「・・・ッ、あーもう、ホント最悪・・・」
まだ日も昇りきっていない朝早く、私は最悪の気分で目が覚めてしまった。
寝汗もぐっしょりで、頭の回転もすこぶる悪い。
こんな最悪の目覚めの原因は、すでにわかっている。
あの夢だ。前世の記憶と思われる、あの夢。
実のところ、あの夢は最初に見てからちょくちょく同じような夢を見ることはあった。
まぁ、映像の内容は微妙に違ったりするんだけど、もやがひどいせいで何が違うのかほとんどわからない。さらにひどいことに、ノイズの音も夢を見るにつれて大きくなっているから、本当に最近は寝つけが悪くなっている。
とはいえ、前までは1か月に一回見るかどうかって感じだったから、そこまで気にはならなかった。
だけど、ここ最近は特によく見るようになっている。
具体的には、コントレイルと一緒にトレーニングをするようになってから、頻度が増えたように思う。それこそ、連続で見ることすらあった。
もちろんコントレイルのせいだなんて思ってはいないけど、時期的に被ってるのは事実なんだよね。
ただの偶然なのかもしれないけど、なんか運命というか、因果的なものを感じてしまう。
まぁ、なんだかんだいって原因究明なんてできるわけないんだけどね。
・・・とはいえ、今日に限ってこんな夢を見なくたっていいじゃないかとは思う。
「・・・今日、こんなんで大丈夫かな」
視線をカレンダーに向けると、赤丸で囲まれた今日の日付は5月26日。
一生に一度の大舞台、日本ダービーが開催される日だ。
* * *
日本ダービー。またの名を東京優駿。
クラシックレースの中でも最も格も高い、同世代の最強を決めるレース。
中央のウマ娘はもちろん、全国にいるすべてのウマ娘が憧れる、夢の大舞台。
今日、私はそのレースに出る。
「・・・さて、最後におさらいをしておくぞ」
現在、控室で勝負服に着替えてから、須川さんと最後の打ち合わせをしている。
イッカクとコントレイルは、集中したい私に気を遣って一足先に観客席の方に向かった。
「日本ダービーは東京芝2400m。このコースの特徴は長く起伏に富んだ坂だ。スタート地点がすでに上り坂の途中から始まっていて、第1コーナーから向こう正面にかけて長い下り坂を下ってからの急坂、その後すぐに200mにわたって下り坂が続き、最後に最終直線に入ってすぐ高低差2mの上り坂がそびえる。ダービーや同じ条件のジャパンカップにおいて逃げが不利な理由の1つが、この坂に意識が割かれて余計にスタミナを消耗するからだ。
そして、逃げが不利な理由の2つ目が長い最終直線だ。東京レース場の最終直線は500m以上もある。これだけ最終直線が長いと、逃げウマ娘がゴールまで待たずにスパートを吐きだしきってしまって、先行や差しに抜かされるなんてのはざらにある。
幸い、ハヤテなら坂は走り慣れているだろうから、他のウマ娘よりは消耗は少ないだろうし、その分余裕が残っていれば最終直線でもスパートをかけ続けられるはずだ。
この前のスクーリングで地形は頭にたたき込んだな?」
「うん。大丈夫」
スクーリングってのは、実際にレース場で予行練習をやることだね。
私のところはチームじゃないのと、須川さんは私をスカウトするまでトレーナー業から身を引いていたこともあって、1回しか貸し切りで練習できなかったけど、まぁ1回だけでも十分だ。
ただ・・・
「最大の懸念点は・・・最外枠からの出走ってことか」
そう、私の出走枠は最外枠の8枠18番だ。
『ダービーは最も運がいいウマ娘が勝つ』ってジンクスがあるけど、ここにきてどん底の運の悪さを見せることはないと思うんだ。
思わず「What the F〇ck!!」って叫びそうになったのを堪えた私は褒められてもいいと思う。
ちなみに、さっき電話でグランにこのことを話したら「ま、まぁ、ハヤテちゃんには菊花賞があるから・・・」って慰められたけど、それ遠回しにダービーはどんまいって言ってない?
「とはいえ、策がないわけではない。お前の好きに走らせることができないのは心苦しいがな・・・」
「まぁ、この際それはしょうがないよ」
さすがに今回は事情が事情だからね。そこまでこだわるつもりはない。
「それで、今回の作戦は?」
「今回は、リオンリオンにマークして2番手からレースを進めてくれ」
「リオンリオン?」
少なくとも、皐月賞ではそんなウマ娘はいなかったと思うけど。
「リオンリオンは、ダービートライアルである青葉賞で出走権を得たウマ娘だ。実際のレースではハイペースの逃げを披露して1着をつかみ取っている。おそらく、今回のダービーでも同じように逃げる可能性が高い。だから、リオンリオンの背後についてできるだけ消耗を抑えながら勝負所を探るんだ」
「もしリオンリオンが逃げなかったら?」
「ハヤテが先頭に立った場合は、最初はロー寄りのミドルペースでスタミナを温存してから、向こう正面の下り坂で気づかれない程度にペースを上げてくれ。消耗戦に持ち込むことができれば、最終直線でもそう簡単には抜かされないはずだ」
なるほど・・・となると、今回のレースは考えることが多くなりそうだね。
走りながらあれこれ考えるのは、ぶっちゃけそんなに得意じゃないんだけど、やらなきゃ勝てないならやるしかない。
・・・そんなことを話しているうちに、とうとうレースの時間がやってきた。
「それじゃ、行ってくるね、須川さん」
「あぁ。頑張ってこい」
短い激励の言葉を背に受け、私はパドックへと向かった。
・・・心の内に燻る、黒いモヤモヤのようなものから必死に意識を逸らしながら。
* * *
「あ、須川トレーナー。こっちです」
「おう、待たせたな」
関係者席でイッカク先輩と一緒に待っていると、須川トレーナーがやってきた。
ちなみに、皐月賞の時はグランアレグリア先輩も一緒にいたらしいけど、今回はリギルのメンバーとTVで見ているらしい。
「それで、トレーナー。ハヤテ先輩の様子はどうでしたか?」
気になった僕はそう尋ねると、須川トレーナーは苦虫を噛みしめたような表情で口を開いた。
「はっきり言って・・・最悪とまでは言わないが、今までで一番調子が良くない」
「・・・不調ってことですか?」
「いや、不調とは少し違うな。いまいち集中できてないと言うか、気分が乗ってない、と言うべきか。あいつは基本的にレース前になると勝手にテンションを上げるんだが、今回はあまり上がってなかった」
「それは・・・冷静にレースに臨んでいるとかじゃないんですか?」
「それはない。むしろ、あいつの場合はどちらかと言えば緊張しいなんだが、それを紛らわせるためにテンションを上げる、レースを楽しむようにしている。だから、あいつのレース前のコンディションは基本緊張しているかテンションを上げているかのどっちかだ。そのどっちでもないということは、レースに対する意識が薄いということでもある」
「つまり・・・レースに集中できていないってことですか。でも、何でですか?」
「それは俺も聞いてないしわからんが・・・イッカクは何か気づいたことはあるか?」
少なくとも、僕から見てハヤテ先輩の先日までのトレーニングで変わったところはなかったと思うし、須川トレーナーも指摘してないってことは同じだと思う。
それなら同室のイッカク先輩なら何かわかるかもしれないってことで須川トレーナーから尋ねると、心当たりがあったみたいで少し俯きながら口を開いた。
「その・・・最近、ハヤテちゃんの寝つきが良くないみたいで、今朝もかなり早い時間に目を覚ましてました。多分、悪い夢を見ているような感じなんですけど、私にもあまり話してくれなくて・・・」
僕は初めて聞いたけど、どうやらイッカク先輩は以前からハヤテ先輩の夢見が悪いだろうってことは把握していたらしい。
僕たちウマ娘は基礎身体能力がヒトよりもはるかに高く、睡眠中でもある程度は聴覚や嗅覚で情報を捉えることができる。だから、ハヤテ先輩が最近になって飛び上がるように起きることが増えたことはすでに知っていたらしい。
だけど、ハヤテ先輩自身がそのことを隠そうとしていたから、イッカク先輩もできるだけ触れないようにしていたらしいけど、さすがに日本ダービーの場でも同じことが起こってるってなると言うしかなかったみたい。
「そうか・・・俺のところに来た時にはすでに調子を戻している・・・いや、何も変わったことがないように見せている、か。上手く取り繕える程度には余裕があるようだが、そのことはできれば早く言ってほしかったな」
「すみません。ハヤテちゃんがそのことを徹底的に隠そうとしていて、多分須川トレーナーに相談してもハヤテちゃんは誤魔化そうとしたでしょうし・・・」
「・・・こういう時こそ、トレーナーを頼ってほしいんだがな・・・」
まだプライベートなことまで相談してもらえるほど信頼関係を築けていなかったことに、須川トレーナーは歯噛みした。
出来ることなら、僕にも少しは話してほしかったけど・・・僕はハヤテ先輩の後輩だ。余計に相談しづらかったのかもしれない。
「・・・ともかく、そのことに関してはレースが終わったら話すことにしよう。そろそろ時間だ」
不安を心の内に封じ込めた須川トレーナーの視線の先では、いつもと違う他のウマ娘を寄せ付けない雰囲気を放っているハヤテ先輩がゲートに入ろうとしていた。
・・・とうとう今年の世代最強を決めるレース、日本ダービーが始まる。
今回はダービーに向けてということで短めにまとめました。
その分、次回はがっつり長めに書いていきます。