私が1人で悶々と考えてもしょうがないからね。
そんなことを考えていると、不意にイッカクの顔がむくれていることに気付いた。
あ~、もしかしてこれ、私に嫉妬しちゃってるパターン?
まぁ、しょうがないよね。目の前で中央のトレーナーにスカウトされてるところを見ちゃったんだから。
でも、これでイッカクと不仲になるのは嫌だなぁ。
どうすればいいのかなぁ・・・
「・・・私も行く」
「え?」
「私もハヤテちゃんと一緒に行く」
「それって、体験トレーニングにってこと?」
「うん」
まぁ、さすがに中央にまでついてくるのは現実的じゃないしね。なんかあわよくばって感じはするけど、気のせいに違いない。
須川さんには・・・まぁ、どうにでもなればいいや。見るだけなら大丈夫でしょ。
「・・・とりあえず、授業に戻ろっか。さすがにずっとここにいるわけにもいかないし」
「そうだね」
悪いのはいきなりスカウトしてきた須川さんだ。うん、間違いない。
この後は、そのまま授業を受けてイッカクと一緒に昼ご飯を食べた。
周囲の視線がすさまじかったけど、イッカクのおかげでそこまで気にならずにすんだのはよかったかな。巻き込んだみたいな感じになったのは少し申し訳なかったけど。
たぶん、明日からはもっと大変なことになるんだろうなぁ。
* * *
昼ご飯も食べ終わって、さっそく須川さんのところに行って事情を話しに行った・・・んだけど・・・
「・・・で?そこの嬢ちゃんがついてくるとは聞いてないが?」
「連絡手段がなかったですから、しょうがないですよ。押しかける形になってしまったのは申し訳なく思っていますが」
・・・あれぇ?なんかめっちゃギスギスしてんだけど。
お互いに牽制し合っているというよりは、イッカクが一方的に敵視して須川さんが「なんだこいつ?」ってなってる感じ。
ていうか、イッカクはどうしてそんなに喧嘩腰なの?初対面だよね?この人のどこがそんなに気に喰わないの?
「えっと・・・見学の件に関してはどうなんです?」
「・・・まぁ、見る分には構わんが、さすがに面倒までは見ないぞ?自分のトレーニングはどうするんだ?」
「大丈夫です。時間が空いた時で構わないので。差し当たって、今はまだスカウトも受けていないのでこのまま見てもいいですか?」
「好きにしろ。別に見られて困るものもないしな」
いや、須川さんもそんなにぞんざいな扱いをしなくてもいいんじゃないですかね?もうちょっと丁寧に接して上げればいいと思うのは私だけなのかな?
なんかすごい不安になってきたんだけど、果たしてこの1か月間、私は無事に過ごせるんだろうか?いや、過ごしてみせよう。
・・・とりあえず、後で胃薬でも買っておこうかな。
今回はちょっと短めです。
たぶん、次はもう少し長くなるかも。