あとはシービーを気合で育成するだけだ。
夏合宿が終わり、その後は特にこれといったイベントもないまま夏休みが終わった。
いや、イベントが何もないわけじゃない。1週間くらい地元に帰省したりとか、屈腱炎を発症して引退することになったロジャーバローズのお見舞いに行ったりもした。
とはいえ、実家は合宿明けの休養ということでぐーたら過ごしただけだし、ロジャーバローズのお見舞いも言葉がうまく出なくてあまり話せなかった。
けっこう須川さんと向こうのトレーナーに無理を言って会わせてもらったんだけど、いざ対面すると何を言えばいいのか分からなくなっちゃって、当たり障りのないことしか話せなかった。
ただ、治療やリハビリの関係で今すぐには無理だけど、菊花賞の前にもう一度くらいなら会いに来ても大丈夫ってロジャーバローズのトレーナーさんが言ってくれたから、それまでに私が話したいことをまとめる必要がある。
まぁ、いざ本番って時に吹き飛ぶ可能性はあるけどね。
そんなこんなで、始業式やら午前中の授業やらも終わって、ひとまず昼食を食べるために食堂へと向かう。
「それで、ハヤテちゃんは合宿はどうだった?」
「ん~、得るものがあったような無かったような、そんな感じ。実力は伸びてるはずなんだけど、目標には届かなかったから、なんとも」
「そっか」
「ていうか、グランこそ大丈夫なの?その左足とか」
実はグラン、この秋はクラシック級にしては異例のG1スプリンターズステークスに出走する予定だったらしいんだけど、左足に溜まった膿の完治が間に合わなくて出走が取り消しになっちゃったんだよね。
現在、グランの左足にはサポーターが付けられていて、全力疾走は控えられている状態だ。
「う~ん。一応、マイルチャンピオンシップに復帰する予定だけど、まだ分からないかな。もしかしたら、それも難しいかもしれないってお医者さんに言われたし」
「そっかー」
「ハヤテちゃんは、菊花賞に直接?」
「うん、そのつもり。トライアルレースは距離もレース場も違うから、無理に走る必要はないって須川さんが」
一応、菊花賞の前に京都レース場で開催されるレースは京都・芝2400mの京都大賞典があるけど、あれはシニア級のレースだから、菊花賞の前に走るものでもないんだよね。
ってことで、私の菊花賞はぶっつけ本番になるけど、どうにでもなるでしょ。
というか、黒い人影の問題を解消しないことにはどうにもならない。
レースに出ることで解消するなら喜んで出るけど、確証がない以上は下手に動けない。
はぁ~。私の悩みを解決してくれるようなきっかけが、どこかその辺に落ちてたりしないかな~。
「そう言えば、今日の日替わりってなんだっもがッ!?」
「えっ、誰ですか!?」
ちょまっ、いきなり目の前が真っ暗になった!?なんか息苦しいし、袋でも被せられた!?
まさか不審者!?いやでもヒトにしてはやけに力が強いし、ならウマ娘?
てかそれ以前に、なんか妙に体に力が入らない。もしや、頭に被せられてる袋になんか仕込んでたな?でも毒にめっぽう強いウマ娘に効く薬物とか、どっから調達したんだ?
駄目だ、なんか頭が上手く回んなくなってきた・・・。
「ハヤテちゃ~ん!!」
全力で走ることができないとはいえ、あのグランの声がどんどん遠ざかっていく。どんだけ速いんだよこの誘拐犯。
あーもう、どうにでもなーれ~・・・。
肩に担がれて揺られることしばらく。ガラガラと扉が開く音が聞こえ、誘拐したにしては割と丁寧に降ろされた。
この感触、保健室のベッドかな?いやでもなんで保健室?だったらグランの方が拉致対象になる気がするんだけど。
すると、バサッと頭に被せられた袋が取り除かれた。
そこで目に入ったのは、カーテンで閉め切られたせいで薄暗く、そのくせ様々な実験器具の中に混ざっている発光しているフラスコやら点滴袋やらのおかげである程度の視界は確保されていた。
いや、百歩譲ってフラスコの中身が光るんならまだしも、点滴袋まで光らせてどうするんだよ。なに?ゲーミングウマ娘でも作るつもりなの?あるいはゲーミングトレーナーの方だったりするの?もしかして私、怪しい実験の被検体にでもされちゃうの?
「そう怯えなくてもいいよ。菊花賞が迫ってきた中、君を手荒な方法で招くことになってしまったことは悪いと思っているが、今回は君で何か実験をしようというわけではないからね」
謝罪しているわりにはまったく悪気を感じさせない誘拐犯の正体は、ボサボサの栗毛に制服の上から白衣を纏うウマ娘だった。
ていうか、目が怖い。何と言うか、あれだ。マッドサイエンティストが実験体のモルモットに向けるのと同じ奴だ。そういう系の映画で見た。
「・・・んで、誰ですか?てか、ここどこですか?」
「そういえば、自己紹介がまだだったね。はじめまして、私はアグネスタキオンだ。ここは使わない空き教室を使わせてもらっているのさ」
「アグネス・・・?」
アグネスって言うと、違う方の名前に聞き覚えがある。
「えっと、アグネスデジタル先輩の親戚か何かですか?」
「別に彼女と血縁関係はないよ。ただ、寮が同室でね。君のことは、デジタルからも少し聞いたことがあるのさ」
「なるほど・・・」
なんというか、オタクが極まっているデジタルといい、目の前のマッドといい、アグネスにはやべー奴しかいないのか?
「それで、私を攫ってどうするつもりなんですか?嫌ですよ、くっころ騎士の真似事とか」
「くっころ?がなんのことを言っているのかは分からないが、さっきも言ったように、君に何かをしようというわけじゃない。ただ、気になることがあってね。それに、君にとっても利益があると思うよ?」
「なんです?」
「・・・日本ダービーの時に君が見せた、不自然な失速について」
ドクンッ、と心臓が跳ねた。
まさか、こんなマッドに気付かれていたとは。須川さんとイッカクくらいにしかバレてないと思ってたんだけどな。事実、学園では一番親しいグランも私に言われるまで気づいてなかったみたいだし。
「日本ダービーの最終直線でのスパート、君にはたしかに前に出ようとしていた。少なくとも、それだけの気迫があった。にも関わらず、前に出ることはおろか、まるで重りでも付けられたかのように足が鈍くなった」
「・・・よく気づきましたね」
「元々、君には興味があったのさ。あのオグリキャップの再来とも言える、地方から現れた怪物。無敗の三冠さえも期待されていた君の走りは、非常に興味深かったからね!だからこそ、他は気付かなかった些細な変化も見逃さなかったわけだ」
・・・なるほど。どうやら思っていたよりもずっと前から、私はこのマッドに目を付けられていたらしい。これが有名税というやつだろうか。
「・・・それで?まさかあの時の私の不調に心当たりがあるとでも言うんですか?」
「まさか!君でさえ自身に起こっていることが分からないというのに、直接会ったのはこれが初めての私に分かるはずがないだろう?ただ、これでも私はウマ娘の研究者でもあってね。君が情報を提供してくれるというなら、仮説を導き出すことは出来るんじゃないかな?」
「・・・」
う~む、どうしたものか。
ぶっちゃけ、速攻で断ることができないくらいには私も揺らいでいる。
私としても、あの問題の解決のためなら、視点は多ければ多いほどいい。そして、ウマ娘の研究者を自称しているんなら、今までとは違う意見が出てくる可能性もある。
ただ、なぁ。このマッドサイエンティストにホイホイ情報を渡すのも怖いんだよなぁ。個人情報っていつどこでどんな使われ方をするかマジで分からないし。
ただ、ここで私が悩むのは想定内だったみたいで、目の前のマッドはニヤリと笑った。
「ふむ、あともう一押しといったところかな?そんな君に、いいことを教えてあげよう!実は、今の君の悩みを解決するのに最も適しているであろう知り合いも呼んでいてね。そろそろ来ると思うんだが・・・」
え、なに?まだ共犯者がいたの?いやでも呼んだって言ってるし、どちらかと言えば巻き込まれた側かな?その知り合いも災難だなぁ。ヒトかウマ娘かは知らんけど。
「おや、噂をすれば来たようだ」
廊下から聞こえた靴音にアグネスタキオン先輩が反応した。足音でわかるくらい仲がいいのか。
にしても、こんなマッドサイエンティストに呼ばれて来る知り合いとか、いったいどんな変人・・・
「言われた通りに来ましたが・・・本当に拉致してきたんですか?」
「やぁカフェ!君が来てくれてよかったよ」
「ッ!?」
ガラリとドアを開けて入ってきたのは、腰にまで届きそうな漆黒の青鹿毛に白い流星(なおアホ毛)が走っているウマ娘だった。
だけど、その姿を見た瞬間、ゾワリと私の背中にかつてないほどの悪寒が走った。
いや、たしかに他とは違う雰囲気を纏っているけど、横にいるマッドに比べれば可愛いもんだ。
ただ、なんて言えば分からないけど、
この場には私たち3人しかいないはずなのに、目に見えない何かがいる気がしてならない。
誰か、と言えないのは、それがヒトやウマ娘と言っていいのか分からないからだが、それでも何かがいるのは間違いない、気がする。
「あなた、お友だちが見えているんですか?」
気付けば、目の前にまで謎のウマ娘が迫っていた。
う~ん、美形。こういうミステリアスな感じもなかなか・・・って、そうじゃなくて。
「いえ、その、姿は見えてない、です。けど、なんか、こう、いるっていうのは、分かります」
「そうですか・・・自己紹介が遅れました。マンハッタンカフェと言います。よろしければ、お友だちとも仲良くしてもらえると嬉しいです」
「は、はぁ・・・」
すごい丁寧な人だなぁ。どこぞの有無を言わせずに連れ去るマッドとはえらい違いだ。
まぁ・・・霊感的なサムシングを持ってるあたり、周囲からは浮いてるんだろうなぁ。なんとなく、あのマッドと仲良くなった理由が分かるような、分からないような気がする。
「なるほど、姿は見えずとも、その存在を知覚することはできるということか?これは興味深い。いわゆるポルターガイストを目の当たりにした者はチラホラいるが、たとえ見えなくとも知覚できる存在は私の記憶にはないな。やはり、君は他のウマ娘と何かが違うらしい」
やっべ、このマッドに目を付けられる理由が増えちゃった。
マンハッタンカフェ先輩もこのマッドには苦労しているのか、非難するような視線を向けてから気遣うように私の肩に手を置いた。
「それで、大丈夫ですか?タキオンさんに何か変なことはされませんでしたか?」
「ここに来てからは何も・・・あーでも、拉致されるときに変なものを嗅がされた気はします。頭に袋を被せられてから、妙に力が入らなくて」
「あぁ、それは麻酔のようなものだ。毒物や薬物への耐性が高いウマ娘に効くものを作るのは苦労したよ。もちろん、後遺症の類はないから安心してくれたまえ」
「どこに安心できる要素があるんですか?」
なにこのマッド、自前で麻酔作れんの?捕まえた方がよくない?
「それはさておき、君が気づいている通り、カフェは霊感のようなものを持っていてね。私にはまったくわからないが、彼女には
「いや、研究者なのにそういうのを信じているんですか?」
「それはごもっともだが、そういった現象を目の当たりにしているからね。それに、私もウマ娘だ。精神的なものも信じているし、似たようなものを感じたこともある」
え、なに?普通のウマ娘は日ごろからスピリチュアル的なものを感じてるの?
っていや、違う、そうじゃない。これはたぶん・・・。
「君も、聞いたことはないかい?ウマ娘は、幾多の“想い”を背負い、走る生き物だと」
「っ」
それは、今までに何度も聞いたことがある言葉だった。
同時に、私が今まで感じなかったものでもある。
「私もね、走っているときに感じることがあるのだよ。誰かに背中を押されているような感覚を」
「少し話はズレますが、レースで私はいつもお友だちと走っています。今まで一度も前に出れたことはありませんが・・・」
マンハッタンカフェ先輩の話は、それはそれで興味深いけど・・・このマッドにもそんな感覚があるのは、少し意外かもしれない。
まぁでも、科学を極めた研究者が最後に行きつくのは神であるって話もあるし、そういうことがあっても不思議じゃない、のか?
「だが、そのような視点で見ると、ダービーでの君の走りは、むしろ先に行かせまいと引っ張られたようにも見えた。それに、その時はたまたまカフェと一緒にレースを観ていたのだが、カフェが君の様子を見て何かを感じたみたいでね。こうして引き合わせたというわけだ。本当はダービーが終わった後すぐにでも話を聞きたかったんだが、カフェに止められてしまってね。こうして夏休みが終わるまで待っていたというわけさ」
「今回は、タキオンさんが本当にすみません。あのように言っていますが、無視してここから出て行っても構いません。タキオンさんは私たちで取り押さえるので」
「そんな殺生な!私はクラマハヤテ君のためにもなることを提案しているというのに、それはあんまりではないかい!?少しくらいは、あっ、これはっ、まさかお友だち君だね!?背後から捕まえるのはやめてくれないかな!?」
なんか、マッドが勝手にジタバタし始めた。よく見たら、首とか肩のあたりが微妙に凹んでいる。
マジでいるのか。んで、めっちゃお手軽に物理的に干渉できるのか。幽霊とはいったい・・・。
とはいえ、さすがにここまでおいしい展開を用意されると・・・
「ん~、でもまぁせっかくなんで、癪ですけどアグネスタキオン先輩の言質に乗っかろうと思います。本当に癪ですけど」
「2回言ったね!?だが君ならそう言ってくれると信じていたよ!さぁ、さっそく話を聞かせてくれたまえ!」
私から許可が出たということでお友だちさん?から解放されたマッドが一瞬で椅子を取り出して座った。
そういうところが癪なんだよなぁ。
とはいえ、もちろんタダでやるつもりはない。
「その代わり、と言ってはなんですが、条件があります」
「ふむ、何かね?できる範囲であればなんでも応えよう!」
「では・・・」
ぐぅ~・・・
私が要求を口にしようとした瞬間、盛大に腹の虫が鳴った。
音の発生源は、もちろん私だ。
「・・・なんか食べ物持ってきてくれません?お昼ご飯食べれてないんでお腹すいちゃって。あっ、サプリ的なやつは無しでお願いします」
とりあえず、今回の食事代は全部マッドに払ってもらおう。
いよいよ菊花賞が近づいてきました。
ようやく投稿し始めた頃から書きたかった構想の一つが形にできる・・・。
タキオンに関しては、メインストーリーでもトレーナー拉致ってたし、よくゲーミングトレーナーを量産してるんで都合のいい薬くらい作ってもおかしくないはず。